「かぞえうた」の一節を再現中。

東京ウブストーリー 第10回 [バックナンバー]

長野出身・ヒグチアイの上京物語

ある日、酔っ払ったおじさんに「●●だよ」と言われた。殴ろうかと思った。

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来たる新生活に向けて住み慣れた街を離れ、期待と不安を胸に東京での暮らしを始める人も多いこの季節。本連載では地方出身のアーティストに「上京」をテーマにエッセイを依頼し、東京に“ウブ”だった頃の思い出をつづってもらいます。

今回は、長野出身で「東京」「東京にて」など東京にまつわる曲を書いてきたヒグチアイさんが登場。ヒグチさんが新宿の居酒屋でのアルバイト中に酔っぱらいの客からかけられた“呪いの言葉”と、その言葉との向き合い方について明かしてくれました。これから上京する人はもちろん、かつて上京を経験した人もそうでない人も、ヒグチさんが紡ぐ上京物語をお楽しみください。

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私は新宿の居酒屋でアルバイトをしていた

7人がけの座席に7人座っている。隣の人と腕が触れる。都会って思ったより人との距離が近いんだな。

最初に東京を感じたのは。電車に乗ったときだった。
いつも駆け込み寸前だった。急行は10分に1本。それに乗らないと確実に間に合わないことがわかっているのに乗れない。少し前に出ればいいのに出られない。家から駅まで歩いて15分。当たり前だと思っていた距離だけど、やっぱり結構遠い。走る、走る、走る。喉が焼けるように痛くなって通り過ぎる人の目線が刺さる。それでも走る。

満員電車に滑り込むと、何度も息を飲み込む。息が荒れるのを腹筋で抑え込む。手前の人の目が少しこちらに向く。大丈夫、変態じゃあありませんよ、と目を逸らしながら外に体を向ける。ドアのガラスが曇っていく。そこに平仮名の“あ”を指で書き込む。

だんだんと速度を上げて新宿に向かう真っ黄色の急行電車。私は新宿の居酒屋でアルバイトをしていた。
その店は新宿センタービルの地下にあったから、雨の日の売り上げが晴れの日の売り上げの3倍あった。晴れの日は暇で、店の外で「どうですか~?」と声かけをしていた。全然人も通らないから、バイトの先輩のバンドマンに教えてもらった呼吸法をずっと練習していた。ランチに出していた握り寿司が余っているとバイト中に食べさせてもらえた。大して美味しいわけじゃないのに、バイト中に食べるご飯は全部、格別の味がした。

14人の宴会を2人でまわすのは大変だったけど楽しかった。その頃から字を書くのが好きだったので、テーブルクロス(紙)にお客さんの名前を書いて各テーブルに並べたりした。大皿メニューを4つずつ出していく。あっちは食べ終わっているけど、こっちはまだサラダも終わっていない。キッチンからは出すタイミングを急かされながら、ドリンクの注文を受けていく。「ビール、ピッチャーで2」正直ピッチャーはありがたい。一度、グラスを大量に運んでいる時にこぼしたことがある。スーツにかかってしまって、謝ったら許してくれたけど、いつ店長にチクられるかと思ってビクビクした。でも言わせて。良かれと思って手伝ってくれたんだと思うけど、みんなに伝えたい。おぼんの上に飲み物が載っている時は、手を出さないでください。そのおぼんの重さの中心を知っているのはこの左の掌だけなんで。

ある日、バイト中に酔っ払ったおじさん二人組に絡まれた。ダラダラ喋りながらバイトできるから絡まれるのは嫌いじゃなかった。話しているとだんだん口調が怪しくなってきて、いなしながら話していると「女は愛嬌だよ」と笑いながら言われた。

殴ろうかと思った。

私はその頃自分の感情をあまりコントロールできていなかったので、もしその時、余り寿司をキッチンの小山さんがくれていなかったら、本当に殴っていたかもしれない。寸前で止められたのは「愛嬌を持っていたかった自分」が内側にいることに気付いたからかも知れない。

上京は先に捨ててきているものが多い分、勝手に多くのものを受け取ってしまう。「女は愛嬌」の言葉は呪いのように未だに張り付いている。本当にそうだな、と思う場面も多かった。だけど、それは今やシミに成り果てて、消えなくても無視できるようになった。愛嬌は言葉と態度でカバーできる。できるようになった。

あれから18年。人生の半分が東京に染まっている。
今日もまた電車に乗る。7人がけの座席に7人座っている。私の席はまだ、東京にある。

ヒグチアイ

1989年11月28日生まれ。香川生まれ長野育ち。2歳からピアノを習い、18歳でシンガーソングライターとして活動を開始。大学進学に伴い拠点を東京に移す。年間150本以上のライブを行い、年齢や性別を問わず、幅広い層の支持を獲得。2014年2月に初の全国流通盤となるアルバム「三十万人」をリリースし、2016年11月にアルバム「百六十度」でメジャーデビューを果たした。2021年にポニーキャニオンへ移籍。2022年1月に配信された「『進撃の巨人』The Final Season 2」のエンディングテーマ「悪魔の子」が話題となる。近年は香取慎吾、のん、青山吉能、ChroNoiRら他アーティストへの楽曲提供を行うほか、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の主題歌を含む多数曲の作詞を“樋口愛”名義で手がけている。10月に6thアルバム「私宝主義」をリリース。2026年4月5日からNHK BSプレミアム4K、NHK BSで放送されるドラマ「対決」の主題歌として新曲「ひと匙」を書き下ろした。また、2025年2月よりアフロ(MOROHA)とのユニット・天々高々としても活動中。

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#音楽ナタリー 「東京ウブストーリー」に寄稿いたしました📖
ヒグチアイが紡ぐ上京物語、ぜひご覧くださいませ🙇🏻‍♀️

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