
木ノ下裕一の「わたしのアクセシビリティ日記」 第3回 [バックナンバー]
松江で小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に思いがけず再会してしまい、「こんなにインクルーシブな人だったんだ」と、気持ちを鷲掴みにされた話
ハーンの“世界の感受の仕方”を疑似的に体験する
2025年8月1日 16:00 7
“推し活”という言葉が流行るずっと前から、世間のムーブメントに流されることなく、自身の好きなものを常に探究し続けてきた木ノ下歌舞伎主宰・
文・
2025年1月某日 小泉八雲の机
島根は松江へ行く。
島根県民会館からのお仕事で、アクセシビリティについての講演に呼んでいただいたのだが、スケジュールの関係で前日の松江入りとなった。
松江には、子供の頃に一度、家族旅行で来たことがある。はっきり覚えているのは、小泉八雲旧居で見た、ラフカディオ・ハーン(※1)の机だ。
普通のそれよりも机の天板がうんと高い、つまり座ると、首と胸の間あたりに天板がくる。視力が弱かったハーンのために工夫された設計で、机の上に顔を擦り付けるかのように、目を原稿に近づけて執筆していたのだと、その時、横に貼られていた解説文で知った。
考えてみれば、現代でいうところのインクルーシブデザイン(※2)だよなぁ。
「いやー、我ながらえらいもんやね。子どもごころにも、数あるものの中から机を覚えているとは。この頃から“アクセシビリティ”に興味を持つ胚芽があったんやなかろうか」という多分なうぬぼれもあって、閉館時間ギリギリに滑り込んでみた。
再び訪ねてみて驚いた。これなら、どんなにぼんやりした子でも印象に残るはずである。旧居の中に、展示物と呼べそうなものは、この机と椅子しかなかったのだった。
しかし、よくよく味わってみると、この“あえて”の展示方針は実に素晴らしい。家具調度がほとんど置かれていないから、襖や建具、建物の格子や板目の美しさが際立つ。ガラス障子は昔風で、波打った古ガラス越しに、庭園が透けて見える。
“家”そのものが主役。
そこに、ハーンの机と椅子だけが置いてある。
見学者の視線は一点に注がれる。
やがて、背中を丸めて原稿に向かうハーンの姿が見えてくる。そこにハーンがいるような気がしてくる。
私たちとハーンを出会わせる、一流の演出。いや、これも一つのアクセシビリティだよなぁ(※3)。
175年前にギリシャのレフカダ島で生まれ、121年前に日本で没したハーンは、私たちにとってはすでに歴史上の人物だが、確かに、ここで暮らしていたのだという、その気配が感じられる。時間を飛び越えて“アクセスできた”という感覚に近い。
一月の冴えた冷気が座敷に入ってくる。寒さに弱いハーンには堪えたという松江の寒気とはこのようなものであったのかな、などと思いながら、旧居を出た頃には、すでに日が暮れかかっていた。
(※1)ラフカディオ・ハーン……明治期の記者、英文学者、作家。1850年に、ギリシャのイオニア諸島・レフカダ島にアイルランド人軍医補とギリシャ人の母の間に生まれる。1869(明治3)年に単身アメリカに渡り、シンシナティ、ニューオーリンズなどで新聞記者、翻訳家、小説家として活躍。1890(明治23)年に来日。同年、松江の士族の娘・小泉セツ(節子)との結婚を機に日本国籍を取得し、名を「小泉八雲」と改める。1904(明治37)年、東京で病死。代表作に「怪談」「骨董」「知られざる日本の面影」などがある。
本稿では来日以前の経歴にも触れているため、「八雲」ではなく「ハーン」で統一している。
(※2)インクルーシブデザイン……年齢や障害、言語の違いなどから、制約が生じてしまった人に合わせて、特別に工夫・改良していくこと。既存既製のデザインでは排除されてしまう人たちを明確なユーザーに定め、当事者の声を聞きつつデザインされる。似た言葉に「ユニバーサルデザイン」があるが、こちらは、すべての人が利用しやすいデザインを指し、発想が異なる。
そこで思い出すのは、以前、さるハンセン病療養所の資料室で見た展示品のこと。手指の変形や切断ののちも使えるように、患者たち自らが改造した食器や裁縫道具などが展示されていた。切実なインクルーシブデザインがそこにあった。
(※3)博物館や美術館の学芸員、図書館司書などは、重要なアクセシビリティの担い手であると思っている。このことについては、いずれどこかでちゃんと書きたい。
2025年1月某日 セツの英単語帳
翌日の午前。楽屋入りまで時間があったので、旧居の隣に建つ小泉八雲記念館に行ってみる。
展示品も多く、充実している。
企画展は「小泉セツ ラフカディオ・ハーンの妻として生きて」で、セツさんの遺品を中心に、人生をたどるコンセプト。正直、“内助の功”ともいうべき旧態依然とした妻の立ち位置をやや強調しすぎる感も否めないが、セツが八雲の文学にとって、原案者であり、編集者であり、時に翻訳者でもあったことがよくわかる好企画だった。
とりわけ印象に残ったのは、セツによる英単語帳。
わら半紙風の帳面に鉛筆で、
「ユー あなた」「シウ くつ」「ドーグ 犬」「ワエン 酒」……
と書かれてある。さだめし現代のカタカナ表記なら、シューズ、ドッグ、ワインと書くところだが、ハーンの口から出た発音のまま、耳コピによって忠実にうつそうとしたことが見て取れる。
ハーンとセツはお互いの言語に堪能ではなかった。ハーンは早々に日本語の読み書きをあきらめたというし、セツは貧しい生い立ちから英語教育を受けることができなかった。そこで二人は「へるん言葉」という独自の言語でコミュニケーションを取っていたという(“へるん”はハーンのニックネーム)。
どのような言葉かというと、日本語の単語を並べ、語順は英語と日本語の折衷、形容詞や動詞は活用されず、助詞は省略するといった感じ。ためしに、秋の虫を愛おしんだ八雲の言葉を、セツの回想記から引用してみよう。
「あの小さい虫、よき音して、鳴いてくれました。私なんぼ喜びました。しかし、だんだん寒くなって来ました。知っていますか、知っていませんか、すぐに死なねばならぬという事を。気の毒ですね、可哀そうな虫」(「思ひ出の記」小泉節子 / ハーベスト出版)
正確な日本語に訳すなら「あの小さい虫は、美しい音で鳴き、どれほど私を喜ばせてくれたかしれません。しかし、だんだん寒くなって来ました。虫たちは、もうすぐ冬が来て死なねばならないことを知っているのでしょうか、それとも知らないのでしょうか。いずれにしても気の毒なことです。可哀そうな虫たちです」という具合だろうか。
ちなみに、ハーン最期の言葉は
「ママさん、先日の病気また帰りました(意・セツさん、先日の心臓発作が再発したようです)」
だったそうだ。
カタコトの日本語と言ってしまえばそれまでだが、“正しい日本語”より、へるん言葉のほうがより伝わる情感があることに注目したい。
ちょっと詩的ですらある。
気持ちや状況をつぶさに表現する語彙を持たないがゆえに余白が生まれる。きっとその余白の中でしか伝えることのできない、夫婦の心があったにちがいない。
来日以前、ニューオーリンズ時代のハーンは、クレオール語(※4)にいたく感激し、クレオールのことわざ集や料理レシピ本を編纂している。
言語の異なる者同士がどうすればコミュニケイトできるようになるのか。切実さと過酷な環境から発生するクレオール語と、言語での意思疎通が難しい夫婦が作り出したへるん言葉には、たしかに通じるものがある。どちらもアクセシビリティの精神が生み出した小さな、それでいて偉大な言語だ。
講演も無事終了。
ハーンと同じ名の特急列車「やくも」に乗って松江を立つ。
松江から岡山に抜けるこの列車の窓からは、織りなす山々が延々と見える。折しも雨のあとで山は霧にぼやけ、かえって神秘性を際立たせている。水墨の絵巻物を紐解いているかのような連続した景色を眺めながら、出雲が辺境の地であることを実感する。
こんなに山深い場所なんだなぁ。ハーンの居た頃はもっと都市部とのギャップが激しかったことだろう。
そんな土地をハーンはあえて「神々の国の首都」と評した。
さっき、講演でお客さんからこんな質問が出た。「私は島根でコンテンポラリーダンスをしているが、文化芸術がいろいろある首都圏と違って、希薄な地方都市で活動することの難しさを日々感じている。どうすれば、文化芸術を根づかせていけるのか」。
それに対して同じく登壇者だったコンドルズの近藤良平さんはこう答えられた。
「首都圏には文化芸術がいろいろあるとおっしゃいますが、私の目から見れば、島根の方が断然豊か。今朝も少し松江の町を歩きましたが、いたるところに文化芸術があって、宝庫だと思いました。首都圏のような文化芸術とはカタチが違うかもしれないけど、島根には地に足がついた、といいますか、しっかり土地に根をはった文化芸術がたくさんあって、羨ましいくらいです。コンテンポラリーダンスの根づかせ方もまた、首都圏のそれとは違った方法が考えられるのではないでしょうか」
中央があるから辺境がある。見方を変えれば、中央と辺境は簡単に入れ替わる。ハーンが出雲を“首都”と評したように。
(※4)クレオール語……異なる言語をもった者同士が意思疎通をはかろうとする時、自然発生的に生じる混成語をピジンという。この時、ピジンは誰にとっても母語ではない。のちにピジンを母語とする世代が現れた時、語彙、文法、発音が複雑化し、定着したものをクレオール語という。クレオール語は世界各地に存在するが、南北アメリカの大西洋岸、アフリカ、東南アジアなど西欧諸国の植民地だった場所に分布していることも特徴のひとつ。
「へるん言葉」はピジンに近いかもしれない。
また日本手話は、その成立過程においてピジン・クレオール化が認められることから、言語学的に注目されることがある。
2025年2月某日 耳で感受する世界
松江から帰ってきて、小泉八雲(ハーン)の作品ばかり読んでいる。いろいろと発見があって面白い。
かの有名な「耳なし芳一」。注意深く読むと、物語の描写がほぼ聴覚と触覚の要素で構成されていることに気がつく。
「引いてくれる手は、鉄のようである。そして、武士の足を踏みだすごとにがちゃがちゃ鳴る音から、甲冑に身を固めていることがわかった。」
「すると急ぎ足の音、ふすまをひらく音、雨戸をくる音、女たちの話し声などが聞えてきた。その女たちの言葉づかいから、そこがどこか高貴な殿中の侍女たちであることが、芳一にわかった。」
「磨きこまれた板張りをすすみ、覚えきれぬほど多くの柱のかどを曲がり、びっくりするほど広い畳敷きを通って—大きな広い広間のまん中に案内された。そこには、おおぜい人が集まっているように思われた。衣ずれの音が、まるで森の木の葉のざわめきのようであった。大ぜいがやがや—小声で—言いあう声も聞える。」
(「耳なし芳一のはなし」上田和夫訳)
盲目の琵琶法師・芳一は音と感触で世界を感受している。ゆえに作中、“色”がほとんど出てこない。唯一の色らしいものといったら、鬼火の描写である「青白い光」「御燈火のように燃えていた」のたった二か所。「見る」という単語も極端に少なく、ちょうど全体の半分くらいのところで「芳一が寺を抜け出していくのが見られた」と目が見える住職の視点としてやっと初出する。
視覚的な風景描写が皆無なのに、ちゃんと景色が見える。芳一の耳と肌の感覚を通して感じられる。
この感じ、何かに似ているなぁ。「平家物語」だ。「平家物語」は視覚要素よりも聴覚要素が重要な役割を占める。矢を射る擬音“ひいふっと”にはじまり、馬のヒヅメの音、槍や刀があたる音、波の音、鬨(とき)の声……それら聴覚情報が合戦のありさまをリアルに伝える。琵琶法師という視覚障害者による口承文学「平家物語」だからこそなし得た表現だ。そして芳一もそんな平家語りの一人である。
ハーンは16歳の時、事故で左目を失明、右目も極度の近眼で徐々に視力が低下、常に全盲への不安に脅かされていた。望遠鏡や拡大鏡(虫めがね)なくしては不自由する日々。だからだろうか、ひと際、“音”に強い関心を示した。しばしば“耳の文芸”と評されるゆえんだ。
「耳なし芳一」は、—盲目の琵琶法師たちが創作した「平家物語」を、盲目の芳一が語る……そのさまを視覚に障害のあるハーンが描く──といった入れ子構造になっていて、別な言い方をすれば、八雲版「平家物語」でもあり、ハーンの、世界の感受の仕方を疑似的に追体験できる作品とも読める。
【日記後記】
今回も、書きすぎてしまいまして、2回に分けることにしました。なので、次回もハーンの話題が続きます。
松江は大規模な空襲を免れたので、古いものが残っていました(それでも昭和20年7月28日の松江市玉湯町の玉湯空襲では25人以上が亡くなっている)。
これがハーンやセツの遺品が多く残っている理由の一つでしょう。遺品が小泉家から松江市に寄贈されたのは昭和4年からです。
その遺品の中にはハーンの必需品であったルーペや望遠鏡もありました。
それらを眺めていたら、視覚に障害のある方が、前方客席に座ってオペラグラスを覗きながら熱心に舞台を見てくださっている姿や、開演前にタブレット端末の拡大鏡アプリを使用ながらパンフレットを丹念に読み込んでくださる姿が思い出されました。
道具の使い方は人それぞれ。ちなみにハーンは遠眼鏡を書斎などの室内で使用していたといいます。少し遠い本棚の本を探す時などに活躍したのかもしれません。
わたしにとっての当たり前は、誰かにとっての当たり前ではじゃない。
想像力で補いながら、そのことを忘れないでいることが、アクセシビリティへの第一歩なのかもしれませんね。
- 木ノ下裕一
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1985年、和歌山県和歌山市生まれ。2006年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。代表作に「黒塚」「東海道四谷怪談—通し上演—」「三人吉三」「糸井版 摂州合邦辻」「義経千本桜—渡海屋・大物浦—」など。また渋谷・コクーン歌舞伎「切られの与三」の補綴を務めたほか古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動を展開している。「三人吉三」再演にて読売演劇大賞2015年上半期作品賞にノミネート、2016年上演の「勧進帳」にて平成28年度文化庁芸術祭新人賞を受賞。第38回(令和元年度)京都府文化賞奨励賞受賞。2024年よりまつもと市民芸術館芸術監督団団長を務める。
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木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi
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今回は松江を旅した時の話です。
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