
木ノ下裕一の「わたしのアクセシビリティ日記」 第1回
新連載を始めるなら一番興味があることにしたい!けど、ほんまに興味あることって何?という話
今最も熱中しているもの…それはアクセシビリティ
2025年7月1日 17:00 6
“推し活”という言葉が流行るずっと前から、世間のムーブメントに流されることなく、自身の好きなものを常に探究し続けてきた木ノ下歌舞伎主宰・
文・
2024年12月某日 「待ってましたっ!」
ステージナタリーの熊井さんから新連載の打診あり。
いただいたメールには「木ノ下さんが普段書くものとは、もう少し違うことが良いかなと個人的には思っています。木ノ下さんに“習う”という形の講座やイベントが多いのではと思うので、もっと木ノ下さんがお好きなことを書いてもらえるのがいいのかなと思っていて……」とあった。
ありがたい! こんなお誘いを「待ってましたっ!」と、心の中で歌舞伎の大向こう(※1)よろしく叫んだ。
(※1)大向こう:もとは舞台から一番遠い立見席を指したが、のちに役者の演技に対して観客がかける掛け声を意味するようになった。役者の屋号などを発することが多い。基本的には誰がかけてもいいことになっているが、なかなか間合いが難しく、専門とする有志の連中(れんじゅう)が組織されていたりもする。
近年では、奇をてらった内容や間の悪い大向こうに対して、SNSなどで炎上することも多い。著しく鑑賞を妨げるものは論外だが、その反面、「歌舞伎ってそんなに畏まって観るものだっけ」ともちょっぴり思わなくもない。コロナ禍での観劇感染対策(大向こう禁止、幕間のおしゃべりは最小限、オンライン観劇など)によって「劇場とは不特定多数と時間を共有する場」という感覚が希薄になったことも少なからず影響しているように思われる。
話はだいぶ逸れてしまうが、近年よく耳にする「観劇マナー」という言葉を聞くたびに(故意や不注意から生じる鑑賞の妨げは論外としても)、それって、長時間黙ってじっと座っていられて、暗く狭い場所でも恐怖を感じることのない、いわゆる“健常者”と呼ばれる人たちの基準だよなぁと思うこともある。
2024年12月某日 好きなもの尽くし
昨日、熊井さんからもらったメールをもう一度読んでみる。嬉しすぎて、まだお返事できていない。(早くしろよ!)
「もっと木ノ下さんがお好きなことを書いてもらえるのがいいのかなと思っていて……」という一文を噛みしめてみる。
私の“好きなこと”ってなんだろう。幸せなことに、ものごごろがついてから今日まで、“好きなもの”がなかった時期は一度もない。いつも何かが心に刺さって、いつも何かに興じてきたような気がする。それがただ唯一のトリエだとも言えなくもない。心あてに、時系列に挙げてみようかな。新連載のヒントになるかもしれないし。
保育園時代。戦隊モノや乗り物や武器、およそ男の子が好きそうなものには目もくれず、まず絵本で読んだ「西遊記」。絵本といえばこれも頁が破れるくらい読んだ「じごくのそうべえ」(※2)。
地獄があれば極楽もある。子供ごころにそのゴージャスさとメカのような複雑な構造に魅せられた仏壇。一時は段ボール工作で、家の中を仏壇だらけにした。当時の保育園の連絡帳が残っていて(※3)、保育士さんの筆跡で
「ゆういちくんは、今日も、おともだちの〇くんや△ちゃんとインジュさん(檀家寺のご住職)ごっこをしてました。砂辺のフチに泥団子をお供えして“ようお参り”と、お経をあげていました。おともだちはキョトンとしてましたが、お年寄りのいる家庭で育っている子らしいですね」
とある。付き合わされるおともだちが気の毒である。
小学校に上がってからは龍に狛犬。これらは仏壇への興味から派生したとおぼしい。
そしてなんといっても、小学三年の秋に出会った上方落語。今でも私の神様はダントツで三代目桂米朝師匠。もうこれは好きを通り越して崇拝の域だ。私の心の一番深いところにいつもいらっしゃる。
さて落語から古典芸能全般へと興味が一気に広がるわけだが、歌舞伎、文楽、能、狂言……これらは今でも好きだから省略する。
中学に上がって熱中したのは民藝運動。河井寛次郎や棟方志功の作品のポスターや絵葉書を部屋に貼りまくり、「ジジくさい部屋! わたしはバンドを組んで、エレキギターをかき鳴らすような息子がほしかった!」と母が嘆いたのはこの頃。
高校に入るとNHKラジオ深夜便(※4)のヘビーリスナー。毎夜明け方まで聴いてから眠りに落ちた。
そのほかランダムに、杉浦日向子、花森安治、遠藤周作、田辺聖子、白洲正子、向田邦子、永六輔、加賀美幸子、木皿泉、池澤夏樹……
さて、この中で連載のタネになるものはあるだろうか。
(※2)「じごくのそうべえ」:1978年初版の田島征彦によるロングセラー絵本(童心社)。表紙には「桂米朝・上方落語・地獄八景より」とあり、米朝落語を原作にしている。田島画伯の原色を多用したエネルギッシュなタッチは、仏教の概念としての“地獄”を絵画化した古典的画題「地獄図」の系譜に連なるともいえる。
(※3)保育園の連絡帳:本当に現存する。登園初日の頁には母の字で「一人っ子なので人見知りをします。すみませんが、気を付けて見守っていただけますと幸いです」のあと、保育士さんの報告に「今日はお散歩の時間、公園のベンチの上で、おともだちをお客にして炭坑節を踊っていました」とある。はて、人見知りとは?
(※4)NHKラジオ深夜便:NHKラジオが夜11時から早朝5時まで365日放送する深夜のワイド番組。アンカーと呼ばれるベテランアナウンサーの進行によって、歌、演芸、朗読、インタビュー、講演など多種多様なゲストとコーナーで構成される。その守備範囲の広さを武器に、リスナーの知的好奇心を刺激しつづける。いわば、無数の“知の扉”だ。私自身、この番組で興味を持った事柄も多い。高齢者のリスナーが多いのも特徴の一つで、落ち着いた空気と渋い趣向が身上だが、時より尖った企画もあり。たとえば、葛西聖司アナが名店のお菓子を食べ、その咀嚼音を聞くという「今夜のおやつ」(だったかな?)というミニコーナーなどはその代表(大好きでした!)。
なお、番組マスコットキャラクターの「ゆめぞう君」は、中途失明されたイラストレーター・エムナマエさん作。
2024年12月某日 これやこの
熊井さんから「その後、いかがですか? 一度、連載について打ち合わせをさせていただきたいのですが……」というメールが届いてしまった。
いつの間にかもう年末だ。やばい。早くお返事をしないと。
「では、今最も熱中しているものは何だろう?」と考えてみる。
迷いなく答えることができる。
それは“アクセシビリティ”だ。
とりわけ、演劇の鑑賞サポート(※5)。様々な個性によって観劇に高いハードルが生じてお客様が、劇場や作品にアクセスできるようにする試みのことで、たとえば、聞こえない聞こえづらい方へセリフや音情報を文字で伝える「字幕」や舞台手話通訳、見えない見えづらい方へ視覚情報を舞台の進行にあわせてナレーションで音声で伝える「音声描写」などがある。
自劇団である木ノ下歌舞伎では2020年から取り組みはじめていて、その制作過程ですっかりトリコになってしまった。社会包摂についての本を読んだり、福祉番組をこまめにチェックするようになった。知れば知るほど奥深く、難しい。けれど、今までリーチできなかった(作り手側が“させてこなかった”)お客様に、どうすれば楽しんでいただけるかを考え、知恵を絞り、工夫していくことの、なんとクリエーティブなことか。「そうこれこれ!(これがしたかった!)」という感じ。
話は飛ぶが、小学校の頃、なかなか同級生たちと馴染めなかった。まず趣味嗜好が全然合わず、それなりに悩んでいた。「ポケモンいいよね!」ならすぐに通じるが「桂米朝いいよね!」は通じない。当たり前だ。そんな時、ひょんなことから百人一首の蝉丸(※6)の歌に出会った。
—これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関—
現代語訳すれば「行く人も帰る人も、出会っては別れる、知っている人も知らない人も行きかう、そう!ここは逢坂の関」となろうか。
その時、私は、この歌は教室のことを言っていると思った。「みんなと仲良く」「みんなともだち」など、なにかと協調性を求めてくる一学年30人のクラス。しかし、単に、たまたま同じ学区内で、同じ年度に生まれた30人に過ぎない。なかには一生の友となる子もいるかもしれないが、クラス替えのあとは名前も思い出さない子だっているだろう。全員と仲良くする必要などないし、そもそも無理な話、つまり「知るも知らぬも“学校の教室”」なのだ。
いい具合に肩の力が抜けた。しばらくはランドセルのポケットに蝉丸の絵札を忍ばせて登校した。私が好きな落語の面白さ、一人か二人に伝わればそれでええねん、と、昼休みに、教室の教台の上に座布団を敷いて見様見真似の落語を披露してみた。
すると、「きのちゃんのラクゴ、おもしゃいな(和歌山弁で面白いの意)」という友達がちらほら現れた。あ、自分の生きる世界が広がった、と思った。大げさではなく、ほんとうに、そう思った。
蝉丸の歌にある「これやこの」は、「そう! これこれ!」と、少し高揚したニュアンスを含む。私にとっては、この時の体験は、まさに「これやこの」だった。他者と“つながれない”と感じた時、こちらが何かしら工夫し、ほんの少しの勇気を出して越えようとした時に、世界が広がることがある。
成功体験というものは恐ろしいもので、この日以来、自分の好きなもの、つまり自分が「これやこの」と思ったものは、他者とシェアしないと気が済まなくなってしまった。それは、今となっては、生きる糧であると同時に呪いのようなものだと思うが、ともかく、現在の仕事—「自分が面白いと思う歌舞伎作品を、多くの演劇人やお客さんとシェアしたい」—までつながっている。
木ノ下歌舞伎で作品を作ることも、古典の愉しみについて書いたりしゃべったりするのも、そして演劇におけるアクセシビリティについて考えるのも、私にとっては同じ“心の動き”だ。心から“これやこの”と思える行為なのだ。
「お返事できていなくて大変申し訳ありません! すごく嬉しいご依頼ありがとうございます! ちょっと考えていることがあるので、一度、オンラインで打ち合わせさせてもらえませんか」と熊井さんにメールした。
(※5)鑑賞サポート:2025年現在、これらの取り組みは「鑑賞サポート」と呼ばれることが一般的だが、ほかにも「鑑賞支援」「鑑賞サービス」「情報保障」など様々な名称が混在し、それぞれにニュアンスが多少異なる。私自身、既存の名称の中では「鑑賞サポート」が最も感覚的に近く、よって、よく使用しているが、今となってはどことなく、「鑑賞」という言葉に付きまとう他人事感(鑑賞する側の問題でしょ、作品自体は変える必要はないよね的な……)と「サポート」という若干の上から目線(聴覚にしろ視覚にしろ足りないところをサポートして、引き上げてあげるね的な……)が気になっていて、新たな名称は作れないものか……とも思っている。
むろん「鑑賞サポート」の普及に尽力されてきた先達たちが、他人事で上から目線だとは思っていない。言葉には、一定の役割と賞味期限があり、「鑑賞サポート」が次なる脱皮を果たすためには、新しい器(言葉)がそろそろ必要なのではないだろうかと思っているまでです。
(※6)蝉丸:逢坂の関(京と滋賀の境)近くに庵を結んでいたとされる平安時代前期の世捨て人。もとは皇子だったとも、楽器の名手だったとも、盲目だったとも、架空の人物だともいわれ、何かと伝説が多い。
能「蝉丸」は、生まれつきの盲目のせいで逢坂山に捨てられた延喜帝第四皇子・蝉丸と、同じく生まれつき髪が逆立つという障害がある第三皇女・逆髪の姉弟が再会する物語。皇子と皇女に障害があるという設定が天皇家に対し不敬であるとされ戦時中は上演が禁止された曲でもある。
2024年12月某日 ぜんぶ、アクセシビリティ
大晦日が数日後に迫った頃、熊井さんと打ち合わせた。帰省中の実家からオンラインで。コロナ禍以降、すっかり定着したオンライン会議だが、私が子供の頃には考えられなかった。中学の頃だったか、「スター・ウォーズ エピソード1」を映画館で見たが、宇宙の首脳陣たちが各々の星に居ながらにしてバーチャルで会議をしているシーンがあって、「こんなものが本当にあったら生徒会の会合ももっと楽になるのにな」などと思った記憶があるが、人類は20年足らずで実現させてしまった。
様々な事情や疾患、障害などからオンライン会議を必要としていた人はコロナ禍以前にもいたはずで、それまではごく限定的に使用されていた通信ツールが、ここ数年で急速に普及したことについては“けがの功名”とも言えなくもないが、地球規模の疫禍がなければもっと遅れていたことを思うと“マジョリティの腰の重さ”について考えないわけにはいかない。
さて、会議では、私がこれまで好きだったもの&最近ハマっていることなどを脈絡なく話し、そのうえでいくつかの連載プランを提出した。じっと聞いていた熊井さんが口を開く。
「どれでもいける気がしますが、どれもに共通するものがあるように思います。つまりは“翻訳”あるいは“つなげる”ものに魅かれてきたということではないですか」
流石は人の話を深く聞き取り、珠玉のインタビューにまとめ上げる百戦錬磨の熊井さんだなァ。言われてみれば、なるほど。なるほど。
たとえば「西遊記」「じごくのそうべえ」の絵本。中国の古典籍、落語の古典演目を絵と文によって子供にも伝わるように工夫されたもの。
仏壇。いまでも寺社巡りや仏教美術が好きだが、何に感動するかって、“教義”や“浄土”といった概念を、誰もが目にすることがモノ(仏像、曼荼羅、建築など)に落とし込んでいるところ。
三代目桂米朝。途絶えたネタの復活や、現代では通じない古演目の換骨奪胎に震えるほど感動してきた。
民藝運動。特権的な芸術ではなく、「用即美」の価値基準でもって、下手物と呼ばれるような器や品に“民”衆的な“芸”術性を見出した。
その他、江戸なるものと現代をポップな手つきで飄々とつなげた杉浦日向子、戦争による反省を戦後の民主的な暮しに接続した花森安治、キリスト教と日本の土着的宗教観のあわいを模索した遠藤周作などなど。
嗚呼、すべて“アクセシビリティ”なんだな。
「熊井さん。なにか思いつきそうです。ちょっと考えさせてもらえますか」。
「よいお年を!」と言い合いZOOMを切った。
【日記後記】
わくわくする連載がはじまりました!
いまの“わたし”の最も近くに“在る”連載になりそうです(わかりにくい表現でスミマセン)。どのお仕事も等しく尊いわけですが、つまり、いま最も書きたいこと、考えたいことを、ここではやろうと思っています。
本当は、“日記形式”と“タイトル”を思いつくまで、この倍くらいの分量を書いていたのですが、さすがに長すぎるので、二回に分けました。次回もお楽しみに。
- 木ノ下裕一
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1985年、和歌山県和歌山市生まれ。2006年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。代表作に「黒塚」「東海道四谷怪談—通し上演—」「三人吉三」「糸井版 摂州合邦辻」「義経千本桜—渡海屋・大物浦—」など。また渋谷・コクーン歌舞伎「切られの与三」の補綴を務めたほか古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動を展開している。「三人吉三」再演にて読売演劇大賞2015年上半期作品賞にノミネート、2016年上演の「勧進帳」にて平成28年度文化庁芸術祭新人賞を受賞。第38回(令和元年度)京都府文化賞奨励賞受賞。2024年よりまつもと市民芸術館芸術監督団団長を務める。
木ノ下裕一のほかの記事
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森下亮 @RyomoRishitan
木ノ下歌舞伎の木ノ下さんの新連載!!
まさに「こういう木ノ下さんの文章読みたかった」が詰まってる!!
これから楽しみ!!! https://t.co/GP9goQjMvC