丹修一

映像で音楽を奏でる人々 第16回 [バックナンバー]

90年代から“カッティングエッジ”を追求する丹修一

hide、ミスチル、サザン……名だたるアーティストのMVを手がける映像作家

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ミュージックビデオの監督など、あらゆる形で音楽に関わる映像作家たちに注目するこの連載。今回はエレファントカシマシhide with Spread BeaverMy Little LoverTHE YELLOW MONKEYGLAY黒夢LUNA SEAMr.Childrenレミオロメン、TK from 凛として時雨サザンオールスターズなど、名だたるアーティストのMVを数多く手がける丹修一監督に話を聞いた。

取材・文 / 田中和宏 撮影 / 梅原渉

映像制作は音楽作りと似ている

最初に手にしたカメラは父親から「おもちゃにしな」ともらった露出計の壊れたカメラ。TOPCONというメーカーの35mmフィルムカメラでした。フィルムを入れてみたのは小学校4年生の頃かな。庭の花とかを撮って現像に出してもらったらいい感じで、ちょっと写真に興味を持ったんですけど、そのあと音楽にハマったので中学、高校、大学時代はずっと音楽をやっていました。大学時代に小さな広告代理店でバイトをしていて、そのときに水俣病問題などを扱うユージン・スミスというフォトジャーナリストの小さな写真集を見て感銘を受けて、「やっぱり写真はいいな」と思いました。「写真家になろうかな」なんて思いながらも音楽も好きで。どうしようかと考えていたとき、そのバイト先の先輩が紹介してくれたのが地上波系の制作プロダクションで、面接を受けてみたら通っちゃって。それが映像の世界に入ったきっかけです。入った会社では実際に自分たちで映像を作ってみる1週間くらいの研修があったんですけど、そこで「映像は時間軸があるし、抑揚が付けられるし、音楽を作るのと似てるんだな」と思いました。

MVを作るために営業をかけた90年代初期

丹修一

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その頃、日本にはまだMVを流す媒体があまりなくて、地上波でMVを流していたのは小林克也さんがやってらっしゃった「ベストヒットUSA」くらいだったんです。そういうのを観て育ったもんだから、MVにすごく興味を持ってたんですよね。ただ僕が就職した会社は、報道番組の映像を作りつつ、一方で企業VP(ビデオパッケージ)とかNTT関連の仕事とか、いわゆるカタい仕事が多くて、「僕はどうやったらMVを作れるんですか?」ってボスに聞いたら、「うちじゃやってないから自分で営業に行ってこい」なんて言われて(笑)。なんのポートフォリオも持たずにいろんなレコード会社の担当の人に電話したんです。「あのーMVって作ってないんですか?」って。初めてそれに対して反応してくれたレーベルの方と縁があって、初めてミュージックビデオを手がけることになったんです。

当時働いていたプロダクションに僕の大好きな先輩カメラマンがいて、よく一緒にVPを作ってました。スペースシャワー(1989年設立)ができたばかりの頃、その先輩がそこの技術部に移ったんですけど、何やら話を聞いていたらすごくそこでの仕事が面白そうで。「毎日ミュージシャンの人たちとしか会わないの? マジで?」みたいな。この会社に行ったら音楽にまつわることが間違いなくできると思って、面接を受けてスペシャに入りました。ただもちろん放送局なので、当然番組を作らないといけない。番組が軸でMVはその次みたいな感じでやっていて。MVを作るにしても人手が足りないから自分でスタジオを予約して、スケジュールを組んで、香盤表を用意して、メイクさん、ヘアメイクさんのスタッフリングをして、お弁当も頼んで……ディレクターとは言っても、なんでもやりましたね(笑)。番組も作ってるから週3、4日が徹夜になっちゃうし。ただゆっくりと変化というか、音楽専門のスペシャ、MTVのほか、地上波でもちょこちょこ音楽番組などMVを流せるメディアが増えてきた時期でもあって、MVを軸にしたい僕は上司に「MVだけで採算取れるようなセクションを作って欲しい!」とお願いしてたんです。そしたらちょうどSEPという映像会社を作ろうとしていたところだったので、そこに移りました。

映像業界の巨匠・中野裕之との出会い

丹修一

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SEPに移動して1年くらい経った頃かと思うのですが、社内でフリーエージェントを扱うセクションを作るという話になりまして、僕がフリー契約した第1号だったと思います。マネジメント契約をSEPと結び、フリーランスとして活動するというカタチです。しばらくその形態を続けていたのですが、そんな折、映像作家の中野裕之さんのスタジオをよく使っていて、僕が編集してると後ろにテンガロンハット(中野裕之のトレードマーク)を被った人が立ってたんですよ(笑)。ある日、僕が作業してるときに後ろから話しかけられたんです。「ねえ君さ、何やってんの?」と。「編集です」と答えたら、「変なことやってるけどどうしたいの?」と聞かれて、説明したら「お前、面白いね」「うち来る?」って。Dip In The Pool、Video Drug、Deee-Lite、レ・リタ・ミツコ、MTVでの受賞等、すごい方なんだというのは知っていましたが言葉を交わすのは初めてで、中野さんにとても興味が湧きました。そして中野さんの会社、ピースデリックスタジオに移ったんです。そのスタジオに入ってから番場(秀一)にも出会って。彼はもともと前嶋(輝)さんというディレクター界のレジェンドがやってらっしゃるフィッツロイという会社にいて、僕が何度か仕事したときにアシスタントで付いてくれたんです。「ディレクターになりたい」という思いを聞いて「じゃあ僕のアシスタントをやって、うちでディレクターになる?」みたいな話をしましたね。当時、黒夢のMVをやり始めた頃かな。「ピストル」(1996年)とか。

エッジギリギリを駆け抜けた90年代

90年代、いろいろ仕事をしてきましたけどTHE YELLOW MONKEYの吉井(和哉)さんにはすごく影響を受けました。映像に関してすごく思い入れのある方でしたし、そういうミュージシャンの方と一緒に仕事ができたことはディレクターとしての成長につながりました。自分が一番たくさんMVで関わったのは清春さんかな。sadsの「忘却の空」(2000年)もそうだし。彼とはあのタイミングでやれて本当によかったなと思います。彼の上昇志向、パワー、勢いに感化されて、本当にエッジギリギリのところをみんなで駆け抜けた感じです。

あと中野さんが小林武史さんと仲がよくて、お二人がほろ酔いのときに僕がその場に招かれたことがあります。もちろん初対面だったんで最初は名前も覚えてもらえず、なぜか「なんか子犬っぽいね!」と言われてました(笑)。そんな出会いから、Mr.Childrenのアルバム「BOLERO」(1997年)のパッケージを作るときに中野さんが数曲、僕が「ボレロ」や「ALIVE」ほか4曲を担当することになったんです。で、その流れでMy Little LoverのMVもやらせていただくようになりまして。小林さんとはいろんな国に一緒に行きました。初めはロサンゼルスで、そのあとは上海に、モロッコ、パリと。予算の掛け方が今と違うので、スタッフの数もすごいし……そういう時代でした。

丹修一

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「ピンク スパイダー」ロケ地は映画「セブン」と同じ

その後、黒夢の仕事で何度かお会いしていた東芝EMIの方がUNLIMITED RECORDSに行かれて、その方がhideさんを紹介してくれたんですよ。hideさんに僕の作品を紹介するときに、たぶん黒夢のMVを見せたんじゃないかなあ。hideさんのMV撮影のメイキングはパッケージ化されてますけど、今だったらあんな赤裸々に現場を見せたくないかも(笑)。若い頃はそんなこと気にしてられないくらい必死でしたから。「ROCKET DIVE」のMVはセットデザイナーと一緒に宇宙船をイメージしたセットを考え、「光軸中心で回すと天地がわからなくなるから必ず真円で」とか言いながら撮影しました。

「ROCKET DIVE」の撮影後、次の「ピンク スパイダー」のMVはどうしようかと思って……ちょうどhideさんがレコーディングでロスにいるタイミングだったので、ロス撮影をすることになりました。当時とてもお世話になった現地プロダクションにいろいろ相談したら、挙がってきたロケーションの1つにすごくいい感じのホテル(アレクサンドリアホテル)があったんです。僕はその頃、映画監督のデヴィッド・フィンチャーが大好きで、hideさんと打ち合わせのときに映画「セブン」(1995年)の話もしていたんですけど、ロケハンしたらそこが「セブン」のロケ地だったんですよ。「ピンク スパイダー」のMVでガラスを割るシーンは今じゃできないでしょうね。テンパードガラスという、焼入れしてあってすぐ粉砕できるガラスなんですけど、ガラスの粉が舞うから割ったらしばらく息しちゃいけないっていう。あの頃はレギュレーションが緩かったからできたんですよね(笑)。

2000年にはLUNA SEAの「gravity」「TONIGHT」を撮りました。彼らが僕に声をかけてくれたのはhideさんの仕事があったからかな。J(B)は「hide兄、hide兄」とすごく慕ってましたし。ちなみに「TONIGIT」には子役時代のエンリケ(現在はALEXANDER名義で活動しているモデル、俳優)が出てるんですよ。設定では彼がLUNA SEAに憧れてヘッドフォンをしながらその世界に没頭していると、異空間で彼らと実際に会えるというテーマで。想像の世界だから彼は宙を飛んでるんです。

その他にとても印象に残っているのはTHE BACK HORNの「光の結晶」(2003年)で、メンバーには液体に沈んでもらいました。ペペローションという液体を人肌に温めたもので、口に入っても大丈夫なんですけど、キツかったと思います……すみません! でも普通の水では表現できない画が撮れました。

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海外ロケの思い出

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