2022年9月。上京した月、近所のカフェにて。

東京ウブストーリー 第3回 [バックナンバー]

静岡出身・原田美桜(猫戦)の上京物語

その部屋を見つけた私は、歓喜し、ほとんど乱舞し、初見するまでの日々を指折り数えた

3

39

この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。

  • 9 24
  • 6 シェア

来たる新生活に向けて住み慣れた街を離れ、期待と不安を胸に東京での暮らしを始める人も多いこの季節。本連載では地方出身のアーティストに「上京」をテーマにエッセイを依頼し、東京に“ウブ”だった頃の思い出をつづってもらいます。第3回は、原田美桜(猫戦)さんが登場。理想の新居を見つけたときの高揚感と、実際に入居する日に感じたとまどいをリズミカルに描いてくれました。

私にとっての上京は、「階段のある家」

私が青い階段のある部屋を見つけたのは、大学を卒業してから4か月が過ぎた夏。浜松にある自動車教習所で物件サイトを物色している時だった。

一年のうち、晴れの日が日本で何番目かに多いとかいうここ浜松が私の生まれたまちだ。引っ越しの多い私の居所が大阪にあったそのころ、ノスタルジーがてら出身地の自動車学校へ入校し、教習所内の側溝に脱輪しては教官に怒られる3週間とすこし(仮免に落とされ延泊したため)の日々を送っていた。

上京のまえに、私の人生に「上阪」があったことを書きたい。私が生まれる前まで家族が住んでいた大阪のまちへ15歳の時に母と二人で移り住んだのだった。巨大な駅ターミナル、雑誌でしか見たことのない服屋や雑貨屋が軒を連ねる光景。都市生活そのものにたいしての期待や羨望で胸を膨らませた記憶は、私にとっての上阪がそのすべてをかっさらっていった。上京することに対して、なにもない地元からきらめいた都会へ上る、というような感覚を宿すことはなかったのは、多感な思春期に地方都市の浜松から大阪という大都市へ"お上り"した経験のほうがよっぽど鮮烈だったからかもしれない。おかしいでしょう。でも本当なのです。とにかく、私にとっての上京は、「階段のある家」。日常生活の中で階段を上り下りすることに掻き立てられる強烈なロマンこそが、私が東京生活のはじまりに高揚した、きっと最初の記憶なのだ。

教習所によくいたシャムミックスの野良猫。

教習所によくいたシャムミックスの野良猫。

私が階段のある家に抱く憧れは、並みたいていのものではない。思い起こすとそれは幼少期からつづいていた。子供の頃家にあったお化け屋敷の仕掛け絵本や持ち運び出来る観音開きのドールハウスも、飛び出すフランケンシュタインや、ミニチュアサイズのティーセットよりもなによりも、大きくて荘厳な洋館の真ん中にそびえるその大きな階段にもっとも心を奪われていたことをよく覚えている。

教習所生活で滞在していた「ホテル コンコルド浜松」の一室でその部屋を見つけた私は、歓喜し、ほとんど乱舞した。部屋を見つけた時にはまだ住人がいるので中は見られませんよというそこに、一寸の迷いもなく内見なしで申し込んだのだった。

ずいぶん画質が落ちた物件サイトの写真には、青い階段の下に、赤くて重厚な玄関のドアーがあった。階段の手すりをふきんで拭いたら、すこし、青いペンキがつくだろうか。赤いドアーにはきっと、19歳のクリスマスに買ったハンドメイドのリースがよく映える。青い階段と、赤いドアー。家具のない空の部屋を映した掲載写真の室内でひときわ華やぐ欧風のカラーリングに胸が躍った。昭和ごろの見合い結婚って、こんな感じだったんじゃないかしらと思った。これから短くない時間をともにする家という伴侶、数枚の見合い写真から夢想を広げ、初見するまでの日々を指折り数えた。青い階段、赤いドアー。青い階段、赤いドアー。

暑さの落ち着いた9月。夜行バスに乗って早朝に到着した朝、近くのファミリーレストランでモーニングセットを食べて、管理会社の開店を待った。それから店が開くと同時に鍵を受け取って、そういえば外観の写真は掲載されていなかったため、どんな外っつらなのかもろくにわかっていない我が新居へと足を進めた。アパートメントの室番号を確かめ、これから住む家のドアーの前に立つ。ふむ。さっき手渡された鍵の色が、玄関のドアーと同じ色だった。青だった。おかしい。青なのは階段のはずで、ドアーは赤かったはずだった。ただし、こんな疑問を頭に巡らせたのは時間にしてみればきっと1秒もたたないうちのことだろう。高揚で手をまごつかせながら、鍵が開き、重厚なドアーをひといきに開けた。はじめて家に足を踏み入れると、そこにあったのは赤い階段だった。振り返る。ドアーは内側も青かった。

これまで何度も眺めてきたウェブ上の写真とは入れ替わった赤と青の二つの色彩は、もちろん驚きをもたらした。ただ、きっとそれ以上に、これはインターネットの海には漂流しなかった、この家と私だけの秘密なのだと思った。赤い階段、青いドアー。私の「上京」に色を添えたこの色の記憶が曖昧になるようなことがあるなら、私は東京のまちに馴染んだといえるかもしれないけれど、きっと忘れない。私はずっとお上りさんだと思うし、そうありたいような気もする。

リビングにて。右奥が赤い階段。

リビングにて。右奥が赤い階段。

仮免に落ちて延泊してたら母とともに猫も迎えにきてくれた。

仮免に落ちて延泊してたら母とともに猫も迎えにきてくれた。

原田美桜

1999年生まれ、静岡県浜松市出身。京都にて結成されたポップバンド・猫戦のボーカリストとして2020年より活動しており、全曲の作詞曲を務める。2022年2月に1stアルバム「蜜・月・紀・行」をリリース。2023年3月には曽我部恵一からのラブコールによりサニーデイ・サービスの「桜 super love」のカバー音源を配信リリースした。猫とワインの愛好家で、猫の日である2月22日には毎年主催ライブ「Cats & Mellow」を開催している。

原田美桜 Meow Harada (@miohMeow) / X
Meow Harada|原田美桜 (@mioeel) - Instagram
猫戦 (@OdoroyoCAT) / X
猫戦 (@odoroyocat) ・Instagram photos and videos
Cat-Fight Club

バックナンバー

この記事の画像(全7件)

読者の反応

  • 3

猫戦 @OdoroyoCAT

❀ ❀

Vocal.原田美桜の上京にまつわるエッセイが
ナタリー連載企画に掲載されました

. https://t.co/sgfbf9poCK

コメントを読む(3件)

猫戦のほかの記事

あなたにおすすめの記事

このページは株式会社ナターシャの音楽ナタリー編集部が作成・配信しています。 猫戦 の最新情報はリンク先をご覧ください。

音楽ナタリーでは国内アーティストを中心とした最新音楽ニュースを毎日配信!メジャーからインディーズまでリリース情報、ライブレポート、番組情報、コラムなど幅広い情報をお届けします。