「ボヘミアン・ラプソディ」の20世紀スタジオが製作したブルース・スプリングスティーンの映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」が、11月14日より全国で公開される。
「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」は1982年に発表されたスプリングスティーンの名盤「Nebraska」制作の舞台裏を中心に、名声の影で彼が抱く孤独や葛藤が表現された作品。単なる音楽映画に留まらず、スプリングスティーンと彼を支えてきた周囲の人々の濃密な人間ドラマも描かれている。主演を務めたのは、ドラマシリーズ「一流シェフのファミリーレストラン」で知られるジェレミー・アレン・ホワイト。歌唱やギター演奏を自ら行い、若き日のスプリングスティーンを自らに憑依させた。監督は映画「クレイジー・ハート」のスコット・クーパーが務めた。
音楽ナタリーでは、1980年代音楽の伝承者としてさまざまなメディアに出演する西寺郷太(NONA REEVES)にインタビュー。映画の見どころはもちろん、スプリングスティーンの音楽の魅力や制作における共感ポイントなどをアーティスト目線で語ってもらった。
なお映画ナタリーでは映画ライター・森直人が作品の注目ポイントを語る解説記事を公開中。
取材・文 / 相馬学撮影 / はぎひさこ
「We Are The World」で担った大役
──まずは西寺さんとブルース・スプリングスティーンとの出会いについてお聞かせください。
出会ったという意味では1984年のアルバム「Born in the U.S.A.」ですね。1982年にブルース・スプリングスティーンの名盤と言われる「Nebraska」がリリースされていますが、その半年後くらいに僕は洋楽にハマりました。MTVの影響が大きく、マイケル・ジャクソンやプリンスはもちろんWham!やCulture Clubといった海外アーティストの映像をのめり込むように観て。その流れで「Born in the U.S.A.」が大ヒットして。ともかくガナって歌う元気なおじさんだなあ、という印象でした。当時、僕は小学5年生で、すでにアメリカのシングルチャートのオタクだったので「Dancing in the Dark」が2位止まりで、プリンスの「When Doves Cry(ビートに抱かれて)」が首位になったことはラジオやミュージックビデオで知っていました。プリンスのせいで結局1位になれなかったことをブルースはずっと自虐的にネタにしていて(笑)。彼の歌詞がわかったのは、大好きだった雑誌「POP GEAR」に「My Hometown」のギターのコード譜と対訳が載っていたことがきっかけです。ギターを買ったばかりで、コードがシンプルな曲を探していて練習しようと思って聴き込んだんです。「My Hometown」は今でも一番好きなブルースの曲ですが、子供の視点もある歌詞で、当時、中学生になろうとしている時期の自分に不思議としっくりきました。今思うと「Nebraska」に近い、落ち着きのある曲ですね。ただ、思い返せば一番最初にブルースの存在に惹き付けられたのは、USA・フォー・アフリカの「We Are The World」のドキュメンタリー映像に衝撃を受けたことからじゃないでしょうか。
──豪華アーティストが参加した、アフリカの飢餓救済を目的としたチャリティシングルですね。
はい。その頃は小6でしたが、音楽好きのクラスメイトがブルースのシャウトを喜んで競うように真似していました(笑)。洋楽ポップが小学生にも浸透していた時代だったんです。僕は「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」という本を書かせていただいたことがあり、ライオネル・リッチーやジャクソンズの面々にも直接当時のことを取材していまして。本当に「We Are The World」が好きなんです。マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが曲を作り、彼らのほかにもアメリカを代表するアーティストが集まっていますが、ブルースが2番のサビの部分をソロで歌っていて、これは横綱級の扱いですよね。で、曲の後半ではスティーヴィー・ワンダーとデュエットするパートでもう一度出てくる。「We Are The World」を通じて飢餓救済というプロジェクトを背負ってメッセージを発する、アメリカの“代表オブ代表”になったということが座組や歌割りを見てもよくわかります。
──ブルース・スプリングスティーンの音楽で衝撃を受けた点でいうと?
ブルースと言えば、あのしゃがれた歌声でエネルギーやパワーを発するというイメージがあるじゃないですか。確かにそれも衝撃的でしたが、何度も聴くと、彼のメロディメーカー、シンガーとしての才能に気付くんですよ。それが「We Are The World」でのスティーヴィーとのかけ合いに表れている。スティーヴィーもマイケルも超絶的に歌が上手で、レンジも広く、リズムの権化で伸びやかな声を出せますが、ブルースはどちらかと言えば素朴な歌声です。例えばスティーヴィーやマイケルが80色のクレヨンを持っているとしたら、ブルースは12色くらいなんだけど、絵筆が少ない中でベストなものを選び取れることが彼の強みだな、と。それと、これは音楽の話題から離れますが、「We Are The World」にはレコーディング時のドキュメンタリー映像があり、これにも衝撃を受けました。あの曲は「American Music Awards」(アメリカの音楽賞)の終了直後に、出席していた多くのアーティストがそのままの勢いでスタジオに入って、徹夜でレコーディングされました。皆スーパースターですから、リムジンでスタジオに駆け付けてくる。そんな中でブルースは「American Music Awards」に出席しておらず、東海岸でライブをやったあとに飛行機で西海岸に飛んで、そこからレンタカー、それも労働者階級の代表というブルースのイメージ通り、普通の日本車を借りて自ら運転してスタジオ入りしてるんですよ。ライブを終えたあとなのに、お付きの人もなく、自分で駐車場に停めて。あれはブルース・スプリングスティーンというアーティストのイメージを自分の中で決定付けた場面でした。
意外に音楽映画然としていないな
──話を映画に移しましょう。「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」をどうご覧になりましたか?
面白かったです。音楽映画にはアーティストが生まれてから、歳を重ねて老いるまでを歴史もののようにダイジェストで追いかける作品もありますが、この映画は違います。ブルースにとって、ある重要な一時期だけにスポットライトを当てている。なので、むしろ前知識ゼロの人や今の若年層にも彼のアーティストとしての素晴らしさ、内面の純粋すぎる葛藤が伝わりやすいと思いました。この映画のブルースは、ベッドルームで当時最新の小型のカセットテープのマルチレコーダーを使って新曲のレコーディングをしていますが、今の時代の音楽制作にも共通するものがあります。ミュージシャン目線の話になりますが、パソコンで音楽を作るのが当たり前になり、スタジオに入らなくてもベッドルームのPCだけでレコーディングして楽曲を発表できるし、そこからヒット曲が生まれることもある。若い頃はレコーディングのとき「ストリングスとか、バイオリンとか、もちろんドラムも本物の生の音に入れ替えたいなあ、でもお金がかかるしなあ」と悩むことがありました。でも、今はストリングスも自分で打ち込めば、生楽器に相当するラインを作れたりもする。もちろん、生楽器には生楽器のよさもあります。ブルースのように自室にこもりながらのパーソナルな音楽作りがあり、一方では優れたメンバーや仲間、優秀なスタッフと組んで曲の魅力を最大限に引き出す従来の制作方法がある。この映画はそういう個でやりたいことと、集団でやりたいことを表現した物語だと思っています。
──劇中では「Nebraska」のレコーディング時、スプリングスティーンがデモ音源のような粗い音質にこだわっていたことが明かされます。
僕はもともと宅録で曲作りを始めたので、彼の感覚はわかります。小学生の頃から、カセットとウォークマンを使っていわゆる“ピンポン録音”、多重録音を始めて、中学生、高校生と少しずつ機材を充実させて、大学生の頃にようやく映画の中でブルースが使っていたものと同じ4トラックのマルチトラックレコーダーを購入できて、感激してオリジナル曲を作りまくっていた人間です。まず音楽を作りたいという衝動のもとデモテープを作って、バンドでやってみたらよい曲になったこともある。しかし一方で、優秀なミュージシャンを集めてバンドでやってみたら、デモにあった大事な何かが失われることもある。特に初期の頃はデモへの思い入れが強すぎたこともありました。その感覚もよくわかります。
──音楽映画としてはどうでしょう?
意外に音楽映画然としていないな、と感じました。例えば「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年公開)のように、クライマックスにライブシーンを置いて盛り上げることもできたでしょう。それはブルースのファンにとって喜ばしいものだったかもしれないけれど、この映画は物作りや、自分の存在を問うような物語に帰結しています。そうは言っても「Nebraska」ありきの物語には違いありません。「Born in the U.S.A.」はド派手な当時の音という感じですが、「Nebraska」のようなアコースティックアルバムは時代を問わないので、今聴いてもそんなに古びない。むしろこのアルバムからブルースを好きになる人も多いんじゃないかと、映画を観て思いました。
ありのままを出すことが難しい時代に
──「Nebraska」の生々しい弾き語りはスプリングスティーンのアルバムの中では異質ですね。
僕も、尊敬するピチカート・ファイヴの小西康陽さんに2年くらい前に勧められて、弾き語りを真剣に始めたんですよ。今まさに「Human」というタイトルのカバーアルバムを作っていて、弾き語りのライブもやっています。今はAIで曲を作れてしまう時代ですよね。僕ももちろん一部使っているのですが、この2年くらいで信じられないほど進化している。絵にしても動画にしてもそう。自動生成された芸術が当たり前になったときこそ、人間味のあるものにしか価値がないんじゃないかと思えてくるんですよ。装飾的ではないもの、シンプルなもの、逃げも隠れもできないもの。そういう姿勢で作ったもの、ある種の濁りやそのときにしか生まれない失敗のようなものにこそ価値があると考えるようになりました。ブルースは「Nebraska」を発表した頃、同じような気持ちを抱いていたのかもしれません。当時は音楽がどんどんクリーンアップされて、メカニカルになって、MTVが全盛で、化粧をして髪を染めて立てたり、歌って踊れるアーティストが当たり前になった。しかし、時代に逆行するようにギターと歌とハーモニカだけの「Nebraska」を出したっていうのがすごいと思います。映画でも描かれていましたが、レコード会社もリリースすることを渋々受け入れている感じでしたよね。“ありのまま”を出す、ということが難しい時代だったんです。
──売れる曲を作って欲しいレコード会社と、今の自分を表現したいアーティストのせめぎ合いですね。
The Beatlesのように桁外れに売れたバンドだったら、「The Beatlesが作りたいならしょうがない」とレコード会社も思うでしょう。彼らのアルバムでいうと“ホワイト・アルバム”(「The Beatles」の通称)は「Nebraska」に近い。初めてオープンリールのテープを購入して、例えばドラムが入ってないとか、アコースティックなまま自分でテープを回して録音するとか、そういうデモテープ的な音なんですよね。いわばむき出しのものがメジャーな作品として世に出るのはThe Beatlesが初めてだったんじゃないでしょうか。その前の作品が「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」で、ストリングスを入れて音を詰め込みまくってびっくりさせたあとのホワイト・アルバムですから、拍子抜けした人も多かったでしょう。でも今となっては、これもタイムレスなアルバムで、世界中の人々から支持を受けています。話は逸れますが、プリンスが若いアーティストに助言を求められたとき、「ヒット&ラン」と答えています。まずヒットさせる。そうしないと、何もやりたいことをできないから。その次に“ラン”、つまりそこから逃げろと。ヒットしたものに固執するな、ということですね。そしてまたヒットとランを繰り返す。これはプリンスの姿勢を表していますが、ブルースにも通じていると思います。
──確かにそうですね。2枚組のアルバム「The River」をヒットさせてロックスター視されるようになってからの「Nebraska」で、次は大ヒット作「Born in the U.S.A.」ですから。
先日ちょっと長いドライブをする機会があって、車中でひさしぶりに「The River」を聴いたんですよ。2枚組ってだけでカロリーが高いじゃないですか。もちろん、ヒットした「Hungry Heart」とか好きな曲もありますが、基本的にどの曲もドラムにベースにギター、鍵盤とホーンが入っていて、たとえるなら幕の内弁当というか、聴くだけでお腹いっぱいになるんですよ。逆に、これだけのボリュームのものを作ったあと、それを越える作品は生み出せるのかと、聴いてる人間でさえ考えてしまう。このアルバムのあとに、さらに質量的に詰め込むようなことをするのは無理だったんだろうなあと。で、「The River」のあとに「Nebraska」を聴きましたが、やっぱりちょっとほっとしました。次の「Born in the U.S.A.」が「Nebraska」とクロスして作られていたことは、この映画でも描かれていますが、それも「Nebraska」があってこそなんですよね。ドカーン!と派手な音楽を意気込んで作り出す自分と、よりパーソナルで内省的な自分を行ったり来たりして繰り返すのが、アーティストには大事なんだろうなあと考えさせられました。
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落ち込んだ時期を美化せずに描いてほしい

