ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.8(前編) [バックナンバー]
UMB3連覇の絶対王者:R-指定
“相手を打ち負かすラップ”から、“キングだと認めさせるラップ”に
2024年6月25日 19:00 38
相手も武器を持ってるし、俺も刺していいんでしょ?
──Rさんは漢さんとも戦ってるんですよね。
KEN ははは。
R-指定 結局、決勝でERONEさんに負けたんですけど、手応えと結果を残せたと、そのバトルで思いましたね。
"R指定 s ERONE" (2009) / ENTER MC BATTLE CLASSICS
KEN 成長スピードが超早いよね。普通「ENTER」の決勝に、バトル2度目では上がれないよ。
R-指定 でも、KOPERUやふぁんくさんがすでに優勝してたし、ペッペBOMBも準優勝してたんで、梅田はその時点ですでに“バトルで勝つ集団”という感じやったんですよ。当然、俺も優勝する気でいたから、悔しい気持ちのほうが強かったですね。
KEN シンプルに梅田のフリースタイルのレベルが高かったんだろうね。
R-指定 梅田は何時間もサイファーしてたというのもあるけど、ラップを分析して、研究して、実践する集団でもあったんですよね。どっちかと言えば「バイブスってなんやねん。それより“うまいラップとは何か?”を、ちゃんと考えたほうがええやろ」という意識をみんな共通で持っていて。
──スキルをロジックで考えてたというか。
KEN 梅田は“地元”には根付いてない集団だから、“先輩・後輩”のような関係性から切り離されてたのも大きいよね。
R-指定 チケットノルマとか上下関係、いわゆる“地元のピラミッド”がダルくて、梅田にたどり着いたやつばっかりやったんで。
KEN 地元のピラミッドにいるメリットもデメリットもわかってるけど……。
R-指定 そこへの憧れもあったりするんですけど、いろいろ考えるよりも、とにかくラップがしたかったんですよね。そういうやつが梅田に集まって、夕方から夜中までサイファーして、終電逃したら朝まで延々ラップの話をしてたら、そらラップもうまくなるよな、と。
KEN やっぱり、梅田はラップオタクが多いもんね。
R-指定 そうですね。そもそも出自が違うし、相手にされなかったからってのもあるけど、当時は反不良、反ファッションみたいな方向に、こじらせてましたね。
KEN ダメレコのメンツもそうだったから、聞けば聞くほどよくわかる。バギーパンツにニューエラとか「なんだよ、コスプレかよ!」とか思ってたし(笑)。
R-指定 ははは!
KEN そういう“ザ・ヒップホップ”が好きだし、憧れてるのに、そうなれない自分と、受け入れてくれないシーンへの憎しみが渦巻いてた(笑)。
R-指定 まさしくそう(笑)。俺も梅田サイファーと出会って、「ガワよりラップが大事なんやな」と気付かされたし、梅田に参加しなかったら、無理して“マッチョなラップ”してたかもしれない。
KEN だから、こじらす時期は大事なんだよね、人間。
──しみじみと(笑)。梅田は常勝集団になる一方で、バトルに出ると「あんなオタクどもやっつけろ」という罵声が飛ぶこともあったようですね。
R-指定 梅田は大阪シーンの中心とは距離がありましたからね。
KEN 大阪のヒップホップはアンダーグラウンドが中心で、オーバーグラウンドが強くなかったから、どちらかと言えばキャッチーな梅田は余計にそう見られてたのかもね。
R-指定 SHINGO★西成さんや、レゲエのシーンも強かったけど、やっぱり俺らの世代はアメ村のど真ん中に韻踏合組合がおって、韻踏が大看板やったし、その流れにストリートっぽいラッパーも、ヘッズもみんなおって。
KEN 東京だと、雷がいて、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDがいて、MSCがいてというように、いろんなシーンがあって、それとは違う軸としてダメレコがあった。でも特にあの当時の大阪は韻踏合組合が象徴であり、大本流って感じだったよね。
R-指定 俺らも韻踏が大好きなんですけど、そのすぐ近くにCOE-LA-CANTH、ZIOPSみたいな存在がおって、俺らはそっち側ではないんやろうな、と自覚することも多くて。だから、アメ村シーンや文化圏を重んじるリスナーから、梅田は嫌われてたという感じでしたね。「あいつら全然アメ村で遊んでんの見いひんやん」「クラブおらんやん」「どうせスケートもでけへんやろ」という。
──最後は運動神経の問題な気もするけど(笑)。
KEN でも、そのシーンの中で10代やハタチそこそこの連中がヘイトされるということは、それだけ目立ってたってことだよね。みんな1回戦で負けてたら、好きも嫌いもないだろうし、結果を出してたから、余計に癪に障るというのはあったと思う。
R-指定 俺らも態度が悪かったと思います。そうやってヘイトされること自体、ヒール的でちょっと気持ちいいと思ってたし、シーンを崩してるような痛快さを感じてたんですよね。もっと言えば、悪くて強くてモテそうな、人間として、生物としてのスペックで全部自分より勝ってる人を、ラップでボコボコにできるという部分に快感を覚えてた。しかもそれがバトルだとより増幅されるし、人をこっぴどく打ち負かす残虐な快感に酔ってたっすね。だから10代後半のバトルしてるときの自分は、今考えるとめちゃくちゃ嫌い。「ラップスタア」に出てきたら一発で落とす。世の中のためにも(笑)。
KEN でも、そう思ってたということは、負ける気自体してないわけでしょ?
R-指定 ライムの幅や脳みその回転速度、ビートの聞こえてる範囲が全然違うと思ってましたからね……嫌なやつやな(笑)。負けるとしたら、ストリートっぽさ、バイブス、客の支持層の話で、スキルでは一切負けると思ってなかった。
KEN 相手を完全に見下してたんだ。
R-指定 最悪ですけど、そうですね。人に見下されてばかりの人生やったから、見下すのはこんなに気持ちええんや、って……よくなさすぎますね。「相手も武器を持ってるし、俺も刺していいんでしょ? そういう場所でしょ?」みたいな。
──戦争がなくならない理由だ(笑)。
KEN でも無双状態に入ってると、そういうマインドになりがちだよね。
R-指定 完全にバッドバイブスで生きてましたね。今までの復讐みたいな……そりゃ嫌われますよ。
“相手を打ち負かすラップ”から、“キングだと認めさせるラップ”に
KEN それでもUMB2010から5年連続でUMBの大阪代表になるのはすごいね。
R-指定 それが2010年の本戦1回戦で晋平太さんに負け、2011年も本戦1回戦でDOTAMAさんに負け、完全に自信をへし折られるんですよね。梅田のみんなも応援しに来てくれて、そんな仲間への感謝と同時に申し訳なさも感じて。
KEN 人間性を取り戻していったんだ。でもその足下にはRにケチョンケチョンにされた人たちが転がってるわけでしょ?(笑)
──その人たちからしたら「俺らにも謝ってから改心してくれ」って感じですよね(笑)。
R-指定 ははは。最初に大阪代表になったとき、やっぱり「なんであんなやつが」という声もあったんですよ。でもSHINGO★西成さんが「あいつはイケてたし、優勝やろ」と言ってくれたり、韻踏が「梅田はラップうまいし、カッコええやん」と認めてくれたのも大きかった。それで動きやすくなった部分は確実にある……けど、その先輩方の度量の広さを考えると、それまでの俺の心が狭すぎましたよね(笑)。そんで3度目の大阪代表に選ばれたときに、ERONEさんに意気込みを聞かれて「まあ、普段通りっすね」とか、ちょっと斜に構えたことを言ったら、「『大阪を背負っていくからみんなついてこい』ぐらい言ったほうがカッコええで」と言われて、ハッとしたんですよ。それまでのように「俺以外全員ザコ」みたいな気持ちではたかが知れてるんやろなと。実際、それで1回戦負けしてるわけやし。それよりも「街を背負う」ぐらいの気持ちで向き合うのが誠実やと気付いて。
KEN そういう気持ちじゃないと、大きい大会で勝つのは絶対に無理だよね。「俺たちの気持ちをこいつに預けられるか」という、集団心理を味方につけられるか否かはかなり大きい。
R-指定 それまで「俺はメインじゃない」と思ってたけど、「ヒーローで、アカレンジャーでええやん」と思い直したんですよ。だから“相手を打ち負かすラップ”から、“あいつがキングだと認めさせるラップ”になった。
──マインドが変わったと。
R-指定 それまではバトルマシーンというか、相手を倒すだけで“その先”がなかったんですよ。でもバトルで観客を爆沸きさせて、その先に自分の人生を前向きにしたいみたいな、“バトルの出口”が見えたというか。その気持ちが芽生えたことで、UMBの優勝を成し遂げられたというのは、確実にあると思います。
"R-指定 vs mol53" UMB2012 GRAND CHAMPIONSHIP 12/30(SUN)
KEN 何かを達成するときに、意識の変化は必要なファクターだと思うし、その変化をラップにつなげられたのが大きいよね。
R-指定 そこで“ヒップホップの思想”がラップにちゃんと入ったと思うんですよ。確かに“殺戮マシーン”だったときのほうがテクニックは上がった。でも「何も持ってないやつがヒーローになるのが、やっぱりヒップホップやんな」という原点に立ち返る意識を持つことで、そこでラッパーらしい存在になれたと思うし、それによって日本一をつかむことができたと思います。
R-指定(アールシテイ)
大阪府堺市出身のラッパー。2015年にDJ松永と
KEN THE 390(ケンザサンキューマル)
ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。
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