[ステージナタリー10周年記念]演劇ジャーナリストと舞踊評論家が見る10年──徳永京子×乗越たかお特別対談
(前編)コロナ禍抜きには語れない、舞台界の10年
配信、2.5次元、TikTok、表現を巡るリテラシー
2026年1月13日 15:00 1
ステージナタリー10周年の特別企画として、ステージナタリーでもたびたびお世話になっている演劇ジャーナリストの
なお対談は前後編で構成され、前編ではコロナによる影響や配信、表現を巡るリテラシーなど10年の変遷が大きな視点で語られた。
取材・
コロナの影響抜きには語れない10年
──ステージナタリーが2026年2月2日に10周年を迎えます。それにちなみ、この10年の舞台界の動向について、それぞれ別の角度から舞台をご覧になってきた演劇ジャーナリストの徳永京子さんと舞踊評論家の乗越たかおさんにお話を伺います。お二人はこの10年の舞台界の変化、潮流をどのようにお感じになっていますか?
乗越たかお 良い意味でも悪い意味でも、コロナを抜きにこの10年は語れないと思います。どの立場、どのマインドから見るかによっても変わるとは思いますが、“もう以前のようには戻らない”という前提で考えないといけないだろうなと。ダンスに限って言えば、2011年の東日本大震災のときにガラッと変わり、2020年以降のコロナでさらにガラッと変わった部分があります。震災のときは原発の問題もあり、みんなが本当にこれから生きていけるんだろうかという危機感を肌で感じていて、だからそれまでのいわゆるコンセプチュアルなだけでオシャレな作品は全然受け付けられなくなり、“生きている身体を観たい、感じたい”という欲求に応えるような作品が生まれました。そこにコロナが来て、部屋からはずっと出られないけれどインターネットではつながれるという状況になり、作品のコンセプトと身体性の両方をミックスしたような作り手や作品が出てきました。
またもう一つ別の流れもあります。ヨーロッパでは今、ユニゾンが大人気で、衣裳も動きも同じ、ユニゾンの極みみたいなタットダンスのようなものも育ってきている。でもコンテンポラリーはかつて、「大人数がそろって同じ動きをする快感」が戦争や独裁政権やファシズムに利用されてきたという反省から、そういう表現を避けてきた経緯があります。ダラダラしたりバラバラの動きで、ユニゾンはあっても短く、そろいの衣裳は着ないで普段着や練習着。一人ひとりの個性を生かしたパフォーマンスを重視する、という傾向が続いたんです。そこから、ガッと乱れなく動く身体の動きの美しさに、人が再び痺れるようになってきた。そこにはエンタテインメントの影響もあると思います。ヒップホップが競技化する中で採点基準が明確になり、音楽性、つまりちゃんと音を取れているかが重要になった。そういう訓練をした人がたくさん出てきた。一方で観客も「強く速くそろってガッと動く、規律のある身体を観たい」という欲求が高まっているのだとすると、それは混迷を極める現実の社会から逃れたいという反動かもしれない。一歩間違うと全体主義に流れてしまう危うさがあるのですが、そのスイッチがコロナで入った気がしています。
徳永京子 私もコロナの影響は大きいと思っています。中でも、コロナによって学校に行けなかったり、学校で友達や先生と直接コミュニケーションが取れなかった若い世代が今、集まったり会ったりすることを積極的にやっている印象があります。それは、乗越さんがおっしゃった“ダンスが群舞のほうにシフトしている”というお話に重なるところがあるかもしれませんが、昔は演劇って「自分たちが一番」、あるいは「オリジナリティが何より大事」という感覚から、ほかの団体と群れるのを嫌う人が多かったのに対して、今は「悩みや課題を共有して一緒に考えよう」「答えは出なくてもいいから時間を一緒に過ごそう」というふうに、みんなで考える、助け合う、共有知を作っていく動きがかなり増えています。
それともう一つ、コロナ下の演劇に関して感じているのは、新劇の劇団が再躍進したということです。コロナのときにいろいろな助成金が出てきましたが、それらの申請に対応できる事務能力、体力が必要でした。そうした経験値が少ない小劇場の若い人たちは大変だったと思いますが、新劇には専任の制作がいるので、公演を続けられたという印象があります。以前から、新劇の劇団が小劇場の気鋭の劇作家を呼んできて作品を書き下ろしてもらうという動きがありましたが、コロナ下でも比較的順調に公演を打つことができ、それによって、新劇の劇団の人たちも今までになかった観客の需要を感じることができたのでは。それがこの1・2年、いい形で作品にもフィードバックされていて、新劇の劇団がまたお客さんを呼び込む、という状態になっていると思います。
配信によって生じた舞台界の変化
──コロナからの影響という点では、配信も大きなトピックかなと思います。
乗越 そうですね。ダンスだけでなく演劇もそうだと思いますが、今まではある程度クオリティのあるコンテンツを供給しようとしたら相当なコストがかかり、だからなかなか舞台芸術の配信は根付きませんでした。一方で音楽やアニメといったデジタルデータの配信が比較的容易なジャンルでは違法配信が先行し、もう何巡もしている。その結果、今どうなっているかというと、顔を出さないアーティストでもライブ会場を満員にする状況になっている。観客は音楽というコンテンツを消費しにライブに行くんじゃなくて、体験に重きを置いているというか、場を共有するためにライブに行っているのだと思います。
ダンスや演劇も、コロナ禍で配信自体は広まりました。自粛期間中、「みんなを元気づけるために」ということで、今までお金を取ってしか見せなかった、世界のバレエカンパニーが持っている貴重な舞台映像が、無料で世界配信された。それによって、今度は「タダで観られるんだ」という意識が広まり、実は今後もその意識はあまり変わらないと思うんですね。しかも最初のうちは2時間まるまる観られてラッキー!と思っていたのが、徐々に「2時間って長いな……」と思い始めたりして(笑)、2時間フルで無料配信されたとて、それがどこまでみんなに共有されるのか、そして最終的に舞台に足を運ぶ、というところまで還元されるのかはちょっと疑問なところがあります。
また、ダンスにおいてはTikTokのインパクトはすごいですね。15秒で動きやすい振付がどんどん供給されて、それでみんなが楽しめるわけじゃないですか。かつてダンスは特殊技能扱いで、ストリートダンスですら一部のイケてる連中のものだったけど、いまや運動が苦手でもTikTokで踊ったことのない学生はまずいない、というくらいの勢いです。ただスマホの縦映像に慣れているダンサーたちが増えている中、舞台は横広だし奥行きもあるから、どういう空間認識で作品を作っていくのか、今後の課題としてあると思います。なので、面白い動きを作れるけれど面白い舞台を作れる人は少ないという状況になる可能性はあるなとは思っていて。さらにこれだけAIが進んでくると、インターネット上に散らばっているカッコいい動きをAIが学習してカッコいいダンスをどんどん生成していくようになると思うし、「もしマイケル・ジャクソンが生きていたら」といった動きがもっと出てくるかもしれない。そうなると「じゃあ、カッコいいダンスって何か」みたいなことが改めて問われるようになるかもしれないですよね。
一方で、“食っていく”ということを考えると、ダンサーって昔はダンスを教えるとか、あとは音楽やミュージカル、時々演劇の1シーンに呼んでもらって振り付けるとか、そのくらいしかなかった。しかし、今は全然メジャーじゃないミュージシャンがTikTokで人気が出て、突然日本武道館でライブができちゃう時代でしょう。ダンサーや振付家もいまはネット上でさまざまなアーティストとのコラボレーションが仕事になったり、現実の舞台でも2.5次元の舞台など活躍の場は圧倒的に広がっている。すると「助成金の申請方法なんてよくわからないし、言葉が通じない海外になんて行かなくてもいいし」というダンサーが増え、ますます仲間内でしかダンスを作らなくなっていく。彼らは年上の世代に海外ツアーで連れて行ってもらった経験もほとんどない。海外の刺激に直接触れる機会がない。ますます日本のダンス界のガラパゴス化が進んでいく危機感がありますね。まあ舞踏のように、海外や流行を一切排除したガラパゴス状態から生まれながら世界に広がった例もあるので、一概に何が良いとは言えませんが。
徳永 私は、乗越さんほど悲観的ではないのですが……(笑)。
乗越 あははは!
徳永 たとえば日本2.5次元ミュージカル協会ができたのが2014年、「ミュージカル『刀剣乱舞』」トライアル公演が行われたのが2015年なので、2.5次元舞台の歴史はほぼこの10年に重なるのですが、ストレートプレイやミュージカル、新劇と同じように2.5次元は一ジャンルとして確立され、海外公演も積極的に行われている。原作のアニメ先行というケースが多いので、日本語で上演する問題も少ない。また、“推し”という概念の定着で、グッズ販売という莫大な経済効果を生んでいます、それが健全かどうかは別ですが。話を戻すと、この10年で大きく変わったことに字幕の技術があると思うので、日本の小説が注目されている勢いで、日本の演劇が海外に紹介される機会が続けばいいなと夢想しています。
ちなみに乗越さんがおっしゃったTikTokのインパクトが演劇の中でどれだけ出てきているかについては、私はまだちょっとリサーチしきれていないんですが、この数年目立っている二十代の劇団には、ある種の先祖返りを感じます。唐十郎さん、野田秀樹さんたちの作品をすごく取り入れている、影響を受けているように感じるんです。それは何が原因だろうって考えていると、TikTokがひとつあるんじゃないかなと。短い時間でキャッチーなことをパッと伝えるときに、七五調の小気味いいセリフやケレンはハマります。もしかしたら、コロナのときにいろいろと過去の映像などをリサーチする中で、二十代の作り手たちが「こっちのほうが肌感覚として合う」と感じたのではないか。また現代口語演劇ではハイコンテクストなことがやられているけれど、唐さんや野田さんの芝居ではものすごくポエティックなことが語られるので、TikTok的な需要がある人たちは後者のほうに惹きつけられやすかったんじゃないか──ということを、一つの仮説として考えています。ちなみに少し前から、唐組の客席がすごく若返っているんですよね。唐組の人たちはそれがなぜなのか、ご自分たちではよくわかっていらっしゃらないところもあるようですが、リズム感のいいセリフ回しや、パッと衣裳が変わって変身したり、扉がくるっと回転して別世界に通じたりするスピード感が、今の人たちの感覚に合っているのかなと思います。
乗越 先祖返りということで今すごく思い当たったのが、大駱駝艦のアトリエ、壺中天のことです。本当に狭い場所ではあるんですが、この間コロナが明けて久しぶりに公演がありました。そのときにふと、“ぎゅうぎゅうにお客が入って、観客の至近距離で鍛えられた身体がガンガン動くという体験は、若い人はひょっとして知らない人も多いんじゃないか”と思って、僕が主催している「オンライン ダンス私塾」や「舞踊評論家養成[養成→派遣]プログラム」のメンバーにも勧めたんです。そうしたら「すごかったです~」とみんな言っていて(笑)。ある種異常な場所に身を置いて体験する、共有するということはやっぱり重要だなと思いました。大駱駝艦の作品は、コンセプトはもちろんあるけれど、群舞と言えば群舞で、でも身体一つひとつからくる何かに食らわされます。その点は、徳永さんがおっしゃる「唐組の観客が若返っている」ということと同じく、ある種の先祖返りなのかもしれません。
ただそういった身体のインパクトを求めるようになる時期というのは社会的にヤバい時期で、“生きている実感として、ある種異常な体に触れたい”という欲求の顕れだと思います。たとえば約120年前のベル・エポックのときは、とにかくみんな、健康な強い身体を観たがって格闘技やスポーツ、新しい芸術的なダンス(=モダンダンス)、ストリップがもてはやされたのだけれども、今また、格闘技やスポーツが花盛りですよね。それが戦争前の傾向だとすると複雑ですが、これからの舞台芸術を考えたときに、“映像ではなく、もっと体験として味わいたい”という欲求が、今後の鉱脈になっていくのかもしれないとは思います。
表現を巡るリテラシーと集団性の変化
徳永 それからこの10年で変わったこととして、ハラスメント問題や公共性をどう捉えるかということを含めた、表現を巡るリテラシーの意識があると思います。そしてそれが、創作者サイドの気持ちや考え方に相当影響しているな、とも。背景には、東日本大震災をはじめさまざまな災害が起き、具体的に大変な状況にある人たちがたくさんいるということもあると思いますし、“#MeToo”の意識がアメリカから入ってきて、表現の場でも“誰もが不安じゃない状態で作る / 観る”ことが意識されるようになってきたということもあると思います。
乗越 そうですね。ただクリエーションの様子を観たり、アーティストの話を聞いたりする限り、世代のギャップはまだある段階かなと思います。まったく鈍感な人と、気をつけていても迷子になってしまう人、ナチュラルにできている人、要求だけしている人……それぞれ似たような比率で混在している感じはします。
徳永 そうそう、世代間のギャップが激しい時期だと思います。
乗越 また、少し前までダンスグループってカンパニーを維持するのが大変で、プロジェクトごとに人を集めてバラすという傾向がずっとあったんです。でも最近、若い人たちの中にはまたカンパニー志向が出てきていて、ある程度一緒に練習をして気心が知れて、身体に対する意識を一緒にしたところで初めて表現できるという意識が高まっている。また1980年代頃のダンス界はそれこそ孤島の集まりというか、H・アール・カオス(編集注:1989年に大島早紀子と白河直子によって設立されたダンスカンパニーで大島が生み出す哲学的・社会的な世界観と白河の驚異的な身体で注目を集めた)の作品にレニ・バッソ(編集注:1994年に北村明子によって設立されたダンスカンパニーで、光・リズム・映像を織り交ぜたスタイリッシュな作品世界が人気。2009年に休止し2010年にソロ活動としてリスタート)の人が出るなんて考えられなかった。でも今はみんな仲良しで、「あるカンパニーの主宰者がほかのカンパニーにいちダンサーとして出演する」のは普通にある。彼らに言わせると、「そんな、いがみ合っている余裕がない」そうなんですね。助け合わないと生き残っていけないから。そのメンタルは本当にこの10年でだいぶ変わってきているんじゃないかと思います。
徳永 確かにそうですね。ただ1990年代の東京の小劇場って仲良くなりすぎて、みんな同じ作風になってしまったタイミングがありました。それが、現代口語演劇が出てきた時期と重なっていて、その時期、下北系が力を弱めてしまったのですが、今の二十代の仲の良さはそれともまたちょっと違っていて、仲良くしていてもそれぞれ似たものにはならない感じがあります。(後編に続く)
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