人間椅子が2年2カ月ぶりのオリジナルアルバム「まほろば」をリリースした。まほろばとは「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味を持つ、古事記にも登場する有名な日本の古語。人間椅子のアルバムタイトルがすべて平仮名で書かれているのは通算24枚目にして初となる。
そんなタイトルの通り今回のアルバムは、多くの人々が人間椅子に対して抱くダークなイメージとはひと味違った作品。2021年の「苦楽」、2023年の「色即是空」に続く近年の流れを総括した、ヘヴィメタルサウンドの重厚さの中に光と希望を宿した1枚になっている。
彼らはどのような気持ちでこのアルバムを完成させたのか。この記事ではメンバー3人に制作エピソードを聞きつつ、最近は終活や断捨離といった言葉が話題に上るようになったという彼らの、人間椅子というバンドに懸ける現在の思いを聞いた。
取材・文 / 西廣智一撮影 / 西槇太一
順調だった流れが一旦断ち切られた、5年前を振り返って
──音楽ナタリーで人間椅子が特集されるのは、2019年の「人間椅子名作選 三十周年記念ベスト盤」のとき以来となります(参照:人間椅子30周年記念アンケート)。このベストアルバムの前後には中野サンプラザホール公演がソールドアウトしたり、ドイツとイギリスで初の海外ツアーを大成功させたりと、バンドの状況が右肩上がりだったことが伺えます。あの頃の活動は皆さんにとって、どんな経験になりましたか?
和嶋慎治(G, Vo) けっこう長い間、我々はセールスが低迷してきた時期があったんですよ。でも、2013年に「Ozzfest」(同年5月開催の「Ozzfest Japan 2013」)に出たことによって、そこから再デビューしたかのように動員も増え、セールスもまた伸びてくるという流れがあり、非常に順調だったんです。中野サンプラザ公演の前には「新青年」というアルバムを出して、その中の「無情のスキャット」という曲のミュージックビデオを作ったんですけど、これが海外の方にもたくさん観ていただけて、その流れから「いっそ海外に行ったらどうですか?」みたいな話を徳間ジャパンさんに提案してもらった。すごく順調な流れでしたよね。で、2019年の終わりからコロナが海外の一部で流行し始めたけど、私たちが海外ツアーに行く前はまだそこまで深刻じゃなかった。今振り返ると、2020年2月というのは海外でやれたギリギリの時期だったので、本当にタイミングがよかったなとは思います。ただ、結局そこで順調だった流れが一旦断ち切られたという感覚は、やっぱりあったと思います。
──その後、人間椅子も出演予定だったアメリカ・オースティンでの「SXSW2020」も中止となってしまいます。
和嶋 あれが3月でしたね。
──コロナ禍の中、人間椅子は2021年8月に22ndアルバム「苦楽」をリリースします。
和嶋 あの頃、ツアーとかライブは大々的にできなかったけど、アルバムを作るというルーティンの1つは普通にやれることだったから、それは続けていこうと。それであのタイミングに発表することになりました。
──コロナ禍以降に発表された2枚のアルバム……2021年の「苦楽」と2023年の「色即是空」は、当時の世相も反映された作風で、個人的にもあの頃の心境と重ねて聴いていました。
和嶋 やっぱり、どうしてもコロナの影響は出てしまいますよね。外出を自粛していた時期は気持ち的にも暗くなってしまいますし、特に「苦楽」はそういう時期に取り組んだアルバムだから、苦しみの中でも表現活動は続けて聴き手に希望を与えたいと改めて思いましたし、そこから「色即是空」でさらに前進していきたいという気持ちが芽生えてきましたし。そういう当時の心境は色濃く表れた2枚だったと思います。
──鈴木さん、ノブさんは「苦楽」や「色即是空」の頃を振り返ってみていかがですか?
鈴木研一(B, Vo) ちょうど「苦楽」のために曲を作る期間を半年ぐらい取ったんですけど、それが一番コロナが凶悪な時期と重なっていて。不幸中の幸いといいますか、おかげでじっくり曲を作れたんですけど、アルバムのツアーはソーシャルディスタンスとかも影響して、通常の半分くらいしかお客さんを入れられなかったので、ほかのアルバムと比べたら「苦楽」の楽曲はあまり多くの人に聴いてもらう機会がなかった気がしています。だから、そのあとの「色即是空」のアルバムツアーもそうですし、今後のツアーでも少しでも多く披露できればなと思っているところです。
和嶋 当時は音楽制作にたくさん時間を費やすことができてうれしいと言っている人も、身の周りにはけっこういたんです。なので、いろんな意味で1回自分たちの立ち位置を振り返る時期でもあったのかなと思います。
ナカジマノブ(Dr, Vo) 今、研ちゃんが言ったように「苦楽」の頃はライブの環境も特殊で、いろいろ苦労もあったんですけど、個人的にはこの時期から個人練習が充実したんですよ。それまでもやってはいたんですけど、定期的ではなかったですし、外出自粛によってドラムを叩く機会がどうしても減ってしまう。そうすると、ドラマーってみんなそうだと思うんですけど、叩いていないとだんだん不安になってきますし、体力的なこと、特に筋力に関しては如実に変化が出てきちゃうので、それをキープしたいという気持ちが大きくて、定期的に個人練習に入るようにしました。練習のやり方も自分なりに研究したので、「苦楽」の頃はそれが自分のドラムにとっては一番大きかったですかね。
──ギターなどの弦楽器と違って、ドラムは自宅での練習環境が誰しも整っているとは限りませんし、ステイホームを呼びかけていた時期は特に大変だったかと思います。
ナカジマ トレーニング用のサイレンサーみたいなセットもあるけど、どうしても本物とは違う。でも、あの時期はスタジオも空いていて、予約も取りやすかったのでよかったですよ。
──そういう困難な期間においても、しっかりと2年おきにアルバムを届け続けてきたのはすごいことだと思いますし、作品の充実度もリリースを重ねるごとにどんどん高まっていった。その一方で、2020年初頭までの登り調子だった状況を一度失うことになってしまいます。
和嶋 でも、逆にあんまり売れすぎちゃうと、自分を見失うこともあったりするじゃないですか。若いときは特にそうなりがちかもしれないけど、自分たちはもう年齢を十分に重ねてきたのでそうはならないだろうなとは思っていました。それに、今考えるといい意味でのクールダウンだったのかなとも思います。実際、2020年頭くらいまではキャパオーバーとまではいかないですけど、ちょっと忙しくなり始めていたんですよ。それが急に暇になったけど、それはそれでよかったのかなと、結果的にはそう思ったりしますね。
鈴木 歳を取ると、そういう苦しかった古い記憶をどんどん忘れていくんですよ。もちろん、お客さんに申し訳ない思いをさせたなという記憶は残ってますけど、今はもう次のことしか考えられなくて。
ナカジマ 僕の中ではあの上り調子からコロナで一度水平になっただけで、またそこからリスタートしてできているような気がしています。
和嶋 特にライブに関しては、「コロナで離れたお客さんが戻ってこないかもしれない」と思ったけど、やることをやっていたからなのか、結果的に戻ってきた気もしますね。
悪魔主義や暗黒ではなく、希望や明るさを感じさせる音が欲しかった
──そんな中でリリースされる24枚目のアルバム「まほろば」。36年で24枚という枚数は、時代を考えるとかなり多いほうですよね。
和嶋 確か、The Rolling Stonesのオリジナルアルバムが24枚なんですよね。ここまで来たらストーンズを抜くことを目指すべく、作品を重ねていきたいなと思っているところです。
──人間椅子史上初めてのひらがなのみのタイトルも非常に印象的ですが、改めて和嶋さんの口からこのアルバムタイトルを含めたコンセプトについて聞かせていただけますか。
和嶋 先ほどもお話したように2020年以降の「苦楽」「色即是空」に関しては、息が詰まるような世相からの脱却といいますか、生きる希望や人間性を大事にしていきたいという気持ちを表現してきましたが、ようやくコロナが落ち着いたもののまだまだ世の中にはいろんな問題が転がっているじゃないですか。そういう意味では、これまでの2作の流れを汲んで作ろうと思ったんですが、ヘヴィメタルやハードロックってわりと人間の暗い部分、あるいは悪魔主義とか暗黒について歌うことが定番で。それを額面通りにやろうとすると自分は時代にリンクしすぎちゃって、ちょっと気持ち悪いんじゃないかと思いまして。こういう音楽スタイルを借りつつも、「色即是空」までの流れを汲むと、希望や明るさを感じさせる音が欲しいなと思ったんです。
──ジャンルやスタイル的には矛盾しているところもあるけど、そういうアルバムを作りたかったと。
和嶋 はい。じゃあ、そこでどういうコンセプトにしようかと考えたときに、やっぱり自分たちは1stアルバムからずっと日本語にこだわってやってきたので、そこをさらに大事に表現したいなと思って。我々はこれからまた新しい時代に向かっていくわけだけど、そういう理想郷みたいなものを表す日本語に「まほろば」という、誰もが知っている言葉があるわけです。これはとても古い言葉らしくて、「古事記」だったか「日本書紀」あたりにも出てくる、日本人の故郷のような言葉でもあるので、これをタイトルにしてみんなで「明るい未来のためにがんばっていますよ」と言える場=アルバムにしようと。なので、これまでの「地獄が待ってる」みたいな曲ではなくて……地獄という言葉自体は今回も使っているんですけど、それはあくまで比喩的に使っているだけで、「我々はこれから幸せに生きていければいいですね」みたいなことを言いたいという意味では、どの曲も一貫しているかなと思います。
──鈴木さんはこの「まほろば」という言葉から、どんな印象を受けましたか?
鈴木 これから歌詞を作ろうというときに、和嶋くんから「今回のアルバムタイトルは『まほろば』にする」っていう発表があったので、今までみたいに気持ち悪い歌詞じゃないものにしてみようと思ったんです。そうしたら全然浮かばなくて、すごく時間がかかりました。いつもは2週間ぐらいで書けたけど、今回は途中で投げかけて(笑)。制作期間の途中にお盆があったから、考えるのをやめて遊んでいたんですけど……。
和嶋 いいんですよ。僕も、締切まで提出しないという作戦を取ってますから(笑)。
鈴木 そう(笑)。夏だったからクワガタとかカブトムシがいっぱいいて、そこから浮かんだんだと思うんですけど、何十年ぶりかに暗くない歌詞を書きました。
──それが「樹液酒場で乾杯」なわけですね。
和嶋 鈴木くんらしいです。歌詞を読むと光景も浮かんでくるし、幻想的で、非常に「まほろば」の世界観に合っているんじゃないかなあ。
──ノブさんは「まほろば」という言葉からどんなイメージを受けましたか?
ナカジマ 「まほろば」という言葉は知っていても、意味まではちゃんとわからなくて。なんとなく、そこにいる人たちはみんな幸せそうで、食べものがおいしくて気候がよくて、天上界みたいな場所を意味するんだろうなっていうぐらい、ふんわりしてたんですよ。なので、深く考えるよりも先に、まず今自分が持っているスキルだったり考え方だったりを全部ドラムに注ぎ込んで、出し惜しみなく叩こうと考えました。



