cero高城晶平

今日もあの街で名曲が 第1回

cero高城晶平が武蔵野で語る「武蔵野クルーズエキゾチカ」

当時は武蔵野を“近場の桃源郷”だと感じてた

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エキゾと言いつつ身近な景色を

──今おっしゃったような「西東京で育ってきた」というアイデンティティはご自身の作品にどういった影響を与えていますか?

「具体的にこういった影響が」と説明するのは難しいけど、さっき言った高田渡さんや楳図かずおさんみたいなローカルヒーローとの精神的な結び付きは強いと思います。じゃあ高田渡さんと音楽的に近いことをやっているかと言うとそういうわけではないけれど、個人的にはシンパシーを感じていて。シンプルに武蔵野や吉祥寺が好きでそこにい続けている人たちと、精神的な結び付きをどう表現しようか、みたいなことはけっこう考えていました。

活動初期にたびたび出演していたライブハウス「曼荼羅」の看板と高城晶平。

活動初期にたびたび出演していたライブハウス「曼荼羅」の看板と高城晶平。

──武蔵野とひと口に言っても、「武蔵野市」と「武蔵野」で示す範囲が全然違うんですよね。「武蔵野」の定義については諸説ありますが、埼玉の川越までを含むことも多いらしくて。

あ、そうなんですね! 全然知らなかった(笑)。川越までというとかなり広範囲ですね。

──想像するよりもだいぶ広いですよね。

そういえば、以前ナタリーで坂本慎太郎さんと永積(崇 / ハナレグミ)さんの対談があったじゃないですか(参照:ハナレグミ「GOOD DAY」特集|ハナレグミ×坂本慎太郎、三多摩に流れる独特な空気を語る)。その対談の前日に坂本さんとお話しする機会があったんですよ。「明日、永積くんと三多摩についてしゃべるんだけど、三多摩ってなんだろうと思って、調べたんだよね」と言っていて(笑)。そのときに「なるほど、三多摩というくくりもあるのか」と思ったんですよ。国分寺あたりは三多摩でもあり、武蔵野エリアでもあるということですよね。

──おそらくそうだと思います。

なるほどなあ。どこからどこまでを指しているのかとかはあまりわからず使ってました。

吉祥寺レンガ館モールの階段にて。

吉祥寺レンガ館モールの階段にて。

──「武蔵野」という言葉を使ううえで思い浮かべていたのはやはり吉祥寺や三鷹あたりですか?

そのへんですね。当時僕は日芸(日本大学芸術学部)に通っていたんですけど、校舎が所沢だったので入曽のほうに住み始めて。そこで初めて西東京から離れたんです。ホームシックも相まってか、当時の僕は武蔵野を“近場の桃源郷”だと感じていて。エキゾと言いつつめちゃくちゃ身近な景色について歌っていたのもそういう感覚の表れです。ホームタウンであるはずの武蔵野をなぜかエキゾの対象として捉えてしまっているという妙なねじれ。それが「武蔵野クルーズ」や「WORLD RECORD」には出ているんじゃないかな。

──具体的にどこかを指しているわけではなく、概念としての武蔵野というか。

そうそう。ホームタウンとの精神的な距離を表すために「武蔵野」という言葉を使っていたんだと思います。はっぴいえんどの“風街”も、ホームタウン的なエリアの東京オリンピック以前の姿を概念化したもので、そこにある種のノスタルジーが投影されている。それと近いのかもしれないですね。あと、「TOKYO TRIBE」というストリートギャングのマンガにムサシノSARU、ブクロWU-RONZ、シンヂュクHANDSという“族”がいたんですけど、自分はムサシノSARUに一番シンパシーを覚えていて。そういうのを見て「やっぱり武蔵野っていいな」とか思ってましたね(笑)。

都心との距離感は今でもあまり変わらない

──荒内さんが、ナタリーでの「e o」の特集で、ODD Foot Worksの有元キイチさんが制作した楽曲「私は貴方」に対して「同じ東京西部の多摩川沿いの地域で育った空気感やセンチメントの在り方に、親近感が湧きました」とコメントされていたのが印象的で(参照:cero インタビュー|5年ぶりアルバムで手にしたシグネチャー、表現者5人のコメントで紐解く「e o」)。そういう“東京西部で育ってきたがゆえの空気感”は、ceroの作品に強く表れているものだと思いますか?

やっぱりそれは表れているはずだし、「武蔵野クルーズ」含め、「WORLD RECORD」の頃の曲には特にそういった感覚がダイレクトに出ていると思います。例えば、荒内くんが作った「あののか」の「新宿はあっちだね」という歌詞とかね。あれは実体験のまんまなんですよ。当時僕らはやたら高いところに行きたがっていて(笑)。あまり人が上らないような非常階段を見つけては「あれ、上れるぞ」と言って上ってみたり。

2011年頃のcero。

2011年頃のcero。

高台に行くと、都心部のビルがちょうどいい距離感にあって、それを見ながら「新宿はあっちのほうにあるんだね」という話をしたんです。お金もないし、お酒を飲む習慣もなかったから、シラフでそんなことばっかりしていた。そういう都心との距離感は今でもあまり変わってなくて。自分は今、杉並あたりに住んでいるんですけど、そこからも新宿がちょうどいい距離感で見えるんですよ。それを見ると、当時とまったく同じ気持ちになる。40歳になっても、全然変わってないなと思います。

──シラフで高いところに上っていた頃と。

全然変わってないですねえ。あれに勝る娯楽はないですよ(笑)。

cero高城晶平

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──その“都心との距離感”は初期の曲の核としてあるように感じられます。「『My Lost City』には、自分たちの楽曲が図らずもシティポップと呼ばれてきたことへのアンサーが含まれている」というお話を当時よくされていましたけど、それは西東京という、都会と付かず離れずな距離感の場所にいるからこそできる表現のような気もするんです。

そうかもしれないです。僕らはいわゆるシティポップが描くような、キラキラした想像上の都市について歌っていたわけではなくて、少しずれた人の視点で身近な街の景色を歌っていたんですよね。つげ義春さんのマンガの作風に近いというか。ものすごく写実的で現実感のある景色の中に、ふわふわした人物が存在しているあの感じ。つげ義春さんも調布に住んでいらっしゃって、エリアとしては近いので、そこにもシンパシーを感じていたのかもしれない。

──ご自身の作品がシティポップと呼ばれることについてはどのように感じていたんですか?

僕自身は別に憤ったりしていなかったし、「なるほどなあ」と思っていたくらいです。それだけ概念が拡大しているんだろうなって。概念が拡大しているのであれば、それを問い直す批評的な視点を持つというのも、1つの方法としてあるかもなと。そんなことを考えながら「My Lost City」とかを作っていましたね。

吉祥寺レンガ館モールの階段にて。

吉祥寺レンガ館モールの階段にて。

“怠け”と“フロンティア精神”の合流

──今日何度か「ローカル」という言葉が出てきましたが、当時のcero周辺のシーンを考えるうえで「ローカル」は1つのキーワードのように思えます。以前ナタリーの記事で、カクバリズムの角張渉さんも「いわゆる東京インディーは“東京ローカル”という意味でもあった」という話をされていて(参照:2012年の「下北沢インディーファンクラブ」)。あの頃の西東京を中心としたシーンの盛り上がりはとても興味深かったなと。

すごい面白かったですよね。今も今で面白いシーンはあるけど、当時はみんな「売れよう」みたいなことを全然考えてなくて。「それよりも手近なアイデアで世界をひっくり返してやろう」という考えの人たちがたくさんいたんですよ。「バンド音楽とはこういうものだ」という考えが90年代に極まって、そこからどうやってスキルを上げていくか、みたいな空気があった中、僕らは「練習したくないな~、アイデアであっと言わせたいな~」と思っていて(笑)。そういう“怠け”と“フロンティア精神”が合流しているようなところがあった。もちろんそれは、良し悪しあるんですけどね。その結果、スキルフルなものが全然出てこなかったし、下の世代は鬱憤も溜まっていたはずで。2010年代中盤にSuchmosをはじめスキルフルな人たちが出てきたのは、その反動だったんだろうなって。

──2015年前後を境にシーンの潮目が劇的に変わった印象は確かにあります。ceroが「Obscure Ride」をリリースしたのもそれを象徴する出来事だったと思いますし。

その頃は、僕らもアイデア1本のところから抜け出そうともがいてましたからね。自分たちなりにゲームチェンジしようと舵を取ったのがちょうど2015年。そのあたりから空気が変わっていった実感はあります。ある方が昔Twitterで「1970~80年、1980~90年みたいなディケイドで考えるより、1975~85年、1985~95年みたいな区切りで考えたほうが実は体系立っている」ということを投稿されていて、本当にそうだなと思ったんですよ。それで言うと今は2025年だから、何かの節目になっているのかもしれない。最近そういうことをよく考えます。

かつてバイトをしていた居酒屋・美舟があるハーモニカ横丁にて。

かつてバイトをしていた居酒屋・美舟があるハーモニカ横丁にて。

ハーモニカ横丁脇の果実店・一実屋の店主と話す高城晶平。

ハーモニカ横丁脇の果実店・一実屋の店主と話す高城晶平。

──ちょうど10年前、「Obscure Ride」について高城さんは「街の猥雑さだったり、うらぶれた部分だったり、ゲスな部分だったり、そういう70年代80年代の煌びやかなシティポップが歌ってこなかったところも引っくるめて2015年の街の景色を音楽にすることができたら」とおっしゃっていました(参照:ceroは日本のポップミュージックをどう変える? 「2015年の街の景色を音楽にすることができた」)。それから10年経って、2025年の街の景色を音楽にするとしたら、どういった作品になりそうでしょうか?

うーん、難しいなあ。さっきも話したように、最近はどうしてもノスタルジーな方向に気持ちが向かってしまうんですよね。ただ、海外ツアーとかで初めての街に行くと、やっぱりいろいろ発見があって。「あ、ここはどこどこっぽいな」と思ったり、逆に日本で「この石畳は中国っぽいな」と感じたり、遠くにある街と街がつながっていくような感覚はすごく面白い。そういうある種のトリップ感のようなものを描けたら面白いだろうなと思います。

──いちリスナーとして、ぜひ聴いてみたいです。ちなみに先ほど話に出てきたファンの質問じゃないですけど、「武蔵野クルーズエキゾチカ」がライブで披露されることはもうないんですか……?

いやあ、どうだろう。解散ライブとかだったらやるかもしれない(笑)。でも、昔の曲を掘り出したりはちょいちょいしてるんで、いずれやると思いますけどね。特別なタイミングとかいつもと違う形のライブがあれば、やる可能性もなくはない……ぐらいの感じでお願いします(笑)。

──再発や配信の予定は?

今のところないけど、特に理由があるわけではないので、いずれ聴けるようにしてもいいかもしれないですね。

──当時ceroの存在を知らなくて、後追いで「『武蔵野クルーズエキゾチカ』という曲があるらしい」と知った人も大勢いると思いますし、ぜひ配信してほしいです。

そうですよね。僕ももう細かいところはけっこう忘れちゃってるし(笑)。帰ったらひさびさに聴いてみようかな。

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プロフィール

高城晶平(タカギショウヘイ)

バンドceroのボーカル / ギター / フルート担当。2011年にカクバリズムより1stアルバム「WORLD RECORD」を発表した。最新作は2023年5月リリースの5thアルバム「e o」。また2020年4月にはソロプロジェクト・Shohei Takagi Parallela Botanicaの1stアルバム「Triptych」をリリースしている。

※高城晶平の「高」ははしご高が正式表記。

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