「さんピンCAMP」とその時代 第2回 前編 [バックナンバー]
ブッダとシャカの邂逅から生まれた伝説のユニット、大神とはなんだったのか
NIPPS&CQ(BUDDHA BRAND)×IGNITION MAN aka ヒデボウイ(SHAKKAZOMBIE)対談
2025年12月25日 19:00 3
伝説のヒップホップイベント「さんピンCAMP」の全貌に迫るべく、当時の関係者や出演アーティストへのインタビューなど、さまざまなコンテンツをお送りする連載企画「『さんピンCAMP』とその時代」。第2回となる今回は、
1990年代のヒップホップシーンを代表するグループであるBUDDHA BRANDとSHAKKAZOMBIE。そんな2組が合体して生まれた伝説のユニットが大神(オオカミ)だ。1996年に彼らが発表した楽曲「大怪我」は日本語ラップのクラシックとして今もなお高い人気を誇っている。ブッダとシャカはいかにして出会ったのか? 前編となる今回は3人に大神が誕生する経緯を中心に語ってもらった。なお取材には当時の担当ディレクターであるエイベックスの本根誠氏にも立ち会ってもらった。
取材
雑誌「Fine」を通じてそれぞれを認識していた
──まず初めに大神というユニットにたどり着くまでの流れを知りたいんですが、BUDDHA BRANDとSHAKKAZOMBIEの出会いは、どのようなきっかけだったんでしょうか?
NIPPS 俺が覚えているのはDEV LARGE(D.L)がどこかでSHAKKAZOMBIEのデモテープをゲットしたんだよ。それをニューヨークで聴いたの。
ヒデボウイ マジすか?
NIPPS 「SHAKKATTACK」って曲。俺はニューヨークでドライブしながら聴いてた。
ヒデボウイ 僕らの1stシングルになった曲ですね。
NIPPS それを聴いてDEV LARGEがカッコいいじゃんって。
ヒデボウイ あの曲はキミドリの
NIPPS 八重歯のやつね。
ヒデボウイ 僕も牙の形の金歯を付けてて「あっ、一緒だね」という話になって。そのときコンちゃんから「俺たちニューヨークで神やってんだ」って言われたんですよ。「SHAKKAZOMBIEは日本で神やってんでしょ?」って言われて、その会話をきっかけに仲よくなったんです。
CQ 俺の最初の記憶は雑誌の「Fine」かな。「Fine」にOSUMI(BIG-O:SHAKKAZOMBIEのMC)が載ってて。「ファット・ジョー大澄」って名前だったと思うんだけど。
ヒデボウイ そうそう。
CQ 俺、FAT JOEが好きだったから、すげえやつがいるなと思ったんだよね。見た目もインパクトあったし。音源は聴いたことないけど、こういうやつがいるんだと思った。OSUMIがラッパーなのかいまいちわかんなかったけど、それでSHAKKAZOMBIEの存在を知った感じ。
NIPPS 日本に戻ってくる前にDEV LARGEがいろいろ調査してたんだよね。俺たちはDEV LARGEから日本の情報を入れてて。でも俺はまったく興味なかった。
CQ 91年か92年か、それぐらいの時期にDEV LARGEが一時的に日本に帰ってて。「Fine」の連載とかやってたから、そのときからOSUMIのこととか知ってるんじゃないかな?
ヒデボウイ 僕とOSUMIは「Fine」でコンちゃんの名前を超見てたんです。「このDEV LARGEって誰なんだ?」って。
CQ 俺も日本から持ってきてもらった「Fine」を見てたよ。ちっちゃいスナップ写真とか載ってたじゃん。
ヒデボウイ 白黒のページですよね? そこに「ナムブレイン(NUMB BRAIN)」っていうブッダの前身グループの名前が書いてあって。どういう人たちなんだろう?って思ってた。
CQ 当時の「Fine」にはヒップホップの情報って1、2ページぐらいしか載ってなかった。そういう記事をDEV LARGEが意外と気にしてた。日本人関係ねえとか言ってるわりには、すごい気にしてて、俺たちにも「Fine」とか見せてきたんだよ。
インディーズにこだわったDEV LARGE
──SHAKKAZOMBIEの「SHAKKATTACK」は95年9月1日発売。エイベックス傘下のcutting edgeではなく、当時TOY’S FACTORY傘下のNatural Foundationからのリリースでした。
ヒデボウイ 同じ年に石田さんが「ホームシック」というアルバムを出して、石田さんの周りに僕たちもいさせてもらってたんです。ライブで共演させてもらったり、日々一緒に遊んだりして。そんな中で石田さんが「日本版の『Wild Style』(※1982年に製作されたアメリカのヒップホップ映画)みたいなことをやりたいんだ」という話をしてたような気がするんですよ。もしそういうことがやれるようになったら参加してよって軽く言われていたんです。その流れで「エイベックス来ちゃえば?」って誘ってもらって。
──「日本版の『Wild Style』をやりたい。だったらレーベルが一緒のほうが動きやすいし」みたいな。
ヒデボウイ そんな感じだったと思います。で、そのタイミングくらいでブッダが「CHECK YOUR MIKE」に出たのかな。だって、そのタイミングで「人間発電所」を録ってますよね?
NIPPS 「発電所」と「Illson」を録ってる。レーベルの話で言うと、DEV LARGEは最初インディーズでやりたがってたんだよね。アンダーグラウンドがいいって。でも俺が「エイベックスは金持ってるから、絶対行ったほうがいい」って言って。DEV LARGEは最初拒否してた。
──それをNIPPSさんが口説いた。
NIPPS 俺が悪知恵使って(笑)。でも結局、契約はしなかったんですよ。
ヒデボウイ 最初はショットでしたよね。僕らもそうでした。
NIPPS 俺はcutting edgeの本根(誠)さんから「どこかの事務所に入れば、月々いくらか定額で入るからそのほうがいいんじゃないの?」って言われて「ヤッター!」って思ったんだけど、DEV LARGEが「人に(お金を)持ってかれたくない」「取り分が減る」って。だから事務所には入らなかった。
──そこから2組はレーベルメイトになったわけですが、どういう流れで大神を結成することになったんですか?
ヒデボウイ たぶんDEV LARGEがSHAKKAZOMBIEとBUDDHA BRANDで何か一緒にやったら面白いんじゃないかって言い出したんだと思う。
NIPPS DEV LARGEと石田さんで相談して決めたんだと思う。俺は「いいんじゃない?」って。
“仏陀”+“釈迦”=大神
──そもそも大神は、「さんピンCAMP」に向けてスペシャルユニットを組もうという流れで結成されたんですか?
NIPPS いや、「さんピン」用にユニットを作ろうとかそういう話じゃなくて、単純に企画として面白いんじゃないかっていうことだったと思う。「さんピン」用にユニットを作ろうとか、そういう話じゃなかった。
ヒデボウイ 始まりはお互いにマキシシングルを出すからっていうところからだと思います。あの頃コンちゃんと僕の家が近かったんですよ。しょっちゅう渋谷の神山町のコンちゃんちに行ってて、そこでそういう話がまとまったのかもしれないけど、あんまり覚えてないですね。ブッダとシャカのメンバー全員で、西麻布のTERMINALというクラブに集まって大神の話をした記憶があるんですよ。当時、南青山にあったエイベックスにいて、その流れで「西麻布、行くか」みたいになったのかもしれないですけど、そのときに大神のなんの話をしたのかは覚えてない。
──大神というグループ名は、お互いのグループ名に“仏陀”と“釈迦”が入っていたことから?
ヒデボウイ かもしれないですけど、コンちゃんになんらかのインスピレーションがあったのかもしれません。
CQ その名前も無理やり付けちゃっただけの話っていうか。ブッダとシャカだから単に大神ってだけで。EPを出すわけでもなく1曲作っただけだもんね。
ヒデボウイ で、TSUTCHIE(※SHAKKAZOMBIEのDJ)とDEV LARGEがそれぞれのバージョンのトラックを作ったって感じ。
CQ それだけで完成させようと思ってないけど、完成になっちゃったんだよね。そのあとどうしていこうっていうプランはなかったと思う。
DEV LARGEはTSUTCHIEを認めていた
BUDDHA BRANDのほかの記事
関連する人物・グループ・作品
Markus Hale @MeganP34060
@natalie_mu 「なんピンCAMP」この布陣が第2回で生まれた伝説のユニット…
NIPPS&CO、SHAKKAZOMBIE、IGNITION MAN…ヒップホップファン歓喜
ブッダとシャカの邂逅、歴史的すぎて鳥肌立った