EAST END×YURIがあんなに売れると思ってなかった
吉田 渋谷系人脈と言うとザックリしてますけど、そういう人たちを集めた作品にしようっていうのは市井さんも話し合いに参加しながら?
市井 そうです。当時は渋谷系とか思ってなかったんだけど
吉田 そうなんですね。
市井 「そうなんですね」って知ってるくせに(笑)。
吉田 アルバムに参加した
市井 うれしい!
吉田 菊地さんはアルバムの共同プロデューサーであり、5曲で歌詞も書いていて。
市井 レコーディングがすごく楽しかったです。みんな和気あいあいで。「双子の恋人」って曲とか「キーが高すぎて歌えない」って言ったら、菊地さんが「大丈夫!」って盛り上げてくれて。そのあと菊地さんのライブも観に行きました。菊地さんもすごくなっちゃって。
吉田 当時からモテオーラはあったんですか?
市井 あった。カッコよかった。
吉田豪「豪の部屋」ゲスト:菊地成孔 2019年10月15日 猫舌SHOWROOM
吉田 ただし、「JOYHOLIC」は制作から発売までかなり時間がかかったアルバムじゃないですか。要は、何曲かレコーディングしてる最中にEAST END×YURIの「DA.YO.NE」が爆売れしちゃったわけですよね。
市井 取材しなくても知ってるじゃないですか(笑)。そのまま書いてください(笑)。
吉田 まとめると、「レインボー・スキップ」発売と同時期の94年2月にイベントでEAST ENDと共演してユニット結成、6月にデビューミニアルバム「denim-ed soul」をファイルレコードから発売、8月にエピックから「DA.YO.NE」がシングルカットされてメジャーデビュー、一気にブレイクして忙しくなって9月にTPD卒業という、その流れはご自分としてはどういうふうに受け止めてたんですか?
市井 EAST END×YURIがあんなに売れるって誰も思ってなかったから。プロモーションビデオも自分たちで撮ったぐらいで。GAKUさんが大学の機材で編集して、画質がガサガサのプロモーションビデオを作って。
吉田 まだ日本でラップが売れる土壌ができる前ですからね。
市井 「JOYHOLIC」をいつ出せるんだろうと思っていたけど、そんなこと考えてる暇がなくなっちゃった。
吉田 死ぬほど忙しくなって精神的にヤバいレベルになったって聞いていますよ(笑)。
市井 誰に聞いたんですか⁉
吉田 市井さん本人から聞きました!
市井 そっか(笑)。
吉田 ごはんも食べられないくらいの過密スケジュールだったって。
市井 本当に。ずっと働いてた。
吉田 言い方は悪いですけど、TPDで売れたいと思っていたのにまったく売れない数年間があったわけじゃないですか。それで好きだったラップをやったら異常な売れ方をして。市井さんはたぶん忘れていると思いますけど、「JOYHOLIC」の制作がペンディングになったとき、菊地成孔さんに「こんな女子ラップなんて半年ももたないから、すぐにこっちに戻ってくるんで待っててください」って言ったらしいんですよね(笑)。
市井 ひどい(笑)。でも言ったかも(笑)。
吉田 そしたら永遠に待ちになっちゃったって言ってましたね。
市井 でも、EAST END×YURIをやってる頃は、けっこう叩かれたりもしたから。
吉田 ラップをやっている人たちに?
市井 そうそう。「俺だったら、こんなアイドルクソラッパーに参加してくれとか頼まねえ」みたいなことも言われたけど、ラジオで「こっちこそ、お前なんかに頼まねえよ」って言ったり(笑)。「そういうこと言うなら100万枚売れてほしいよね」とか言ってたんです。そしたら「毒を吐かないでくれ」って、放送では全部カットされちゃって。
吉田 いわゆるファンキーグラマー系(※FUNKY GRAMMAR UNIT:RHYMESTER、EAST END、RIP SLYME、KICK THE CAN CREW、MELLOW YELLOWを中心としたヒップホップコミュニティ)のラッパーに対して、不良っぽいラッパーの人たちがまだ批判的だった時代というか。
市井 全然関係ないけど、この前RHYMESTERの日本武道館公演に行って、すごいカッコよかった。
吉田 あの「DA.YO.NE」の歌詞に出てくる“佐々木”がこんなになったとは、って。
市井 そう(笑)。
吉田 今では誰も宇多丸さんのことを“佐々木”なんて呼んでないですからね。
市井 ははは。確かに(笑)。
早くソロのレコーディングがしたいって文句言ってた
吉田 「JOYHOLIC」に入ってる曲は93年から録ってるんですよね。
市井 それってなんでわかるんですか?
音楽ナタリー ブックレットに書いてあります。
市井 そうなんだ(笑)。
吉田 最初のシングルに収録された2曲(「レインボー・スキップ」「さよならの秘密」)が93年の録音ですね。そこからアルバムの制作が動き出して94年に4曲をレコーディングして。その頃は「半年で女子ラップの活動を終わらせるから」ってノリで作っていたら、「あれ? 全然終わらないぞ?」ってなっていくわけですよね。
市井 すっごい文句言ってたと思う。早くソロのレコーディングをやりたいって。
吉田 せっかく売れたけど、その状況を楽しめるような感じではなかったんですか?
市井 でも楽しんではやっていましたよ。
吉田 ただ、ソロも早くやりたいっていう。
市井 いつ次に行けるんだろうっていうのがあったと思いますね。
吉田 ご自分では何をやりたいみたいなのはあったんですか? ラップはもともとやりたかったわけじゃないですか。それが実際それだけやれる状況になって。
市井 とりあえず「JOYHOLIC」を早く発売したかった。
吉田 でもレコーディングもできない状況で。制作から発売まで、こんなに期間が空くことって普通ないですよね。で、2年ほど制作中断して、96年5月にEAST END×YURIが最後のシングルを出して、そのくらいからソロ活動に戻っていって残り6曲をレコーディングして。
市井 わからない(笑)。
吉田 確実に市井さんが知らなさそうな話をすると……。
市井 何? 怖い(笑)。
吉田 全然怖くないですよ。最近「JOYHOLIC」がサブスク解禁されたじゃないですか。よく見たら1曲だけカットされてますけど、あれはサンプリングしたThe Bugglesの関係ですよね?
市井 サンプリング問題だよね、絶対。
スタッフ あれはダメなんですよ。当時の契約の問題があって。
市井 そうなんだ。
吉田 当時はサンプリングの権利関係が今よりもユルかった時代で、自由にいろいろやっていたんだけど、今は許可を取ってちゃんとお金を払わないといけない時代になって。いろいろややこしいんですよ。
市井 あの曲だけ、サブスクだと聴けないんですね。
吉田 サブスクだとカバー曲だけ外れているとかよくあるんですよね。
市井 へえ。
市井由理「JOYHOLIC」
プロモーションの途中でロンドンに
吉田 ご自分では「JOYHOLIC」というアルバムには思い入れがあったわけですよね。いざ制作が再開したときはどんな感じだったんですか?
市井 がんばろうって思ってたけど。その後、どうしたんでしたっけ?
吉田 ボクに聞かないでくださいよ(笑)。
市井 なんでライブとかやらなかったんだろう? 「JOYHOLIC」を出して、ちょっとテレビで歌ったりもして、すぐに次のミニアルバムの「furniture」の制作に入ったのかな。「JOYHOLIC」が出たあとに、もうちょっと何かやればよかった。なんでやらなかったんだろう?
吉田 当時そんなにプロモーションしてないんですか?
市井 歌番組は出た気がする。朝本さんが鍵盤を弾いてた。
吉田 ライブはやってない?
市井 やってないと思う。それからどうしたんだっけ?
吉田 前回お話を聞いて驚いたのは、次のアルバムの「furniture」のプロモーションの途中に市井さんがロンドンに行くって勝手に決めちゃったってことでした。
市井 そうだ(笑)。
吉田 ひどすぎる話だったんですよ。「furniture」もいい作品なのに、途中で仕事を放棄して(笑)。
市井 放棄(笑)。そう、ロンドン行っちゃったんだ。でも「furniture」のほうが好きっていう人もいるんだよな。
吉田 「furniture」の路線もご自分の意思だったんですか?
市井 「furniture」はLaB LIFeさんが一緒のレーベルにいて、たぶんNatural Calamityさんもちょっとだけ知り合いだったから曲を頼んでみようかって感じだったと思います。今回は自分で歌詞も書こうって……豪さん、「furniture」にはあんまり興味ないでしょ?(笑)
吉田 ありますよ! もちろん好きで聴いてますけど、「JOYHOLIC」が好きすぎるんですよ。
市井 全然興味ないでしょ(笑)。
吉田 そんなことないんですよ! 前の取材のときにも私物の「furniture」を持って行って、「これ持ってる人少ない」ってイジられてます。
市井 そうでしたっけ(笑)。そのあとどうなったんだっけな。
吉田 「furniture」は97年11月リリースで、「JOYHOLIC」から1年3カ月くらい空いてるので、けっこう余裕があるはずなんですよ。この時期、何をやってたんですか?
市井 病んでたのかな(笑)。
吉田 ようやくスケジュールに余裕ができて、のびのびしていたんですか?
市井 何してたんだろう。アパレルの仕事もまだ始めてないしね。結婚もしてないし。
吉田 恋愛は始まってるくらいだろうし、楽しく生きていたんじゃないですか? 「ロンドン行きたいなー」って思いながら。
市井 ロンドン行っちゃったんだよね、結局(笑)。それは本当です。当時のマネジャーにめっちゃ怒られた。「そんなこと言わないで、仕事して!」って。
吉田 「えー、だってロンドン行きたいんだもん!」って感じで。
市井 「もう行くもん!」って(笑)。
吉田 つまり「furniture」を出した時点で、音楽活動をやる気はなくなっていたんですか?
市井 のかなあ。たぶん(笑)。海外行きたいって思っていたかもしれない。
吉田 売れるっていう経験もできて、いいアルバムを作れたし、もう音楽活動はいいかなって?
市井 旅立ちたかったんじゃないかな、すぐに(笑)。
吉田 自由な人なのはわかります。
市井 そうなのかな? 自分のことはわからない(笑)。
市井由理「furniture」
GAKU-MCのライブに出演した理由は…
吉田 本当に変わったタイプの人というか、ストリートカルチャーに根付いた人が冬の時代のアイドル界に入ってきて、いい感じにアイドル界を変えてくれたんだと思います。そしてラップの種を植え付けて、こういう奇跡的なアルバムを出し、そして自由にいなくなり(笑)。
市井 いなくなりましたね(笑)。
吉田 そして自由にちょこちょこ戻り(笑)。
市井 ははは。こないだもジェーン・スーさんにお会いしたとき「音楽活動、始めたんだよね?」って言われたから、「いや始めてません」って(笑)。GAKUさんのライブにゲストで出て、アナログも出させてもらったから、活動再開?って思っている人も多いみたいですね。でも、活動再開してないんです。ありがたいことにお仕事の依頼はいただくんですけど、「できるのかな?」って感じで。でも楽しそうなことはやろうかなと思っているのは変わらないです。
吉田 ジェーン・スーさん、当時のエピックで宣伝やってた人ですからね。ボクもバカなフリして、以前、自分がやってるLOFT9のアイドルイベントでオファーしましたよ。「市井さん歌ってくれるんじゃないですかね?」って。ちゃんと連絡が届いているかどうかわからないけど。
市井 あったっけ? 楽しそうなのはやります。
吉田 こんなに素晴らしい作品だって言い続けているにも関わらず、ボクは「JOYHOLIC」の収録曲をちゃんと生で聴けてないのが心残りなんです。今回の7inchシングルの発売記念イベントとかやる気ないんですか?
市井 この前のGAKUさんのライブには2曲だけ出させてもらいましたけど。
吉田 正直、市井さんが表舞台から姿を消したときはもう生で歌を聴くのは無理なんだろうなって思ったから、2017年にMAGiC BOYZとのコラボ曲(「パーリーしようよ」)を出したりとか音楽活動を微妙に再開したとき、もしかしたら可能性があるのかな?と期待したんですよ。
市井 GAKUさんのライブに出たのは、ソロ活動の周年企画でお願いされて。そもそも、なんであのライブに出たかって言うと、COTTON CLUBを見てみたかったんですよ。おめでとうの気持ちもあったけど、「COTTON CLUBはすごい」ってみんなが言うから行ってみたいなと思って(笑)。
吉田 そんな理由(笑)。
市井 そう。COTTON CLUBいいじゃんとか言って。以上(笑)。すごいよかった、COTTON CLUB。
吉田 「私も歌いたい」って気持ちにはならないですか?
市井 「できるのかな?」って気持ちが先かも。昔すぎて。
吉田 声が出なくなってるとか?
市井 でも、COTTON CLUBに出たとき、みんなに声が変わってないねって言われて。自分じゃ全然わからないんですけど。
吉田 今日の取材前にネットで検索していたら当時のレビューとかも出てきて、それを読んだら「正直、歌唱力は……」とか書かれていて。「レインボー・スキップ」も大好きな歌ですけど、冒頭「……うん?」ってなる部分ありますからね(笑)。
市井 ははは。でもカラオケでたまに歌うかも。
吉田 やれると思いますよ。今回7inchアナログが出て、生で観たいと思う人はたくさんいるはずだし、せっかくだから「JOYHOLIC」もアナログで出せばいいのにと思ってます。
市井 それ、ソニーの人に頼んでるんですよ!
スタッフ がんばります(笑)。
市井 「JOYHOLIC」のレコード欲しい。
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