
「MUSIC inn Fujieda」ができるまで~ゴッチのスタジオ設立奮闘記~ 第4回 [バックナンバー]
後藤正文&エンジニア古賀健一が目指す、人生の分岐点としてのスタジオ
後藤正文とエンジニア古賀健一が目指す後世を育てるスタジオ
2025年10月6日 12:00 3
後藤正文(
その「MUSIC inn Fujieda」設立までを追う本連載の第4回となる今回は、後藤と「MUSIC inn Fujieda」の音響周りに深く関わっている古賀健一のインタビューをお届けする。都内に自身のスタジオXylomania Studioを構える古賀は、アジカンをはじめ多くのアーティストのエンジニアとして活躍すると同時に、映画音楽のミックスなども手がける辣腕。2020年には、Xylomania StudioをDolby Atmos規格の立体音響に対応したスタジオにリニューアルするなど、最新技術にも常に注目し、自身の音作りに反映させている。そんな古賀は後藤とはどんな関係性で、「MUSIC inn Fujieda」とどんな形で携わっているのか? インタビューは後藤と古賀の出会いのエピソードを聞くことから始まった。
取材・
エンジニア古賀健一のキャリアを作った後藤正文
──まずはお二人の出会いから振り返っていただけますか?
後藤正文 青葉台スタジオ時代だよね?
古賀健一 そうですね。僕はチャットモンチーのレコーディングアシスタントを何年もやってたので、ゴッチさんが彼女たちのプロデューサーとして来てくれたときが“はじめまして”でした。その後、ゴッチさんがプロデュースをするthe chef cooks meの「回転体」(2013年9月リリース)のエンジニアに突然僕を抜擢してくれて。アジカンの作品に初めて関わったのは2014年に独立してすぐくらい、「Wonder Future」(2015年5月リリース)のプリプロだったと思います。
──それは後藤さんがリクエストをしたわけですよね?
後藤 覚えてない(笑)。でも、古賀くんがいいなと思ったんじゃないかな。「回転体」がすごくいいアルバムになったから、そのままアジカンのプリプロを手伝ってもらって。あとは8ottoのアルバムも一緒に作ったり、only in dreams周りをいろいろやってますね。
古賀 ソフトタッチとか、ゴッチさんのソロとか。
後藤 やっぱりインディーのレーベル的には若いエンジニアと一緒にやりたいわけなんですよ。ベテランの人とやると必然的にお金もかかるし、若い子たちと一緒にバンドが成長していってくれたほうが一体感も生まれるし、そういうのを狙って声をかけたんでしょうね。古賀くんもまだ今みたいに有名になる前だったから、スタッフもそういうエンジニアと若手が一緒にやるのがいいと思ったんじゃないかな。青葉台みたいなちゃんとしたスタジオの出身だから、機材の取り扱いはもうお手のものだったしね。
──古賀さんのキャリアの中で後藤さんとの出会いはどんな意味があったと言えますか?
古賀 ゴッチさんに影響された部分はめちゃくちゃあります。たぶんゴッチさんがいなかったら今の僕のキャリアはないでしょうね。
後藤 そんなことないでしょ。
古賀 いや、本当にそれぐらいエンジニアとしてのキャリアはゴッチさんが作ってくれたんですよ。そもそもフルアルバムを1枚担当したのはシェフ(the chef cooks me)が初めてだった。友達のアルバムを手伝うとかはありましたけど、ちゃんと全国流通される作品で、フルアルバムを丸々1枚エンジニアとして担当するのも、プロデューサーがいるのも初めて。それからもゴッチさんとは作品を丸ごと一緒に作ることが多くて。それは今の時代はあんまりないことなんですよ。
後藤 そうなんだ。
古賀 今はいろんなアレンジャー、いろんなプロデューサーさんが入るので、アルバムの中に十何曲入っていても1、2曲しか参加しないことがほとんどなんです。だから、1つのアルバムに入る十何曲をトータルで考えながら作れるのは、実はすごく貴重な経験で。
後藤 楽しくやってたよね。みんなで一緒に話し合いながら。
古賀 その間にゴッチさんがどんどんどんどんエンジニアの勉強をして、機材が増えていって(笑)。
後藤 そうそう。だからエンジニアとして俺は古賀くんに教えてもらってるから。師匠まではいかないけど、かなり強力なアドバイザーですね。
音楽を守るためにリスナーも一緒に考えてほしい
──後藤さんはいろんなエンジニアさんとお仕事されてると思いますが、その中でも古賀さんはどんな存在ですか?
後藤 研究熱心ですよね。それはすごく素敵なことで、俺が最初に来たXylomania Studioと、今のXylomania Studioではもう全然違いますから。立体音響をミックスできる環境にいち早くしたのも、素晴らしいことだと思う。俺たちがずっと研究していた低音の問題、「なんで欧米のミックスと日本のミックスが違うのか?」ということを、ルームアコースティックの問題から最初に突き止めたのはたぶん古賀くんだと思うし。
古賀 ラウドネスノーマライゼーションとかもね。
後藤 そういうのもかなり早めに意識してやって。だから俺たちの作った音源は一時期めちゃくちゃラウドネスが低い。
古賀 低音がめっちゃ出てるときと、ラウドネスがめっちゃ低いときがある(笑)。
【エンジニアが解説】今更きけないラウドネスノーマライゼーション【音圧】
後藤 そうやっていろいろ研究しながらやるのはとってもいいことで。研究熱心すぎて、「古賀くん、それ俺のソロの現場では大丈夫だけど、アジカンの現場でやるとパニック起きるからやめとこう」みたいなこともありましたけどね(笑)。でも、古賀くんは止まったら死んじゃうタイプで。昔「凍った脳みそ」(2018年刊行の後藤正文のエッセイ)に書きましたけど。
古賀 僕のことをマグロって書いてましたね。
後藤 すぐ新しいことやりたくなっちゃうから、「今はやめろ!」みたいな(笑)。
古賀 「ちょっと待って!」って、よく止められてます(笑)。
──Xylomania Studioは2020年に立体音響用に改修したんですよね。
古賀 そうですね。もともとステレオが窮屈だと思ってた人間で、なんで2個のスピーカーで音楽を再現しなきゃいけないんだろう?と感じてたし、藤枝のスタジオを作る過程でも、日本はデッドなスタジオが多くて、ドラムやストリングスを録ってても楽しくないというか、そういう疑問がずっとあったんです。それで海外のスタジオをいろいろ見ると、エコールームがまだ残ってたり、みんな個性がある。なので、日本にも個性があるスタジオがあるといいなと思っていて。
後藤 都内は住環境の問題というか、家賃が高くてそもそもスペースが取れないから、個性を出してる場合じゃない。それで狭くなっちゃうし、天井も低くなっちゃう。アジカンやチャットモンチーは響きがいい場所でレコーディングをやらせてもらってきたから、若い子にもそういうところで楽しさを感じてほしいという思いはありますね。
古賀 ゴッチさんのレーベルはインディーズなのにいつも音にこだわってて、前はイニック(藤沢にあったイニックレコーディングホステリー。2017年7月に閉鎖)という合宿ができるスタジオを使って、テックさんも入れて、機材もいいのをアーティストに貸してあげていた。そういう環境を整えてくれるレーベルだから、一緒にやってて楽しかったんです。
後藤 万年赤字レーベルですけどね(笑)。
古賀 マスタリングもすぐ海外に投げますしね(笑)。
後藤 いい音で録るとか、いい作品を作るのが、自分のプロデューサーとしての仕事だと思ってて、マネタイズは経営をしている側の仕事だと考えているから、僕はとりあえず音楽の面でフルスイングできるようがんばる。その役割分担があったほうが作品はよくなるんだけど、今はアーティストが自ら予算のことを考えなきゃいけなかったりするのが、ちょっとした不幸というか。お金を気にしないで好きなだけスタジオを使えたら、そりゃ作品はよくなりますからね。
古賀 どうしても最後は時間に追われて、「あとは家でそれぞれやってきて!」みたいになっちゃう。そうすると、トライする時間がないし、偶然の音楽的な産物みたいなのも生まれない。
後藤 そうそう。それであらかじめ安いスタジオを探したり、そういう方針になってしまう。「MUSIC inn Fujieda」は安いけどいいスタジオにしたいし、スタジオ作りでもあるけど、ある種の仕組み作りでもあるから、そこも考えなきゃいけないですよね。どうやってお金を回すのか。安くするには、仕組みがないと無理だから。
古賀 いいスタジオを作れる自信はあるんですけど、そのあとにそれをどう維持して、どう軌道に乗せるのかもすごく大事で。人材育成も課題だし、本当に新たな日本のモデルケースを作るつもりで向き合ってますね。
後藤 これはリスナーに対する問いかけでもあって。今ってヘタしたら毎月サブスクリプションの配信サービスに払う金額よりも、1カ月間に買ってる水のほうが高かったりするじゃないですか。音楽がタダに近付いちゃってる中で、どうやってみんなでその文化を守っていくかは、俺たちだけじゃなくて、リスナーのみんなにも一緒に考えてほしい。そう思って呼びかけたら、サポーターになってくださる方がたくさんいて、それはめちゃくちゃ心強いです。今はサポーターによる支援で人を雇用するメドも立ったんですけど、オープン前だし常に黒字で安泰と言える状態ではないので、まだまだ知恵を絞らないといけないなと思います。
スタジオは作りながら考え、ひらめくもの
──古賀さんは今回のスタジオ作りの話はいつ頃から聞いていたのでしょうか?
古賀 物件を探し出した頃の3、4年前ぐらい? でも「郊外にスタジオを作りたいね」という話はもう10年ぐらいしてましたね。
後藤 とにかくドラムを録る場所がなくなってきてることをみんな嘆いていて。
古賀 さっきも言ったイニックっていう宿泊型スタジオが潰れて、そうなるといい音を郊外で録れて泊まれる場所がない。CDの売り上げもどんどん下がってきて、制作費も削らなきゃいけなくなったときに、もっと安いスタジオに行ったこともありますけど、やっぱり響きもよくないし、モニターもよくわからない。じゃあ、自分たちで作っちゃったほうが早いんじゃない?っていう、自然な流れのまま場所探しに突入して、偶然見つかったのが藤枝の蔵だった。僕もずっとスタジオが作れそうな場所を探してて、房総半島に土地を見に行ったこともあったし、どうやったらいいスタジオが作れるのか、来るべきときのためにずっと勉強してました。
後藤 土蔵の前に石の蔵が候補として挙がって、そのときも古賀くんと一緒に見に行ったりして。最初はここまでパブリックなものを作るというよりは、一旦建物を買ってから考えよう、という進め方で、その頃からずっと話をしてきましたね。
──結果的にお茶の倉庫を改修することになったわけですが、その場所についてはどう思いましたか?
古賀 最初はちょっと狭いなと思ったんです。でも僕もゴッチさんも歴史が好きだし、古い建物が好きなので、文化財保全みたいな意味も込めると、すごくやりがいがある。そういったこととスタジオ作りを結び付けるのは面白いなと。海外だと教会を買い取って作ったロンドンのエアスタジオという世界屈指のスタジオもあったりするから、日本は日本の形で、お寺とか神社とか……。
後藤 お城とかね。
古賀 僕が城マニアなので(笑)、お茶の土蔵を改修するのはすごく面白そうだと思いました。最初にスタジオにしようとしていた石の蔵がちょっと広すぎて、今の場所を見たときにギャップがありましたけど、建物を上に持ち上げたことによってスペースが確保されて。あれはナイスアイデアですよね。で、クラファンのおかげでコントロールルームも別に作れることになったので、行くと本当にテンション上がります。天井高いのってやっぱり素敵ですよね。
後藤 そんなに広いスタジオじゃないけど、Xylomania Studioと同じくらいの広さはあるしね。そのうえ、天井が高い。
古賀 あとはもう実際にスタジオを走らせてみないとわからないというのは経験上わかっていて。スタジオは作りながら考え、ひらめくものなので、最初から完璧なものは絶対作れない。僕はこれまでいろんなスタジオ作りを手伝ってきて、今の知識がありますけど、商業用のレンタルスタジオとして運営を考えるのはかなり難しいんだなと、経験上知っているので。
後藤 自分たちのプライベートスタジオだったら目をつむれるけど、「MUSIC inn Fujieda」はパブリックなものだから、いろんな角度から考えないといけない。使いやすさはもちろん、セキュリティとかもね。大事な楽器やマイクを預かったけど、どこに置く?みたいなこともあるから。
古賀 でも1人じゃなくて一緒に考えてくれる人がたくさんいるので、それはすごくありがたいです。そこで自分が経験したことも、失敗したこともたくさん伝えられるので。「ここの予算は削っちゃダメです」とか「防音はちゃんとしないと」みたいな。「こういう人をアサインしましょう」とか、いろいろ相談させてもらって。
後藤 業者選びも手伝ってもらいました。音響系の人とかは本当にトップレベルの人たちが入ってくれているので、自信を持ってやっています。
古賀 実際に施工するのは地元の人であるべきだと思うけど、専門家はいなきゃいけないので、各セクションにこのプロジェクトを面白がってくれそうな人をご紹介しました。それがすごくいい感じに、プラスに働いてますね。
K_chang⭐︎ @mofuttomof
"音楽に限らず、芸術というものの新たな継続の仕方を、「MUSIC inn Fujieda」を機に日本に問いかけられたらいいですね。"
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