生田斗真「スーパーロマンス」インタビュー|世紀のロマンスが始まる──活動30周年で踏み出した新たな地平

生田斗真がアーティスト活動を始動。1月10日にデビュー曲となる「スーパーロマンス」を配信リリースした。

俳優として10代の頃より存在感を発揮し、抜群の演技力で数々の代表作を生み出してきた生田が、芸能活動30周年にして「音楽」という新たなフィールドに飛び込んだ。デビュー曲の「スーパーロマンス」は、上白石萌歌とともに自身が主演を務める日本テレビ系ドラマ「パンダより恋が苦手な私たち」の主題歌で、岡村靖幸が作詞作曲およびプロデュースを手がけた。

生田はなぜ今、未踏の地へと乗り出したのか。音楽ナタリーでは彼にインタビューし、歌手デビューに至るまでの心の動きや音楽との距離、そして新曲に込めた思いを聞いた。

取材・文 / 西廣智一撮影 / YOSHIHITO KOBA

hideから教わったマインドを大切に

──生田さんにとって、今につながる音楽的原点となるアーティストはどなたですか?

やっぱり最初に挙がるのは、中学生のときに出会ったX(X JAPAN)ですね。僕は11歳のときに今の仕事を始めたんですが、周りにちょっと年上のお兄さんがたくさんいて、みんなXを聴いていたんです。そこで「こんなにカッコいい人たちがいるんだ!」と初めて知って、CDを借りて聴きまくっていました。僕が知ったすぐあとにXは解散してしまったんですけど、その後、hideさんのソロ活動も追い始めて。自分で初めて買ったCDはhideさんの「ピンク スパイダー」でした。

──Xはもちろん、hideさんの音楽からもいろいろな影響を受けた?

はい。「ROCKET DIVE」もそうでしたけど、すごく奇抜で遊び心があるのに、ポップでかわいらしさもあって、1曲の中にいろんな要素が詰まっている。ミュージックビデオや歌番組で歌唱している姿も、中学生の僕にはすごく刺激が強かったです。hideさんもよくおっしゃっていたことなんですけど、「どんなことやるにも、ポップでキャッチーじゃなきゃいけない」っていう、あのマインドは僕の中ではとても大切にしていることで。僕の場合、それは音楽じゃなくてお芝居にあたるんですけど、「玄人が見たらわかるよね」とかそういうところに逃げずに、お芝居に興味がない、詳しくない人たちや子供たちが観ても感動できて素敵だなと思える表現をしていかなければ、メジャーでは戦っていけない。ちゃんとみんなに伝わるものにしていかなきゃいけないというマインドは、hideさんのことを深く知るようになってから常に心がけていることです。そういう意味でも、音楽はもちろんのこと、自分の生き方においても影響や刺激をたくさんいただいた大切な存在がhideさんです。

──hideさんはヴィジュアル系のみならず、今も幅広いジャンルに影響を与え続けていますものね。

本当にそうですよね。ファッションやアート界隈もですし、今では当たり前に普及しているインターネットをいち早く活動に取り入れたりと、常に最先端を走ってきた方ですから。

生田斗真

知らない文化は全部周りのお兄ちゃんたちから

──そうやってXやhideさんを軸に、その後より激しい音楽に惹かれていったと。

高校生のときには劇団☆新感線の皆さんに会っていますからね(笑)。主宰のいのうえひでのりさんや古田新太さんだけでなく、皆さんハードロック / ヘヴィメタル大好きおじさんなので「お前、これ知ってるか?」みたいな感じでIron MaidenやJudas Priest、MetallicaやGuns N' Roses、Skid Rowとかいろんなバンドを教えてくれて、その都度CDをもらったり自分で買いに行ったりして、ハードロック / メタルの世界にどっぷりハマっていきました。

──その頃から、ライブにも頻繁に足を運ばれるようになった?

行ってました。それと同時に、KICK THE CAN CREWとかRHYMESTERといったジャパニーズヒップホップのグループがヒットチャートにランクインするようになった時代だったから、メタルと並行してヒップホップにも手を伸ばして幅広く聴くようになった時期でもありました。

──生田さんは芸能活動を11歳から始めていることもあり、10代の頃は周りに大人がたくさんいた環境でしたよね。そういった皆さんから受ける影響は、相当なものがあったのではないですか?

本当にその通りで。しかも、僕はどこに行っても一番年下だったので、吉野家とかエアマックスとかクロムハーツとか(笑)、そういう知らない文化は全部周りのお兄ちゃんたちから教えてもらって。音楽ではそれの最初がXだったわけで、そこからDragon AshだったりHi-STANDARDだったり……いろんなカルチャーが一気に入ってきたのが中学時代ですね。選択肢が無数にあったし、しかも中学生なんて与えられたものを全部吸収しちゃうから、あの頃に取り入れたものは今でもずっと心に残っていますね。

──僕も小中学生の頃、友達のお兄ちゃんから教えてもらったロックや海外のアーティストが、今でも自分の軸になっているので、その感覚はすごくわかります。

ですよね。親の影響で実家には尾崎豊さんとBOØWYとCOMPLEXのCDは全部あったんですよ。思えば幼少期からそういう音楽が身近にあったし、4つ下の弟には僕の部屋にあるXとかJudas PriestのCDが全部継承されたので、今でも聴いている音楽の嗜好は似てるし、好きな音楽について情報交換もしています。

生田斗真

──物心ついたときから音楽は常に身近にあった存在だったわけですが、生田さんは音楽の道に進むことなく、演技の道を選ぶことになります。

「こんなに好きなのに歌わないんだ」っていう(笑)。そこは事務所の意向もあったでしょうし、そもそも僕自身がちょっと天邪鬼なところがあるので、いつも「違う誰か、違う自分でいたい」という思いを抱えていて。そもそも「周りのみんながそっちの道に進むんだったら、自分は違う道を選びたい」という考え方は、わりと小さい頃からあったものなんですよ。

──意外とそのへんも、hideさんのマインドに近いものがありそうですよね。

確かに、そこも影響を受けているのかもしれないです。そのおかげで、当時みんなと違う方向に進むことができましたし、結果的に今の自分があるわけですから。周りと同じ道を選んでいたら、その中で埋もれていたかもしれないし、今ものびのびと表現の世界にい続けられているということは、きっといい選択だったんだろうなと思います。

新しい世界に飛び込んでみる最高のきっかけ

──これまでの活動の中で、歌と接する機会は何度もあったかと思いますが、ご自身の趣味や嗜好に近い音楽という意味では、2024年にマキシマム ザ ホルモンと共演したことが大きかったのかなと。

自分が大好きなアーティストの皆さんに自分の主演映画(「告白 コンフェッション」)の主題歌(「殺意vs殺意(共犯:生田斗真)」)を提供していただいて、自分もゲストとして参加させてもらって。あれは相当デカかったですし、今でも夢みたいだなと思います。そのときに、マキシマムザ亮君から「この活動をきっかけに、もっと音楽活動もやってよ」と言っていただいたんです。ちょうどその頃……なんとなくですけど、「音楽、そろそろ始めてみようかな? 何かいいきっかけはないかな?」と思い始めていた時期だったので、その言葉もかなり大きかったです。だって、自分が好きなアーティストに「音楽やりなよ。こっちの世界おいでよ。楽しいよ」と言われるってすごいことじゃないですか。「亮君が言うんだったら、これはもう絶対に乗っかろう!」と思って、今に至ります(笑)。

──さすがにお世辞でそんなことは言わないでしょうし。

いやいや(笑)。ことあるごとに周りの人たちからは「やらないの?」とは言われ続けてきましたし、好きだからこそあまり近付きすぎず、このままリスナー側でもいいのかなと思っていた時期もありました。でも、その一方で新しい世界に踏み出す勇気や今まで経験したことのないような刺激も求めていましたし、「守りに入ってんじゃねえよ、安定を求めてんじゃねえよ!」という思いも自分の中にあったので、「殺意vs殺意(共犯:生田斗真)」という曲に参加させてもらって。しかもフェスにもいくつか出させていただいたことで、自分1人だったら絶対に見られなかったであろう景色をホルモンのみんなに見せてもらったことは、新しい世界に飛び込んでみる最高のきっかけになったと思います。

生田斗真

──確かに、1つの世界に長く身を置き続けると、新しい経験や刺激ってどんどん少なくなっていきますよね。

そうなんです。ありがたいことに、今もいろんなお仕事をいただいて、その都度現場に行ってお芝居をして、それが世の中に出ていって、宣伝のためにいろんなメディアに出る……これを繰り返していると、何が正解なのかがわからなくなってくるというか。「本当にこれでいいのかな?」と自分が見えなくなってくるような感覚にもなって。若手の頃は「もっとこうして」とか「違う違う! 下手クソ!」とか言われることも多かったけど、年々キャリアを重ねるごとにそういうことも言われなくなり、気付くと放っておかれるようになった。新人の頃は単純に「もっと有名になりたい」とか「もっと大役をつかみたい」とか、そういう思いが原動力にもなっていたけど、30代後半ぐらいからその気持ちを継続するのがすごく難しいなと感じるようにもなりましたし、別の刺激を欲するようにもなってきたので、「このタイミングで音楽活動をするっていうのはアリかな?」と考えるのは必然だったのかもしれません。

──それが芸能活動30周年という、大きな節目と合致したと。

でも、ホルモンからまさか岡村ちゃんに行くとは、誰も思わなかったでしょうね(笑)。