創作舞踊家の能藤玲子と、彫刻家の砂澤ビッキ。共に1931年北海道生まれのアーティストが、2026年に札幌市民交流プラザ クリエイティブスタジオの舞台上で共鳴し合う──。1月に上演された能藤玲子創作舞踊団「神の舌─夢の入口」は、砂澤の代表作の1つ《神の舌》を舞台美術として取り込んだ新作舞踊作品。能藤と砂澤は「風に聴く」(1986年初演、2017年、2019年再演)でもコラボレートしている。
舞踊ファン、美術ファンにとっても貴重な機会となった本公演を、「美術手帖」総編集長で舞台芸術にも造詣の深い岩渕貞哉はどう観たのか。ステージナタリーは、岩渕に公演レポートを依頼した。
「震える木、歩む身体。能藤玲子『神の舌─夢の入口』が指し示すもの」
文 / 岩渕貞哉
札幌の札幌市民交流プラザ クリエイティブスタジオに足を踏み入れた瞬間、空気が一段、密度を増したように感じられた。舞台中央に鎮座するのは、砂澤ビッキの彫刻《神の舌》。1980年に制作され、札幌芸術の森美術館に収蔵されているこの巨大な木塊が、美術館の静謐を脱し、生の身体が躍動する舞台空間へと「顕現」した。
能藤玲子による新作公演「神の舌─夢の入口」。それは、94歳にして驚異的な身体性をみせる舞踊家が、かつて親交のあった彫刻家・砂澤ビッキへのオマージュを捧げつつ、自身の舞踊哲学の根源を問い直す意欲作となっていた。
本公演は、この地に数年に一度の大雪が降り積もった1月23日から25日にかけて、札幌市民交流プラザ・クリエイティブスタジオにて開催された。特筆すべきは、やはり砂澤ビッキの彫刻《神の舌》が舞台美術として置かれている点だ。普段は厳重な温度・湿度管理のもとで保存されている美術館の収蔵品が、舞台演出に供されるのは極めて異例のことである(作家の想いを実現するために多くの関係者の方々の尽力があったことは想像にかたくない)。
2017年、神奈川県立近代美術館 葉山での砂澤ビッキの個展「木魂(こだま)を彫る」において、能藤がパフォーマンスのために会場を訪れた際にこの作品と出会ったことが、本作の起点となっている。能藤は葉山でのパフォーマンスと同名の公演「風に聞く」を1986年に札幌で行い、同じく砂澤ビッキ《四つの風B》を舞台美術に据えている(《四つの風B》は1986年の公演が契機となり《風に聴く》とタイトルを変更している)。
能藤玲子と砂澤ビッキ──近代彫刻とモダンダンスの交点
能藤玲子と砂澤ビッキ。二人はともに1931年に北海道で生まれ、戦後の混乱と復興のなかで、独自の表現領域を切り拓いてきた心の盟友といえる存在だ。
能藤玲子は、網走市に生まれ、日本のモダンダンスのパイオニア、邦正美に師事。邦はルドルフ・フォン・ラバンやマリー・ヴィグマンといったドイツ・モダンダンスの系譜を汲み、「身体育成法」を確立した人物である。能藤は東京で邦のもとで研鑽を積み、1959年より札幌に拠点を移して能藤玲子創作舞踊団を結成、ニューヨーク、パリ、モスクワなど世界各国で公演を行い、その芸術性は国内外で高く評価されてきた。
いっぽうの砂澤ビッキは、旭川市に生まれ、1953年に鎌倉へ移り住み、澁澤龍彦らと交遊。モダンアート協会を舞台に、木という素材が持つ根源的な力を引き出す彫刻を次々と発表した。旭川に戻った後、1978年からは音威子府にアトリエを構え、その風土のなかでアイヌ文化の精神性と現代彫刻を融合させた表現を突き詰めた。
二人の交流は、同郷の作家同士の親交にとどまらないものだった。砂澤ビッキの彫刻が目指したのは、木という物質の内部に潜在する力と動きを、形と空間を通じて可視化することであり、それは能藤が追求する「内面的心理を身体動作によって顕在化させる」モダンダンスの思想と響き合っている。
暗転、そして顕現──能藤玲子の歩み
開演とともに舞台が暗転し、《神の舌》にスポットライトが当たったとき、客席の観客は息を呑んだ。ナラ材から削り出された203×120センチの巨大な塊は、美術館のフラットな空間とは異なる、舞台の照明のなかで特別な存在感を放っていた。木の肌理が浮かび上がり、ビッキが刃を入れたひとつひとつの切削痕が、まるで皮膚のような質感を帯びている。聖なるものを表象する巨木から彫り出された彫刻──それ自体がすでにひとつの「身体」として、舞台空間を支配していた。
衝撃は最初のパートでやってくる。能藤玲子が、舞台後方の下手からそろそろと姿を現したのである。その瞬間、彫刻と同じ次元で拮抗する「もう一つの存在」が空間に生まれた。そして、舞台の下手から上手へと、ただ一歩ずつゆっくりと歩く姿には、長い歳月が刻んだ歴史の重み、苦闘の痕跡、そしてそれらを内包する知性が宿っていた。
能藤玲子の舞踊を語る上で欠かせないのが、「歩くことに始まり、歩くことに終わる」と言うその圧倒的な「歩き」の美学であろう。彼女の動きは、一つひとつの強いフォルムの連続によって構成されている。一見すると静的に見えるその身体と姿勢には、実際には地面と直結したエネルギーが蠢いている。木が根を張るのと同じ大地を踏みしめるたびに、見えない根を地下深くへと伸ばしていくかのようなその歩みは、最小限の動きでありながら、空間そのものを支配する強度を持っていた。
4つのパートが織りなす世界
本作は、冒頭は能藤自身のソロパートに始まり、男性ダンサーによるソロ、複数のダンサーによるアンサンブルパート、そしてふたたび能藤のソロで閉じられる。この構成において、黒い衣裳を纏った能藤のみが「人間」としてこの舞台に立ち、ほかのダンサーたちは《神の舌》を取り巻く神々や自然、精霊のような存在として現れているように見えた。
開幕時の能藤と入れ替わるようにして、《神の舌》の裏側からぬらりと男性が姿を現す。唯一の男性ダンサー小松昂太である。その登場は、能藤の静謐な存在感とは一転して、官能的な美しさと生命力を湛えた身体が舞台空間を一変させる。楽曲の高揚感に合わせ、その均整のとれた身体は緊張感を纏いながらも旋律と一体になって躍動していた。彫刻の背後から出現するという演出が、あたかも《神の舌》が自らの内部に宿していた生の力を解き放ったかのような印象を与え、この舞台のひとつのハイライトともなっていた。
複数のダンサーによるアンサンブルパートでは、能藤のモダンダンスのメソッドがそれぞれの身体へと継承され、変容していく様が垣間見える。ダンサーたちは人間というよりも、《神の舌》を取り巻く不可視の存在──風や光、水のような──として舞台を漂い、渦を巻き、時に静止する。能藤玲子創作舞踊団の団員と客演ダンサーを合わせた12人の踊り手たちが、個性を保ちつつもひとつの大きな気配を形成していくその過程は、能藤の振付の思想が次の世代へと息づいていることの証でもあった。
最後にふたたび能藤が登場し、《神の舌》と対話するシーンはまさに圧巻であった。彫刻という沈黙の存在に対し、能藤の身体はビッキの魂がそこに宿っていることを確信させるかのような静かな躍動を見せる。冒頭の登場と呼応しながらも、3つのパートを経た後の能藤の身体は、より自由に深い次元に到達しているように感じられた。
危機と解放のダイアローグ
能藤がインタビュー(参照:札幌市民交流プラザ イベント情報誌「wave times⁺」2025年12月-2026年1月号 P.7-8)で語っているように本作の背景には、現代社会に対する危機感が横たわっている。ウクライナ戦争におけるエネルギー問題や食糧危機、そしてパレスチナ・ガザ地区の住民が直面する飢餓的状況。舌──味覚、咀嚼、発声、すなわち人間が生きることの根源に関わるこの器官を主題に据えたこと自体が、こうした凄惨な現実と無関係ではないだろう。「食べる」という行為が奪われていく世界で、「神の舌」とは何を意味するのか。
しかし、本作はそうした社会的メッセージを直接的に掲げるのではなく、身体と彫刻の対話を通じて、もっと根源的な問いを提示していた。神的な存在である巨木から彫り出された彫刻と、年を重ねて死を見据えながら身体だけで表現する人間。そのコントラストと共鳴は、想像力によってのみ成立する永遠性を浮かび上がらせていた。そしてそこには、重苦しい社会状況を突き抜けていく、ある種の「解放感」がたしかに漂っていた。
モダンからポストモダンを経て、コンテンポラリーダンスへと時代が移り変わるなかで、能藤玲子はあえて「モダンダンス」という言葉を、その覚悟とともに選び取っているのかもしれない。モダンダンスとは、たんなる時代区分ではない。それは「身体動作を通じて内面的心理を顕在化させる」というメソッドであり、「人間の自由を表現」しようとする飽くなき意志である。20世紀のふたつの世界大戦を経て、モダンの核心にあった人間の可能性そのものへの疑念や、現代の社会の限界を認識したうえで、なお身体性を取り戻し、新たな自分に出会おうとする「表現の思想」にほかならない。
今回の公演は、その思想のひとつの到達点であると同時に、12人のダンサーたちを通じてそれが未来へと接続されていることを示していた。能藤玲子が見せた一歩一歩が、私たちに生きることの奥深さと、舞踊という表現の果てしない夢の入口を示し続けている。
プロフィール
岩渕貞哉(イワブチテイヤ)
「美術手帖」総編集長。1999年慶応義塾大学経済学部卒業。2008年に編集長となり、2019年より現職。2017年にはウェブ版「美術手帖」を立ち上げる。また、公募展の審査員やトークイベントの出演など、さまざまな場面でアートシーンに関わる。



