ボカロPとして活動してきたナナホシ管弦楽団が、本名の岩見陸(いわみたかし)名義で“セルフ歌唱プロジェクト”を始動。1stシングル「Drip」をリリースした。
これまで「抜錨」「失楽ペトリ」などの曲を発表し、独創的なメロディセンスや文学性の高い言葉選びで人気を博してきたナナホシ管弦楽団。近年はP丸様。「シル・ヴ・プレジデント」、宝鐘マリン「美少女無罪♡パイレーツ」、星街すいせい「ソワレ」、しぐれうい「うい麦畑でつかまえて」といったVTuberシーンのヒット曲を多数手がけ、作家としても確固たる地位を築いていた。そんな彼が、なぜ今このタイミングで自ら歌うという表現を選んだのか?
この記事では岩見へのインタビューを通して、セルフ歌唱に踏み切った理由や「Drip」に込めたテーマ、そしてナナホシ管弦楽団としての活動とどのように向き合っていくのかを掘り下げる。長年にわたり他者の声を前提に曲を作ってきた作家が、自らの声を素材として選んだとき、何が変わり、何が変わらなかったのか。ボカロPとしての歩みを振り返りつつ、今後の展望までじっくり語ってもらった。
さらに特集後半では、兎田ぺこら、しぐれうい、島爺、Syoyo、DMYM/No.734、NNZN、宝鐘マリン、星街すいせい、堀江晶太(PENGUIN RESEARCH)という岩見とゆかりの深い9人のクリエイターから贈られた、セルフ歌唱プロジェクト始動を祝うメッセージを紹介する。
取材・文 / 森朋之撮影 / YOSHIHITO KOBA
“歌ってみた”を投稿したこともあるんですよ
──まずは岩見さんのこれまでのキャリアについて聞かせてください。ボカロP・ナナホシ管弦楽団として活動をスタートさせたのが2011年。ボーカロイドに興味を持ったのはいつ頃ですか?
たぶん中3、高1くらいなので、2007年頃ですね。宅録系かカルチャー系の雑誌にボーカロイドの体験版が付いていて、自分の学校の校歌をボカロで作ってみたのが最初で。その前から鍵盤で曲を作っていたし、学園祭とかでバンドもやってたんですけど、好きで聴いてたのが同人音楽方面だったんですよ。DAWを使って1人だけで作っている音楽に惹かれていたので、自分でやるならそっちだなと。DTMで曲を作ってネットに上げることが当たり前になりつつあった時期ですね。
──同人音楽では、どんなものが好きだったんですか?
その頃muzieというサイトがあって、そこでいろんな方が投稿されていたんですね。僕がよく聴いていたのは“夜姫と熊猫”という2人組だったり、今も活躍されているOSTER projectさんの「鬼火」というピアノ曲だったり。
──当時のネットシーンに触れながら、オリジナル曲を作り始めたんですね。
はい。OSTER projectさんのような鍵盤の曲も作ってたんですけど、ギターを弾き始めたあたりから、今のサウンドに寄っていったというか。ただ、歌だけはどうやって録っていいかわからなかったんです。“歌ってみた”はすでにあって、自分も2回くらい投稿したことがあるんですよ。「けいおん!」とか「創聖のアクエリオン」の主題歌をカバーしたんですけど、ゴッパチ(マイク「SM58」)を機材に差して歌っただけで、録音状況もよくなくて。再生数も全然いかなくて、どうしようかなと思っていたときに、自分の中でボーカロイドの存在がどんどん大きくなっていきました。自分で歌うより、ボーカロイドのほうが絶対いいなと。
──その後はナナホシ管弦楽団として楽曲を次々とリリースし、2013年に「MONSTER BEERGARDEN」を発表。デビュー直後から順調にキャリアを重ねていた印象がありますが、岩見さん自身はその状況をどう捉えていましたか?
どうなんだろう? ボカロカルチャーらしい感じで、いろんな歌い手の方が自分の曲を歌ってくれて、少しずつ聴いてもらえるようになって。1stアルバムは「イベントでCDを出しませんか?」と声をかけていただいたのがきっかけで制作したんですけど、そうやってつながってきたというか。今もそういう感じでやってます。
「どうして自分の曲はこんなにベタなんだろう?」と苦しんでいた
──さらに岩見さんは歌い手の島爺さんとユニット・カロンズベカラズを結成したりと、楽曲提供もそうですが、“人が歌うための曲”を作ることが増えました。
最初の頃は人が歌うことをあまり考えてなかったんですけど、ボーカロイドで曲を発表していく中で「人間が歌える曲じゃないよね」というコメントをもらうことが増えてきて。そこから「歌えるかどうか」をちょっとずつ意識し始めました。ボーカルの難易度が高いことで盛り上がる人もいるけど、難色を示す人もいて。こういうカルチャーに参加するハードルを考えると、歌いやすい曲があったほうがいいのかなと。曲が難しくなると、興味を持ってくれる人の数も減っていく一方だし、「難しそうだけど、歌ってみようかな」という曲も必要なので。
──楽曲提供を通して、歌モノを作るスキルも上がったのでは?
悩むこともありますけどね。ある時期に「これが自分のパターンかな」という形ができた感覚があったんですけど、どうしても“いなたい”気がして。例えば1番のAメロと2番のAメロを少し変えたり、そういうトリッキーな感じがあんまり好きじゃないんですよ。飽きさせないためにはそれも必要なんですけど、自分は王道が好きだし、最後は王道が勝つと思っていて。その中で「どうして自分の曲はこんなにベタなんだろう?」と感じることもあったり……。
──葛藤を抱えていた、と。
けっこう苦しんでいた時期もありましたね。僕が伸び悩んでいた時期に第一線で活躍していた方は、本当にすごい人たちばかりで。n-bunaさん、烏屋茶房さん、和田たけあきさん、ボカロらしくもキャッチーな曲が好きだったので、wowakaさんやkemuさん、じんさんも好んで聴いていたんですけど。そういう方々と比べると、どうしてもいなたさが抜けないなと。僕自身がメジャーなものをあまり好んで聴いてこなかったせいもあるでしょうけど、メロにしてもオケの作り込みにしても「ダメだな」と絶望することはわりとありました。最近はだいぶ自分の理想に近付いてきた感じがあるんですけどね。もちろん、昔の曲も全力で作ってきたし、好きは好きなんですけど。
──現在もボカロシーンにはすごい才能が集まっているので、刺激を受けることもあるのでは?
本当にとんでもないですよ。レーベルメイトのボカロPである不眠症さんや奈良瀬さんを筆頭に、みんな世界観も完成度もクッキリしていて。彼らから学ばないといけないことはとても多いです。ボカコレの「ルーキー」(デビューから2年以内のアーティスト限定のランキング)の皆さんの曲もすごいし、「この人たち、どこに隠れていたんだろう?」って。今もボーカロイドシーンはまったく衰えてないし、いつも「すごいな」と思ってます。ただ、受け止め方が変わってきたんですよ。以前は「いやいや、俺のほうが」みたいな気持ちもあったんですけど(笑)、今は「みんなすごいね」と受け入れられるようになりました。
────なるほど。ボカロPとの横のつながりはあるんですか?
それがほとんどなくて。ねじ式さんとはお互いの曲をカバーし合ったりしたんですけど、直接的な関わりはそれが唯一ぐらいです。あとは「ボカロP同創会」でお会いして話す方々ぐらいですね。30代になっても友達の作り方がマジでわからない(笑)。でも、実際会うと「この人たちみんなずっとボーカロイドと歩んできてるんだよなぁ」と、勝手に親近感を覚えたりはしてます。
ボカロアルバム「LADY BUG」は、自分を再解釈するような感覚だった
──12月12日には、ナナホシ管弦楽団としてのボカロフルアルバム「LADY BUG」がリリースされました。“岩見陸”のセルフ歌唱プロジェクトが始まる1週間前のリリースですが、このタイミングでボカロアルバムを出したのはどうしてですか?
ボカロPとしての活動に関してなんのアナウンスもないまま自分名義の曲を出すと、リスナーに「ボーカロイドは置いていっちゃうのか」という感覚を持たせてしまうかもしれないなと思って。自分としては、ボカロP・ナナホシ管弦楽団としてやってきたうえで、岩見陸名義の活動があるんですよ。そこは表裏一体というか、なるべく一緒に進めていきたくて。
──変節したのではなく、ボカロPの活動の延長線上に“岩見陸”の活動があると。
そうです。そのつながりを示すためにも、ここでボカロPとして、これまでとこれからの中継点のような節目となる作品を出しておきたかった。「ソロ名義の売名のためにボカロアルバムを出すの?」と思われる怖さもちょっとありましたけど、全然そういうことじゃないんですよ。岩見陸の音楽性も、ニコニコ動画への投稿から始まって、ここまでいろんな曲を作ってきた中で培われてきたものなので。
──アルバム「LADY BUG」には最新曲「グッバイバッドボーイ」「海月に群青」「くるみ割り女王」や、人気曲「ティーチャーティーチャー」「絶対絶命」、歌い手のGeroさんへの提供曲「ほっといて。」のボカロカバー、さらに新曲も収録されています。アルバム全体のテーマは?
タイトルがテントウムシ(Ladybug)なのは“ナナホシ”から来ているので、自分がこれまでやってきたことの象徴になる作品にしたくて。まず「恋愛ソングを主体にしよう」と思っていました。「LADY」と「BUG」を分けると、女性恐怖症だったり女性への執着みたいなイメージもあるし、恋愛をテーマにした曲以外はなるべく外すようにしました。表題曲の「LADY BUG」では、「今の私はこうですよ」という感じを出したかった。星街すいせいさんに書き下ろした「ソワレ」と同じように、ブラスセクションをしっかり生かした曲になってます。「タランチュラ」は、楽曲提供の案件でやっていた電波系ソングのニュアンスが入っていて。これまで培ってきた自分の作風と、今やりたいことを合体したというか。自分を再解釈するような感覚もありました。
──「自分らしさ」と向き合う機会でもあった、と。
そうなりましたね。アルバムの最後の曲に入っている「ラストロベリー」もそう。締切ギリギリで完成したんですけど、この曲のギターは主要な部分で言うと8テイクぐらいしかなくて。要は1つのリフを音色を変えて切り貼りして作ってるんです。リフだけで押すと、それこそいなたい曲になってしまうから、なんか新しい作り方できないかな?と試行錯誤した結果が「ラストロベリー」で。作り終わったときに「これも自分の本質かもしれないな」と思いました。気になるワンフレーズを主体にすることが多かったんですよ。振り返ってみると。
──なるほど。もともとギターリフを軸にしたロックも好きなんですか?
好きですね。a flood of circleやJetも聴いていたし、あとはMr. Bigの影響もあると思います。GRANRODEOの飯塚昌明さんのルーツを探っていく中で、Mr. BigやKissにたどり着いて。その系譜も自分の楽曲には入っているような気がします。
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きっかけはVTuberのライブを観たこと



