美味しい店、あまり知らないです
食べることは大好きだけど、美味しい店を探して歩いたり、噂のあの店で食べてみたい、ということに実はあまり熱心ではないんです。美味しいものや珍しい料理に興味はあるので、誘われたら喜んで行きます。でも自分で調べて行く、ということがあまりない。出不精だし、根が面倒くさがりなのだと思います。美味しい店を沢山知ってそう、と言われることがありますが、すいません、あまり知らないです。だから連れていってもらった店を忘れないようにメモしています。
昔、バクテー(肉骨茶)を集中的に作ったことがあります。豚スペアリブと野菜、ハーブとスパイスで作る薬膳スープみたいなもので、シンガポール風、マレーシア風とあります。体がぽかぽかして、とても美味しい。何度か作って、自分でも美味しくできたと思ったのですが、実は私、お店でバクテーを食べたことがありませんでした。ネットで見て作りたくなったのです。バクテーを現地で食べたことのある妻は「うん、これは間違いなくバクテーだ」と言い、「気になるなら、専門店があるから行ってみたら」と、お店のリンクを送ってくれました。私はそのお店に行きバクテーを食べました。自分で作ったものとほぼ同じだったので満足です。そのお店にはその後行くことはありませんでした。
まぁ、そんな感じです。
普段の外出時にも、一人で食べるランチは立ち食い蕎麦や回る寿司が多いし、時間潰しにはチェーンのカフェかファミレス。こういうところはほんとに保守的。家族で外食の時はほぼ妻が選びます。我ながら探究心のベクトルが偏っていると思う。
ベジ / ヴィーガンには選択肢があまりない
さて、そんな私がベジタリアンになって最初にしたことの一つは、都内のベジタリアン / ヴィーガン対応のお店をリストアップすることでした。というのも、菜食という縛りで町を歩いてみると、ほとんど選択肢が無いことに驚いたのです。これだけお店はあるのに、いざ探すと見当たらない。驚きました。コンビニの棚やスーパーの惣菜コーナーも同じ。野菜メインに見えても、少しの肉や動物性の旨味に依存している。これは大変だと思いました。とても不便。
いままで無自覚に多数派の恩恵を受けていたことに気づき、はっとします。私の場合は選択的不便にすぎませんが、社会の中で見えにくい存在になったり、制度の外にこぼれたり、少数派というだけで不便を被る人がいます。これまで知識と想像力で向き合ってきたことを、わずかでも実感として受け取れたのは貴重でした。右手を骨折した友人が「この社会は右利き用にできている」とこぼしたことを思い出します。マチネの前にご飯を食べてようと思っても、食べるものがない。なるほど、こうなるのか。
というわけで、よく行く町のベジ / ヴィーガンの店を調べて、Googleマップにピンを立てておきます。幸い東京では、どの町にも一つや二つその手の店がある。とはいえ異常な数の飲食店がある東京でこの少なさ。外国の主要都市と比べたら、これぞ異常かもしれません。ただこの選択肢の少なさは、不便ではあるが、解放感もありました。もう迷う必要がないから。迷うほど選択肢が無い。
自分にとって本当に必要なものを理解していく、というのが大人になる一つの側面だと思います。これについてはもう迷う必要が無い、というものを増やしていけば、自ずと生き方がシンプルになっていきますよね。肉を食べないと決めただけで、飲食店の選択肢が100分の1以下に絞られるのは、別の自由を得た感覚でした。
何を食べようか、ではなくリストを見て開いている店に行き、そこにあるものを食べる。楽ちん。美味しければラッキー、それくらいの気持ちです。
菜食のレシピを増やしたかったので、勉強の意味もありました。今日は新宿で芝居を観るからその前にあそこのランチを食べてみよう。今日は三軒茶屋で打ち合わせだから帰りにあの店に寄れるな。という感じでマップに立てたピンを踏破していく。
どのお店も丁寧な仕事で盛り付けも美しく、とても美味しい。ニッチな市場ですし、こだわりを持った店ばかりですが、ある程度決まったフォーマットが見えてきます。玄米と7~8種類の野菜や豆の惣菜を盛り付けたワンプレート、玄米ベジカレー、サラダと雑穀のボウル、ショートパスタの入った具沢山スープ、といったラインナップです。お値段はおおよそ1,500~2,000円。気軽とは言えない金額です。今日は健康的に、と特別感を出したい日にという感じでしょうか。ベジタリアンやヴィーガンの貴重な選択肢でありつつ、メインターゲットは健康志向で菜食に興味がある人(フレキシタリアン=時々菜食の人)なのだと思います。
ベジ / ヴィーガンで検索して見つかる店を回ってみると、2つの極があるように思います。ヴィーガンの基準を満たせば、食材の加工度は問わないタイプ。もう1つは、なるべく自然の素材を使い、加工度の高い食材を避けるタイプ。実際多くの店はこの間のグラデーションです。
加工度の高い食材とは、この文脈なら大豆ミートなどの代替肉や代替チーズ、添加物を使った濃縮ソースやドレッシングなどです。お家の台所に無い物質、工場でないと作れないものが含まれていれば、それは超加工食品と呼ばれるものです。食品加工度の基準でNOVA分類というものがあるので、興味のある方は検索してみてください。
私としてはもちろん自然派の方が好みですが、あまりにこだわりが強く、ストイック過ぎて緊張するようなお店もあるので、自然派寄りくらいが安心します。超加工食品との距離感ふくめ、バランス感覚、コンセプトの打ち出し方が重要だなぁと思いました。
菜食のお店にはやはり思想が表れていて、そういうものを観察するのも面白い。強い思想を全面に出してくる店、思想強めと思われないように気をつけているのがわかる店、メニューに言葉多めの店、言葉の説明を省いて美学で見せる店。
総じてセンスのいいおしゃれな店が多く、料理もSNS映えする感じです。こんなにキラキラしてなくていいんだけど、とちょっと入りづらい店もあったり。
ストイック過ぎて宗教めいた菜食もどうかと思うけど、代替肉など加工度の高い食材を使って「完全菜食でもお肉と変わらない満足感!」を売りにしている店も首を傾げたくなります。前者が静謐で凛とした雰囲気なら、後者は過剰にポジティブでテンション高め。環境にも体にも優しくて、そのうえ菜食なのにこんなにゴージャスで美味しい! その裏には「菜食は地味で美味しくない」という消費者側の先入観への先読みがある。謎のこってりソースに欧米系の合理主義が匂ってきます。
ヴィーガンの基準を満たせば何を食べても良いのでしょうか。工場でしか作ることのできない食材を基本に考えていいの? それって持続可能? そんなことを思ってもやもやします。
ヴィーガンバーガーやヴィーガンラーメンなどは、完全に植物性ですが、超加工食品の塊です。食べてみると従来のものと同じくらいの味の濃さ。この連載でも書いた、脳に直行するわかりやすい美味しさです。
ふと思うのですが、こういうものって誰に向けて作っているんだろうということです。フレキシタリアンなのかもしれませんが、今日は菜食にしようと思ってこういうものを食べたとしても、健康的でもないし、植物性のものを食べたという実感もありません。あるのは動物性のものを食べなかったという事実だけです。そこに何か満足があるとしたら、それは食とはあまり関係のないものに思えます。
肉食が当たり前の社会で菜食を勧めようとする時、「菜食でもこんなに満足」というメッセージを出したくなるのはわかります。でも肉食の美味しさと張り合おうとするのはあまりいい作戦とは思えない。「変わろう」と呼びかけながら、「変わらなくていいよ」と言っているようなものです。
「菜食でも」と私もつい言ってしまうけど、この「でも」はいらない。肉食をやめるなら、自分の中の「美味しい」も変わっていくべきでしょう。私はそう思うので、肉食と変わらない美味しさの菜食料理を出す店に行くと、別にこういうものが食べたいわけじゃない、となる。
デパ地下の食品売場などにあるプラントベースの加工食品なども、味の基準を従来のものに合わせて作られているから、知らずに食べたらプラントベースと気付かないかもしれない。それはいいことなの? 「変わりたい」と思っている人には「変わらなくていいよ」と言い、「変わってしまった」人向けではあるけれど、求めていない味付けになっている。なんだかとてもねじれている。
主流の「美味しさ」から外れる勇気
毎日自分で作っているからわかりますが、完全に植物性のものは、動物性のものよりも淡白です。絶対に肉と同じ味にはなりません。肉食が当たり前の人には、美味しさが減ったように感じるのは当然です。物足りないと思うでしょう。でも何度か食べているうちに、別の美味しさを見つけるようになります(個人差あり)。一口目で感じる美味しさではないし、わかりやすくもないです。主流の「美味しさ」から外れる勇気。本来、ここからスタートすべきでしょう。
しかし外食・加工食品産業はその勇気が、収益性への不安に負ける構造になっている。肉を横目で見ながら「菜食でも」という売り方になっていく。いっそのこと開き直って、「たいして美味くもねぇよ、当たり前だろ。でも食い続けてみろよ、そのうち自分が変わっていくから。変わりたいんだろ? 違うか?」
そう言ってみては。そういう態度のお店もありましたよ。こんな言い方してないけど。
難しい問題だと思います。私たちはあまりにも、刺激の強い、主流の美味しさに飼いならされてしまった。動物性タンパク、炭水化物+油+塩、旨味強化の添加物。
勇気が必要です。演劇をはじめ、エンタメの世界でも同じで、主流の「面白さ」から外れる勇気が必要な時があります。でも規模が大きいものほど、収益性への不安に負けてじわじわと肉の方へ寄っていく。そして添加物バキバキのヴィーガンフードみたいな作品が出来上がるのです。この作品は誰に向かって作っているんだ?
勇気を持って「みんなは美味しいと思わないかもしれない。でも私はこれが好き」という思いで作った作品は、一口目ではわからない魅力があったりするものです。
こうして1年ほど見て回って勉強して、今はこういったベジ / ヴィーガンを歌ったお店に行くことも減りました。蕎麦や天ぷらなど、和食やイタリアンならベジのメニューもあります。パン屋に行けば卵・バター不使用のパンは数種類あるし、コンビニのおにぎりにも食べるものはある。バナナやりんごをかじるも良し。最初に感じた、外に出ると食べるものがない、という感覚はなくなりました。生活に根ざしてきたようです。あとは、お弁当を作って持っていく、これが一番安心。
ちなみに、新宿や渋谷など大きな町のベジ / ヴィーガン専門店は、昼時は9割外国人観光客で満席です。彼らからすると、私が最初に感じたように、日本はあまりに選択肢が少ないのだと思います。これってビジネスチャンスでは、と私ですら思うくらい。専門店でなくてもいいんです。飲食業のみなさま、ベジ / ヴィーガン対応の料理を1つか2つ、メニューの端っこに入れてもらえませんかね。そしてそれを明記する。「冷やし中華はじめました」みたいに。ぜったいお客さん増えますから。
- 前川知大
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1974年、新潟県生まれ。劇作家、演出家。目に見えないものと人間との関わりや、日常の裏側にある世界からの人間の心理を描く。2003年にイキウメを旗揚げ。これまでの作品に「人魂を届けに」「奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話」「関数ドミノ」「天の敵」「太陽」「散歩する侵略者」など。2024年読売演劇大賞で最優秀作品賞、優秀演出家賞、2025年最優秀演出家賞を受賞。
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