中央の4つは浄瑠璃にちなんでよく身に着ける。「義経千本桜」の碇は神戸の古道具屋で見つけた。「忠臣蔵」(五段目)の猪は富山の美術館で。「一谷嫩軍記」の柊はクリスマスグッズを代用。三味線は豊竹芳穂太夫さんからいただいたオリジナルグッズ。

木ノ下裕一の「わたしのアクセシビリティ日記」 第2回 [バックナンバー]

浄瑠璃の地の文と音声描写(音声ガイド)って考え方が似ているなぁ…というところから行きついた鑑賞サポートの心構えの話

鑑賞サポートには、まだまだ工夫できることがある

2

21

この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。

  • 5 15
  • 1 シェア

“推し活”という言葉が流行るずっと前から、世間のムーブメントに流されることなく、自身の好きなものを常に探究し続けてきた木ノ下歌舞伎主宰・木ノ下裕一。“補綴”の立場で古典と向き合い、言葉や時代、地域、文化が異なる人たちの思いや営みを現代の観客に届けてきた木ノ下が、今もっとも気になっていることが「アクセシビリティ」だと言う。本連載では、そんな木ノ下がアクセシビリティについて考え続ける日々を、日記形式でつづる。

文・絵・注釈 / 木ノ下裕一

2025年 1月某日 出発 / できる / 性質

年が明けた。実家の、高校時代まで過ごした自分の部屋へ英和辞書を取りに入る。

“accessibility(アクセシビリティ)”を引いてみる。
直訳すれば「近づきやすさ」「利用しやすさ」とある。“accessible(アクセス可能な)”に“-ity(~の性質)”をつけて名詞化したもので、さらに“accessible”を砕いていけば、「到達する / 入手する / 接近する」という意味の“access”と「できる」を意味する“-ible”に分かつことができ、それぞれラテン語の“cēdō(行く / 起こる / 出発する)”と“ibilis(できる)”に由来するという。

演劇の世界に身を置いていると、アクセシビリティと聞けば、すぐに障害のある方に向けた日本語字幕や音声描写(※1)などを連想してしまうが、それらはごく一部であって、つまり、近寄り難いもの、敷居が高いもの、そのままでは享受できないものに、何かしらの知恵と工夫を凝らすことで、接続可能にすること……と、大きく解していいかと思う。

だとしたら、ちょっと乱暴なようだけど、聞こえない・聞こえづらい、見えない・見えづらい方に対する鑑賞サポートも、通訳や翻訳といった作業も、北村季吟による「湖月抄」も、法然上人の「南無阿弥陀仏」も、蓮如上人の「御文(おふみ)」も、桂米朝の懇切丁寧なマクラも、すべて“アクセシビリティ”という名の、同じ箱に入れることができる。

“アクセシビリティ”を広義に捉え、自由に、楽しく語ることはできないだろうか。
遊び半分ではない。時に“障害”にも触れるテーマであるから、不真面目さや茶化しは、芥子の粒ほど混ぜてはいけない。アクセシビリティを“オモチャ”にしては絶対にいけない。障害のある方にとってのアクセシビリティ(情報保障)は権利や人権そのものだ。常に当事者がいる。細心の注意を払って、けっして傷つけることのないように(それでも間違えたり、無自覚に傷つけてしまうこともあるかもしれない。その時は、猛省して、ちゃんと謝って軌道修正する)。いたって真剣に、真剣に、アクセシビリティについて考える。でも、同時に縦横無碍に考える。
楽しそうだ! けど、その意義はどこにあるのだろうか。

ラテン語から英語への変遷については、本当はもっと複雑なようです。

ラテン語から英語への変遷については、本当はもっと複雑なようです。

(※1)音声描写……視覚障害者に対して、舞台の進行に合わせ視覚情報を音声で補うサポートのこと。2025年現在、「音声ガイド」と呼ばれることが多い。田中みゆきさんの著書「誰のためのアクセシビリティ? 障害のある人の経験と文化から考える」(リトルモア)によれば、ほかにも「音声解説」「解説放送」「副音声」など名称が混在しており、
─この本では、もとの英語である「Audio Description」の最も素直な訳である「音声描写」と書くことにする─(P46)
と断っておられる。本連載でも田中さんに倣い「音声描写」で統一する。
なお「誰のためのアクセシビリティ?」は、現在最も新しい、芸術における実践的なアクセシビリティ論なので、おすすめ。ちなみに田中さんと木ノ下の対談はこちらで読めます。
誰のためのアクセシビリティ? 障害のある人の経験と文化から考える

「誰のためのアクセシビリティ? 障害のある人の経験と文化から考える」
Amazon.co.jp

2025年 1月某日 「アクセシビリティ」という大きな箱

松の内。帰省先の和歌山から京都に戻ってきた。何枚か年賀状が届いていた。中には去年、鑑賞サポートでお世話になった方からのものもある。いろいろなことが思い出された。

見えない・見えづらい方のために、舞台「三人吉三廓初買」の音声描写を作っていた時のこと。
利用してくれた当事者の方が「私たちは、舞台の説明を聞きたいわけではなく、見える方と同じ感覚で舞台を楽しみたいんです。今回は、楽しめたように思います」とおっしゃった。音声描写を担当してくれていた持丸あいさん(※2)のナレーション原稿を改めて読み込んでみた。何度もチェックしていたはずの原稿なのに、小さな工夫がたくさんちりばめられていることを新たに発見した。

「三人吉三廓初買」での持丸さんの音声描写風景。本番の舞台をブースから見ながら、絶妙のタイミングでナレーションを入れていく。基本的には練りに練られたナレーション台本をもとに行われるが、時に俳優のアドリブに合わせて、臨機応変にガイドすることも。

「三人吉三廓初買」での持丸さんの音声描写風景。本番の舞台をブースから見ながら、絶妙のタイミングでナレーションを入れていく。基本的には練りに練られたナレーション台本をもとに行われるが、時に俳優のアドリブに合わせて、臨機応変にガイドすることも。


たとえば、ある人物が舞台にあらわれる。
音声描写は「品のいい男が入ってくる」。
決して役名は言わない。観客全員が、この男が誰であるかを知らないからだ。そのかわり「品のいい」と人物の様子を短く挟み込む。
女が声をかける「おや、文里(ぶんり)さん!」。
この時はじめて、男の名が「文里」であることが舞台上で明かされる。すると、音声描写でも「文里がうなずく」と、名前で呼ぶようになる。
けっして先回りしない。ネタバレさせない。そのような工夫が随所にあった。

これって、浄瑠璃の“地の文(※3)”だ!と思った。
たとえば、人形浄瑠璃の有名演目「義経千本桜」の「鮓屋の段」。幕明けすぐに、鮓桶を担いだ男が帰ってくる。
地の文では「利口(りこう)で伊達(だて)で。色も香(か)もしる人ぞしる優男(やさおのこ)」と名前は言わずその様子が描写される。
お里という娘が「アレ弥助さんの戻らんした」と声をかける。
すると、地の文は「お里弥助は明桶(あきおけ)を板間(いたま)へ並(ならべ)て」と名前で呼ぶようになる。
のちにこの弥助、実は平家の大将・平維盛(これもり)の世を忍ぶ姿であることがお里の父親の口から明かされる。
地の文はその時はじめて「申上れば維盛卿(きょう)」と語る。

つまり、浄瑠璃は、人形や舞台装置などの視覚情報がゼロでも、物語の展開に則して、誰が出てきて、誰がしゃべり、どんな景色が広がっているかわかるように出来ている。もともとは独立した音曲として出発しているから当然といえば当然なのだが、視覚障害者への音声描写と同じロジックで言葉が編まれているという発見は、私にとってはとても大きかった。

浄瑠璃の地の文を書くつもりで、音声描写のナレーション原稿を作ればいいのだ。でも、それってもはや劇作の領域だな。いや、そうなんだ、音声描写は劇作の領域でいいんだ。

「鑑賞サポート」と呼ばれるものは、一般的に、「創作(クリエーション)」の外側にあると捉えられている。演出、俳優、美術、照明、音響、衣装などは“創作内”。音声描写や字幕は“外付け”のオプションだと思われがちだが、本当にそうだろうか。
いや、ちがう。見えない方にとって音声描写はいわば「照明」だし、聞こえない方にとっての字幕は「音響」だ。
充分にクリエイティブな作業のはず。

だから、鑑賞サポートは本来、予算に余裕があればやるけれど、余裕のない時は切り捨ててもいい......という性質のものではない。もし仮に、「今回、予算がないので、照明と音響は無しでいきます」という事態になったら、演出家や俳優は知恵を絞って、それらが無くても作品が成立する方法を考えるだろう。けれど「今回は予算がないので字幕も音声ガイドも無しです」となっても、稽古は一見何の滞りもなく進むに違いない。私たちが無意識のうちに想定しているのは、残念ながら“聞こえて見える観客”だからだ。けれど、鑑賞サポートを実施しないということは、(少しきつい言葉になってしまうが)「障害のある方をお客さんだとは思っていません。来てもらわなくて結構!」というメッセージを暗に発してしまっているに等しい。

もちろん、予算や人手の問題は常に付きまとうわけだが、実際、工夫すれば0円からでもでき(ささやかな)鑑賞サポートはある。
鑑賞サポートを「どこまでやるか」は“予算の問題”だが「やる / やらない」は“理念の問題”なのだ。
障害のある人も大切なお客さんだと認識すれば、おのずと鑑賞サポートは“創作の内側”に入ってくる。

この気づきは、音声描写と浄瑠璃の地の文を、同じ「アクセシビリティの箱」に入れて考えてみたからこそ生じたものだと思う。
鑑賞サポートのあり方にはまだまだ工夫できるところがたくさんある。私たちが認識を新しくしないといけない事も多い。それらを進化させていくために、古典文学や芸能、出版やサブカルに至るまで過去のアクセシビリティの事例を広く収集して参考にしてみる。障害の有無にかかわらず私たちは多かれ少なかれ多くのアクセシビリティの恩恵を受けてきたことを振り返る。そして、作り手にとって鑑賞サポートは創作内に在るんだということを何度も確認する。(※4)
それができるならば、様々な時代の様々なジャンルのものを、アクセシビリティという箱に入れて、かき回して考えることもけっして無駄ではない……と思う。

しかし、障害への“アクセシビリティ”とその周辺は、日々進化している。新たな定義や技術が次々に生み出され、それに伴い、数カ月単位で、よしとしていた感覚や価値観や言葉が、アップデートされる。今日の正解が、明日も正しいとは限らない。
ならば、その推移も含めて、書きとってみよう。社会の変化も、自分自身の変化も。アクセシビリティについて日々考えた一演劇人の“つたない思考の痕”を記録していくような連載。

そうだな。タイトルは、「私のアクセシビリティ日記」がいいんじゃないかな。

“つらい、つらい”が口癖の私は紀貫之ならぬ“木ノつらい気”といったところでしょうか。お粗末!

“つらい、つらい”が口癖の私は紀貫之ならぬ“木ノつらい気”といったところでしょうか。お粗末!

(※2)持丸あいさん:第一線で活躍するバリアフリーナレーター。原稿の執筆から当日のナレーションまでをこなすスペシャリストだ。木ノ下歌舞伎ではこれまで「糸井版 摂州合邦辻」(2020 / 2023年)、「桜姫東文章」(2023年)、「勧進帳」(2023年)、「三人吉三廓初買」(2024年 / 田中京子さんと共同)の4作品を担当いただき、その語彙力と声の表現力はまぎれもなく話芸。本文中のエピソードは2024年の「三人吉三~」のもの。

(※3)地の文:浄瑠璃(義太夫節)の語りは「詞」「地合」「節」の三要素からなると言われる。「詞」はセリフなどの会話部分、「地合」は情景描写や状況説明などいわばナレーション、「節」は旋律を歌うように語る音楽的な部分。ここでは「地合」の文章のことを「地の文」と呼んでいる。

(※4):鑑賞サポートの質を向上させ、進化させていくためには、なによりまず当事者の声を聞くことが重要だ。当事者不在の「鑑賞サポート」は自己満足に陥りやすく、かゆいところに手が届かないことも多い。また、作品そのものや鑑賞サポートを当事者と一緒に作ることも大切。俳優やスタッフに障害のある当事者がもっと入っていけるような業界の体制づくりも急がれる。

【日記後記】

日記といえば「土佐日記(土左日記)」。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」という冒頭が有名ですね。
「土佐日記」は平安時代の歌人・紀貫之が赴任先の土佐から都へ帰る道中をモチーフに、女房(仕える女性)になりきって書いた旅日記形式の作品で、現実と虚構のあわいが面白いです。男性が女性になりきるという点ではバカリズムさんの「架空OL日記」が同趣向といえるでしょうか。
当時、日記は男性が漢文体で記すものでしたが、「土佐日記」は仮名、女性の文体で書かれています。ゆえに本作以降、女性が日記を記すことへのハードルがぐっと下がり、日記文学が花開きました。「土佐日記」がなければ、「更級日記」も「紫式部日記」も生まれなかったかもしれません。性差によらず、日記にアクセスできるようにした功績は大きいですね。

木ノ下裕一

1985年、和歌山県和歌山市生まれ。2006年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。代表作に「黒塚」「東海道四谷怪談—通し上演—」「三人吉三」「糸井版 摂州合邦辻」「義経千本桜—渡海屋・大物浦—」など。また渋谷・コクーン歌舞伎「切られの与三」の補綴を務めたほか古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動を展開している。「三人吉三」再演にて読売演劇大賞2015年上半期作品賞にノミネート、2016年上演の「勧進帳」にて平成28年度文化庁芸術祭新人賞を受賞。第38回(令和元年度)京都府文化賞奨励賞受賞。2024年よりまつもと市民芸術館芸術監督団団長を務める。

バックナンバー

この記事の画像(全4件)

読者の反応

  • 2

木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

ステージナタリーの連載『わたしのアクセシビリティ日記』第2回がアップされました!
今回は、アクセシビリティと古典をからめたお話です。

ちなみにタイトル写真は、毎回、私物ブローチの中からいくつかを紹介してます。
最後の方の「この記事の画像」をクリックするとブローチの解説?も読めます。 https://t.co/rxNcYbr84a

コメントを読む(2件)

関連記事

木ノ下裕一のほかの記事

関連商品

あなたにおすすめの記事

このページは株式会社ナターシャのステージナタリー編集部が作成・配信しています。 木ノ下裕一 の最新情報はリンク先をご覧ください。

ステージナタリーでは演劇・ダンス・ミュージカルなどの舞台芸術のニュースを毎日配信!上演情報や公演レポート、記者会見など舞台に関する幅広い情報をお届けします