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ROY(THE BAWDIES)手書きの履歴書。

アーティストの音楽履歴書 第10回 バックナンバー

ROY(THE BAWDIES)のルーツをたどる

バスケ少年がThe Sonicsと出会いバンドマンになるまで

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アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにする本企画。第10回は、今年デビュー10周年およびバンド結成15周年を迎えたTHE BAWDIESのROY(Vo, B)にルーツを聞いた。

取材 / 望月哲 文 / 下原研二

ソウルの種を植え込まれた幼少期

僕はひとりっ子で母親にべったりで、わりとシャイな子供でした。小さい頃は体が弱くて学校を休んだり入院することが多かったです。母は15年くらいアメリカに住んでいたことがあって、70年代を向こうで過ごしているんです。それもあって家ではレイ・チャールズやティナ・ターナーみたいなソウルミュージックが流れてたみたいです。当時のことは全然覚えていないんですけど、そこでソウルの種みたいなものを植え込まれたのかな。小学4年生くらいになるとだんだん体が元気になってきて、「SLAM DUNK」の影響でバスケを始めました。それを機に学校での発言力もどんどん向上していって。

お年玉で買った初めてのCD

初めて買ったCDは「クレヨンしんちゃん」のサウンドトラックです。小学3、4年生ぐらいだったと思うんですけど、クラスのみんなから「しんちゃん」って言葉をよく聞くようになって。僕はなんのことだかさっぱりで本屋さんで探してみたんです。そしたら「コロコロコミック」に「わ~お!ケンちゃん」という志村けんさんを題材にしたマンガがあって、「これだ!」と思って読み漁りました(笑)。ある日学校で「クレヨンしんちゃん」の好きなキャラクターを言い合うことになったんです。そこで自信満々に僕が「ケンちゃん!」って言ったら「それ、誰?」みたいな反応で(笑)。本当に悔しくて、誰よりも詳しくなりたいと思いました。それで貯めていたお年玉で「クレヨンしんちゃん」のサントラを買ってひたすら聴き込んだんです。当時からそういうディグり癖みたいなものがあったのかもしれません(笑)。

「AIR JAM」に感銘を受けた中学時代

僕はエスカレーター式の学校に通っていたんですけど、その学校にはマニアックな音楽を聴いてる子たちが集まっていました。その影響もあり、小学6年生のときには僕もHi-STANDARDを聴いていました。そういった小中学生時代を過ごしていくうちに、テレビから流れてくる以外にもいろんな音楽があることを知って。レコード店やCDショップに行って自分の好きな音楽を探すという感覚はこの頃に養われたものだと思います。

僕15歳のときに「AIR JAM」に行ったんですよ。その頃はライブってお客さんが映画を観るように座って楽しむものだと思っていたんですけど、でも「AIR JAM」はそうじゃなかった。「演奏している人のほうが楽しそうじゃん!」みたいな、それがお客さんに伝わって会場全体にグルーヴが生まれていくのを体感して感銘を受けました。あの世代のバンドにはベースボーカルが珍しくなかったので、僕がベースを弾きながら歌うようになったのは完全に「AIR JAM」からの影響です。その後、親戚にベースをやってる人がいたので、ベースを借りてきてハイスタやSHORT CIRCUITの曲を1人でコピーしていました。

中学時代はメロディックパンク系の音楽をとにかく聴きまくっていました。英詞で歌うバンドが多かったこともあって、彼らが影響を受けたNoFXやGreen Dayなど海外のバンドももちろん掘っていて。そんな環境で育ったので洋楽と邦楽の壁を感じることなく、自然とどちらの音楽にも触れてきました。今思えばそれってすごく大きなことだったと思います。

当時は周りがみんなバンド組んでいてうらやましかったのを覚えてます。僕はバスケ部の活動が忙しくてバンドをやる暇がなくて……でも休みの日に同じバスケ部だったギターのJIM、ドラムのMARCYに声をかけてスタジオに行ったことがありました。遊び感覚でしたけど、みんなで音を鳴らしたのはあれが初めてだったかも。

バンド結成前夜、The Sonicsとの遭遇

18歳になって、それまで続けてきたバスケを引退する時期がやってきたんですよ。人生で一番熱を注いできたものだったから心にポカンと穴が空いちゃいました。バスケぐらい夢中になれるものを探していたとき、渋谷のタワーレコードに行ったんです。そのとき店内で流れていた音楽がとにかく衝撃的で。「なんだこの生々しさは!」みたいな。それがThe Sonicsとの出会いでした。当時は今ほどインターネット環境も整ってなかったから情報収拾に苦労したんですけど、いろいろ調べていく中で彼らが60年代のバンドだということがわかって。「このバンド、自分の親よりも上の世代だよな? そんな人たちがこんなに激しい音楽を鳴らしてたってどういうことなんだ?」と興味が湧いてきたんです。

とんでもない衝撃を受けた次の日、学校に行ってすぐに今のメンバーたちにThe Sonicsを聴かせました。そしたらみんなも「これはすごいね!」と。「このバンドを聴いたら世界中の若者たちがぶったまげるよな!」ってみんなで盛り上がりました。最初はこのCDを世界中の若者たちに配って回ろうと本気で考えたんですけど、さすがにそれは無理だと(笑)。だったら、このエネルギーと熱量を伝えられるようなバンドを自分たちで組んだらいいじゃないかって。それがTHE BAWDIESを結成したきっかけですね。

“鎖国”の大学時代

まずはThe Sonicsのコピーを始めたんですけど、何も知らない状態で単に真似してるだけだから全然同じように演奏できない。そこで壁にぶち当たってしまって「彼らはどんな音楽を聴いてたんだろう?」と、ふと思ったんです。The Sonicsの楽曲は半分くらいがカバーなんですけど、原曲を調べたらレイ・チャールズやチャック・ベリー、リトル・リチャードという名前が出てきた。そこで手始めにリトル・リチャードを聴いてみたんです。そしたらThe Sonicsよりもすごいシャウトをしてた(笑)。あとレイ・チャールズという名前には妙に聞き覚えがあったんですよ。それで「あ!」と思って母親に確認したら、「あんたが子供の頃、ずっと聴かせてたやつだよ」って(笑)。そのあたりからファンクやリズム&ブルース、ソウルといったブラックミュージックに一気にのめり込んでいくことになりました。

The Sonicsに近付くためには彼らが食べてきたものを食べるのが近道なんじゃないかと考えて、そこからはとにかくソウルやロックンロールだけを聴くようになりました。それって言わば60年当時の若者たちも同じだったと思うんですよ。「The Rolling StonesやThe Beatlesが若い頃にどんな感覚で過ごしていたのか、自分たちもその感覚を取り入れよう」。そう決めて僕らは“鎖国時代”に入りました。“鎖国”の期間は大学生活の後半2、3年くらいかな。メンバー全員バスケ部だったこともあって、「基礎練してない人が試合に出てもケガするだけだ」みたいな感覚で、ライブはせずにひたすらコピーをやってました。そうやって60年代のカルチャーを研究していくと、趣味や服装にもそうした要素が反映されてくるんですよね。自分たちも髪型をマッシュルームカットにして、服はタイトなパンツにハイネックとかで大学に行って。しかも4人共似たような格好だから校内ではとにかく浮いてました(笑)。

22歳で出会った日本のガレージ、モッズ

ライブを始めた頃は、ヴィジュアル系のバンドと対バンするようなこともありました。もちろんライブを始めたばかりの僕らにお客さんはいないから友達を呼ぶしかないし、周りのバンドも同じような状況で。そうなるとお客さんが増えることはないんですよね。一生懸命バイトして、ノルマを払って友達の前でライブをする。「これじゃ意味ないな」と思って僕らみたいなバンドがよく出演してる箱を探したら高円寺のU.F.O. CLUBと、新宿red clothが見つかったんです。そこでモッズやガレージのシーンが日本にもあることを初めて知りました。僕らは国内のガレージやモッズシーンをまったく知らなかったんですけど、そういうところを先輩方がむしろ面白がってくれて。それからいろんなイベントに呼んでもらえるようになりました。しかも界隈のみんながリスペクトしているTHE COLLECTORSの加藤ひさしさんや、The 5.6.7.8'sのメンバーとご一緒させていただくような機会も増えていって。

ただ僕らとしては、ジャンルにこだわらず、なるべくいろんなライブに出演するようにしてたんです。なぜならガレージやモッズのバンドというふうにくくられたくなかったから。1つのジャンルを突き詰めていく人たちはカッコいいし、もちろん尊敬もしています。でも僕らはジャンルにとらわれず、60年当時の若者たちと同じようにブラックミュージックにのめり込んで自分たちの形で表現したかった。The SonicsやThe Beatles、The Rolling Stones……どのバンドも大先輩だけど、どこか彼らとロックンロールの同士みたいな感覚でいたんです。

そうやってライブ活動を続けていたらちょうど今の事務所・SEEZ RECORDSの社長の目に留まって、そこで「レコードを作ってみないか?」と声をかけられたんです。でもカバーが多い60年代のガレージバンドが好きだったこともあり、僕らにオリジナル曲が必要だという意識がなかったんですよ。ただCDやレコードを出すにはどうしてもオリジナル曲が必要だという話になって……結局レコーディングすることが決まってからオリジナル曲を作り始めました(笑)。

“鎖国”を経て手に入れた歌唱スタイル

音楽が持つエネルギーを伝えようとしたとき、僕はお客さんが最初に感じ取るのってボーカルのインパクトだと思うんです。まずは声で「何これ?」という異質感を聞き手に感じさせなきゃいけない。例えば初めて曲を聴いてくれた人の感想が「いい曲だね」とか「乗りやすいね」だとしたら、僕にとってはあまり意味がないんです。なぜなら“いい音楽”は世の中にいっぱいあるから。僕は歌い始めた頃、自分の声が持つ日本人臭さみたいなものにコンプレックスを感じていました。そこで憧れのアーティストの声や歌い方を真似て毎朝録音するようにしたんです。 “鎖国時代”の3年間そのトレーニングを続けた結果、自分の歌唱スタイルが自然とできあがりました。録音を始めた日と3年後の録音を聴き比べたら声質が全然変わっていて、自分でもびっくりしました。

僕らが英詞で歌うのには2つの理由があって、まずロックンロール自体がアメリカの音楽なのでやっぱり英詞にこだわりたいというのが1つ。もう1つは、日本には歌詞が素晴らしい音楽がたくさんあるから。それ故に日本人は歌詞の意味をすごく知りたがるし、頭で歌詞を追って曲を聴くのが習慣になっている。日本にはお祭り文化が根付いているけど、お神輿を「わっしょいわっしょい!」って担ぎながら「『わっしょい』ってこういう意味だよな」とか考えている人はいませんよね。たぶんあの瞬間、人は頭で考えずグルーヴに身を任せてるんじゃないかな。僕らはロックンロールでもそれができると信じていて、音楽で体が勝手に動き出すという文化を日本に根付かせたいと思っているんです。

メジャーデビューから10年

僕らは2年間インディーズで活動していたんですけど、その中でロックンロールの衝撃を多くの人に伝えるという目標に1歩ずつ近づいている実感がありました。でも周りのバンドは、自分たちの仲間と一緒にいるのが楽しいみたいな感じで少し閉鎖的だったんです。彼らを否定するわけじゃないけど、それってもったいないと思っていて。普段ロックンロールを聴かない層に僕らの音楽を届けられるなら、その機会は多いほうがいいんじゃないかなって。なのでメジャーから声をかけていただいたときに迷いはなかったですね。

例えば今の若い子たちに「リトル・リチャード、いかがですか?」とストレートに薦めても、まず魅力は伝わらない。でも僕らの音楽を理解してもらえたら、彼の魅力も伝わるかもしれない。ルーツミュージックへの敬愛を持ちつつ、現代の音楽として自分たちが新しいロックンロールを作る。メジャーレーベルに入ってそれをより意識するようになりました。デビューから10年経ちますが、いまだに若者たちが集まるフェスに呼んでいただける。これは僕らの音楽が若い世代に届いている証拠だと思うので本当にうれしいです。これから先何十年も最前線で活動し続けて、ロックンロールの衝動を日本に根付かせていきたいなと思います。

“生みの親”と競演した29歳

The Sonicsとの競演は音楽人生の中で一番うれしかった出来事ですね。もちろん「FUJI ROCK FESTIVAL」出演も、日本武道館に立ったときもうれしかった。でもやっぱり自分たちの生みの親とのツアーは格別でした。最初はあまりにも年齢が離れているので、孫とおじいちゃんが交わるような感覚になるのかなと思ってたんですよ。でも実際に競演したら全然そうじゃなくて、食ってかかるというか、演奏を通じて「負けねえぞ」と言ってくれてる気がした。あとはボーカルのジェリー(・ロスリー)とたくさん話をできたのもいい思い出ですね。いろんな話を聞かせていただいたんですけど、その中で「ROYの歌声にすごく嫉妬してるよ」と言ってくれて。その言葉がエネルギーになって今も歌えているみたいなところはあります。そんな褒め言葉をいただいた僕ですが、肺活量は65歳並みなんですよ(笑)。あり得ないと思ったんですけど、お医者さんが「間違いないです」って(笑)。でも、奇跡ですよね。65歳の肺活量でこれだけ精力的にライブをやれてるのは自分くらいだとポジティブに捉えているので、これからも皆様に奇跡の続きを味わっていただこうと心に決めてます(笑)。

もしThe Sonicsに出会っていなかったらどんな人生だったのかな……。ただバンドのメンバーとは変わらずツルんでると思いますね。みんなで面白いことを提案し合うのが好きなんですよ。自分たちでオリジナルなものを生み出して、それを広めていく、みたいな。それこそThe Sonicsを見つけたときもそうだったし。だから何か面白いことを考えて起業していたかもしれない。オリジナルのおもちゃを開発したり、もしかしたらYouTuberかも(笑)。そういうことを4人でやってるんじゃないかな。

ROY

THE BAWDIESのフロントマン。TAXMAN(G, Vo)、JIM(G)、MARCY(Dr)と共に2004年1月1日にTHE BAWDIESを結成し、リズム&ブルースやロックンロールをルーツにした楽曲と熱いライブパフォーマンスでリスナーの支持を獲得する。2009年4月にメジャー1stアルバム「THIS IS MY STORY」をリリース。2013年1月に4thアルバム「1-2-3」をリリースし、同年2月より横浜アリーナ、大阪城ホール公演を含む59公演の全都道府県ツアーを開催した。2014年1月に結成10周年を迎え、同年3月にカバーアルバム「GOING BACK HOME」を、12月には5thアルバム「Boys!」を発表し、2015年3月には2度目の日本武道館公演を成功に収めた。2019年にデビュー10周年、結成15周年を迎え、11月に7thアルバム「Section #11」をリリースした。12月から全国ツアー「Section #11 Tour」を開催する。

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