出汁はベースでスープではない
土井善晴先生が具だくさんの味噌汁を作って「出汁なんていらんですよ」と言っているのを聞き、そうだよなぁと頷きます。素材にはそれぞれ味があるから、具だくさんにすれば自然と複雑で美味しい出汁になる。あとは味噌をとくだけ。それでいい。
出汁ブームが来て久しいけれど、茅乃舎だしがヒットするのと、外食のお味噌汁の出汁が濃くなっていくのは、どっちが先なのだろう。外食産業では、低コストの出汁(うま味調味料)を多く、代替の利かないコストの高い味噌は控えめに、ということで辿り着いた味なのでしょうが、あれを出汁の香りがいいなどと喜んでいてはいけない。出汁が前面に出て、あれでは味噌風味すまし汁です。
茅乃舎だしに代表される、家庭用でコスト高めの出汁パックも、こっちはほぼ天然素材ですが、味が濃い。出汁の味で勝負するわけだから、どこも負けじと濃くなっていったのでしょうが、濃けりゃいいってものでもないでしょう。はじめて使った時は、こりゃ美味しいと思いました。それだけでスープです。味が決まっている。何故だ。よく見ると塩分が結構入っている。でもこんなに塩分があったら、味噌が入る余地がないと思いました。出汁はベースのはずで、スープではない。味噌の出番を奪わないでほしい。
これは邪推ですが、出汁だけで味見した時に「美味しい」と言わせたい、そして味噌が少なくて味が決まることで結果的に出汁が前面に出た味になり、出汁が美味い味噌汁と言わせることができる。しかも味噌が節約できたうえ減塩というイメージを持たせられる。そういう狙いがあるのではないかと。私は、味噌汁は味噌の味が前面に出るべきだと思います。味噌もそろそろ怒っていい。
なんだか妙に美味しいものや、やけに味が決まっているものに警戒心が強い私は、その手の味自慢の出汁パックからは少し距離を置いています。妻が高級出汁をもらったと嬉しそうに鞄から出すと、私は野生動物のように威嚇します。だって不自然に美味しすぎるから。とはいえ先日、海外から来た知り合いに、茅乃舎だしの詰め合わせをお土産に持たせたことを告白しておきます。矛盾しているって? 矛盾しているさ。
出汁のことは、尊敬しています。でも「どうだ美味いだろう」という顔の出汁は、あまり素直に拍手することができません。出汁は主張すべきではないという考えは、出汁を不当に低い地位に押し留めようということではありません。メインキャストとは役割が違うだけで、重要人物には変わりありません。自己主張が強いものを嫌うのは、日本人的な感性でしょうか。もし私が出汁で、出汁スタンドのようなものを作られたら、「おいおいよしとくれよ、オレはそういうんじゃねぇんだ」とそそくさと逃げ帰ってしまうでしょう。
丸の内あたりのおしゃれなビルの一角で、キラキラした出汁スタンドを遠目に見て、いつからそんなんなっちまった、ともう話しかけることもできません。出汁の概念も変わってきたということですかね。帰ろ。
日々の料理は不確実性へのレッスン
出汁を出汁のまま楽しもう、というのは食の楽しみとして素晴らしい提案だと思います。素材を吟味し、ブレンドの比率を試し、抽出の仕方を工夫する。出汁そのものを目的にしているので、やや濃い目。再現性にも優れているでしょう。吸い物にするにはいいかもしれませんが、毎日の家庭料理に持ち込むには、やや味が強すぎやしないでしょうか。
第2回で書いたコンソメと同じで、具から出る味や味噌の風味を覆い隠して、前にぐいと出てくる。具が変わっても毎日ほぼ同じ味の美味しい味噌汁ができあがるのは、やはり具たちが不憫に思えるし、飽きます。
商品というのは、当たり前ですが、味にブレがなく、再現性の高さが保証されていなければなりません。確実にこの味になる。だから売れる。「もう迷う必要はありません、出汁はこれで決まり、安心してください」。余計なお世話ですが、そういうものに飛びついちゃいけない。人生とは、不確実性との戦いです。だから少しでも確実なものを身近において安心しようとする。予測可能な領域を増やし、トラブルを避けようとする。人はそういうものだし、分かってはいます。急に人生の話になってしまいましたが、不確実性や偶然は、家庭料理の醍醐味の一つだと思っています。あるいは日々の料理は不確実性へのレッスンなのです。大げさでしょうか。
出汁を使わない具だくさんの味噌汁に「なるほどこうなったか」と思う。美味しい、美味しくないというジャッジの前に、ただ結果を受け入れるだけの時間があります。この時間が、美味しいのです。
創造の神が思い出したように地球に来ては生命の進化を見、「なるほどこうなったか」とつぶやく。そこには善も悪もありません。土井善晴先生が、具だくさん味噌汁を「宇宙ですよ」と言ってましたが、納得します。聖書にはこうあります。神は創造された世界を見て「良しとされた」。それはありのままの世界の肯定と祝福です。私はそれにならい、具だくさん味噌汁をひと口含み、「なるほどこうなったか」とつぶやき、「良し」と頷きます。もしそれが美味しくなかったら? それはもはやどうでもいい問題です。どうでもよくない! と後ろで家族が吠えています。受け入れようじゃないか。いや、こういう気持ちになれるのは作った本人だけなのです。全プロセスを把握する、作って食べる人の特権なのです。
「なった」ものが美味しければ、それにこしたことはありません。日々料理をしている方なら、食べられないようなものになることもないでしょう。「なった」ものには月並みな美味しさでも小さな感動があります。食材が、自ずから、そう「なった」のですから。商品の持つ確実な味には、そういう感動はありません。ゆらぎが無いのです。確実とは止まっていることです。確実に美味しいけれど、どこか生命力を奪われている。出汁とは本来、素材を生かす余白を持ったもののはずです。ゆらぎを許容するもののはずです。あれを使う時は、せめて三倍に薄めて……、ここまでくると営業妨害だな。すいません。
テクニックの誇示は作為の塊に見える
いや私が言いたかったのは、そうやって商品のように狙った味に「する」のではなく、いかにして自ずから「なる」ように作るのか、ということです。
俳優は舞台の上で、すべきことが決まっています。その演技が信じられるに値するかは、その登場人物の行動が、俳優が意図して「した」ものではなく、結果的にそう「なった」ものに見えるかどうかにかかっています。演技は基本的にリアクションなので、相手に反応し引き出されるものです。それは時に、自分の「こうしたい」という思いとぶつかります。こうしたい、が強いと相手の演技を無視して、リアクションの繋がりが絶たれ、会話としてのリアリティを損ないます。演技はわざとらしく見え、誰も得をしない。
意図や作為を超え、相手に反応し、そう「なった」ように見える演技は、自然でリアリティがあります。もちろん、言うほど簡単なことではありませんが。
演技を「する」のではなく、「なる」ように存在するには、不確実性を受け入れるような、オープンな態度が必要です。その日冷蔵庫にあった食材で作った味噌汁に、何か確実な美味しさを期待することはありません。でも「なるほどこうなったか」という小さな喜びがあります。そこには雑草の小さな花のような美を感じます。いつどこで誰が食べても同じ美味しさに対し、今ここで生まれて消えてゆく美味しさ。いい演技も同じです。今ここで生まれて消えてゆく美しさなのです。私はそういうものに、上手いだ、下手だ、などと言いたくはありません。美味しい、よりも先に感じる幸福があるように。よく巷で演技が上手い、などと言われているのは、テクニックを誇示したようなもので私には作為の塊に見えます。上手さがバレてる。もちろん、それとは違うニュアンスで、私が演技が上手いと思っている俳優は沢山います。そのすべてが評価されているわけではありませんが。
海塩スープに感じる“こうなるか”
この連載では、いわゆる美味しいとは別の「美味しい」をいろいろな角度から書いていますが、演技の「上手さ」や作品の「面白さ」というものと似たような構造があるとつくづく思い、不思議です。
最後に、お気に入りのレシピを一つ。私はご飯の時は汁物が欲しいので、一人で簡単なお昼を食べる時など、このスープを作ることが多いです。料理研究家の白崎裕子さんのレシピで、海塩スープ。【湯150mlに塩二つまみ、ちぎった焼き海苔1 / 2枚分、ごま油、こしょう各少々を加え、軽く混ぜる】。これだけです。インスタント味噌汁より早いし、美味しい。体に染み込むような美味しさです。決め手は塩の量で、その時体が美味しいと感じる塩分濃度が、本当の「おいしい」だと白崎さんは書かれています。汁物の塩分濃度は0.8~1%が美味しいと感じるので、最初は湯の量に対して測って作ってみてはいかがでしょうか。塩を味噌にすれば立派な即席味噌汁になります。ネギやおひたしの残りなんかを入れても良し。塩分濃度がちょうどよければ、意外と出汁がなくても美味しいものです。「こうなるか」と思いますよ。
- 前川知大
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1974年、新潟県生まれ。劇作家、演出家。目に見えないものと人間との関わりや、日常の裏側にある世界からの人間の心理を描く。2003年にイキウメを旗揚げ。これまでの作品に「人魂を届けに」「奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話」「関数ドミノ」「天の敵」「太陽」「散歩する侵略者」など。2024年読売演劇大賞で最優秀作品賞、優秀演出家賞、2025年最優秀演出家賞を受賞。
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前川知大 Tomohiro MAEKAWA @TomoMaekawa
『まな板のうえ』料理と創作についてのエッセイ11回目。日々の家庭料理と演劇について、通じることをこねくりまわしています。 https://t.co/PbCI7u5Kki