映像で音楽を奏でる人々 第16回 [バックナンバー]
90年代から“カッティングエッジ”を追求する丹修一
hide、ミスチル、サザン……名だたるアーティストのMVを手がける映像作家
2020年5月2日 9:00 28
海外ロケの思い出
あと海外だとTK(
アーティストと対峙することで生まれる映像
MVを作るときに、僕はルーティンワークとして必ずやることがあります。それは「可能であれば何かを構想し始める前にアーティストと会う」ということ。会うことで曲に対するキーワード、思いを本人から得て、自分なりにどういうムードにしていくか考え始めることが多いです。
僕は広告の仕事もしていますが、MVと比べると広告ってすごく刹那的で、被写体の方とは仕事の期間しか会わないんです。タレントさんなら打ち合わせを入れてものべ5日間くらい一緒にいて終わっちゃう。さみしいんです(笑)。だから人にググッと入り込んだ作品を撮ろうといつも心がけています。ドキュメンタリーと言うと平たいんですけど、人に深く入って何かを表現できたらなって。先日は
合言葉は「歌が聞こえてくるような画にしましょう」
映像を作るとき、詩的でありたいなと思っています。激しい画でも静かな画でも。詩って“うた”とも読みますよね。だから僕のチームでは「歌が聞こえてくるような画にしましょう」と合言葉のように話してます。撮影手法はいろいろありますけど、スモークは好きですね。
まどろんだ感じも好きで、フォーカスはパンフォーカスではなくてシャローフォーカスが大好きです。想像できる余白が欲しくて。まあいろんな手法があるので、この歳になると引き出しは多いと思います(笑)。だからどんな話が来ても撮れちゃうんですけど、逆にそれがヤバいとも思います。「こんな感じのものはこうやればいい」ってなるのもよくないので、自分を疑ってかかるようにしてますね。
胎内回帰願望から生まれた“無重力感”
こうして振り返ってみると、ありがたいことにいろんなアーティストのMVを手がけていますね。
水中撮影は
クリエイター志望者に向けて
「僕は明日からディレクターです」と言えばみんなディレクターになれるのが僕らの業界です。カメラマンも同じだし、ライターもそうですよね。いろんなメディアがあって、そこここにフィールドが広がっているので。ただ、そのフィールドで少しでも抜きん出てクリエイトしたい!と感じるのあれば何かを観たり聴いたりするとき、まず好き嫌いのアンテナを瞬時に働かせて、その次になぜこれが好きなのか、なぜ嫌いなのかの理由を自分なりに納得するまで考える。それを続けると、自分で作るものの方向性が見えてくると思います。映像だけでなくクリエイターなら当てはまる話ですよね。好き嫌いと、その理由を持つことがオリジナリティにつながる。あと、自身が中心になって物事を捕らえていると自覚する。例えば色だと、今僕が目の前で見てるこの景色は、ほかの誰とも同じ色で見てないんですよ。脳みそも違えば網膜も違うので。だから僕のこの赤は、僕だけの赤。あなたの赤はあなたの赤でっていう(笑)。他との差異と、自分の中にしかないモノを意識すること。それが、クリエイターに大切なオリジナリティになっていくと思います。そして、オリジナリティを持つ人が抜きん出るのだと。
僕はもう90年代からMV監督をしてますけど、今のMVは記号化してると思います。でも記号を作ったのは僕らの世代かもしれませんね。MVはこうあるべきみたいなフォーマットがある程度存在しているから、逆にかわいそうだなと思うこともあります。僕は全部が全部初めてで、「本当にこれでいいのかな」と思いながらも突き進んできたから毎回が賭けでした。「これで失敗したらもう仕事が来なくなる」というときも「絶対にこれでいけるはずだ」と賭けに出て……というのを積み重ねて今に至りますけど、今やすごい数の作品が簡単に観ることができるから、自然とそういう情報が頭に入ってきちゃう。今から始めるとしたら、ある程度フォーマットから選ぶという作業になりがちかもしれませんね。
そういう環境でのオリジナリティってなんなんでしょうね? 僕は自分の手法がパクられても怒ることはありませんよ、若い頃は「真似しやがって!」とか頭に来てましたけどね(笑)。誰かが同じ手法を使ったとしても、そのクリエイターの血肉になっていればよいのかと思います。それはすでに真似ではなく見えるはずなので。
敵は自分の中にいる
なんでも好き嫌いを付けると、不思議なことに好きなものは自分にプールされていくんですよね。街を歩いていても、絵画を観に行っても。クリエイターは毎瞬脳トレをしてるようなものじゃないかなと思います。広告案件とかだと、なんでこれがいいと思うか説明しなきゃいけないから、やっておいて損はないですよ(笑)。あと僕は、昔好きになったものを嫌いになることがあまりないので、好きなものはどんどん増えていくんです。逆に苦手なことが減ってるのかも……これが歳を取るということかな。歳を重ねると人は丸くなるって言いますもんね。
でも何歳になっても、カッティングエッジなものを作りたいですね。引き出しが多くなるとさっきも話した通り、ルーティンになる。「こういうものにはこの引き出しを使おう」と選択にはもう悩まないんですが、それを今一度疑わないとダメですね。「お前本当にこれでいいの?」と自分を疑う。あえて生み出すのが苦しくてつらい環境に自分を置く。そうしないと僕は次に行けない気がします。だから常に敵は自分の中にいますよ、絶対(笑)。
丹修一が影響を受けた映像作品
マドンナ「ベッドタイム・ストーリー」(マーク・ロマネク監督 / 1995年)
「僕にはこんな作品作れない……」とノックアウトされるほどに衝撃を受けました。当時HENRYという何億もするハイエンドのノンリニア編集機に取り込んで、1フレームずつ観ました。ひたすら感動しながら。すごさの秘密を少しでも分析できればと思ったんですけど、結局なんにもわからなかった(笑)。
映画「シクロ」(トラン・アン・ユン監督 / 1996年)
シクロと呼ばれる自転車タクシーを生業にしてる少年が主人公の話なんですが、ストーリーにも魅了されたし、そのストーリーをこんな画で表現するのかと。また、色はすべてに意味を持っているんだと強く思わされた作品で、劇中の死のシーンは完璧な美しさで涙します。主人公のポートレートのショットが随所に入るんですけど、衝撃的に美しいです。舞台のベトナムにはこの映画の影響からか、縁があって行く機会が多いです。
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タカオミ @takamin_
俺が一番好きなMV監督。カッコいい
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