石川さゆりの音楽履歴書。

アーティストの音楽履歴書 第56回 [バックナンバー]

石川さゆりのルーツをたどる

心赴くままに音楽と生きてきた──歌手生活53年、研ぎ続ける感性

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アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は歌手生活53年の中で数々のヒット曲を送り出し、世代やジャンルを超えてさまざまなアーティストとのコラボレーションも積極的に展開している石川さゆりの音楽遍歴に迫った。

取材・/ 秦野邦彦

島倉千代子さんのステージの衝撃

熊本で生まれた私は、小さい頃から音楽に囲まれて育ちました。と言っても決してクラシックのように高尚なものではありません。母が保母さんだったものですから、家に童謡のアルバムがたくさんあって、自宅でオルガンを弾いたり、レコードをかけたりしていたんです。今でもよく覚えているのは「かにのきかんしゃ」。「かにの きっかんしゃが はしります~」っていう、かわいい歌です。祖母も歌好きで「船頭小唄」や田端義夫さんのレコードを持っていました。そういう大人たちが聴いているものを私も一緒に聴いていた感じです。

2歳の頃、母と。

2歳の頃、母と。

七五三の記念写真。

七五三の記念写真。

私の家はバス停の前にあって、バスの切符やタバコを販売するお店だったんです。おばあちゃんが店番をしてるとき、3つ4つの私を膝の上に座らせて、バスを待つ人が並んでくると、「歌ってごらんなさい」と促されるまま、島倉千代子さんの「恋しているんだもん」とかを歌っていたそうです。小さい私が窓口に立つと、ちょうど外からテレビのブラウン管のように見えたそうです。私はあまり覚えてないんですけれども、時代を感じますね。今はもう田舎に行ってもバスの切符を売ってるところはないですもんね。

5歳の石川さゆり。

5歳の石川さゆり。

最初に歌手という存在を意識したのは、島倉千代子さんでした。母が島倉さんのことが大好きで、熊本の水前寺体育館に公演でいらっしゃったとき、まだ5歳とか6歳の私を連れて島倉さんのショーを観に行ったんです。当時は映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で描かれたように、世の中が今みたいにカラフルではないし、照明も60ワットの電球です。そんな中で大きな音で音楽が流れて、ステージがライトで青くなったり赤くなったりしたもんだから「すごい! こんな世界があるんだ」と、幼い私には衝撃的だったんでしょうね。そのとき、島倉さんが私の新曲ですって「ほれているのに」を歌われたんです。「ボンボンボン、ボンボンボン、ボンボンボン、チャチャチャ」というフレーズを「お客様も覚えて一緒に歌ってください」って。今で言うコール&レスポンスみたいな感じですよね。

中学3年生で歌手デビュー「“雑多聴き”して楽しまなきゃ」

幼稚園からピアノのお稽古に通っていたこともあって、小学校の音楽の時間に先生から「絹代ちゃん(本名)、弾いて」と言われて、みんなが歌う伴奏を私が弾いていた時期がありました。あれは今思うと先生が楽をしたかったのかな?(笑) 小学生低学年の頃、大人になったら何になりたいかを1人ずつ発表する時間がありました。私は歌が大好きだったので本当は「歌手になりたいです」と言いたかったけど、九州・熊本という田舎にいて何を寝ぼけたことを言ってるの?と言われそうだから「音楽の仕事をしたいです」と答えてました。「ピアノを弾いたり」とか、ちっちゃな嘘をつきました(笑)。

10歳頃、弟と一緒に。

10歳頃、弟と一緒に。

ところが小学5年生のとき、父の仕事の都合で横浜に引っ越してくると、芸能界は雲の上ほどまでは離れていなかったんですね。同じ学校に通ってる子が「劇団ひまわりを受けてみた」と話していたと思えば、テレビのコマーシャルに出ていたり。そうすると「私も歌手になれるかもしれない」と、うっすら思うようになって、中学1年生から歌の稽古に通い始めました。その頃、オリビア・ハッセーさん主演の映画「ロミオとジュリエット」(1968年)のサントラ盤を買ったことも思い出深いです。初めて親と一緒ではなく友達同士で映画館に観に行った作品です。

私は中学3年生からこの世界に入ったので、仕事で聴く音楽と好きな音楽を区別することなく両方相まって出会ってきました。昭和を代表する作曲家、古賀政男先生、服部良一先生のメロディも「これを歌ってみなさい」「これを今度の番組で歌います」と言われて一生懸命覚えました。当時のテレビの歌番組は「流行歌」「歌謡曲」とひとくくりで、ジャンルを問わず皆さん同じ番組に出てらしたんです。和製ポップスもあれば、三橋美智也さんのような民謡もある。歌謡曲と浪曲がドッキングした「歌謡浪曲」というものもありました。当時歌っていらしたのは天津羽衣さん、二葉百合子さん、三波春夫さん、村田英雄さんです。フルオーケストラが鳴ったかと思うと、突然テケテンテンテンと三味線が入ってきて、歌いだすと再びジャララララ~っと音楽が鳴る。すごいな、“1人ミュージカル”みたいだなって。新鮮でカッコいいと思ったので、二葉百合子さんのところにお稽古に伺ったこともあります。「これが日本の音楽なんだ、“雑多聴き”して楽しまなきゃもったいないな」と思いました。

14歳、芸能界デビューしたての頃。

14歳、芸能界デビューしたての頃。

15歳、雑誌の撮影にて。

15歳、雑誌の撮影にて。

そして19歳くらいのときに「津軽海峡・冬景色」と出会い、その後も「能登半島」「沈丁花」など、いろんな歌をいただきながら、1980年代に向かっていきます。この頃に「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」(1956年から毎年開催されているヨーロッパの国々から選ばれたミュージシャンたちが優勝を争う音楽祭)を観に行かせてもらったことも強く印象に残っています。デビューしたばかりのAbbaが優勝(1974年大会)して世界に羽ばたいていった由緒ある大会でヨーロッパのアーティストの生の音を聴いて、ああ、すごいなあと感動しました。

19歳、「津軽海峡・冬景色」を発表した頃。

19歳、「津軽海峡・冬景色」を発表した頃。

20世紀の音楽を後世へ、そして日本の音楽を世界へ

1990年代は世紀の変わり目を強く意識した10年でした。私は世紀末の10年を使って、20世紀に先輩方が作ってきた日本の歌謡曲を毎年1枚ずつアルバムにまとめる「二十世紀の名曲たち」というアルバムを企画しました。1つのテーマで10年続けるなんて国土計画みたいな話ですけど(笑)、どうしてもやりたかったんです。20世紀に生まれた先生方は、今ならもしかするとこんなふうにアレンジしたかったんじゃないかな?という思いもオマージュしながら。1991年から2000年まで、結果的にレコード会社は3つ(第1~2集がコロムビア、第3~9集がポニーキャニオン、第10集がテイチク)にわたってしまったんですけれども、いろんな皆さんの協力をいただきながら、10年で111曲。最後の111曲目に自分の「津軽海峡・冬景色」を収めさせていただいて、この企画を完結させたんです。

「二十世紀の名曲たち」ジャケット

「二十世紀の名曲たち」ジャケット

「二十世紀の名曲たち」が完結したとき、また別の切り口で日本の音楽をまとめてみたいという思いが湧いてきました。というのも私は昭和の最後に「童 ~Warashi~」(1988年7月リリース)というアルバムを作っていたんです。童謡って音楽業界的にあまり丁寧に扱ってもらってない印象があって、アレンジもシンプルなものが多いんですね。でも、私は母が保母さんだったから馴染み深いこともあって、もっと子供たちにいい音楽で童謡を届けたい、大人が聴いてもこんなに素敵な音楽なんだって伝えられないかなと思ったんです。

そのとき、私の中で童謡が「童」なら、人々の生活の中から生まれた民謡を「民」、お座敷で生まれた小唄・端唄・都々逸を「粋」と題して、それぞれアルバムにまとめたい、そしてその3枚がそろったところで「JAPAN」というタイトルで日本の音楽を世界に届けられたら、と考えていたんです。正直、レコード会社的にはあまり商売になるアルバムには聞こえなかったようで、すぐには乗ってくださらなかったんですけれども、その間も私は少しずつ楽曲探しを続けていました。

それから30年の時を経て、平成の最後に「民 ~Tami~」(2019年3月リリース)を出すことができました。また、令和になるとすぐに東京オリンピックが開催されるということで、これは早く「粋」まで作って「JAPAN」を完成させて、日本に来た海外の方に「日本にはこんな素敵な音楽があるんです」と聴いていただきたいと思いました。残念ながらコロナ禍でオリンピックは思っていたようにいきませんでしたが、おかげさまでアルバム「粋 ~Iki~」(2020年2月リリース)は完成させることができました。

「JAPAN」ジャケット

「JAPAN」ジャケット

世代もジャンルも越えたコラボシリーズの約束事

何かが終わると、また私の中でやってみたいことが浮かび上がってきます。その1つが瞽女(ごぜ)音楽。瞽女さん(室町時代から昭和存在した、三味線を弾いて唄や語りを披露する盲目の女性旅芸人)のことを歌にして現代の皆さんにお伝えすることができたらいいなと思って「越後瞽女」(2023年10月リリース)という歌を作りました。そして「弥栄ヤッサイ」(2025年3月リリース)は、震災で被災された能登の皆さんに、祭りの掛け声で日本中のみんなが心をつないで元気になればいいなという思いを込めて届けた曲です。カップリングの「棉の花」は、明治の中頃まで盛んだった河内木綿(大阪・河内地方で栽培された綿から糸を紡いで手織りされた木綿)を歌った曲。外国から綿が輸入されるようになり、河内の綿産業は衰退してしまったんです。だけど、そこで一生懸命生きた人たちのことを歌と音楽で後世に伝えていきたいと思い、歌にしました。50年を超えて歌わせていただいた皆さんへの「ありがとう」を込めて、今は活動しています。

こんな話を各所でしていると、思いを同じくする方たちとなぜかつながっていくんです。アルバム「粋~Iki~」に収録した「火事と喧嘩は江戸の華」という曲を作るときも、プロデューサーの亀田誠治さんに私が「タイムスリップしたいのよね」ってむちゃくちゃなこと言いまして(笑)。「東京と江戸は同じ地面で、往来があって今と同じように仕事をしたり、遊んだり、人々が行き交っていたわけです。いきなり小歌から始まるんじゃなく、スタートは今なんですということを示したいからラップから入っていきたいんです」と説明したら、亀田さんも「じゃあ、ラップ担当はKREVAだね。もう1人、やんちゃなギタリスト、MIYAVIにも参加してもらいましょう」という感じで、お仲間がどんどん膨らんでいきました。

現在4作までシリーズ化している「X -Cross-」というアルバムの第1作(2012年9月リリース)では、岸田繁くるり)さん、宮沢和史THE BOOM)さん、奥田民生さんといった方々とコラボレーションさせていただきました。きっかけはそれまで私の歌を書いてくださった先生方とのお別れ──阿久悠先生も吉岡治先生も、皆さんいなくなってしまいました。長く歌わせていただくことは幸せだけど、こういう悲しいこともあるんだと思いました。でも、また新しい音楽家たちがいっぱい生まれているわけです。これから自分が歌を作っていくには、そういう素敵な音楽家の皆さんと一緒に新しいものを作っていかなきゃいけない。

なので「X -Cross-」は「絶対に私に寄せないでくださいね。お互いの音楽が重なったとき、どんな化学反応が起きるのかを楽しむアルバムにしましょう」というのがお約束事なんです。だって、当て書きになってしまうとつまらないじゃないですか? 私自身も「これはどう取り組んだらいいの?」とか「どういうふうに自分がこの中に溶けてったらいいの?」と悩むこともあるんです。だけど仲間と出会って、今まで聴いたことのない新しい音楽が生まれる。これが一番素敵なことだから、私は好奇心旺盛にいろんな音楽を聴きに行きます。大晦日の「紅白歌合戦」なんて、出演される皆さんが自分の1年に対して一番いいパフォーマンスをなさる場所なので、素敵だなと思いながら拝見して、お話する機会があれば、いつか何か一緒にできたらいいですねとお伝えしています。

音楽は社会と切っても切り離せない

海外の音楽ではアメリカのブルースも好きで、エタ・ジェイムスとかをよく聴きます。昨年出した私のシングル「とこしえの旅」(2024年6月リリース)のカップリング「朝日楼」は、2年前にヴィム・ヴェンダース監督がお作りになった、役所広司さん主演の映画「PERFECT DAYS」でアメリカ民謡「朝日のあたる家(House of the Rising Sun)」を歌ったことがきっかけで生まれました。当初いただいた「PERFECT DAYS」の撮影日程が私の50周年リサイタルの1週間ぐらい前で、リハもやっている中で全然時間がなかったんですけど、「1日2日でもいいから、よかったら参加してこの曲を歌ってくれませんか?」って。それで居酒屋の女将役を演じさせていただきました。監督からいただいたのは浅川マキさんの訳詞で、歌い出しは「あたしが着いたのは ニューオーリンズの 朝日楼という名の女郎屋だった」。ああ、こんな素敵な歌があるんだなって。

実はこのたびドキュメンタリーのお仕事をいただきまして、ニューオリンズに行くんです。ニューオリンズといえばジャズ発祥の地であり、ゴスペル、ブルースも盛んな街。そういう人々が生活する中で音楽が生まれた場所を訪ねてみませんかと誘われて、すぐ「行きます!」と手を挙げました(笑)。いつもの好奇心でその土地の空気を吸いながら音楽を聴いたときに私が何を感じているかを皆さんに楽しんでいただけるのであれば、ぜひ行きたいですって。

今から20年前の2005年、ハリケーンであの街が大きな被害に遭ったときは、報道を見て心を痛めていました。そして、いつか行ってみたいと思っていました。1つの人種ではなく、肌の色も階級も超えて生まれた音楽がある。日本でも親しまれてきた音楽の原点を見せていただけるのは、すごく幸せなことだなと思います。あとは、現地で感じたことをあるがままに伝えることが、ここから先のとても大切な私の役割。トランプ政権で時代が移り変わろうとしてるときに、何があの街に起きているのか、しっかり見てくるつもりです。音楽は楽しむだけではなく、社会と切っても切り離せないものです。生きることは地球上で起きるいろんなことを面白がったり、危機感を感じたり、ドキドキすること──これは音楽をやる者として、とても大切なことだと思います。

ちょっと話は変わりますが、お葬式に参列したとき、お坊さんが朗々と経典を唱える「声明(しょうみょう)」ってありますよね。あれを聴くたびに「いい声してるなあ」って思うんです。「このメロディ、不思議だなあ」とも。それも音楽なんです。死者を送るための。決して高尚なものでもなんでもなく、どこにでもあるものなんです。例えば、輪ゴムをビヨーンって弾いた音1つでも「すごくいい音してる!」とかね(笑)。それが私の音楽を感じる感覚。心赴くままに音楽と生きてきた──別にカッコいい言い方じゃなく、本当にそれくらいの感じなんです。

ニューヨークに行っても、動物的な勘で「ここ面白そう!」と思えば、初めてのライブハウスでも平気で入っちゃいます。向こうの演者さんは日本みたいにかしこまる感じじゃなく「君たちはとってもハッピーだよ。今日、僕と会えたからね」みたいな軽いトークからなんとなく音楽が始まり、気の向くままに「じゃあ、次はこんな歌を」って演奏するんです。そういうのを観るたび、ああ、素敵だな。起承転結を決めなければいけないものでもないんだ、と思うんです。もちろん計算されたエンタテインメントも素晴らしいんですけれども。

コロナ禍で再認識「音楽は自由」

今、私はフルセットの大きなステージと、少人数のアコースティックライブの2つをやってます。アコースティックライブは日によって「この曲はチェロと私だけでやります。ほかのみんなはお休みしててください」とか自由にやってますけど、それもコロナ禍で生まれたものでした。思うように仕事ができない中、「どうする? いつ終わるかわからないけど待つ?」「いや、なんかやりたい。やろうよ」って。演者が大人数だと会場を貸してくれないと言うから、3、4人だったらオッケーかなって言いながら、おそるおそる私の家に集まって、最初はピアノの方、次にギターの方、それでちょっとチェロも使ってみようかって、アコースティック編成を作っていきました。

アコースティックライブの様子。

アコースティックライブの様子。

それを「お家でライブ」と題してYouTubeで配信したところ「フルセットのショーも迫力あって楽しいけど、少人数のアコースティックも面白い」という声をたくさんいただいたんです。今はギターとピアノを主軸に、チェロとバイオリンを入れたAチーム、サックスやフルートなどのリード楽器とウッドベースを入れたBチームの2チームを作って全国を回っています。このライブもすごく楽しいです。コロナ禍は大変なこともたくさんあったけど、それだけでなく「音楽は自由なんだ」ということを改めて感じることができた時期でもありました。ダメって言われたら、じゃあダメじゃない何かを見つけよう。そういう意味では、どこかニューオリンズの音楽家たちの精神とも似たものがあったかなという気もします。そんな感じで、これからまたいい出会いが生まれる予感にワクワクしているところです。

石川さゆり(イシカワサユリ)

熊本県出身、1月30日生まれ。1973年3月にシングル「かくれんぼ」で歌手デビュー。「第19回日本レコード大賞」歌唱賞を獲得した「津軽海峡・冬景色」など数々のヒット曲を送り出す。そのほか「文化庁芸術祭、芸術選奨・大衆芸能部門文部科学大臣賞」「紫綬褒章」の受章を果たすなど、名実ともに日本の歌謡界を牽引。活動は多岐にわたり、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公・明智光秀の母、牧役を好演するほか、2023年公開のヴィム・ヴェンダース監督映画「PERFECT DAYS」にも出演した。「NHK紅白歌合戦」出場回数は紅組最多の47回。2025年3月に最新シングル「弥栄ヤッサイ」を発売した。

公演情報

2025年6月1日(日)栃木県 とちぎ岩下の新生姜ホール(栃木文化会館)
2025年6月22日(日)兵庫県 相生市文化会館扶桑電通なぎさホール
2025年6月28日(土)新潟県 上越文化会館
2025年7月5日(土)神奈川県 小田原三の丸ホール
2025年7月23日(水)石川県 石川県立音楽堂
2025年8月24日(日)大阪府 フェスティバルホール
2025年8月30日(土)滋賀県 守山市民ホール
2025年9月9日(火)東京都 J:COMホール八王子
2025年9月27日(土)愛知県 パティオ池鯉鮒(知立市文化会館)
2025年10月11日(土)群馬県 太田市民会館
2025年10月31日(金)東京都 江東公会堂(ティアラこうとう)
2026年2月1日(日)静岡県 磐田市民文化会館「かたりあ」

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さゆなみ@桜🌸6歳になりました @sayurin1952223

さゆりさん直筆の履歴書嬉しい♥️達筆な中にも可愛さがある文字♡https://t.co/vfGSf7kDYn

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