“地名をタイトルに冠した楽曲”を発表してきたアーティストに、実際にその場所でインタビューを行うこの連載。「なぜその街を舞台にした曲を書こうと思ったのか」「その街からどのようなインスピレーションを受けたのか」「自分の音楽に、街や土地がどのような影響を及ぼしているのか」……そんな質問をもとに“街”と“音楽”の関係性をあぶり出していく。
前回は
なおYouTubeでは、大森の活動を追い続けてきた写真家・二宮ユーキ撮影による高円寺ロケ動画を公開しているので、そちらも合わせてチェックしてもらいたい。
取材・
大森靖子がかつての活動拠点・高円寺へ【今日もあの街で名曲が Vol.5】
ヴィレヴァンに陳列されていない声がここにある
この連載に前回出ていた直枝さんと、ちょうどこの前お会いしたんですよ。
──あ、そうなんですね。
「ストリート・キングダム」(銀杏BOYZ・峯田和伸と若葉竜也が主演を務める、東京ロッカーズの史実に基づいた音楽映画。正式タイトルは「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」)を観て影響を受けたのか、急に「大森さんはどこの界隈いたの?」と質問されて。「高円寺のこういうところにいて、ほかには誰々がいて」と話したら、「それ絶対映画にしたほうがいいよ!」と言われました(笑)。
──あはははは。
確かに、あの頃の高円寺には面白い人がたくさんいたし、いろんなことがあったけど、高円寺というくくりで話を聞いたものって意外とないんですよね。だから、記憶が薄れないうちにこうして話せる機会をもらえたのはうれしいです。
──こちらこそ当時のお話をお聞きできるのが楽しみです。大森さんにとっての高円寺といえば、やはり初期の活動拠点というイメージが強いですが、今でも高円寺に来ることはあるんですか?
ありますよ。当時から仲がいい「はやとちり」という服屋さんに行くのがメインですけど。はやとちりに行くついでにほかのお店に寄ることはたまにあります。でもよく高円寺にいたのはもう10年以上も前で。その頃はまだ駅の上にデニーズもなかったし、深夜にやってるお店と言ったら駅前のマクドナルドくらい。そのマックでコーヒーを飲んで、飽きたら外に出て弾き語りして、みたいなことをみんなしてましたね。そのあとに、300何十円均一で24時間営業の居酒屋ができるんですよ。で、そのまたあとにデニーズができるという歴史があって(笑)。
──深夜営業店の歴史、興味深いです(笑)。
その歴史とともに、ミュージシャンは高円寺の夜を過ごしてきたと思います。夏とかは駅前の広場に集まってみんなで缶チューハイを飲んだりしてましたけど。いつ外に出ても仲間がいるし、音楽のことを話してるだけで、なんか音楽をやってるっぽい気分になれるじゃないですか。そういう楽しさに甘えちゃってる部分はけっこうあったと思います。
──もともと大森さんは愛媛県の松山市に住んでいて、武蔵野美術大学に進学するとともに上京されたんですよね。当時ファンだった銀杏BOYZ峯田さんに紐付いていたイメージも強いと思いますが、松山に住んでいる頃は高円寺という街にどういった印象を抱いていたんでしょうか?
やっぱり峯田さんのブログに出てくる街という印象でしたね。あと銀杏BOYZの歌詞に出てくる「グミ・チョコレート・パイン」(大槻ケンヂの著書)を読んだら、高円寺周辺の光景がよく描かれていたので、そのイメージもあって、とにかく憧れを抱いてました。初めて高円寺に来たのは受験のとき。「アイデン&ティティ」(峯田和伸の主演映画)で麻生久美子さんが薬局でシャンプーを買ってあげるシーンがあるんですけど、それを真似して同じ店でシャンプーを買ったりする、イタい高校生でした(笑)。
──具体的にどういう街だというイメージがありましたか?
なんかもう、自分にとっての東京そのものという感じでした。似たような憧れを下北沢とかに抱くことはなくて。自分が上京した2006、7年頃って、「スイーツ(笑)」みたいな、今で言う冷笑的な文化が広がり始めた時代だったんですよ。そういう冷笑からいろんなサブカルチャーが生まれていた。ただ、自分はそのサブカルチャーにもアンチテーゼを持っていて。「自分は本当のアンダーグラウンドだ」という歪んだ自意識を強く持っていたし、それは今でも根付いていると思います。
──「自分は本当のアンダーグラウンドだ」という意識からすると、下北沢よりも高円寺のほうがしっくりきたと。
そうそう。やっぱりヴィレヴァンに並んでるカルチャーは、人に認められているカルチャーで。ヴィレヴァンにすら陳列されていない声がここにはあるんだぞっていう。一番底辺にいるのに一番高尚な意識を持っているめんどくさいやつだったと思います。cero、シャムキャッツ、昆虫キッズとかに対しても「おしゃれな音楽め!」って当時は思ってましたからね(笑)。
加地等に豊田道倫……当時の微妙な勢力図
ただ、その中でも昆虫キッズは高円寺と下北沢の両方を行き来してるとか、微妙な勢力図があったんですよ。今考えると面白い人がいっぱいいたなと思います。同世代で言うと
──あくまで水面下でバチバチしていた。
まあ私が勝手にバチバチしてただけかもしれないけど(笑)。笹口(騒音)くんとか、一緒になることはなかったけど
──先日ナタリーで公開されたインタビューで、
そう、あるときGEZANが上京してくるんです。当時、私の家が座・高円寺の隣にあったんですけど、すぐ近くに壱之助というスタジオがあって。たぶんGEZANもそこを使ってたんですよね。自転車とリアカーをつなげて機材を運んでたんですけど、そこにメンバーも乗っていて。だからGEZANが移動するとめちゃくちゃ目立つんです(笑)。本当に3日に1回はGEZANを見かけるくらい。だからこっちのほうがGEZANのことを見ていたし、意識してたと思いますよ。
──「私がバチバチしてただけかも」とのことでしたけど、マヒトさんはそのインタビューで「大森さんは人とのつながりを丁寧にしていたし、他者へのリスペクトがあった」とおっしゃってました。
そんないいように言ってもらえるような感じではなかったと思いますけどね……。もちろん「何クソ」という気持ちだけじゃなくてリスペクトは持っていましたよ。自分より集客力がある人たちばかりだし、つまりそれは自分よりも認められているということなので。そこに対して、どうカウンターで立ち向かっていくかということばかり考えてました。だから、結局いつも自分が楽屋で一番殺気立ってたと思います。でもGEZANはGEZANで殺気立ってたから、彼らからしたら、私はまだ人と関わってるように見えたのかな。
“今日が幸せならオッケー”という精神性
──当時と今とで、高円寺の雰囲気などに変化は感じますか?
私が高円寺に来た頃は「日本のインド」と言われるような空気がまだ残ってたんですよ。今でも残ってるところには残ってると思うけど……デニーズができたのは大きかったですね。私もファミレスは好きですけど、高円寺には合わないというか。デニーズができて、生態系が崩れ始めた気がします。
──デニーズができてから10年余りが経ち、今では高架下の再開発が進んでいたり、純情商店街が巨大な道路になるという話が持ち上がっていたり、高円寺という街自体が過渡期にあるように思えます。
いろいろ破壊されてますよね。でも、自分は「この街にい続けたら、もう一生このまま終わる」と感じて高円寺を出た人間なので、とやかく言えはしないです。やっぱり好きな街だし、思い入れ深い場所もあるけど、人が変われば街も変わるのは当然ですしね。それに、高円寺の人の“今日が幸せならオッケー”という精神性が、ちょっとやそっとの再開発なんかで変わるとも思えないんですよね。高円寺の古着屋とかって、お店が3時頃に開くんですよ。みんなお昼寝しながら暮らしてるので。そういうお店が変わってないのを見ると、落ち着くなあと思います。変わっていくところもあるけど、変わらないところもたくさんあるんだなって。
──大森さんから見て高円寺に住む人たちは、“今日が幸せならオッケー”という刹那的な感覚を持っている?
刹那的ともまた違うんですよね。なんなら老後に近いというか。多くを求めてはいなくて、物価が安ければそれでいい、という人が集まっている。最近は高円寺も物価が上がっているので、それは問題だと思います。高円寺って、ここ数年で芸人さんの街になったじゃないですか。バンドのライブを観に行くのには最低でも2000円はかかるから、お金のない若者は500円で観れる若手芸人のライブに行くんですって。そういう話を、はやとちりに来る若者とかがしているらしくて。
──確かに今はバンドマンやミュージシャンよりもお笑い芸人の街というイメージのほうが強いですが、そういう背景があるという説は興味深いですね。
今はもう音楽の街って感じじゃないですよね。そういう変化はあって当然だと思います。と言いつつ、中野みたいにタワマンができたらヤバいなとは思いますけど。ただ、高円寺みたいな場所は、変わらずどこかにあるはずで。少し前の高円寺の空気を、西荻あたりで感じなくはないというか。もしかしたら、“今日が幸せならオッケー”という人が集まる場所が、だんだん西のほうに移動していってるのかもしれないですね。
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大森靖子スタッフ @oomoriseiko24
インタビュー掲載⊹ 🪄𓈒
今日もあの街で名曲が 第5回
大森靖子が高円寺で語る「高円寺」
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