
今日もあの街で名曲が 第2回 [バックナンバー]
Cody・Lee(李)高橋響が世田谷代田で語る「世田谷代田」
この場所には、自分にとっての東京のイメージが詰まってる
2025年6月17日 18:30 7
“地名をタイトルに冠した楽曲”を発表してきたアーティストに、実際にその街でインタビューを行うこの連載。「なぜその街を舞台にした曲を書こうと思ったのか」「その街からどのようなインスピレーションを受けたのか」「自分の音楽に、街や土地がどのような影響を及ぼしているのか」……そんな質問をもとに“街”と“音楽”の関係性をあぶり出していく。
数々のバンドを輩出した街・下北沢から小田急線で1駅、歩いて約10分──今やドラマ「silent」のロケ地としてもおなじみの場所・世田谷代田。下北沢の喧騒から少し離れ、環七沿いにひっそりと佇むこの土地を、
取材・
富士356広場でボーッとしたり歌詞を書いたり
──わざわざ曲名に冠して、サビにも登場させているくらいなので、高橋さんにとって世田谷代田は思い入れの深い場所なのではないかと思っていたのですが、実際のところどうなんですか?
めちゃくちゃ土地勘があるとかではないんですけど、思い入れはありますね。「世田谷代田」と聞いてどの範囲を想像するかは人によって違うと思うけど、自分は新代田の手前から、下北沢 BASEMENTBARくらいまでをイメージしていて。そのエリアにまつわる思い出が、大きく2つあるんです。1つは、新代田FEVERにライブを観に行くときに、だいぶ早めに着いてしまって、よく世田谷代田駅近くをうろうろしていた思い出。そしてもう1つは、BASEMENTBAR付近でCody・Lee(李)の活動がスタートしたということ。その2つが、自分の中での世田谷代田の記憶としては強いです。
──BASEMENTBARまでというと、範囲としてはけっこう広いですよね。
そのへんは自分の中でもかなり曖昧で。例えばBONUS TRACK(下北沢駅と世田谷代田駅の間に位置する商業施設)なんかも自分の中では“世田谷代田にある場所”というイメージです。
──そのエリアの中で、特に思い入れの深いスポットはどこですか?
世田谷代田駅付近だと富士356広場ですかね。大学を卒業してすぐの頃、それこそ新代田FEVERでライブを観るまでの時間をつぶしたり、当時住んでいた三軒茶屋から散歩しに来たり、けっこうな時間を過ごしたと思います。三軒茶屋から歩いて25分くらいだから、往復したらラジオを1本聴き終わるぐらいの距離感で。それもちょうどよかったんですよね。真下が線路だから電車がよく見えるし、夕方なんかは夕日もきれいで。ベンチでボーッと過ごしたり、たまに歌詞を書いたりしてました。
──「世田谷代田」はCody・Lee(李)にとってインディーズ最後の楽曲です。改めてこの曲がどのように完成したのか聞かせていただけますか?
「世田谷代田」は本腰を入れて作った曲ではなくて、僕がなんとなく歌った鼻歌からできたんですよ。「世田谷代田を越え抱いた」と口ずさんでスタッフに聞かせたら、思いのほかリアクションがよくて。それをそのまま曲にした感じなんです。だから「この曲でメジャーに羽ばたいていくぜ!」みたいな気持ちは全然なかった。ただ、結果的にすごく大事な曲になったし、今聴くと当時の解釈とは違ったいろんな思いが湧いてきます。
──確かに、「世田谷代田」はほかのCody・Lee(李)の楽曲と比べてもラフな手触りがありますよね。
そうですよね。そういう聴きやすさがあったり、フットワークの軽さがにじみ出ていたりするのが、あのタイミングで出す曲としては、むしろよかったのかなと思います。歌詞にはところどころ“インディーズ最後感”があるんですけどね。
Cody・Lee(李) - 世田谷代田(MusicVideo)
「世田谷代田」に詰まった“自分にとっての東京”
──歌詞につづられていることは実体験なんですか?
“世田谷代田を越えて恋人に会いに行く”みたいな経験があるわけではないので、全部が全部実体験というわけではないです。でも、自分が見てきた景色や感じた雰囲気をいろいろ入れてはいて。下北沢から世田谷代田までの道のり、BONUS TRACKの近くにある保育園、新代田のえるえふるで飲んだときに通り抜けた商店街……そういういろんな情景を集めて作った曲ですね。あと、Cody・Lee(李)の音楽が持つイメージを単語で抽出して、それを歌詞に当てはめていったようなところもあって。だからけっこう断片的というか、ある意味走馬灯みたいなニュアンスもどこかに含んでいるんですよ(笑)。世田谷代田は、自分が上京してからわりとすぐの時期にいた場所なので、自分にとっての東京のイメージがいろいろ詰まっていると思います。
──まず「世田谷代田を越え抱いた」というフレーズが浮かんできたのは、やはりこのあたりで過ごしてきた時間の積み重ねがあってのものなんでしょうか。
もちろんそれもあるし……アルコ&ピースの存在も大きいと思います。
──アルコ&ピースの存在?
アルピーのラジオが大好きで、当時から毎週聴いていたんですけど、そこで平子(祐希)さんが「もともと世田谷代田に住んでいた」というお話をされていて。その回を聴いたすぐあとくらいに、このフレーズが浮かんできたんです。だから、特に意識していたわけではないけど、無意識で平子さんから影響を受けたんじゃないかなって。平子さんも「世田谷代田」をきっかけにCody・Lee(李)を知ってくれたらしいので、結果的にいろいろつながってよかったです。
──それにしても「代田」と「抱いた」を掛けて、しかもそれをサビにするってけっこう思いきった発想ですよね。
「世田谷代田」って都内近郊に住む人にしかわからないだろうし、それをサビで全面に押し出すのは、リスキーっちゃリスキーですからね。でも、周りのスタッフだけでなく自分までリスクを気にし始めたらどんどん面白くなくなってしまうというか、一般化されていっちゃうと思って。もともとCody・Lee(李)は固有名詞を使った曲が多いけど、いきなり地名から始まる曲はなかったし、自分たちにとって新しい試みでもあるなと。だったらリスクを背負ってでもやる価値はあるんじゃないかと感じたんです。最初はダジャレだと言われたりもしたけど、結果的にけっこういいワードになったなと思います。ちなみに「代田」って、実際はダイダラボッチが由来らしいんですよ。
──あ、そうなんですか。
ダイダラボッチの足跡みたいな窪地が今の世田谷代田付近にあったらしくて。ダイダラボッチよりは「抱いた」のほうがCody・Lee(李)っぽいんで、ちゃんと自分たちらしい形でまとめられてよかったです(笑)。
世田谷への憧れに今も縛られている
──「世田谷代田」もそうですけど、Cody・Lee(李)は“会いに行くソング”がすごく多いですよね。恋人やパートナーをはじめ、大切な人へ会いに行く瞬間がよく切り取られているなと。
僕が“会いに行く”という行為を尊ばれるべきものだと思っているというのはあるかもしれません。誰かを思って準備をしたり、誰かを思って電車に乗ったり、そういう時間って不純物がないというか。その相手だけに向けられた時間という感じがして、自分が考える“恋”という感覚にすごくフィットする。自分が好きで聴いてきたバンドも、そういう時間を描いた曲が多くて。“会う”という行為に重きを置いた表現が、僕はすごく好きなんですよね。
──そう考えると「世田谷代田を越え抱いた」というフレーズには、Cody・Lee(李)らしさを形作るエッセンスがかなり端的に詰め込まれていますね。誰かに会いに行く過程と結果の両方が短いセンテンスに含まれていて、なおかつそこに具体的な地名が使われている。
言われたら確かにそうですね。と同時に、「世田谷代田」は初めて自分の意見を歌った曲でもあるんですよ。それまでは風景描写が8割以上で、伝えたいことはサビでちょっとだけ言う、みたいな構成だったけど、「世田谷代田」は「はじめは誰もが賢くなれずに」「未知の先には後悔があるかも」とか、言いたいことを言っている時間が長い。自分の中のリリシズムの芽生えを捉えた曲で、ここから歌詞の幅が広がったような気がします。
──昨年リリースされた「下高井戸に春が降る」について高橋さんが「普段、世田谷線によく乗る」というお話をされていましたが、世田谷代田に限らず世田谷エリアは高橋さんの生活に根付いているんですね。
根付いてますね。やっぱりそこには田舎者の憧れもあると思います。岩手から出てきて、最初は大学があった埼玉に住んでいたけど、卒業してからはずっと世田谷区に住んでますから。岩手にいる頃からフィッシュマンズを通して世田谷を知っていたのもあって、「イケてるやつが集まる場所」というイメージが漠然とあったんですよ。で、BASEMENTBARとかに出るようになり、憧れがますます強くなっていった。BASEMENTBARでのライブ後に埼玉までの終電を逃すと、ブッキングしてくれた人が家に泊まらせてくれたりして。そういう経験を重ねていくうちに、「ここに住んでみたい」と思うようになったんです。
──実際に住んでみて、今は世田谷エリアにどういうイメージを持っていますか?
えっと……高い(笑)。
──あははは。それはたぶんそうですよね。
なので、このまま世田谷に住み続けるか、そろそろ見つめ直さなきゃと思ってはいるんですけど(笑)。ただ、自分を俯瞰したときに、なんとなく世田谷っぽさがある気がするし、「もっとこの街を知りたい」という気持ちはずっと持っていて。今も杉並区と世田谷区の間ぐらいに住んでいて、杉並のほうが家賃は安いけど、がんばって世田谷に住んでいるんですよ(笑)。どうしても消えない執着心があるというか、憧れに縛られているというか……それくらい自分の中で大事な要素ではあるんです。
──“世田谷で暮らしているからこそ生まれる表現”のようなものも、自身の作品にはあると思いますか?
あると思います。世田谷区とひと口に言っても広いので、一部エリアを除いてですけど、例えば品川区とか千代田区みたいなハイソで洗練された雰囲気とは違うじゃないですか。もう少しいなたさがあるというか。なんとなく暖色のイメージがあって、東京でありながら自分の地元に通ずる温かみを感じる。それが、自分の作る曲やサウンドの“洗練されてなさ”につながっているような気がします。
高橋響はなぜ具体的な地名を使う?
Cody・Lee(李) @C_D_Y_L
|| 𝓜𝓔𝓓𝓘𝓐
音楽ナタリー @natalie_mu にて高橋響 @monell_0512 のインタビューが公開されました
「この場所には、自分にとっての東京のイメージが詰まってる」
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