コラボレーションベストアルバム「浮き名」のリリースから13年── “自作自演の音楽家”である椎名林檎が、自作曲を封印するという“禁じ手”を繰り出した。「浮き名」の系譜を継ぐニューアルバム「禁じ手」には、他アーティストへの客演やプロデューサーとの共作楽曲のみが収録されている。
音楽ナタリーでは伊澤一葉、ꉈꀧ꒒꒒ꁄꍈꍈꀧ꒦ꉈ ꉣꅔꎡꅔꁕꁄ(millennium parade)、加藤ミリヤとの既発曲に加え、新たに生み出された向井秀徳、BIGYUKI、三宅純、伊秩弘将との共作曲が収められた本作をレビュー形式で紹介。男性への当て書きだった2019年5月発売のアルバム「三毒史」、7人の歌姫たちを迎えた2024年5月発売のアルバム「放生会」を経て、椎名が繰り出した「禁じ手」を解き明かす。
取材・文 / 永堀アツオ
「禁じ手」の発端
デビュー15周年イヤーの2013年11月に発表した「浮き名」には、デビュー年の1998年から2013年までの15年間にわたって客演してきた楽曲から、彼女自身が選曲した14曲に、新曲と新録を1曲ずつ加えた全16曲が収録されていた。ZAZEN BOYSやMO'SOME TONEBENDER、谷口崇といった福岡時代の先輩たちをはじめ、アメリカンポップスの巨匠であるバート・バカラックや冨田ラボ、中田ヤスタカ、TOWA TEI、マボロシ、SOIL&"PIMP"SESSIONS、レキシ、浅井健一といった、ジャンルと国境を横断した男性アーティストが参加していた。
ニューアルバム「禁じ手」の制作の発端となったのは、King Gnuの常田大希を中心としたクリエイティブ集団・ꉈꀧ꒒꒒ꁄꍈꍈꀧ꒦ꉈ ꉣꅔꎡꅔꁕꁄ(millennium parade)との刺激に満ちたコラボレーションだろう。King Gnuの始動は2017年だが、椎名は常田がまだ東京藝術大学の学生だった頃に彼が参加したギグに伺い、そこで知り合っているという。もしかしたら、その場には常田の同級生だった石若駿(Answer to Remember)や江﨑文武(WONK)もいたかもしれない。血気盛んな若きジャズメンたちの血がたぎるようなセッションに注意深く耳を澄ましている椎名(できれば大きめのサングラスをかけて、16cmのピンヒールを履いていてほしい)という景色を想像するだけで胸が躍る。のちに、それぞれが日本のポップスシーンに風穴を開けることになるのはすでに周知の通りだが、常田が残したコメントによると、椎名とは「2019年ごろから目的無くユル~く一緒に曲を作りはじめて」おり、時を経て、2023年にテレビアニメ「地獄楽」のオープニング主題歌のオファーを受けたことを契機に、常田から椎名へ正式なコラボレーションを依頼。常田が作曲し、2人で歌詞を共作した、世間的には初タッグとなる「W●RK」を書き下ろし、「2〇45」をカップリングにしたシングルを2023年5月にリリースした。
児玉裕一監督が手がけた「W●RK」のミュージックビデオではトラメガが印象的なアイテムとなっており、労働による汗の匂いが香る。millennium paradeのメンバー全員が初めて実写で登場したことに加え、日本刀でベンツを真っ二つに切り裂くという「罪と罰」のオマージュでも大きな話題を集めた。もう一方の「2〇45」は以前から共作していた曲だろうか。前者が「血と骨と肉」を切り裂くパンキッシュなミクスチャーロックだとしたら、「アフター・シンギュラリティ」という副題がついた後者は、英語歌詞による美しくも物悲しいエレクトロポップで、ボーカルにオートチューンがかかっている。身体とAIという対比は、アニメーション「攻殻機動隊 SAC 2045」の主題歌を務めた常田だけに、2024年に開催されたアリーナツアー「(生)林檎博'24 -景気の回復-」で2045年の荒廃した世界(アンドロイドとなった椎名の首が落ちるという衝撃的すぎる結末のエンドロールで「2〇45」を使用)を描いたそれぞれのソロワークとも密接に通じている。
新たに生まれた「覚め醒め」と「秘め初め」
アリーナツアー「(生)林檎博'24 -景気の回復-」で初披露されたのが、伊澤一葉のバンド・あっぱの原曲を起源に椎名が新たに言葉を紡ぎ、トロンボーン奏者の村田陽一が再構築した人間讃歌「芒に月」。原曲のタイトルは現在差別用語と見なされるようになった移動民族名で、ジャンゴや「鬼平犯科帳」のテーマソングを思い浮かべていただければわかると思う。バンドに管弦楽団を加えた総勢30名による演奏は、にぎやかで活気にあふれている。ミュージカルのようなストーリーを感じる構成の中心には、床を踏み鳴らしてリズムを奏でる(体の動きや顔の表情まで見えるような)タップダンサーの熊谷和徳がいる。“あなた”のますますの発展を願って終わり、彼岸と此岸の境目で見る夢のようなムードも漂う「芒に月」は、昨年6月から7月にかけてオンエアされたNHK土曜ドラマ「ひとりでしにたい」の主題歌に使用されることになり、椎名が作詞、伊澤が作編曲した新曲「松に鶴」をカップリングにしたシングルとして、2025年6月にリリースされた。花札的には、相手に思いを伝えるという意味もある「芒に月」の「ちゅ」から「ちぇ」へ。「松に鶴」はサンバホイッスルが鳴り響くスペイン語歌唱による速いパッセージのジャズサンバで、長生きするには嫉妬も必要かも、なんて思いながらサンバのステップを踏んでみたりする。
さらに2024年10月には加藤ミリヤ×椎名林檎名義でコラボレーション楽曲「愛楽」をリリースした。ミリヤはかねてから椎名へのリスペクトを示しており、2020年11月にリリースしたカバーアルバム「COVERS -WOMAN & MAN-」では「本能」をカバー。筆者は以前、彼女から「世界的に流行っていたR&Bやヒップホップを聴いていたけど、小学生の時に『自分で曲を書いて自分で歌う』という選択肢を初めて教えてくれた女性アーティストは宇多田ヒカルさんと椎名林檎さん」と聞いたことがある。「自分で作るという手段を教えてくれたことは大きかった。女性が自分で強いメッセージを発してるという点に憧れたんです。私のように自分で曲を書いて自分で歌ってる歌手にとっては、1つのロールモデルのような存在になっていた」とまで言っており、子を育てる母親という共通点も加わった彼女にとっては、自身のデビュー20周年で叶った念願のコラボだっただろう。作詞はミリヤ、作曲はChaki Zulu、T.Kura、ミリヤのコライトで、椎名はボーカルに専念。16歳より歩み始めたアーティスト人生から学び、経験したことを心から信じ、愛しているんだという思いを込めた「愛楽」では、椎名をスリリングでトリッキーなR&Bの世界へと誘っている。MVがマッチョだった理由が謎だったが、どうやら2人は2014年頃から同じスポーツジムに通う筋肉仲間らしい。
常田、ミリヤに続き、椎名がニューヨークの音楽シーンで活躍するピアニストでプロデューサーのBIGYUKIを知ったのも2014年だったそうだ。直接会ったのは、彼が日本での1stアルバム「リーチング・フォー・ケイローン」をリリースした2017年。椎名がブルーノート東京にBIGYUKI出演のライブを観に行き、声をかけたことを契機に、彼は2023年5月にリリースされた椎名の17枚目のシングル「私は猫の目」のセッションに参加した。同作のカップリング曲「さらば純情」は、椎名のプログラミングにBIGYUKIがドラムを含むあらゆるプレイを加えたトラックとなっていた。そして本作には、ロンドンから宇宙と交信する視点で始まるフューチャリスティックなエレクトロ「覚め醒め」とアコースティックなジャズのピアノトリオ~テクノミュージック~ラテンのフレイバーが白昼夢のように交錯する「秘め初め」の2曲をアルバム用の新曲として収録。生楽器と電子音、肉体と精神、リアルとバーチャル、男と女といった、一般的に相対しているものと考えられている要素が混じり合い、反復する中ではっきりとしたエモーションが浮かび上がってくるのだが、そんな難しいことは考えずに、SNSのDMを通して知り合った大人の男女が現実で初めての逢瀬を交わした際の女性側の心情、デジタル時代特有のもどかしさを思い浮かべながら聴いてほしい。ちなみに、女性のほうはラペルラの小さなブラジリアンショーツにウォルフォードのバックシーム入りストッキング、マノロブラニクの華奢なピンヒールを履いている。
こうして振り返ってみると、椎名にとって「浮き名」をリリースした2013年の15周年イヤーを終え、「NIPPON」や「ありあまる富」を収録した5枚目のアルバムをリリースし、アリーナツアー「林檎博'14 -年女の逆襲-」を開催した2014年は新たな出会いに満ちた年だったのではないだろうか。
禁じ手の中心にそびえ立つ「SI・GE・KI」
「ファンと公言した」という音楽プロデューサーの伊秩弘将から椎名林檎へと曲が送られてきたのは、今から10年前くらいのことだそう。2017年に椎名林檎が主題歌「おとなの掟」を手がけたドラマ「カルテット」で伊秩がプロデュースしたSPEEDの「White Love」がカラオケで歌われるシーンがあったが、椎名もこのマイナー調のメロディラインが好きなのかもしれない。しかしながら、本作に収録された英語歌詞による新曲「苦渋」は、全11曲の中で最もヘヴィでラウド、さらに攻撃性も帯びたバンドサウンドによるオルタナティブロックとなっているのが面白い。
シンメトリーに配置された全11曲の真ん中で、そびえ立つ山々の頂に位置しているのが向井秀徳との共作「SI・GE・KI」である。向井と椎名はメジャーデビュー前、福岡で向井がNUMBER GIRLとして活動していた時代からの付き合いだ。2004年にはZAZEN BOYSの楽曲「安眠棒」に椎名がコーラスで参加。2005年にはフジテレビの音楽番組「僕らの音楽」に出演し、ZAZEN BOYSの「KIMOCHI」を2人で演奏した。歴史的な名演と称された翌年の「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2006」では、ZAZEN BOYSが出演した際に椎名をゲストボーカルとして迎え、2013年の「浮き名」では「CRAZY DAYS CRAZY FEELING」「You make me feel so bad」の2曲でコラボ。向井は「浮き名」と「禁じ手」の両作に参加している唯一のアーティストだ。「SI・GE・KI」はZAZEN BOYSが2004年に発表した楽曲で、実に20年後となる2025年9月に福井県で開催されたライブイベント「ONE PARK FESTIVAL 2025」で椎名がカバーしたステージに向井も合流。「10年ぶりの共演」と話題を集めたが、この楽曲には世間に知られていない逸話が残されている。
椎名によると、2003年の初夏に喉の手術で入院していた(当時、初の日本武道館公演を控えていた)際に見舞いに来た向井が最新トラックを聴かせてくれたのだという。そして「『唄っちゃらんね』と言ってくださったものの、ご本人の仮唄があまりにカッコよいため、『この向井くんのテイクばそのまんま発表しんしゃい』と答えた」のだそう。以降、ZAZEN BOYSを象徴するアンセムとなっているが、「突然、有り得たかもしれない別な未来を見たくなった」という椎名が前述の福井のフェスで向井と演奏したところ、「もう一度、聴きたい」というたくさんの声が寄せられ、実に22年の時を経て、初めてスタジオ録音されたという経緯がある。2004年の向井秀徳と、2025年の椎名林檎の邂逅だ。冒頭の男性と聞き間違えてしまうほど低い声は椎名であり、ミュートトランペットのリフレインが印象的なフリージャズのようなトラックとなっている。ZAZEN BOYSではなく、椎名林檎のアンセムとなっていたかもしれないという、22年間熟成させたもう1つの未来が、静かに、しかしながら確かな輪郭と感触をもって浮かび上がってくる。
アルバムのオープニングとエンディングを飾るのは、2009年に他界した舞踏家のピナ・バウシュを映像に収めたドキュメンタリー「ピナ/踊り続けるいのち」に主要楽曲を提供した作曲家であり、ジャズトランペッターの三宅純。オーケストラが奏でるドリーミーでクラシカルなワルツをバックにフランス語でつぶやくように歌う「至宝」、ピアノとボーカルを基調に優美な弦楽が寄り添うバラッド「憂世」で、「あなた(=私)の心と体は誰のものなのか?」という問いに対する誠実な答えをもって、自作曲封印という“禁じ手”を掲げた舞台の幕は閉じられる。そして、それは同時に、ここでは不在となっている“作曲家としての椎名林檎”を解き明かす、おそらく自己発見の旅路でもあったのではないかと思う。
公演情報
椎名林檎 党大会 令和八年列島巡回
- 2026年3月17日(火)大阪府 ザ・シンフォニーホール
- 2026年3月18日(水)大阪府 ザ・シンフォニーホール
- 2026年3月24日(火)広島県 呉信用金庫ホール
- 2026年3月25日(水)広島県 呉信用金庫ホール
- 2026年4月1日(水)東京都 すみだトリフォニーホール
- 2026年4月2日(木)東京都 すみだトリフォニーホール
- 2026年4月9日(木)福岡県 福岡シンフォニーホール
- 2026年4月10日(金)福岡県 福岡シンフォニーホール
- 2026年4月18日(土)山形県 やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)
- 2026年4月19日(日)山形県 やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)
- 2026年4月25日(土)兵庫県 神戸国際会館 こくさいホール
- 2026年4月26日(日)兵庫県 神戸国際会館 こくさいホール
- 2026年4月30日(木)東京都 すみだトリフォニーホール
- 2026年5月1日(金)東京都 すみだトリフォニーホール
- 2026年5月19日(火)静岡県 アクトシティ浜松
- 2026年5月20日(水)静岡県 アクトシティ浜松
- 2026年5月27日(水)群馬県 高崎芸術劇場
- 2026年5月28日(木)群馬県 高崎芸術劇場
プロフィール
椎名林檎(シイナリンゴ)
作曲家/演出家。1978年11月25日生まれ、福岡市出身。1998年にシングル「幸福論」でデビューした。バンド東京事変も率いる。自作自演業はもとより、ほかの歌い手や、映画、舞台、テレビ、CMなどへの楽曲提供も精力的に行っている。2009年に「芸術選奨文部科学大臣新人賞」を受賞。2016年にリオオリンピック・パラリンピック閉会式のフラッグ・ハンド・オーバーセレモニーにおいて演出、音楽監督を務め、国内外から高い評価を得た。2019年、アルバム「三毒史」、およびベストアルバム「ニュートンの林檎 ~初めてのベスト盤~」をリリース。2024年、5月にアルバム「放生会」をリリースし、10月からアリーナツアー「(生)林檎博'24 -景気の回復-」を開催した。2026年3月に自作曲を封印したアルバム「禁じ手」を発表し、ライブツアー「椎名林檎 党大会 令和八年列島巡回」を行う。



