2025年、長渕剛は命懸けでステージに立っていた。
4月から7月にかけてホールツアー「TSUYOSHI NAGABUCHI HALL TOUR 2025 "HOPE"」を、10月から11月にかけてアリーナツアー「TSUYOSHI NAGABUCHI 7 NIGHTS SPECIAL in ARENA」を行い、各地で一夜限りの歌、その日だけのトークを繰り広げ、ファンを熱狂させた長渕。アリーナツアーの途中で体調を崩すアクシデントにも見舞われたが、なんとか持ち直し、年内最後のステージをまっとうした。
この記事では、アリーナツアーの千秋楽となった神奈川・Kアリーナ横浜公演のライブレポートを掲載。来年古希を迎えるとは思えないほどのエネルギッシュなステージの模様を、長渕を追い続けるライター冬将軍の言葉を通して伝える。
取材・文 / 冬将軍
オーディエンス驚愕のオープニングナンバー「家族」
豪快に鳴り響くエレクトロサウンドと、どこか生命が宿るような動きを見せる光の筋がコンテンポラリーな情景を描き出す。激しいリズムが特徴のEDM、そしてエレキギターのリードによるデジロック……次々と展開するSEに合わせ、無数の光が激しく動く。さらに無数の照明がトラスごと上下に動き、オーディエンスの歓声をのみ込んでいく。激しくも美しい光の演出とけたたましいサウンドの波が最高潮に達すると、ステージ後ろに大きな半円の影が浮かび上がった。それは「HALL TOUR 2025 "HOPE"」のオープニングでも見た太陽のフレアを彷彿とさせるも、違っていたのは燃え盛るような真っ赤な光を放っていることだ。太陽のようであり、日の丸のようでもある。
壮絶なオープニングに呆気に取られていると、太陽の真下に長渕剛のシルエットが現れた。“剛コール”が巻き起こる中、長渕は上下真っ黒なセットアップにサングラスをかけ、アコースティックギターを片手にゆっくりと階段を降りる。ステージ中央に陣取り、激しいピッキングによりサウンドホール付近がえぐれた真っ黒なタカミネのギター“チンピラ1号”を構えると、ボディを叩き付けるように弾き始めた。割れんばかりの“剛コール”と大歓声をさえぎるように、「ズドーン」と図太い打撃音と鋭いギター弦の響きが会場に広がる。えも言われぬ緊張感が会場を支配した。オープニングナンバーは誰も予想できなかったであろう「家族」だ。高度なテクニックや小細工などいらない。ただEmコード(※1音下げチューニングのため、実際出ている音はDm)を一発ストロークするだけで観るもの聴くものをねじ伏せ、会場の空気を一変させる。そんなことができるアーティストは長渕剛だけだろう。
10月1日、2日に大阪城ホールで始まった長渕剛アリーナツアー「7 NIGHTS SPECIAL in ARENA 2025」は11月28日、Kアリーナ横浜でファイナルを迎えた。途中、11月15日の愛知公演が体調不良で中止というアクシデントに見舞われ、翌日および横浜公演へのチケットの振替と両公演のリハーサル見学という対応が観客に対して取られた。この横浜公演は開場および開演時刻が大幅に遅れるも、場内に流れる懐かしの長渕ナンバーに合わせて大合唱を巻き起こしながら開演を待つオーデエンスの光景が印象的だった。誰もが待ち侘びたツアーファイナルは、激情的な照明演出からの静寂を切り裂く、まさかの「家族」で始まった。
ギターを叩く打撃音とともにかき鳴らされる弦の響きと、聴き手の感情に揺さぶりをかけてくる長渕の歌声が、重く暗くどっしりと会場にこだまする。自らの人生を振り返りながら日本の未来を憂いた「家族」。家族への愛情、そこに相反する寂しさ、悲しさ、そして怒りに似た感情がひしめき合う。この歌を1曲目に持ってきたことに、長渕を取り巻く昨今の状況に対する彼自身の意思と決意を感じた。長渕のシリアスな歌声は徐々に鬼気迫るものとなり、そこに寄り添い、重なっていくバンドの音が観客に降り注いだ。
そのまま、「HOPE」へなだれ込む。「HALL TOUR 2025 "HOPE"」のレポートでは「『クソみてぇな世の中に対して“HOPE=希望”と大声で叫んでみました!』という皮肉混じりでぶっきらぼうな長渕節」と書き記したが(参照:長渕剛「TSUYOSHI NAGABUCHI HALL TOUR 2025 "HOPE"」特集)、オーディエンスとともに突き上げられた長渕の“拳”はこのKアリーナで最高潮を迎えたと言っていい。「HALL TOUR 2025 "HOPE"」終了後に前ツアーの運営を委託していた会社、この日の長渕の言葉を借りれば“制作会社もどき”による未払い問題が明らかになった。長渕はなぜ怒っていたのか? この歌に込められた怒りの矛先が明確になったのである。
ツアーを重ねて積み上げられたバンドのグルーヴと、それに応えるオーディエンスの熱狂が膨大なエネルギーとなって、会場全体を揺らす。ステージ上で吹き上がる炎柱はまるでそのエネルギーによって作られたものに思える。続いて披露された「黒いマントと真っ赤なリンゴ」も、どこか陰のあるメロディと隠喩表現が「HOPE」とは異なるベクトルの皮肉をも感じさせ、深読みできる曲である。長渕はメインステージ前方から客席最前列までせり出した舞台に降り立ち、オーディエンスの熱気に立ち向かった。
極限まで突き詰めた、表現者としてのこだわり
「富士山麓 ALL NIGHT LIVE 2015」をともに作り上げ、国境を超えた戦友、アメリカ人ギタリストのピート・ソーンが軽快なロックンロールリフを爪弾く。「Wow~」と長渕とオーディエンスとのコール&レスポンスが繰り広げられたあと、「あれは去年の年も押し迫った頃だったぜ」と長渕が歌い始めたのは「豚(BUTA)」だ。1992年、6万5000人を相手にギター1本で東京ドームのステージに立った「LIVE'92 JAPAN IN TOKYO DOME」のアンコール時、「さっき楽屋で書いた歌を今から歌います」と、あることないことを書いたマスコミに対しての皮肉をつづった歌が、バンドアレンジで披露された。「SNSでありもの世界に踊らされちゃってる」と、2025年バージョンにアップデートされた歌詞を歌う長渕。「30年以上経った今でも“豚(BUTA)”に追いかけられてます。ちゃんと対応しても、ひとつも僕の言ってることは書いてくれない」と笑いを誘いながら、“長渕剛”という強烈なアーティストの“有名税”を自らあっけらかんとした表情で歌うのである。
「君たちのことを考えて、音も照明も作ったから」と最上階最後列の観客に向かって言葉を投げた長渕。音響から照明、時に開演前と終演後のアナウンスに至るまで、ライブ制作のすべてにこだわるのが長渕剛というアーティストだ。すべてはファンのため、観客のため。そのために労力は惜しまない。「最前列と最後列を同じ音にする」のは長渕の音響へのこだわり。無茶苦茶なようだが、表現者としては当然の探究だろう。歌のブレスからギター弦6本の細やかな響きまで、すっと耳に届く最高の音響で「STAY DREAM」が弾き語られる。いつもより軽快なストラムでの歌い出しが高揚感を誘う。マスムラエミコ、会原実希、沼田梨花のコーラス隊が長渕の野太い歌声に華を添え、サビでは会場全体の大合唱が巻き起こった。
「日本という国は、どうも年齢を気にしすぎると思う。60歳過ぎたときにそれをすごい感じたかな」
河野圭(Key)の奏でるジャジーなピアノをバックに長渕が語り出した。歳をとったことで、目の上のたんこぶにされる。「それなら『上等だよ!』と思うようにしている。目の上のたんこぶになってやろう!」と、長渕らしい発言に会場が沸いた。そんなオーディエンスの様子を見渡しながら長渕が「47年だぜ? 僕たちはこういう空間を47年も作り続けてるのよ。だから僕は長渕剛のファンを誇りに思ってます!」と叫ぶと、さらに大きな歓声が上がった。続けて「若い人間たちと、手を取って新しい時代を作り出したい。同時に若い人たちは尊敬を抱きながら自分の先輩たちをしっかりつなぎ止めて、いいところを食い尽くしてしまえばいい。いいところを自分のものにしてしまえばいいんです。闇雲に反抗したり、先輩たちをこき下ろしたりしないほうがいいよ。日本は終わっちまうぞ。隣を、後ろを見てごらん。こんなに誠実で愛にあふれた人間がひしめいてるんです。僕はそのことを感じるとまだがんばろう、まだ信じたい、この生の空間を信じたい……そういうふうに思いますよ」と、若い世代へのエールと自身のファンへの信頼を口にした。長渕のライブ会場には多くの老若男女がいる。47年というキャリアを通して、ファン層は親子、そして3世代、4世代まで広がり、長渕の歌が若い世代にも確実に響いている。
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「みそくそな3年間でした」苦しい胸の内を吐露した長渕





