BLANKEY JET CITY×THEE MICHELLE GUN ELEPHANT特集|各界著名人が明かす、消えない影響

解散から20年以上が経過した今も、音楽シーンに多大な影響を与えているBLANKEY JET CITYとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT。彼らの音楽や生き様に焦がれ、ファンを公言する著名人も増え続けている。

連載企画の最終回となるこの記事では、BLANKEY JET CITYとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに影響を受けた各界の著名人たちの好きな1曲とコメントを紹介する。

構成 / 中野明子

後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

好きなBLANKEY JET CITYの1曲

「カモメ」

原曲も格好いいですが、ライブ音源のヒリヒリとした空気が堪らないです。3人の個性がせめぎ合って、ギリギリのところで音楽=関係性が成立しているように感じます。ほとんど奇跡みたいなアンサンブルで、この曲に限らずですが、ため息が出るほど美しいです。

BLANKEY JET CITYから受けた影響

ブランキーと同じ「ロックバンド」のフォルダには入れないことが、かつては野球少年で、音楽を前にしてギークスになるしかなかった自分のコンプレックスだったと思います。自分らしいスタイルを考えるための、とても大きな指標であり、巨大な概念でもあり、現在でも、ロックそのものみたいな存在です。


好きなTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの1曲

「blue nylon shirts」

文化的に奥手だった自分にとっては、10代の終わりに出会った彼らの音楽や言葉こそが道標のように感じました。サウンドも言葉の意味もよくわからないまま、でもこの音楽は俺の全部を鳴らしてくれていると思いました。この曲が特別に好きな理由は、自分でもよくわかりません。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTから受けた影響

日本語のロックでも、何の遜色もなくFUJI ROCKのグリーンステージに立てるのだということを証明してくれたバンドでした。新聞配達の仕事に出かける前に観た「世界の終わり」のMV、そして98年のFUJI ROCK。恋焦がれました。俺もあんなふうに転がっていきたい、不遜ながら、そんな決意を豊洲でしました。

プロフィール

後藤正文(ゴトウマサフミ)

1976年生まれ、静岡県出身。1996年にASIAN KUNG-FU GENERATIONを結成し、2003年4月にミニアルバム「崩壊アンプリファー」でメジャーデビュー。バンド活動と並行してGotch名義でソロ活動も展開。the chef cooks me、Dr.DOWNER、日暮愛葉、yubioriらの作品にプロデューサーとして携わるなど多角的に活躍している。文筆家としても定評があり、これまでに著作「ゴッチ語録」「凍った脳みそ」「何度でもオールライトと歌え」などを刊行している。

志磨遼平(ドレスコーズ)

志磨遼平(ドレスコーズ)

好きなBLANKEY JET CITYの1曲

「ライラック」

ぼくが彼らを美しいと感じるのはその不良性よりもあまりに感傷的な文学性に対してです。「オレは時々嬉しすぎて/道路標識を蹴っとばすほどさ」

好きなTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの1曲

「キング」

鋼鉄のようなリズムギターと、のたうち跳ね回るタイトなビート、はすっぱなスキャット。初期ミッシェルの黄金定理のようなナンバー。

BLANKEY JET CITYとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTから受けた影響

BLANKEY JET CITYもTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTもぼくがティーンエイジャーだった頃に絶大な影響力を誇っていたバンドでしたから、絶対に影響されてなるものかと意固地にならざるをえなかった、ぼくの場合はそういう影響の受け方です。

プロフィール

志磨遼平(シマリョウヘイ)

1982年3月生まれ、和歌山県出身。音楽家・文筆家・俳優。2006年にバンド・毛皮のマリーズとしてデビューし、6枚のオリジナルアルバムを残して2011年に東京・日本武道館公演をもって解散する。2012年にドレスコーズを結成し、シングル「Trash」でデビュー。現在はライブやレコーディングのたびにメンバーを入れ替える形で活動を続けている。俳優として映画「溺れるナイフ」「ホットギミック ガールミーツボーイ」などに出演。2025年5月にドレスコーズとしての10枚目のオリジナルアルバム「†」を発表した。

白井眞輝([Alexandros])

[Alexandros]。右端が白井眞輝。

[Alexandros]。右端が白井眞輝。

好きなBLANKEY JET CITYの1曲

「小さな恋のメロディ」

ほんとにたくさん好きな曲はあるのですが、この曲はブランキーと自分が最初に出会ったきっかけになったものなので特に思い入れが強いです。
楽曲自体はブランキーの中でもポップな方だと思うのですが、シンプルなエイトビートの中にもちょっとクセのあるコードとサウンドのギターが入ってたり、Aメロや間奏のベースのアプローチがオシャレでかつ無骨なトーンであったり、MVの3人の雰囲気もあってむちゃくちゃかっこよくてしびれました。

BLANKEY JET CITYから受けた影響

高1の夏にブランキーと出会ったのですが、それまでは音楽を「曲」そのものとしか聞いてなかったものがブランキーを見た瞬間に「なんだこのかっこいい3人は……」と「曲」だけではなくルックスや雰囲気が全て体に入り込んできました。
スリーピースという形態のかっこよさやファッション、発言、立ち振る舞いなど他のバンドからは感じる事のできないヒリついた感じにどハマりましたね。
ギターやベースをコピーしたりファッションを真似したり、バンドマンとしての根底はブランキーから教わりました。


好きなTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの1曲

「スモーキンビリー」

MVも含めてすごいかっこいいんですよね。レコーディング音源なのにテンポがどんどん上がってくのもライブっぽくて好きです。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTから受けた影響

あえて言いますが、あの時代僕は俄然ブランキー派でした。しかしあれだけ無骨で世間に媚びない2バンドが同時期にいたのはすごい奇跡だと思います。
当時、僕は全然不良ではなかったのですが(学校さぼったりはしてましたが)不良に憧れるような感覚とミッシェルの無骨なサウンドの中にある楽曲のキャッチーさに惹かれていました。
ブランキーとは違うスタンドボーカルの4ピースのかっこよさもありましたよね。チバさんがギター持たないワンギターのスタイルが好きでした。

プロフィール

白井眞輝(シライマサキ)

1982年12月生まれ、神奈川県出身。2007年に[Alexandros]にギタリストとして加入し、2010年にRX-RECORDSから1stアルバム「Where‘s My Potato?」をリリースする。2015年3月にシングル「ワタリドリ / Dracula La」でメジャーデビューした。2018年8月に千葉・ZOZOマリンスタジアムでワンマンライブ「VIP PARTY 2018」を行い、3万5000人を動員する。2025年11月1、2日の2日間にわたりに神奈川・相模原ギオンフィールドで2度目となる主催フェス「THIS FES '25 in Sagamihara」を開催予定。

須田景凪

須田景凪

好きなBLANKEY JET CITYの1曲

「ロメオ」

タフで艶やか、繊細で大胆。
相反する要素が1曲の中に共存しているのが印象的でした。
「自分の知らない音楽に出会った」という感覚を覚えています。

BLANKEY JET CITYから受けた影響

“音楽の自由さ”について強く影響を受けていると思います。
現存しているフォーマットに囚われず、
自然と心地の良い方へ進み続けているような姿勢が好きです。


好きなTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの1曲

「世界の終わり」

激情的なバンドサウンドと独白のような歌詞が好きです。
絶望の中で雨に打たれているような。それでも歩みを止めないような熱を感じます。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTから受けた影響

“情景の描き方”について強く影響を受けたと思います。
例えば、哀しみを表現するときにバラードではなくロックを選択するような。
ひとつの感情への多面的な表現が素敵です。

プロフィール

須田景凪(スダケイナ)

2013年よりバルーン名義でニコニコ動画にてボカロPとして活動。代表曲「シャルル」はセルフカバーバージョンと合わせ、YouTubeでの再生数が1億5000万回を突破。2017年10月、自身の声で描いた楽曲を歌う須田景凪として活動を開始し、2021年2月にメジャー1stアルバム「Billow」をリリースした。2025年4月にバルーンの楽曲をAdo、キタニタツヤ、なとり、Reol、椎乃味醂、高畑充希、東京スカパラダイスオーケストラ、Chevon、ヒトリエといったゲストアーティストを迎えて再構築した企画アルバム「Fall Apart」を発表。

辻愛沙子

辻愛沙子

好きなBLANKEY JET CITYの1曲

「クリスマスと黒いブーツ」

社会も街も人も、時が過ぎていくとともに当たり前のごとく変わっていくものです。社会は成長し、街は栄え、人は大人になっていく。そんな移ろいゆく当たり前の中で、自分だけは変わらずにい続けることを自ら選び取っていく、意志を持った宣言のような1曲だなと思っています。大人になるにつれ会得してしまう小賢しい打算や権威性のようなものではなく、子ども時代のようにどこまでも純粋でフィジカルな好奇心やときめきを大事にしていくこと。その価値や感覚を思い起こさせてくれる、一生聴き続けたい褪せない名曲。

BLANKEY JET CITYから受けた影響

純粋さと荒さは共存しうるということ。また、愛を持つことと従順であることは必ずしも一致しないということを、多感な中学生時代の私に教えてくれたのがブランキーでした。幼稚園~中学1年生まで、とても厳しいカトリックの女子校で育った私は、純粋であることや愛を持って他者と向き合うこと=いい子でお淑やかで従順な子でいることだと幼いながらに学び、自分自身を押し込めてしまうような感覚を持っていた頃がありました。でも、荒々しくも美意識のある彼らの音楽や佇まいに触れて、自分自身を解放するきっかけになったんです。大人や社会が定義するいい子ではなく、自分の中の倫理観や美意識を鈍らせずに生きていきたいと思えたのはブランキーに出会ったからだと思います。


好きなTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの1曲

「ジプシー・サンディー」

ミッシェル晩年のアルバム「SABRINA HEAVEN」に収録されている1曲。
「High Time」に入っている「シャンデリヤ」や「cult grass stars」に収録されている「I was walkin' & sleepin'」など、小文字時代(初期)のthee michelle gun elephantらしいガレージ感溢れるキレや勢い、ストレートさも大好きなので、一曲と言われるとすごく悩むのですが……。
それらとの対比として、ミッシェル晩年期の艶と憂いのある立ちこめる霧のような雰囲気を纏ったこの曲を自分の中の1曲に選んでみました。なんていうかこう……走馬灯のような1曲なんです。ミッシェルらしいシンプルな構成ながら、バンドとしての究極に達しこれ以上追うべき先が見えなくなったかのような寂しさや侘しさ、そのもどかしさからくる鬱屈としたエネルギーの発露としてのシャウト……といったこの曲の全てが、日本のロックシーンを駆け抜け絶頂で幕を引く決断をしたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTというバンドを物語るに相応しいものだなと思っています。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTから受けた影響

13歳でミッシェルに出会ってから、29歳になるまでのこの16年間、私の人生のありとあらゆるシーンでチバユウスケの音楽が共にあった。つらい時も、何かに燃えてる時も、恋してるときも、情けない気持ちの時も、頑張っている時も、寂しい時も。1曲1曲聴き返すごとに、人生の色んなシーンや色んな人との出会いを思い出す。私の人生の思い出には、常にチバの音楽が鳴っている。アベのアン直やチバのスタイルを見て、こねくらずシンプルにまっすぐ生きる事の大事さを知った。そんな自分であるために、努力を惜しまないことも教わった。自分に素直に生きる事も。尖って生きることと愛を持って生きる事は共存し得るということも知った。そんな生きる上での自分なりの“美意識”に、この16年間向き合って生きてきたように思う。私にとってミッシェルは、こんな影響を受けた……という部分的なものより、今の自分そのものを形作ったルーツのような存在なのだろう。

プロフィール

辻愛沙子(ツジアサコ)

株式会社arca代表取締役 / クリエイティブディレクター。“社会派クリエイティブ”を掲げ、「思想と社会性のある事業作り」と「世界観に拘る作品作り」の2つを軸として広告から商品プロデュースまで領域を問わず手がける。リアルイベント、商品企画、ブランドプロデュースまで、幅広いジャンルでクリエイティブディレクションに携わる。2019年春、女性のエンパワメントやヘルスケアをテーマとした「Ladyknows」プロジェクトを発足。以降も多方面にわたって、作り手と発信者の両軸で社会課題へのアプローチに挑戦している。