角野隼斗インタビュー|偉大なる作曲家・ショパンへの思い、矢野顕子らコメントも

ピアニスト / 作曲家の角野隼斗にとって、フレデリック・ショパンは単なる“偉大なる先人”ではない。

2026年1月、角野が放った最新アルバム「CHOPIN ORBIT」は、ショパンの名曲と自身のオリジナル曲を対置させ、時代を超えて共鳴する音楽の軌跡(Orbit)を描き出した野心作だ。全国を巡ったツアー「Japan Tour 2026 "CHOPIN ORBIT"」では、完璧に構築された譜面上の演奏と、その場で生まれるパッションあふれる即興演奏を融合させ、各会場を祝祭の渦に巻き込んだ。

音楽ナタリーでは、ツアーファイナル直後の角野を取材。ショパンの音楽に潜む“矛盾した魅力”や、自作曲に込めた日本独自のビート感などについて深く掘り下げた。さらに特集の後半では、上原ひろみ、鍵山優真(フィギュアスケート選手)、岸田繁(くるり)、浪岡真太郎(Penthouse)、矢野顕子という、彼と共鳴する各界のトップランナーたちからのメッセージも紹介。多角的な視点から、角野隼斗の実像に迫る。

取材・文 / 大谷隆之撮影 / YOSHIHITO KOBA
スタイリング / 金野春奈メイク / MAIMI

ショパンの魅力、共存する矛盾

──全国15会場16公演のツアー「Japan Tour 2026 "CHOPIN ORBIT"」のファイナルにあたる東京・サントリーホール公演を観させていただいたのですが、もう本当に素晴らしかったです(参照:角野隼斗、敬愛するショパン生誕日に聖地サントリーホールで紡いだ「CHOPIN ORBIT」)。

最終日にいらしていただいたんですね。

──はい。1月にリリースされた最新アルバム「CHOPIN ORBIT」は、フレデリック・ショパンというクラシックの作曲家に新しい光を当てることを試みた作品です。誰もが聴いたことのある有名なピアノ曲と、それにインスパイアされた角野さんのオリジナル曲などが交互に並べられていて……。

ええ、まさに。

──1枚を通して聴くと「へえ、ショパンの音楽って実はこういう可能性も含んでるんだ」と、私のようにほぼクラシックの知識がない音楽ファンでも肌で感じられる。そんな刺激的な内容でした。

ありがとうございます。ツアーパンフレットにもちょこっと書かせていただいたんですが、ショパンの音楽はもともと矛盾した魅力をはらんでると思うんですね。まず、どの曲も細部に至るまで極めて緻密に作り込まれている。美しい旋律もそうですし、澄みきった和音もそうです。音をわずかに動かしただけでも壊れてしまうような、完璧な均衡がそこにはあります。おそらくこれは多くのリスナーが抱いているパブリックイメージだと思う。一方で実際に弾き込んでいくと、まるで逆のことを感じる瞬間も多々あって。なんだろう……譜面の行間から、生の息遣いが伝わってくるというのかな。

角野隼斗

──1mmも動かしがたい厳密さと、ある種の余白、しなやかさが共存しているという?

そうですね。推敲に推敲を重ねた譜面でありながら、実際ピアノに向かうと、すべて即興で紡がれたようにも感じられる。そういう矛盾した印象をどうバランスさせていくかが、僕にとってショパンを弾く行為であり、演奏家・作曲家として一番影響を受けてきた部分だと思います。最新作の「CHOPIN ORBIT」では、その感覚を表現してみたかった。ショパンの輝かしい名曲を主軸として、僕のオリジナルも含む楽曲が多彩な軌道(Orbit)を描くと言いますか。おこがましいとは思いつつ、そんな1枚になればいいなと。

刺激的な即興演奏の世界

──そして今回の「Japan Tour 2026 "CHOPIN ORBIT"」は、まさにそんな思いをダイレクトに聴衆に届ける試みになっていたと思います。というのも、2部構成に分けられたプログラム自体が、ショパンの持つ即興性と躍動感を際立たせるように工夫されていました。

ああ、なるほど。そうですね。

──優美で軽やかな音と音の隙間から、ある瞬間いきなり演者のパッションがあふれ出るというダイナミズムを何度も感じました。アルバム「CHOPIN ORBIT」とツアー体験を合わせて、角野さんが表現したかったコンセプトが完成する気すらして。その冒険心に感動したんです。

そう感じていただけたのなら、とてもうれしいです。もちろんコンサートなので、楽曲1つひとつの完成度は高めていかなくちゃいけない。でも今回のツアーに関しては、ただ単にアルバムの収録曲をきっちり再現するだけじゃなくて。むしろ16回それぞれ、まったく違う音楽の場を作りたかった。それこそ「CHOPIN ORBIT」という共通の素材を用いて、会場ごとに別軌道を立ち上げていくイメージです。なのでアンコールでは毎回、客席からリクエストを募ってゼロからインプロビゼーション(即興演奏)にも挑戦しました。それも含めて意味のあるツアーにできたんじゃないかなと。

──確かに、あの即興パートの盛り上がり方はすごかったです。本編の張り詰めた空気感から打って変わって、会場全体がリラックスした祝祭感に包まれた印象で。私が見た最終日はフランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲」、角野さんのオリジナル「ティンカーランド」、さらに“坂本龍一風”というまったく脈絡のないお題が飛んできて。

そうそう。世界中どこにも存在しない三題噺、みたいな(笑)。

──ああやってリクエストを待ってる時間ってドキドキしませんか? 自分で言ってはみたものの、「とんでもないお題が出たらどうしよう」って。

めっちゃしますよ。でもまあ、予想外の組み合わせほどやりがいがあります。突き詰めて考えると、脳内の作業自体は意外とシンプルだったりするんです。僕はリストも教授(坂本龍一)も大好きだけど、普段その共通項について意識したりはしない。でも音楽ってたいてい、いくつかの要素に因数分解はできるでしょう。メロディ、モチーフ(主題)、コード進行、リズム。たぶんあの即興コーナーでは、そのうちのどれかを瞬時に入れ替えてるんだと思う。不思議なもので、そうすると道筋がなんとなく浮かんでくるんです。

角野隼斗

──面白いですね。じゃあ「ハンガリー狂詩曲」と坂本龍一さんの場合でいうと?

(実際にフレーズを口ずさみつつ)“♪タ~ラ~ララ・ララララッ・ララララ~”という「ハンガリー狂詩曲 第2番」の有名な導入部があるんですね。まずそれを“♪タラララ・ララララ・ララララ”と、あえて8分音符で均等に刻んでみた。つまり僕の中では、ルバート(演者による自由な抑揚)を排して淡々と続いていく静謐さが、教授っぽさを出す大事なポイントなんですね。確かそのうえで、本来はC#mであるコードを、AM7に変えてみたのかな。19世紀半ばのクラシック音楽に、ジャズやポップスで多用される7thコードはほぼ存在しませんから。ここでも1つ、オリジナルにはなかった現代の響きを吹き込める。あとはお遊びで、「戦場のメリークリスマス」のメインテーマっぽい旋律をすっと挟み込んでみたりして……。ディテールは忘れましたけど、ほかにもいろいろアイデアを盛り込んでいたと思います。

──それでいうとショパンその人が、作曲家であると同時に、超の付くほどの天才ピアニストでもあったわけですね。伝記などを読むと、基本は楽譜の出版で生計を立てつつ、当時のパリの社交界でも引っ張りだこで。小規模なサロンに集まった上流階級の人たちを、華麗なインプロビゼーションで楽しませていたと。

まさにそうなんです! 先ほど話に出たフランツ・リストは、ショパンと同時代のヨーロッパで活躍した人で。やはり作曲だけでなく、超絶技巧のピアニストとして知られています。いわばライバルですが、そのリストが「ショパンは即興が一番素晴らしかった」という言葉を残している。サロンやリサイタルで自作曲を披露する際にも、二度と同じように弾かなかったとする証言もあります。なので小さな集まりでは、きっと現代の優れたジャズピアニストみたいな演奏を披露していたに違いなくて。

──角野さんにとってショパンは、そういう想像力を刺激してくれる存在でもあるんですね。

ええ。僕自身、ジャンルを超えて広がっていく即興演奏の力にはずっと惹かれてきましたので。同じタイプのミュージシャンとして一方的に親近感を抱いてるのかもしれない(笑)。それで言うと今回のツアーは、長野県の八ヶ岳高原音楽堂からスタートしてるんですね。約250席の小ぶりなホールで、それこそ19世紀サロン文化を思わせる雰囲気がある。今回アンコールに即興リクエストを設けたのは、実はこの会場の存在も大きかったんです。こういう親密な空間でお客さんとコミュニケーションがとれたらいいだろうなって。実際、この初日がうまくいったことでツアー全体のイメージが固まった部分もありました。

「空想」はショパンの精神的オマージュ

──オーディエンスを前に演奏することで、何か新しい発見はありましたか?

どの収録曲もそうですが、特にオリジナル曲はライブを通じて体になじんでいく感覚がありました。例えば15曲目のポロネーズ「空想」もそうだし、あとアンコールで何度か弾いた「ラルゲット」もそう。この2つはレコーディングスタジオの段階から、お客さんの反応をイメージしつつ気持ちを作っていたので。そこに実際、生のエネルギーが付与されることで、どんどん曲として完成していく変化が楽しかった。

──角野さん作のポロネーズ「空想」は、有名なショパンのポロネーズ「幻想」と一対になる収録曲ですね。一方「ラルゲット」は、彼の遺作として知られる「ノクターン(嬰ハ短調)」から着想を得ています。

はい。ただ「空想」に関しては、楽理的には「幻想」と直接関係はなくて。むしろショパンが終生大切にしたポロネーズという音楽形式を自分なりに昇華してみたかった。ですのでペアといっても、精神的オマージュという表現がより正しい気がします。「ラルゲット」は音楽的には「ピアノ協奏曲第2番」の第2楽章を再構成した楽曲で。アルバムでは昔から大好きな「ノクターン(嬰ハ短調)」と組み合わせて収録しました。この曲、ショパンの姉のルドヴィカが「ピアノ協奏曲第2番」を練習するため書かれたという話がありまして。

──なるほど。映画「戦場のピアニスト」の挿入曲として知られ、濃密な死の匂いすら漂う「ノクターン」と、どこまでも軽やかな「ラルゲット」。聴いた印象は対照的ですが、そこがつながるんですね。レコーディングに際しては、どちらのイメージが先にあったんですか?

まず「ラルゲット」です。アメリカでリハーサルをしているときに、ジャズっぽい変奏のアイデアがふっと降りてきて。重厚な「ノクターン」と組み合わせたら面白いんじゃないかと考えました。ジャズピアニストのビル・エヴァンスに「ピース・ピース」という美しい曲があるんですね。演奏のトーンでは、そのイメージも大きかったかな。あとは途中で一瞬、ジョン・コルトレーンの名曲「ジャイアント・ステップス」のコードも挟んだりして。「もしショパンが現代のジャズクラブで演奏したら?」と、僕なりの設問を展開してます(笑)。それもあってアルバムバージョンとライブでは印象がかなり変わる曲なんですよ。

──ポロネーズ「空想」のほうはコンサートでは第1部のラストに置かれていました。緩急自在なタッチから、角野さんの内なるグルーヴがほとばしる、鬼気迫るような演奏で。アルゼンチンの作曲家ヒナステラによる「ピアノ・ソナタ第1番」からこの「空想」へと連なるパートは心底素晴らしいと感じましたし、グッと心をつかまれました。

ありがとうございます。自分の中でもそこは、今回のツアーの肝となる部分でした。