眼鏡とコンパス─徳永京子、演劇の座標のんびり旅─ 第4回 [バックナンバー]
“現代口語演劇”にあって “静かな演劇”になかったもの
ブレイク3要素をコンプリートさせた、こまばアゴラ劇場
2025年11月4日 15:00 9
舞台の中に社会を、社会の中に舞台を見出し、それを精緻かつ確かな言葉で伝え続ける演劇ジャーナリスト・
撮影・
お祭りが縮小して家が片付かない
どこの家にも、買ったりもらったりしたけれど使わないものってありますよね。ないですか? うちには──100均で買った小さな詰め替えボトルから、応募書全員にプレゼントという組み立て式の棚まで──、結構な数があります。ネットに出品する、リサイクルショップに持っていくなど処分の手段はあると思うんですけど、知らない人とのやり取りや運搬(我が家には車がありません)を考えると、なかなか腰が上がらない。5、6年前までは良い解決策があったんです。年に1度の地元の大きなお祭りにバザーがあり、開催場所が住んでいるマンションのすぐ近くで、売上金は区内の施設に寄付されるから無駄遣いの罪悪感も少し薄れるという、何から何までありがたいものでした。
そのお祭りはコロナ時期に規模がかなり縮小され、バザーはなくなり、おそらくこのまま元には戻らないという気がしています。というのは、この数年で急激に再開発が進んで個人商店が激減して、運営を支えていた以前のような商店街や町内会はもうないんだろうなと。今、日本中で起きている問題なんでしょうけど。
“現代口語演劇”の追い上げと浸透を支えたこまばアゴラ劇場
ある時は漠然と使い分けられ、またある時は漠然と一緒くたにされてしまう“静かな演劇”と“現代口語演劇”。時代に後押しされるようにして前者が発生し、そこから後者が生まれたわけですが、言葉としてどちらが演劇界で多く使われているか、存在感が大きいかと言えば、“現代口語演劇”ですよね。だからこそ“ポスト現代口語”という名付けも成立しているわけで。
こうした“現代口語演劇”の追い上げと浸透は、以前も書いた平田オリザ氏の書籍出版と、それに伴う構造や具体的な創作方法の解説、さらに数多くのWSや講座、授業を通じた実践の賜物ですが、忘れてはならないのは、昨年、惜しまれながら閉館したこまばアゴラ劇場(以下、アゴラ)の存在です。もともとは平田さんのご父君が建て、運営していた施設で、その間に生じた大きな負債が最後まで経営の足枷となったのは皮肉ですが、やはり具体的な場所があったことは何物にも代え難い財産だったはずです。
平田さんがアゴラのオーナーになったのは1984年(青年団の旗揚げは1982年)ですが、86年には本格的に青年団の拠点とし、2006年からは青年団内ですべての年間プログラムを決める体制にし、支援会員制度もスタートさせました。
劇団が自前の劇場を持つメリットは書き出せばキリがありませんが、今回フィーチャーしたいのは、企画を自分たちで決められるようになった自由度です。これには、青年団が早くから人材育成を念頭に専門部制を敷き、俳優部、演出部、さらに制作部を設置したことで、創作の意義や収支、劇場全体の使命やイメージについて、ひとつの作品の中だけでなく、中長期的なスパンを見据え、実験的な企画ができるようになったのが大きいと考えています。支援会員制度によって、一定数の集客が見込めることも、後押しになったかもしれません。
ある事象や人物がブレイクしたと言えるには、3つの要素が必要だと思います。それは、話題性、権威、ポップ化です。ブレイクとは、そのモノや人物に関心がなかった、関心が低かった人の興味を引き、ファン / ユーザー / 顧客 / 観客などを一気に増やすことですが、その過程で3つのうち最も大切なのがポップ化、言い換えるなら、取っ付きにくさの払拭、共感度のアップでしょう。もう少し詳しく書くと、「知っている」と「知らない」の間をつないで見せること。たとえ前代未聞の新発明や表現であっても、それに触れた人たちが、こんな機能があればいいと思っていた、自分にもよく似た思い出がある、まさにこれが言語化したかった、こんな使い方ができるのかなどなど、自分の体験や考えとの接続を発見し、それが延長・拡大する喜びを感じてもらうことが重要です。
“現代口語演劇”は、アゴラを舞台に、このポップ化に2度成功したと私は考えています。
ポップ化を促進した、2つのイベント
1度目は、2005年の「ニセS高原から」プロジェクトです。平田さんの代表作のひとつ「S高原から」を、独自のスタイルを持った気鋭の演出家4人が、それぞれの個性をストレートにぶつける形で演出しました。参加したのは、上演順に、三浦大輔氏(ポツドール)、関美能留氏(三条会)、前田司郎氏(五反田団)、島林愛氏(蜻蛉玉)と、当時20代前半から30代はじめの顔ぶれ。登場人物が多い作品なので全体のキャスティングを見渡すだけでもお祭り感があり、発表時も上演期間中も大きな話題を呼びました。
が、この企画の最大の成果は、一部から「難解」「機械的」とされていた平田作品に対して、「遊んでいいんだ」という意識を広く──観客にもつくり手にも──植え付けたことだと思います。名作とされる作品に「ニセ」という単語を乗せた大胆なネーミング、戯曲に手を加えるのも可という懐の広いイベントが現代口語演劇の大本山で開催されたのは画期的でした。「勉強一筋だと思ってた生徒会長、意外と話がわかるヤツじゃん!」みたいな感じですね。そして「これも現代口語演劇、あれも現代口語演劇」という領域の拡大が体験として広がっていったのです。
2度目は、2009年の「キレなかった14才♥りたーんず」です。こちらは、当時26歳の篠田千明氏(快快)、神里雄大氏(岡崎藝術座)、白神ももこ氏(モモンガ・コンプレックス)、柴幸男氏(ままごと)、杉原邦生氏(KUNIO)と、24歳の中屋敷法仁氏(柿喰う客)と、やはり鮮度の高い6人の演出家が集まりました。発起人が篠田さん、柴さん、中屋敷さんというつくり手自身だったこと、6人中5人が、神戸連続児童殺傷事件の犯人と同い年という自分たちの世代をコンセプトにした作品を上演した点で、やはり大きな話題を呼び、1階のロビーで行われたイベントを含め、建物全体が熱気に包まれました。
アゴラが、まだ評価の定まっていない若い世代の味方になったという印象が強まった企画であり、「ニセS」が現代口語演劇の定義の輪郭線を柔らかくしたこととの連続性がありました。
どちらも企画が立てられた時、そんな目的は誰の意識にも上らなかったでしょうが、結果的にこのふたつが、現代口語演劇のポップ化に貢献し、特定の演劇のジャンルから、場所や組織を含めて時代に寄り添う表現全体というイメージにステップアップさせた。少なくともその種を蒔き、それは順調に育っていきました。“静かな演劇”には、こうした物理的な催しが生まれなかったんですね。
そう考えると、お祭りには有形無形の意義があるという思いに改めて駆られます。日々のレギュラーワークとは違うからこそ、中心から離れた周縁に計算外の波及効果が生まれ、それが何かの、誰かの重要な助けになったりするんですね。
縮小された近所のお祭りも、時が経てば何らかの波及効果は生まれるのでしょうか。そして、それなりに場所を取っている我が家の不用品はどうすべきか。その答えが出るのは、もうしばらく時間が必要です。
- 徳永京子
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演劇ジャーナリスト。東京芸術劇場企画運営委員。せんがわ劇場演劇アドバイザー。読売演劇大賞選考委員。緊急事態舞台芸術ネットワーク理事。朝日新聞に劇評執筆。著書に「『演劇の街』をつくった男─本多一夫と下北沢」「我らに光を─蜷川幸雄と高齢者俳優41人の挑戦」、「演劇最強論」(藤原ちから氏と共著)。
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徳永京子 @k_tokunaga
ステージナタリーの連載「眼鏡とコンパス」第4回が公開されました。この30年ぐらいの日本の現代演劇の動きを少しずつ書き解いています。今回は、こまばアゴラ劇場の2つの企画から“現代口語演劇”と“静かな演劇”の間に生まれた差について。あまり言及されていないと思うので、ぜひご一読ください。 https://t.co/BosHmdM9Ei