陰陽座「吟澪灑舞」インタビュー|覚悟と自負が刻まれたライブアルバムを語る

YouTubeやSNSで手軽にライブ映像を観られる昨今、音源のみのいわゆる「ライブアルバム」はどのように受容されているのだろう。ミュージックビデオをはじめ視覚的な部分も含めたトータルのパッケージで音楽が売り出されがちな現代では、ライブ音源を「ライブ映像の“映像がないバージョン”」と認識している人も多いのではないだろうか。

そんな中、「ライブアルバムはライブDVDやBlu-rayとは意味合いが全然違う」と強く語るのが陰陽座の瞬火(B, Vo)だ。いわく“ライブアルバムをこよなく愛する”という彼は、なぜライブ盤というフォーマットにそこまで惹かれるのだろうか。アルバムツアー「吟澪」から北海道・Zepp Sapporo公演の熱狂を収めた陰陽座の最新ライブアルバム「吟澪灑舞」制作の裏側を含め、聴き手の想像力を音だけで刺激する“ライブ盤”の魅力を思いのままに語ってもらった。

取材・文 / 真貝聡

陰陽座の本質をライブで証明

──陰陽座は去年8月に16枚目となるオリジナルアルバム「吟澪御前」をリリースし、9月に同作を引っさげたツアー「吟澪」を開催されました。ツアー完走後、ボーカルの黒猫さんがInstagramで「ツアータイトルにもなった『吟澪』、そしてアルバム名『吟澪御前』は陰陽座の辿る道と黒猫そのものを表していると兄上(瞬火)から聞いたとき、言葉にできない程の感慨がありました」と書かれていましたね。

はい。そもそも吟ずること、つまり歌うこと、音楽を作ることは、僕らにとって己の道筋を示す行為であり、これまで陰陽座が歩んできた軌跡の証明でもあります。その本質を「吟澪」という造語に託し、1枚の作品として結実させたのが「吟澪御前」です。そして、陰陽座を象徴する「吟澪」を、歌声も含めて全身で表現しているのが、黒猫というボーカリスト。彼女の在り方は「吟澪御前」のジャケットにも表れていますし、アルバム全体を包む空気感にも確かに息づいていると思います。だからこそ、そのアルバムを引っさげてのツアーにタイトルを付けるとなると、シンプルに「吟澪」という言葉に尽きると。音源で提示した陰陽座の本質をライブで証明する──その覚悟と自負を込めて、この名を冠しました。

瞬火(B, Vo)

瞬火(B, Vo)

──全国7カ所で開催された「吟澪」は、どんなツアーになりましたか?

初めて「吟澪御前」の曲をライブで演奏することになるので、いい意味での緊張感や新鮮さを感じながらステージに立ちましたね。ツアー初日のKT Zepp Yokohama公演が、やはり一番緊張感があったと思います。ただ、その後も気が緩むことは一切なく、「吟澪御前」という作品を「いい形で顕現させていく」という意志がみなぎったステージを全うできたと思います。各会場、余すところなく「アルバムの曲たちを今、このステージに出現させるのだ」という確固たる気持ちで演奏できましたし、黒猫も「最後まで『吟澪』の名にふさわしいパフォーマンスをやり切れた」と感じています。陰陽座では基本的に全会場で音源収録をしていますので、どの公演を音源化してもよかったんですが、ツアーに懸けた思いが最高の形で結実した千秋楽の模様を作品にするのがふさわしいだろうと判断し、3月18日にZepp Sapporo公演の模様を収録したライブアルバム「吟澪灑舞」をリリースする運びとなりました。

──「吟澪灑舞」のタイトルには、どんな意味を込めましたか?

ライブ作品のタイトルに「舞」を付けるのは、陰陽座の慣例なんですが、一方で、今回使っている「灑」という字には“清める”という意味があって。「吟澪御前」という作品を通してさまざまなことにまつわる穢れを掃き清めるようなライブ、というニュアンスを込めたタイトルになっています。

ライブアルバムでしか摂取できない“栄養”がある

──陰陽座はこれまでに多くのライブ映像をリリースされていますが、あえてライブアルバムという形を選ばれたのは、どのような思いからでしょうか?

まず、前作「龍凰童子」のときも今回の「吟澪御前」のときも、アルバムのツアーを映像作品としてリリースする話は出ていたんです。何事もなければ映像作品が出ていたかもしれませんが、「龍凰童子」のツアーではメンバーの体調面などを考慮して見合わせることになり、今回の「吟澪」においても、広義には同じく体調面の問題があって、黒猫が慣れないウィッグを着けてステージに出ることを余儀なくされた。映像作品を撮るには多くの撮影クルーが関わりますので、撮ってはみたものの思っていた画にならないから出すのはやめる、というのは非常に難しいんです。だから大事を取って収録を見送りました。

──つまり黒猫さんの体調面を考えると、確実に映像化できるという保証がなかったと。

そうです。体調面も含めて、普段とは違うパフォーマンスになるかもしれない。でもライブは絶対にやり遂げたい。そういう中で「とりあえず映像を撮ろう」というリスクを冒すことは僕の責任としてできないと判断したということです。そういう理由でツアー「吟澪」は映像化の機会を逃したわけですが、音はしっかり収録できていたので、「だったらせめてライブアルバムとして届けよう」とバンドとレーベルの意向が一致し、リリースすることになりました。

「陰陽座ツアー2025『吟澪』」の様子。(撮影:小松陽祐)

「陰陽座ツアー2025『吟澪』」の様子。(撮影:小松陽祐)

──そういう事情があったんですね。個人的には、ライブアルバムという形だからこそ、目を閉じて1つひとつの演奏や歌に集中できました。音だけを手がかりに会場の熱気や空気を思い描く体験は、映像作品とはまた違った魅力があるように感じます。

ありがとうございます。それ、太字にしてほしいです。やっぱりね、映像ってそりゃあいいものですよ。演奏している姿を観ることで、ライブを実際に観ることの代替行為になりますから。現場に足を運んでいなくても、その場で観たような感覚になれるのは、ライブ映像の大きな醍醐味だと思います。特に今の時代は普通のスタジオ音源でもミュージックビデオのように“画”がないと、自分たちの音楽を広めにくい。ライブも同じで「この人たちのステージはすごい」とSNSで拡散されるとき、そこに画がないことはまずあり得ないですよね。必ず映像があって「すごいね」「カッコいいね」と共有されていくわけだから。ただ、これは決して懐古主義というわけではないですが、自分が若かった頃を思い返すと、好きなバンドを映像で観られる機会は本当に限られていました。だからこそ、音源を繰り返し聴きながら想像を膨らませていた。ところが今は「画がないと話にならない」という状況になっていて。ファンの中には「映像じゃないのかよ」と思う方がいらっしゃると思うんですけど、僕の中でライブアルバムはライブDVDやBlu-rayとは意味合いが全然違うんですよ。

──わかります。単に「映像が付いていない」ということではないんですよね。

そうなんです。僕はライブ映像も好きですけど、それ以上にライブアルバムをこよなく愛している。気になっているバンドやアーティストの場合、ライブ映像は「まあ、あったら観ようかな」くらいの感覚ですけど、ライブアルバムが出ていたら必ず買ってしまうんです。とにかく音で聴きたいんですよね。先ほどおっしゃられたように、目を閉じて、音を聴いた自分の感覚だけを頼りにライブを脳内に映写して、音しかないことによる没入感を堪能する。画があればテレビを観ているような気分で、ある意味漠然とその様子を観てしまうけど、CDは音に集中するほかない。僕自身、好きなバンドのライブアルバムをむさぼるように聴いてきました。特にハードロックやヘヴィメタルはそうかもしれませんが、ライブ盤にこそ歴史に残る名盤があったりする。スタジオ盤やライブ映像とも違う、ライブアルバムでしか摂取できない“栄養”があるんですよ。だからこそ、その魅力を堪能していただけたと聞いて、改めて「作れてよかった」と思いました。

招鬼(G)

招鬼(G)

──陰陽座の生々しい演奏と歌はもちろん、式神(陰陽座ファンの呼称)の、湯気が立ちのぼるような熱気に満ちた声援まで克明に収められているのが素晴らしいと感じました。

そうですね。そこがライブアルバムの大きな魅力の1つだと思います。ただ、ライブアルバムとひと口に言ってもその音像は実にさまざまで。声援が前面に出ていて「バンドの音が聞こえづらい」とさえ感じるようなものもあれば、あえて控えめにして演奏にフォーカスしている作品もある。バンドの演奏に豊かな会場のアンビエントを加えて、会場の規模感や空間の広がりを演出しているものもあれば、逆に「PA卓に入ってきた音をそのまま落としました」というような、反響の少ない生々しさを重視したものもある。スタイルは違っても共通しているのは、どんな形であれお客さんの熱気が封じ込められていること。「今、ここで演奏が繰り広げられている」という興奮が注入されているんです。僕は、作品として安心して聴けるクオリティを保ちながら、なおかつライブの熱をしっかり感じられるものこそがいいライブ盤だと思っていて。まさに本作は、そういう1枚になっていると思います。