アーティストの音楽履歴書 第59回 [バックナンバー]
ゆっきゅんのルーツをたどる
「あの頃の自分として今の私を見てる」今も昔も変わらぬ“歌姫愛”、女性J-POPヘビーリスナーの歴史
2025年10月29日 19:00 7
アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は
取材・
幼稚園で一輪車を漕ぎながらayuを歌ってた
今週は
私の音楽履歴書は、5歳の頃に出会ったayu(
J-POPが叩き込まれたヒットチャート番組
初めて買ったCDは、
土日に、スペースシャワーTVで歌詞付きのヒットチャート番組を観始めたのも同じく7歳の頃。100位までのチャートだから、そこで流行のJ-POPを叩き込まれたと思います。YouTubeがまだない時代で、ミュージックビデオをフルで観る機会ってほとんどなかったから、貴重な番組でした。
je t'aime ★ je t'aime
YUKI「the end of shite」
そうやって、小学生の頃は好きな曲がどんどん増えていく状態。その時点ですでに、女性ソロ歌手が好きというのは決まってましたね。
小6秋に聴いた「ポリリズム」の衝撃
あと、小学校の高学年くらいになったら“歌詞画”にハマった! 歌詞画職人というのがブログやファンサイト、掲示板にいたんですよね。私は
その後、衝撃的な出会いがありました。小6の秋に聴いた「ポリリズム」。それ以前にもPerfumeは曲を出していましたが、岡山の小学生に届いたのはやっぱり「ポリリズム」からでした。「GAME」が中学入学前の春に出て、Perfume以外の中田ヤスタカのプロデュース作品にもどんどんハマっていって、
GAME
当時はYouTubeでMVが観られるようになった頃で、
東京事変 - キラーチューン
相対性理論「LOVEずっきゅん」/ Soutaiseiriron - "LOVE Zukkyun"
亀井絵里ちゃんのパートで世界が変わった
中学に入ったら、吹奏楽を始めました。でも、音楽をやってるというよりは部活としてやってた感じ。チューバをやってました。吹奏楽部に入ったのも姉の影響なんですよ。姉は映画「スウィングガールズ」(2004年公開)世代なのもあって、サックスをやってたんです。姉が出る定期演奏会も幼い頃に観に行ってました。高校に入ってからも、吹奏楽部でしたね。高校には管弦楽部もあって、そっちに出演することもありました。この頃になると、iTunesに曲を取り込むときに、Lyrics masterというフリーソフトを使って歌詞も入れてたんです。歌詞を見ながら音楽を聴きたかったので。こうやって話してると、昔からやっぱり音楽と歌詞がめちゃくちゃ好きですね。毎週、5枚1000円とかでCDをレンタルしてました。
14歳のとき、モーニング娘。に「泣いちゃうかも」でハマったんです。
モーニング娘。 「泣いちゃうかも」
当時はアルバムレビューブログの文化があって、私は音楽レビューも好きでブログをたくさん読んでました。そういうブログの人たちは、安室ちゃんの作品を作ってるT.KURAやMICHICO、Nao'ymtが、
今も昔も「やりたいことをやってみんなを楽しませる」
私は基本的に女性シンガーが好きなんだけど、木村カエラの歌詞画職人がベボベ(
こうやって話してると、私の音楽の趣味ってずっと変わらないし、やってることも変わらないですね。高校生のときも自分はアイドルが好きだって思ってたし、そもそもDIVAはずっと好きすぎてわざわざアイデンティティとして言うまでもないし、みたいな。あとなんか真面目だったんでアイドル戦国時代に「昔のアイドルも聴かなければ」と思って、
高校を卒業して、大学進学を機に上京するんです。岡山にいたときは、私はライブハウスって行ったことがなかったんですよ。ロックにあまり興味がなかったからかな。それで、上京してついにメジャーデビュー直前の
大学時代は、渋谷の宮益坂の歌広場に通う日々。学校帰りだけじゃなくて、空きコマにも行ってました(笑)。昼だと安いしね。でも、なぜかayuと大森靖子と、その後好きになる
DIVA Projectで広がった幅
その後、21歳のときにミスiDに出て、電影と少年CQがメンバー募集をしていたので応募しました。その前からライブなどの活動はしてたんですけど、やれることをやるって感じで、「自分って何なんだ?」っていうか、自分がどこかに所属していないということへの不安があった気がします。だから、何かのメンバーになるというのは、そんなことで安心する自分が恥ずかしく思いつつ、安心感がありました。それまでも、大学で友達と意気投合して「アイドルやらない? やろうやろう~!」ってことはあったんだけど、やる気があるのは自分だけだったりして。それで、「いけないいけない、自分は1人でがんばるんだ」って思ってたからこそ、電影と少年CQをやることになってルアンちゃんに出会えたのはうれしかったんです。
26歳のときにセルフプロデュースでDIVA Projectを始めるわけですが、前年に修士論文を書きながら、どんなことをやろうかなと考え始めていました。いろんなクリエイターの人とやりとりするようにもなって、もっと自分が考えていることを言語で伝達できないとヤバいなと思ったので、音楽の幅を広げて聴くようになった。それまでは、好きなアーティストの新譜を待ってるだけでよかったんですけど、そのあたりからいろんなものに興味を持つようになりました。ボーカルと歌詞中心の聴き方から、サウンドにも注意を向けるようになりましたね。
岡山にいた頃の自分として今の私を見てる
子供の頃から自分が好きなものがどこにもなくて、どこかにないか必死で探していった結果、少しずつでも日本語の歌の中に見つけることができたし、その過程でJ-POPに詳しくなっていったんだと思います。そうやって考えていくと、好きなものはたくさん見つけられたんだけど、実は本当に自分のための歌だと思えるものは10代の頃には結局なかったのかもしれないとも思います。だから、今はそれを自分でやってるのかな。と同時に、“そういう人”にちゃんとなれているのかという観点で、岡山にいた頃の自分として客観的に今の私を見ている気がします。「あのときこんな人がいてくれたらよかった」という痛切な願いのような気持ちが、どこか今の自分に対してあります。自分が自分のままでここまで来れたのは孤独な魂によって作られた芸術があったからで、私がものを作って人に届けるなら、誰かたった1人がその人のままで生きられるようにするためのものでなければ、意味がないんです。
1行余ったので「35才 プロデュース業を開始か」という未来のことも履歴書に書いておきました(笑)。自分はまだ作詞を始めて数年だけど、J-POPの歌詞にもっとよくなってほしいし、小出祐介(Base Ball Bear)さんにそう命じられているんですよ。「ゆっきゅんはたくさん作詞をして影響を与えて、J-POPの歌詞のクオリティを底上げする存在です。任せました」って。それは激励として大げさに言ってくださっているのはわかっているんですけど、35歳になったときにゆっきゅんがグループを作るとなったら、本気の人がたくさん集まるようにしておかなきゃいけないので、そのために今はもっともっと売れたいです。すでに好きでいてくれてる人はもちろんですけど、もっとたくさんの人にゆっきゅんを広げていかなきゃいけない。それに、男の子が歌える感情のバリエーションが少ないと感じていて、もっといろんな表現があっていいと思うんです。2030年くらいには、ゲームチェンジャーが現れるはずなので期待していてください。
こんな履歴書でいいのかな? 「何歳でギターを始める」みたいなのが全然ないんだけど(笑)。女性J-POPヘビーリスナーとしての歴史性が自分の活動の発端なので、それが伝わったらいいなと思います。
ゆっきゅんを作った10曲
ゆっきゅん
1995年、岡山県生まれ。サントラ系アヴァンポップユニット・電影と少年CQのメンバーとして活動し、2021年5月よりセルフプロデュースによるソロプロジェクト・DIVA Projectを展開。でんぱ組.incやWEST.への歌詞提供、映画批評やJ-POP歌姫コラムの執筆など、幅広く活躍している。2025年8月に最新EP「OVER THE AURORA」をリリース。11月には本作を携えて東名阪ツアーを行う。なお、電影と少年CQは2025年12月29日をもって“ハッピーエンド”を迎え、ユニットとしての活動に終止符を打つ。
公演情報
OVER THE AURORA TOUR
2025年11月14日(金)愛知県 Sound Space DIVA
2025年11月15日(土)大阪府 LIVESPACE ODYSSEY
2025年11月19日(水)東京都 UNIT
電影と少年CQ ワンマンライブ「HAPPY END」
2025年12月13日(土)大阪府 グランドサロン十三
2025年12月29日(月)東京都 I'M A SHOW
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ゆっきゅん @guilty_kyun
ナタリーの「アーティストの音楽履歴書」という連載企画でゆっきゅんの音楽ルーツについて詳しく話した記事が公開されました。最後1行空いたので仕方なく未来を書いたらそんな人いなかったと言われました。取材・文はつやちゃんです。読んで広めてください。
https://t.co/ZEfn82WrJE https://t.co/PrxYz8lvWa