2024年にデビュー10周年を迎え、2025年は精力的にリリースやライブ活動を重ねたWANIMA。外側から見ると非常に充実しているように見えたこの活動の裏で、WANIMAはとても苦しんでいた。
事務所独立以降、自分たちで操縦桿を握りバンドを走らせている中でいくつもの壁にぶつかりながら、それでも前に進み続けてきた日々。その中で生まれたのが新作ミニアルバム「Excuse Error」だ。自身が経験してきたことを若い世代に向けてメッセージとして届けるオープニングナンバー「Die on Young fellow」、思うようにいかず何も起きなかった日も「これで十分だった」と自分に言い聞かせるように前を向く「十分だった」、そしてKENTA自身の内面をこれまで以上に赤裸々につづり、その人生観を歌い上げた「inside」──どの曲でもとても正直に、今のWANIMAの等身大の感情が伝えられている。そんな作品を作り上げた今、KENTAは何を思い、どんなふうに先々を見据えているのか。率直に語ってもらった。
取材・文 / 小川智宏撮影 / YOSHIHITO KOBA
ちょっとわけのわからない生き物になってました
──調子はどうですか?
今は「Excuse Error」ツアーのリハ中です。これは言うか言わんか迷ってたんですけど、ギターのKO-SHINと俺が2月の中頃に同じタイミングで腰の手術をしたんです。それをわりと今も引きずっていて。
──「十分だった」(2026年3月配信リリースの楽曲)の制作風景を収めたドキュメンタリー映像にKENTAさんが入院しているシーンが映っていました。
そうそう。手術の影響もあってまだ思うように動けてない感じはあるけど、めちゃバリハイパー、リハーサルとリハビリがんばってる。
──このタイミングで手術をすることに決めたのには何か理由があるんですか?
この1年、腰の痛みを抱えたままツアーで全国を回ってきたけど、治らんくて。もう手術しかないねっていうので決めた感じ。手術はしたくなかったけど、去年1年間がかなりしんどい状況だったから。KO-SHINもヘルニアが4カ所ぐらいあって、今回その1カ所、神経を刺激してるやつを取り除く手術をしました。だからあと3つ残ってるんやけど(笑)。俺は腰椎の5番目の右側、KO-SHINは5番目の左側という、本当にほぼ同じ苦しみがあって……1人やったら手術できんやったけど、KO-SHINも一緒やから、すごく前向きに手術に向かっていけた。
──この1年以上、バックステージとかでしんどそうな様子をたびたび見ていたから、本当に心配でした。
そう。お客さんに心配されるのも嫌やし、ライブというのはすごくシビアな場所やと思ってるし、そこでちゃんと楽曲を届けたかったから、早いうちに治さんとなと思って。小学生のときに腰を痛めて、今30代になってからもそれにまた苦しめられるというのが、1つカルマを背負ってるような感じがしちゃって、正直かなりしんどかった。「痛い」とばかり言っているわけにはいかなかったから誰にも会いたくなかった。ツアーもキャンピングカーで移動させてもらったよ。痛みで目が覚めるし、1日中痛くて呼吸もうまくできないときもあったからかなり重症でした。それを俺は音楽作って吐き出せるからなんとかなるけど、これを発散できない人たちって相当しんどいよなって、いろんな人の気持ちまで背負っちゃって。必要のない責任感とか、必要のない重圧を1人で作って、1人で抱えてました。ちょっとわけのわからない生き物になってました。いろんな人の話も聞きましたね。「俺の歳のときって、どんな感じで過ごしてました?」とか。「自分って何が好きで何が嫌い?」って自分と会話する時間も多かったです。
少しずつ状況がマシになってるな
──そういう葛藤を超えて作った「Excuse Error」は、どんな作品になったと思いますか?
言葉にするのがムズいな……今までの曲ではがむしゃらな部分をけっこう出してきたけど、今回のミニアルバムはすごく平熱で自分たちに向き合ってるという感じですかね。冷静に自分と会話したうえで、内側から叫んでるというか。勢いとはまたちょっと違う感情で作ったんですかね。
──自然とそういうものになっていった?
うん、今がそういう時期なんやと思うんですよね。音楽以外のところでもやることが多くて、トラブルみたいなこともいろいろあった中だったから。
──「Excuse Error」というテーマは最初からあったんですか?
自分で残していたメモの中の1つに「Excuse Error」という言葉があったんです。毎日のようにトラブルが続く中でも「腐らないように」って過ごして、少しずついろんなことに気付いて反省し、改善していく。そうやって重ねていくうちに少しずつ状況がマシになってるなという感覚があって、その過程をそのまま1曲ずつ曲にしました。去年は単発で曲を出してきたけど、今回は12年ぶりのミニアルバムということで、1曲目から7曲目までの流れを含めて、1つの作品として届けたいと思って。「現在地」(福岡ソフトバンクホークスの公式エールソング)はもともとあった曲やけど、盤に入れるにあたって、球場で流れるのとは少し違うアレンジを加えました。実際に球場で鳴っているのを聴いて、お客さんのリアクションも感じたうえで、持ち帰ってもう一度確かめられる曲になればいいなと思ってます。「Excuse Error」っていう言葉は、間違えないためのものじゃなくて、言い訳も過ちも抱えたまま、それでも止まらずに進んできた時間のことやと思ってます。
──ミニアルバムバージョンの「現在地」、めちゃくちゃいいですよね。
ああ、うれしいです。できあがって周りに聴かせたときの反応が、すごく自然やったんですよ。「前よりもよくなったね」という感想が多かったから「間違ってないんやな」って思えました。正解がない中、自分がアガるかアガらんかという基準だけで作ってるから、そう言ってもらえるのはうれしかったですね。あとは「フルボコ」(2026年2月25日配信リリース)もちょっと前に作ったのか。この曲はアニメ「刃牙道」のオープニングテーマの話をいただいてから、完成までにけっこう時間がかかったんですよ。サウンドを変えたり、音質も変えたりしました。
「そういう意見もあるよね」って許せるようになった
──「現在地」と「フルボコ」以外で、このミニアルバムの出発点になった曲というと?
1曲目の「Die on Young fellow」ですね。1曲目にふさわしい曲を作りたいなと思って作ったんですよ。バンドサウンドで、ずっとWANIMAを聴いてくれてる人は懐かしいと思うだろうし、最近聴き始めた人からすると新しいものになってる感じ。新規のお客さんにもそういう曲を届けたい、ミニアルバムの1曲目は疾走感があるほうがいい、という思いからこの曲ができあがりました。
──「Die on Young fellow」の歌詞には「間違いだらけでも生きる意味を掴んで歌うよ」という、「Excuse Error」(=間違いを許す)そのままみたいな言葉も入っていますけど、これはどういう気持ちで書いたんですか?
若い頃の、言葉にできない、わけのわからん最強のエネルギーをもう1回歌に詰め込みたいなって思いました。今、俺らの事務所は渋谷の宇田川にあって、その前は代官山でした。代官山はどこか静かでお互いに踏み込みすぎない距離がある街で。俺が生まれた街は携帯の電波は弱くて遅いのに変な噂が回るのは速かったから。代官山ラブでした。でも宇田川に来たらぶつかり合う若さがあふれてて、若い子たちと海外からの旅行客でごった返してた。昔、渋谷で居酒屋のキャッチをやっていた頃の空気を一気に思い出しました。「うわーこういう時期もあったな」って。「あれ? 俺めちゃくちゃおっさんになったな」と思ってちょっとだけ、寂しくもなった。でも同時に今まさに、いろんな感情を抱えて爆発しそうになっているあの子たちを見て「俺もそこを通ってきたけん、何か渡せるかもしれん」って思いました。だからこの曲は、昔の自分を思い出しながらじゃなくて、今の自分があの頃に手を伸ばすみたいな感覚で描きました。
──その“若いときの感情”って、言葉にするならどういうものですか?
難しいんやけど……まだ何者でもなかった頃の出口も形も決まってないまま、ただ前に進むしかなかった感情かな。WANIMAの入り口を1つでも増やそうとがむしゃらに走り続けてた時期がありました。あの頃は正しいかもわからないまま、とにかくつかみたくて、届かせたくて、全部をぶつけてました。で、そのあともずっと、あのときにできたWANIMAのイメージから、抜けきれずにいる自分もいたりしてさ。でも今はそこに縛られてるんじゃなくてあの頃の熱をちゃんと持ったまま、どう鳴らすかを探している感じです。
──“世間から見たWANIMA像”から脱しようとしていた。
そうそう。あのときのポジティブな、笑顔の3人組のイメージ。でも、実際の俺らはそんな単純じゃなくて。根は暗いし、すぐネガにも入るし。表に見えているイメージと中身はけっこうズレてたりするよね。周りにもつらい状況で笑って踏ん張っているやつらがいて、そいつらに何度助けられてきた。その姿を見て「暗い顔している場合じゃないよね」って思ったし、どうせなら自分もスカさず笑顔でいようと思ったのが始まりかな。だから写真でも、ライブでも、とにかく笑ってることが多かった。でもそれが続くうちに無理に自分をアゲすぎたところもあってどこかズレてきて。本当はしんどいときでも笑っていなきゃみたいになってしまって、その笑顔に少しずつ違和感が出てきたと思う。一度、自分たちで作ったイメージやからこそ、誤解なくそこから抜け出そうともがいていた時期がありました。
──うん。
でも、今は逆にそのズレごと面白くなってきたよ。ネットで「オタクくんさあ~」みたいなノリが1人歩きして、勝手にイメージが増えていくけど現実はもっとぐちゃぐちゃでさ。例えば同居人は38歳童貞で、VTuberに全力で課金しているし、そういう意味では、俺らも全然そっち側に近い存在やと思う。だから誰かの理想のWANIMA像に寄せるんじゃなくて、ズレてるまま全部ひっくるめて出している。明るいだけじゃないし、カッコいいだけでもないけど、3人ともオモロいし、もれなく最高の連れ感ハンパない(笑)。
──面白いというのは、過去のイメージで見られること自体が?
そう。「まだそんなイメージで見られてるんだ」みたいな。昔はそれに凹みよったけど、今は自分たちが意図していないような言葉にも、「ああ、そういう意見もあるんやな」って思える。「今の自分は『Excuse Error』がカッコいいと思ってるし、それでよくない? ほかの人たちの意見に引っ張られてる暇なくない?」って。なんのために独立したのか、なんのために仲間たちとやってるのかって日々考えて、ずっと話し合った先に今があるので。
──外から見たイメージは、ずっとWANIMAを悩ませてきたことだったけど、そこを突き抜けた。
そうですね。でも、別に変わってないですよ。常にイラついてるし、不満も不安もちゃんとずっとあるし、現状に満足したことなんてほとんどないよ。幸せやなって思う瞬間も正直そんなに多くはないです。でも変わったとしたら、それをそのまま外にぶつけるだけじゃなくて。「そういう見え方もあるよね」って1回受け止めるようになったし、周りに対して感謝と愛がさらに増えてきました。丸くなったというより、削れながら残った部分で立っている感じです。この年になってようやく戦い方と伝え方が変わってきた気はします。
──いろいろな意見はあるけど、反論したり怒ったりせず、自分は自分のやりたいことをやっていくだけだ、みたいな。
うん。受け止めるっていうか、無理に感情に勝とうとしなくなったというか。例えば家庭環境のこともずっとどこかに引っかかって。「Sorry Not Sorry TOUR」のときにも同じことで苦しんでるやつに向けて「俺も同じやけん、一緒に腐らずにやっていこう」って約束したんです。ああいう痛みって大人になっても消えるわけじゃなくて、ふとしたときに顔出してくるし、気付いたらずっと背中に乗っている。呪いみたいに、カルマみたいに離れんものやと思う。でもそれごと否定するんじゃなくて、少しずつ軽くなる瞬間があってさ。全部許せるなんて思ってないけど、それでも、「許そうとしている自分」でいられたら前に進める気がするから。俺もまだ途中やけど、そうやって生きている。
──ライブでも自分自身のことを話すようになりましたよね。
うん。前は話さない美学があったというか、「背中見てわかってくれよ」と思ってたけど、でも、それやと届かんこともあるって気付いて。ちゃんと自分の言葉で話すことで、やっと届くものもあるんやって。今はそんな時期ですね。
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抗ったうえでの「十分だった」







