ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.6(前編) [バックナンバー]
日本語ラップシーンの立役者が語るMCバトルの歴史:Zeebra
“日本語で韻を踏む”という行為
2024年4月5日 19:00 10
「B-BOY PARK」の舞台裏
──話はBBPに移りますが、主催者のCRAZY-Aさんが別のインタビューで、MCバトルは
Zeebra 当時BBP全体の相談をAKIRAくん(CRAZY-A)から受けるポジションだったんだよね。AKIRAくんは日本のヒップホップ界のキングというか、ボスだったし、俺としては「この人のポジションを継ぐことが、俺がやるべきことなんだ」という、ロールモデルとしても慕ってたんだ。それで、1997年に開催されたROCK STEADY CREW(※1977年にニューヨークで結成されたダンスチーム。CRAZY-Aは日本支部であるROCK STEADY CREW JAPANのリーダーを務めた)の20周年イベントに同行させてもらったときに、「こういうイベントを日本でもやりたいんだよ」とAKIRAくんに言われて。実際B-BOYに向けた「Tokyo B-BOY'S ANNIVERSARY」はすでに開催されてたんだけど、もっと総合的な“ヒップホップの祭典”にしたいと相談された。その話の中で「『ニューミュージックセミナー』のような、ライブショーケースはもちろん、コンベンション、ディスカッション、DJバトルからMCバトルまであるような、ああいうイベントを開けたら最高ですね」と。
──DJバトルはすでに世界大会として「DMC」があり、日本人も好成績を収めているという前例がありましたが、MCバトルはほぼ未開拓の状況でしたね。
Zeebra その話をする直前に「『FG NIGHT』のMCバトルでのクレちゃん(KREVA)がハンパじゃないんだ」という話をMummy-Dから聞いてたんだよね。それで「フリースタイルはUBG周りとFG周りはできているし、バトルも行われてるみたいだから、どれぐらいMCが集まるかはわからないけど、とりあえず形にはなると思います」というのがスタートだった。だから、俺がMCバトルの立ち上げに関わったというより、BBP全体の構成も含めて、俺たちの世代が何を面白いと感じているかを、上の世代にプレゼンする中で出てきたアイデアだったんだ。
──CRAZY-Aさん世代から考えると、当時のZeebraさん世代は若手枠であり、現場枠だったということですね。
Zeebra そういうこと。
KEN 1回目のMCバトルの感想はどうでしたか?
Zeebra 審査員制しか手段はなかったんだけど、審査は難しいだろうな、とは最初から思ってた。まず、今と全然違うのが頭数だよね。当時はラッパーの数も、有名になるチャンスの数も少なくて、録音からリリースまで、すべての門戸が狭かった。その状況があるから「こいつのほうが先に活動してたから有名にしてあげたいな……」みたいな、悪い意味での情とか、年功序列みたいなことが影響しがちだったし、そういう意味での審査の難しさは感じてた。それに、そもそも審査員にMCバトルの経験者がいなかったわけで。
KEN それは大きいですよね。
Zeebra アメリカなら誰でも韻が踏めるという文化的な下地があるから、韻の上手い下手をある程度はみんな評価することもできる。でも、日本にはそもそもその文化がないから、ライミングの評価がまず難しい。シーンが未熟ゆえにいろんな要素によって審査の軸が固まってなかったと思うし、ラッパーにも観客にも納得がいかないことも多かったかもしれない。でも、あのときはそれが限界だったよね。
KEN 最初の難しさですよね。ダンスにしてもスケボーにしても、経験者がジャッジに立つじゃないですか。だけどMCバトル自体が生まれたてだから、蓄積がない分、経験者がジャッジできない。
Zeebra そうそう。
KEN それに当時はラッパーがラッパーを審査することへの抵抗が大きかったと思うんですよね。みんな現役だし、そこで審査員の評価が果たしてフェアになるのかは、判断できなかった。
Zeebra 本当にそう。だからUMB(「ULTIMATE MC BATTLE」)はお客さんに審査を委ねたんだろうし、「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」(「高ラ」)が生まれるまで、その方式がメインになったと思うんだよね。
プレイヤー出身者がジャッジ側に
──「高ラ」にはZeebraさんをはじめ、DABOさん、鎮座DOPENESSさんなどが審査員として参加されました。
Zeebra 「高ラ」が始まったとき、DARTHREIDERと「審査員制にしたい」と話したんだよね。というのは、観客判定で客に身内が多いやつが勝つ状況も見たことがあったし、「高ラ」で新しい流れを作ることを目指すうえで、その状況になってはダメだなと。
KEN それは大きいですよね。BBPで審査員制が破綻した理由の1つには、「ジャッジよりも客のほうがMCバトルを見てる=俺たち(客)のほうがわかってる」という、客側からの不満も大きかった。それでUMBが「お金を払った客がジャッジして、今日のチャンプを決める」というシステムを採用して、プレイヤーも観客も納得できるベターな着地点になった。でも、それがスタンダードになると、いつしか人気投票のような空気が生まれたり、バイアスがかかるようになって。
Zeebra だから「高ラ」での漢 a.k.a GAMIやHIDADDY、R-指定だったり、「フリースタイルダンジョン」でのKENのような、プレイヤー出身者がジャッジ側に立てるようになったのは、本当に大きかった。KENに散々審査をお願いしてる側として言いますが(笑)、どちらに旗を挙げたかを、ちゃんとロジックとして説明できるか否かこそが“審査”。そして、その解説があるかないかで、リスナーの解読能力も一気にアップするんだよね。
──「なんとなくカッコいいから」だと、ジャッジされる側もオーディエンス側も納得がいかないし、審査側も納得させる理屈をちゃんと言語化できる能力が必要ですね。
Zeebra ぶっちゃけ俺も「高ラ」のときは、ほぼMCバトル未経験審査員だったんだよ(笑)。ただ「高ラ」は出場する全員が新人だからこそバイアスはゼロだったし、俺の今までのキャリアをもとに審査することができた。でも、それが経験者同士が戦う「ダンジョン」だと、プレイヤー出身者の審査が絶対必要だと思ったし、KENやERONE、最初は晋平太の存在が審査には必要だったんだよね。
──「ダンジョン」は基本的にバトル経験者3人が審査員席に座り、過半数を占める形でした。
Zeebra 「プレイヤーはこう考えるんです」みたいな経験則は、プレイヤーじゃないと絶対わからないことだし、それほど説得力があることはないよ。客の反応と審査員のジャッジが逆なパターンもあったけど、それこそが必要だったというか。一見さんが多い文化だから、「なんとなく」や「この人知ってる」で盛り上がるというのは、1つのバロメーターである反面、ロジカルな審査ではない。だから“オーディエンス&審査員”の形が一番バランスがいいのかな、と思ってるね。
Zeebra(ジブラ)
東京都出身のヒップホップ・アクティビスト。キングギドラのフロントマンとして1995年にデビューする。日本語ラップの礎を築いたグループとして高い評価を得つつも、翌年にグループは活動を休止。1997年にシングル「真っ昼間」をリリースし、ソロアーティストとしてメジャーデビューを果たす。日本のヒップホップシーンの顔役として活躍し、2014年に自身のレーベル「GRAND MASTER」を設立。同年夏には自身がプロデュースするヒップホップフェス「SUMMER BOMB」をスタートさせた。2015年にはZeebraがオーガナイズとメインMCを務めるMCバトル番組「フリースタイダンジョン」がテレビ朝日で放送開始。2017年、ヒップホップ専門ラジオ局「WREP」をインターネットラジオとして開局した。東京都渋谷区の「渋谷区観光大使ナイトアンバサダー」を務めるなど、その活動は多岐にわたる。
Zeebra -Information Headquarters-
KEN THE 390(ケンザサンキューマル)
ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。
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