鈴華ゆう子「SAMURAI DIVA」インタビュー|和楽器バンド休止後の次なる一手。自らのルーツを全開にした、私にしかできない挑戦

2024年12月に和楽器バンドが活動休止したのち、ソロプロジェクトを本格スタートさせた鈴華ゆう子が、約9年ぶりとなるソロアルバム「SAMURAI DIVA」をリリースした。

バンドの活動休止を経た現在のソロ活動について、過去のソロ活動時と比べて「メンタル面が強くなった」と語る鈴華。音楽業界の変化や、母親になった経験など、さまざまな出来事が彼女の視点を広げた結果、「日本人として、音楽家として、世界へどうメッセージを届けられるのか」を考えるようになったという。

そんな中で、すべてを自己プロデュースで作り上げたアルバム「SAMURAI DIVA」は、彼女のルーツと現代的なサウンドが交錯する、バンドとは違ったソロならではの1作。アニメ&ゲーム音楽の巨匠・田中公平や雅楽師の東儀秀樹との共演、ORANGE RANGEのHIROKIとの異色コラボなど、聴きどころたっぷりの1枚となっている。アーティストとして新たなフェーズに入った彼女の胸の内に迫った。

取材・文 / 阿刀"DA"大志撮影 / YOSHIHITO KOBA

バンドが活動休止している今、ソロでは私そのものを表現したい

──和楽器バンドが活動休止してから、どんな時間を過ごしていましたか?

今年は本当に時間が経つのが早くて、なんだか不思議な感覚です。バンドは活動休止に入ったんですけど、ソロとしてはリスタートだったので、もうすっごく忙しかったです。

──じゃあ、ひと息つけるような時間はなかったんですね。

なかったですね……ちょっとカレンダー見てもいいですか?(笑) 今年、自分が何をしてたか一度振り返りたくて……えっと、1月は去年開催したソロライブの映像作品を出したので、1月から3月くらいまでそれに伴うリリースイベントをソロとしては初めて行いました。そのあと、ファンクラブ旅行に行って、6月には恒例となっているバースデーライブを日本橋三井ホールでやって、そこで収録した映像が今回のアルバムの3形態のうちの1つに入っている、という感じです。バースデーライブの頃にはアルバム制作もスタートしていましたね。

鈴華ゆう子

──でも、「うたいびと」は去年発表していますよね。

「うたいびと」は、コロナ禍で外出を自粛してた頃にワンコーラスだけ自宅で録ってアップしたんです。ファンの方のことを思って書いた曲で、公開したら皆さんすごく喜んでくださって。「いつかちゃんとした音源で聴きたい」ってお声もいただいていたので、去年6月に配信でリリースしました。

──その段階ですでにソロとしてのビジョンは明確にあったんですか?

私はいつも2、3年先を考えながら生きているタイプなので、和楽器バンドが活動休止することもけっこう前には決まっていましたし、そのうえで「こういうアルバムにしよう」というところまでは決めていました。ソロをやる意義というのは自分の中では明確にあって。バンドは様式美というか、ある一定の枠の中でやるカッコよさがあると思うんです。

──そうですね。

和楽器バンドを始めた当初も、自分のやりたいことを反映させるためにソロ活動をしていたことがあるんですけど、当時はアニメソングやゲームの楽曲を歌ってロックリスナー以外のアニメファンやポップシーンの方々に届けるという役目があったんです。なので、1stミニアルバム「CRADLE OF ETERNITY」(2016年リリース)では詩吟や和の要素を一切入れていなくて。

──そういう理由だったんですね。

で、和楽器バンドが活動休止している今出すソロでは、私そのものを表現したいなと。バンドではあまり触れてこなかった雅楽や歌舞伎という私が大好きなサウンドも取り入れたかったし、自分のルーツでもあるクラシックや、子供の頃から親しんできたジャズもふんだんに取り入れたいと思ってました。あとは、ソロだとコラボレーションもすごくやりやすいんです。曲によって編成を変えられるし、それも全部私次第なので。今回はジャケットからタイトルや楽曲、グッズ類に至るまで、すべて自己プロデュースで臨みました。

──ジャケットもですか。

実際に動き出したのは今年に入ってからなんですけど、「こういう感じのものにしたい」っていうイメージは自分で描いていて、制作チームの編成段階から共有してました。「SAMURAI DIVA」というアルバムタイトルも最初から決めていましたね。

鈴華ゆう子

精神面での成長と、音楽業界の変化

──ゆう子さんのそういった自己プロデュース能力は、和楽器バンドのコンセプトがひらめいたときと同様、かなり研ぎ澄まされていますね。

ありがとうございます(笑)。私は歌手ではありますけど、こういったものづくりが好きなんですよね。自分の世界観を表現する手段として音楽がメインにあるけど、その中でいろんな形を取り入れながら表現していきたい。

──ゆう子さんは発想力とそれを実現する技術を兼ね備えているミュージシャンだし、表現の幅がすごく広い。だからこそ、ご自身の中で生まれる膨大なアイデアを1つの作品に落とし込むのはなかなか大変だったんじゃないかと思います。混乱や迷いはありませんでしたか?

確かに、やりたいことは本当にたくさんあるんですけど、「今、ファンの方にどういうものを提示したら伝わりやすいか」ということをすごく大事にしていて。だから、ただ「これをやりたいんで見てください」じゃなくて、「和楽器バンドがお休みに入りました。じゃあ、次にどんなものが来たらうれしいだろう?」ということを考えました。もちろん、鈴華ゆう子のファンもいますけど、和楽器バンドのファンで今、寂しいと思っている方もたくさんいる。そういう方々に寄り添いたいんですよね。私は、そうやって心が和らぐ時間、笑顔になれる時間を提供することがエンタテインメントだと思っているので。

──ミニアルバムをリリースした頃とは、メンタル面や音楽面を含めた意識がまったく違うんですね。

特にメンタル面は強くなってると思います。ミニアルバムの頃はまだ迷いがありました。和楽器バンドは自分が始めたものだけど、ソロで活動することに対してどこか遠慮があったし、自信がない部分もあって。ミニアルバムを出したのは2016年で、和楽器バンドがデビューしたのは2014年でタイミングが近かったから、ほかのメンバーの気持ちも考えて、いつリリースするか見計らっていたくらいで。今は精神面での成長や、音楽業界の変化が大きく関係していると思います。

鈴華ゆう子

──音楽業界の変化からはどう影響を受けているんですか?

当時はトップ10チャートの中から曲を聴いていくという文化だったけど、今はサブスクメインの世界で、リスナーはありとあらゆる音楽に自由に手を伸ばせる。そういうふうに選択肢が増えたからこそ、自分の曲が誰かしらに刺さる可能性も大きくなっている。だから今は、「自分がやるべきこと」や「自分にしかできないこと」を提示しやすくなった気がするんです。「そういう音楽なら私じゃなくても、もっと素晴らしい人がいる」っていい意味で割り切れるようにもなって。それに、今は以前に比べて自分の音楽を世界に届けやすくなりましたよね。

──確かに、10年前とはだいぶ変わりましたね。

それに加えて、私自身が母親になったことで、次世代のことを考える機会も増えました。昔は自分のことでいっぱいいっぱいで、日本の音楽シーンや社会の状況まで目が届いていなかったけど、今は「日本という国がどういう状態で、世界からどう見えているのか」みたいな視点で考えるようになって、私は音楽家として、日本人として、音楽という共通言語を使って世界へどういうふうにメッセージを届けられるのか、そういうことまで考えるようになりました。それは大きな変化の1つです。