鈴木杏樹

鈴木杏樹が語るKAKKOのすべて

藤井隆が熱望した、吉田豪によるKAKKOインタビューが実現

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昨年8月放送の「おげんさんといっしょ」(NHK総合)に登場し、今再び注目されているKAKKOをご存知だろうか。

KAKKOは鈴木杏樹が女優デビュー前の1990年にイギリスで音楽活動をしていた際のアーティスト名。鈴木は17歳のときに単身移り住んだロンドンで念願のデビューを果たしたが、帰国後は歌手・KAKKOではなくタレント・俳優の道を選んだ。芸能界での活躍はご存じの通りだが、その裏で彼女の音楽活動に熱烈なラブコールを送り続けていた男がいた。芸人である藤井隆だ。長年にわたりKAKKOの再始動を熱烈にオファーしていた藤井の健闘が実り、2022年7月、ついにKAKKOのデビュー曲「We Should be Dancing」をデュエットカバーとして自身のレーベル・SLENDERIE RECORDよりリリースするに至った(参照:藤井隆×鈴木杏樹がKAKKO「We Should be Dancing」をカバー、アレンジはNight Tempo)。

同曲が収録されたアルバム「Music Restaurant Royal Host」の特集(参照:藤井隆「Music Restaurant Royal Host」インタビュー)では、藤井がインタビュアーの吉田豪に「豪さんが杏樹さんにインタビューしてください!」とKAKKOについての取材を熱望。この発言がきっかけとなり、KAKKOの活動を鈴木自身に語ってもらうインタビューが実現した。

これまで本人からほとんど語られることのなかったKAKKO時代の音楽活動。「杏樹さんの音楽話は触れちゃいけない」「黒歴史」など、巷でまことしやかに囁かれていたウワサは本当なのか? 鈴木杏樹からKAKKOの真相が語られる。

取材・/ 吉田豪 撮影 / 笹原清明

酒井政利に見出され、なぜかロンドンへ

──以前、藤井隆さんのアルバムのインタビューをナタリーでやらせてもらったとき、「鈴木杏樹さんの音楽活動についてだけ聞くインタビューを豪さんにやってほしいんですよ!」と託されまして。

そうなんですね。すみません、30年以上前のことを(笑)。

──今日はいろいろ聞かせていただければと思います。

よろしくお願いいたします。覚えている限りをお話しします(笑)。

左から鈴木杏樹、吉田豪。

左から鈴木杏樹、吉田豪。

──そもそも音楽活動のことだけを話すインタビューは初ですか?

日本では初めてです。

──ああ、そうか。向こうでは当時当たり前のようにされていたんですね。

逆に歌手しかやっていなかったので。でも日本では音楽やKAKKOの活動についてそれだけを詳しく語ることはなかったかな。

──女優・鈴木杏樹として有名になった結果、ある時期からKAKKO時代に触れちゃいけないのかという誤解が広まって。

いやいや、そんなことは全然ないですよ。とてもプラウドなことだし、なかなかできることではない経験なので。

──20年ぐらい前に高田純次さんのインタビューをしたとき「噂のCMガール」の話になって、「杏樹さんの音楽話は触れちゃいけないみたい」というようなことをおっしゃっていたんですよ。

やだ! なんでそんなこと言うの(笑)。まったくそんなことないです。触れていただいて大丈夫です。

──了解です! もともと音楽をやりたかったわけですよね。

そうですね。小学校3、4年生ぐらいのときにちょうど「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」できらびやかなアイドルを観ていたので、最初は憧れからスタートしました。中学でインターナショナルスクールに入学するんですけど、その頃に先輩方から洋楽のカセットテープをもらって聴くようになって。クリストファー・クロスとか映画「フラッシュダンス」のサウンドトラックとか……。

──「ベストヒットUSA」の時代ですね。それで洋楽っぽいことをやりたくなったんですか?

その頃はまだ具体的ではないんですけど、歌手になりたいという目標は持っていました。歌手になるためには歌を歌えるようにならないといけないから勉強しようと思って、中学校の帰りに音楽教室に通い始めたんです。自分が歌いたい楽曲を持っていって、それを先生のピアノ伴奏で練習していました。

──どんな曲を持っていったんですか?

REBECCAの「フレンズ」とか、あとは小泉今日子さんの「The Stardust Memory」も歌いましたね。当時マドンナとNOKKOさんがすごくカッコよくキラキラして見えて、あんな歌唱力を得られたら素敵だと思ってレッスンしていました。その音楽教室では年に1回発表会があるんですけど、レコード会社の方や事務所関係者も観にいらしたりして。

鈴木杏樹

鈴木杏樹

──つまり、スカウトの場にもなっていると。

そうです。そのときに声をかけてくださったのが、CBS・ソニーで山口百恵さんなどを担当されていた酒井さんという方で。

──え、酒井政利さんにスカウトされたんですか?

そうです。家まで来てくださって。

──そうだったんですか!

はい。私は百恵さんも松田聖子さんも大好きで憧れもありましたので、酒井さんの下で歌手デビューできることがすごくうれしかったんです。

──酒井さんなら安心だってなりますよね。

それで私は東京に行く心持ちでいたんですけど、ちょうどそのときに日本人アーティストを海外でデビューさせようというプロジェクトがEPICソニーで持ち上がって(※CBS・ソニーレコードが誕生時の合弁相手であるCBS社傘下のCBSレコードを買収した)。私は英語が話せたので、ロンドンでデビューさせたらどうかということになったんです。

──急激に話が大きくなって。

そうなんです。でも私の母は国際線のキャビンアテンダントだったので、海外での活動に対して抵抗もなく、「大丈夫よ、できるわよ」と背中を押してくれて。「え、ロンドン? 1人で海外?」って私のほうがドキドキするぐらいだったんですけど、17歳で単身ロンドンに行くことになるんです。

──17歳でいきなりロンドン。

はい、行きましたね。当時、向こうにはMELONの佐藤チカさんとトシ(中西俊夫)さんがいて。彼らをお世話していたマネジメントの日本人男性もいて、私もそこでお世話になりました。

中西俊夫と藤原ヒロシが奏でるギコギコした音楽

──藤井フミヤさんが「知り合いの家にKAKKOが住んでいた」と話していたり、MELONと接点があったらしいという噂は聞いていたんですけど、そういうことだったんですね。

そうなんです。Cute Beat Club Band(チェッカーズの変名バンド)やTHE MODSがロンドンに来たときはそのマネジメントの男性がアテンドしていたので、皆さん家に遊びに来てくださって接点ができたんです。

──当然、当時はプラスチックスやMELONを知らないですよね?

知らなかったです。でもトシさんがギコギコ言っている音楽を家でずっとかけていたことは覚えていますね(笑)。「こんな音楽もあるんだー」と思いながら聴いていました。

──ギコギコ(笑)。たぶん相当最先端の音楽がかかっていたはずなんですよ。

藤原ヒロシくんが来てくれたときも、2人でギコギコやっていました。

──たぶん2人がハウスとかにハマっていた時期ですね。

そうですね。そのあとトシさんとチカさんが日本に帰ることになって、私はマネジメントの方と、ギタリストの鈴木賢司くん、日本から来た屋敷豪太さんたちと一軒家で暮らすんです。

──それもすごい環境ですよね。

すごく楽しかったです。夜になるといろんなミュージシャンが遊びにやって来て、豪太さんがエレクトリックドラムを叩いたり、賢司くんがギターを弾いたり、家が静かなことがなかったですね。吉川晃司さんや布袋寅泰さんともお会いしましたし、フミヤさんや高杢禎彦さんも来てくれましたよ。

鈴木杏樹

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──時期的には1986~87年ぐらいですか?

私のデビューが1990年だったので、87年から90年ぐらいですね。私は関西出身なのでロンドンで話すのは英語か関西弁だったんですけど、フミヤさんに「KAKKOちゃんはバタくさい顔してるし、ロンドンデビューという肩書きになるんだから、帰国までに標準語を話せるようになったほうがいいよ」とアドバイスをいただいて。そこから標準語を勉強したんです。

──実際、それが役立った?

役立ちましたね(笑)。帰国してから明石家さんまさんと所ジョージさんの番組に出していただいたとき、さんまさんに釣られてちょっと関西弁が出たことがあったんですよ。そしたら所さんに「あなたは関西弁が似合わないから、こんなおじさんに釣られないで標準語を貫けるようにしなさい」と言われて。改めて標準語を大事にしようと思ったことがあります。

──デビュー前にそうそうたる人たちと接点ができて、影響を受けたりはしたんですか?

ロンドンの家にTHE ALFEEの高見沢(俊彦)さんがいらしたとき、私の音楽環境を刷新してくれたんですよ。当時はあまりお金を持っていなかったから、日本から持参したテープレコーダーでカセットテープとラジオばかりを聴いていたんです。そしたら高見沢さんが「これからはCDの時代だから買ってあげる」と言って、大きなCDラジカセと、当時まだ出始めのCDを10~20枚くらい買ってくれて。「とりあえず僕がオススメしたいアーティストをバーッと買うから家で聴きな」って。

──いい人だなあ! どんなCDを買ってくれたんですか?

Wingsやニック・カーショウがありました。ニックの「The Riddle」という曲を聴いたときは、「木枯しに抱かれて」(歌:小泉今日子 / 作詞・作曲:高見沢俊彦)とつながって、なるほどと思ったり。

──しかし、その環境で暮らしながら音楽を聴くのがカセットとラジオのみってすごいですよね。

本当に貧しかったんですよ(笑)。とにかくボーカルトレーニングをして、ダンスを習って、夜はクラブに行って。

──その時代のロンドンのクラブカルチャーも体験しているわけですか。

行ってましたね。でも私が箱入り娘だったものだから夜に出歩いたことがなくて、最初は「え? 夜なのに出かけるんですか?」みたいな感じでした(笑)。

──夜が盛り上がるんですよ!(笑)

そんな調子だったので、マネジメントの方が「この子はしょうがねえなあ」と、日本人のお姉さんや先輩方を紹介してくれて。クラブに着て行くお洋服もケンジントンマーケットやカムデンマーケットで買って、ドクターマーチンを履いて、唇と爪を真っ赤に塗って行く、みたいな感じでしたね。

──87年から90年ぐらいにかけて、ちょうどクラブカルチャーが盛り上がっていく時期じゃないですか。

そうですね。「音楽の勉強をするにはクラブに行かなきゃダメだよ」と言われて、よく聴きに行っていました。

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1年のお茶くみを経てデビュー、「やっと来たー!」

読者の反応

藤井隆 @left_fujii

KAKOOさんの声が聞こえてくるインタビュー、さすが吉田豪さん。
ありがとうございました!KAKKO!GO! https://t.co/NgDhTRr1a4

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