2023年4月に本格的に再始動して以降、精力的に活動を続けてきたWaive。再始動から約3年が過ぎ、彼らは当初の宣言通り2026年1月4日に行う初の東京・日本武道館公演をもって解散する。バンドの有終の美を飾る大舞台に向けて、音楽ナタリーでは2つの対談企画を実施。第2弾となるこの記事では、杉本善徳(G)とLa'cryma ChristiのSHUSE(B)による対談をお届けする。
11月15、16日に幕張イベントホールにて開催された「CROSS ROAD Fest」での競演も記憶に新しいLa'cryma ChristiとWaive(参照:ヴィジュアル系黄金期フェス「CROSS ROAD Fest」座談会)。同じ事務所に所属していた先輩・後輩であり、同じ時代を経験してきた2組だが、ヴィジュアル系という言葉すらない頃に活動をスタートさせたLa'cryma Christiと、ヴィジュアル系という音楽ジャンルが確立されたタイミングで登場したWaiveは、吸収してきた文化も音楽シーンに対する視点もそれぞれ違うようだ。かねてより交流が深いという杉本とSHUSEに自身の音楽性や2000年前後の音楽シーンについて、そして今後の活動について語ってもらった。また特集の最後にはWaiveや杉本と関わりの深い、有村竜太朗(Plastic Tree)、ガラ(メリー)、草野華余子、seek(Psycho le Cému)、DAIGO(BREAKERZ)、Tama(Hysteric Blue)、千聖(PENICILLIN)、永野椎菜(TWO-MIX)、藤田幸也(D≒SIRE、JILS、Kαin)、命(-真天地開闢集団-ジグザグ)からのコメントを紹介する。
取材・文 / 舟見佳子撮影 / 堅田ひとみ
※コメント寄稿者は50音順
ラクリマTAKAと似てたWaive杉本善徳!?
SHUSE(La'cryma Christi) 当時Waiveが事務所に入ってきたときに、社長の阪上さん(SWEET CHILD社長の阪上正敏氏)から善徳の特徴は聞いてたんですよ。なんか、TAKAに似た面白い人が入ってきたんだなあと。
杉本善徳(Waive) たぶんTAKAさんの記憶にはもうないと思うんですけど、TAKAさんが当時僕のことをすごく気に入ってくださって、収録とか楽屋で会うたびに、「君、男前やなあ」って毎回言ってきてたんです。僕、TAKAさんと似てると言われることがしばしばあったので「この人、自分好きなんやな」と思ってました(笑)。
SHUSE ルックスもやねんけど、阪上さんは性格も似てるって言ってたよ。「TAKAみたいなやつや」って。ミュージシャンって、そんなにビジネスについて語ることはないけど、バンドのリーダーはやっぱり対外的にはそういう話をしていかないといけなくて。その中には、ミュージシャンを超えたアイデアを持っている人たちがたまにいる。それが、TAKAとか善徳なんやろうなという。ほかの人は、ミュージシャンとしてのビジネス論が王道やったりするのよ。こういう展開にしていったらだんだん大きくなるっていう、ある程度フォーマットがあるわけじゃないですか。2人はそういうのをちょっと覆して、もっと上に跳ねようとする考え方をしている印象はあるね。
杉本 そもそも、人がたどった道を歩くのがあまり好きじゃないというのはありましたね。
SHUSE そこは一致するな。例えば、今じゃ当たり前やけど、当時はビラとかも普通は白黒でしか作らへん。でも、TAKAは絶対カラーで作りたがる。「白黒のチラシなんかもらってもゴミにしかならんやん」って言って却下してた。
杉本 確かにお互いそういうところはあるかもしれないですね。言い方はアレですけど、頭ひとつ抜けて目立ちたがるところが似てたかもしれない。
SHUSE 普通の人が考える以上のこととか、そこにフックを与えるような行動って、人はなかなか思いつかなくて。白黒のビラを配る程度のバンドやったら、白黒のビラを配ろうとするんですよ。わざわざそれをカラーにしようとは思わない。しかも当時は白黒とカラー印刷の経費って10倍くらい差があったからね。そういうところに投資するアイデアのほうが重要であるという……。で、そんなん普通に白黒でええやんっていうのが僕でした(笑)。
杉本 みんなが刷ってるから自分も刷ってるだけだったと思う。バンドを知ってもらうためのものなんだよって考えてる人は、当時あまり出会うことはなかった。
SHUSE やってることを真似するだけというか、そこに何かアイデンティティがあるわけじゃないの。それをやってたらいつかコウノトリが来て、ワンマン200人埋めれるようにしてくれるんだって、勝手に思ってるという。具体的に何かをしようとする発想には至らなかった。いい曲さえ書いてればいつか世間が見つけてくれる、みたいな。僕はTAKAと会って初めてそうじゃない人がいることを知ったの。で、後輩でTAKAみたいな人がいるって聞いて、それが善徳だった。とはいえ、僕は音楽を大切にしているものの、ラクリマに入ったときは演奏がうまくなかったから、とにかくリハに死ぬほど入ろうと思った。空いてる時間はできるだけ詰めて練習しようよっていう。おかげさまでうまいバンドみたいなことを言ってもらえるようになったと思う。もちろん、自分らではまだまだと思ってるけどね。
風前の灯火の時代に
──いわゆるヴィジュアル系ムーブメントが起きた当時の音楽シーンについては、どう感じてましたか?
SHUSE 俺らがインディーズシーンでがんばってる頃って、TK(小室哲哉)全盛時代で。バンドなんて古いよね、みたいな感じだったんやけど、そこにLUNA SEAが出てきて、ロックバンドで唯一チャートに入ってた。THE YELLOW MONKEYもいたかな。X JAPAN、BUCK-TICKはもう少し前にブレイクしてるし、ちょうどロックバンドの狭間でLUNA SEAが出てきた感じだったね。で、そこからいわゆるヴィジュアル系っていうシーン、そのジャンルに名前が付くくらいのムーブメントが起きたのは、僕らの活動からするともうちょっとあとなんですよね。本当に風前の灯火。対バン相手がいなかったもん。
杉本 何年くらいの話ですか?
SHUSE 1994年。大阪で対バンがいっぱいあるバンドとかいなかったわけですよ。後輩はいっぱいおるけど、同期で人気のあるバンドなんて誰もいないし、かといって他ジャンルも見えないし、どうします?って感じだったの。LUNA SEAが出て、黒夢が出て、L'Arc-en-Cielが出て。で、GLAYが出て。その後にSIAM SHADE、SOPHIA、Eins:Vierと界隈でデビューが続くんだけど、その前はもうシーンはここで打ち止めや、みたいな感じだった。後輩のバンドもおったけど、それがシーン復調の兆しやって、まだ脳が幼かったから判断できひんかった。これだけバンドが下にいるってことは、復調する証拠やったんやろうと思うねんけど、自分らの同期が誰もいなかったから。東京に行けばMALICE MIZERとかもいるけど……って感じ。当時は名古屋のシーンだけが熱かったね。
杉本 Laputa、ROUAGEとかですよね。僕も名古屋のバンドが好きでした。知らずに聴いたら名古屋のバンドだった、とか。数が多かったということですね。
SHUSE 名古屋のシーンがけっこうできあがっていて、そのあとくらいに阪上社長からテレビ朝日の番組(ヴィジュアル系ブームを生み出した深夜番組「Break Out」)が始まるって聞いたんですよね。デビュー前のバンドを追っかけたり、ライブハウスに「このバンドがキてます」とか取材して。大阪ならJanne Da Arc、広島ならD-SHADEとかをピックアップしたりするような。それが一世を風靡する番組になるとは思わないじゃない? 自分らはインディーズバンドを続けてきただけやねんから。
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ヴィジュアル系になる要素ゼロの杉本善徳




