主宰・
会場は倉敷市立美術館の3階にある、曲線的で温かなフォルムの壁が印象的な講堂。客席の中央通路を境に前方には左右に2本の花道が作られ、前方の花道に挟まれた客席エリアには俳優が、後方には観客が着席した。舞台の上手には缶コーヒーが置かれた机、下手にはゆったりとしたチェアと机、それぞれ足元には多数の本が積み重ねられている。そしてバックスクリーンには海辺を歩く海パン姿の男の背中が映し出された。
開演と共に危口の妹と弟が舞台に進み出て、1週間前の葬儀について関係者に感謝を述べる。また告別式でのエピソードとして「父が、用意していた原稿よりだんだん話が長くなっていって、“人が死ぬとはわかっていたが息子が死ぬとはこりゃたまらん”と。面白い告別式でした」と語り、会場からは笑いが起こる。続けて妹のピアノで弟が森山直太朗の「さくら」を熱唱して、客席は笑いと温かさに包まれた。
“日記”をポイントに、危口が病気を公表してから続けていた「やまいだれ日記」と、「蟹と歩く」公式サイトにて掲載されていた同行者たちによる日記、そして同行者の1人、伊藤愉が書き下ろしたロシアに関する日記と考察、さらに劇中でオジーと呼ばれる危口へのインタビューなどが織り交ぜられ、作品は展開する。病と向き合いながら、自由が利かなくなっていく身体や周囲の反応、生と死の間に揺れる思いなど、感情に溺れることなく冷静に書き留めていた危口の明晰さが、言葉の数々から浮かび上がる。と同時に、「カニ」のダジャレや「雨ニモマケズ」の無理やり英訳、危口の“降臨”など、これまでの悪魔のしるしのような、思わず笑ってしまう予想外のシーンが連続し、観客は危口と“同行者”たちの軌跡を、共にたどるような作品となった。ラスト、
終演後、観客の多くが近くの公民館に設けられた、焼香台にも立ち寄っていた。生前のきりっとした表情の遺影の下には、タバコと缶コーヒー、そしてステッカーがベタベタと貼られたパソコンが置かれている。これまで幾多の作品、幾多のアイデアが生み出されてきたであろう年季が入ったそのパソコンは、今や電源を抜かれ、ただそこに存在しており、主人の帰りを待っているようだった。
なお、本作の製作記録をまとめた「『蟹と歩く』記録集(仮)」は秋頃発売予定。詳細は公式サイトで確認しよう。
悪魔のしるし「蟹と歩く」
2017年3月25日(土)・26日(日)
岡山県 倉敷市立美術館 講堂
原案:
同行者:荒木悠、石川卓磨、
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【『蟹と歩く』公演記事】
ステージナタリーに公演の詳細レポートを掲載いただきました。(3月30日)
悪魔のしるし「蟹と歩く」危口統之が出身地・倉敷で「アディオス!」 https://t.co/43w0EQwjc6