世の中には、街の名前や地名をタイトルに冠した楽曲が数多く存在する。これまで数々の街が、多くのアーティストにインスピレーションを与えてきたことだろう。この連載では、そんな“地名をタイトルに冠した楽曲”を発表してきたアーティストに、実際にその街でインタビューを実施。「なぜその街を舞台にした曲を書こうと思ったのか」「その街からどのようなインスピレーションを受けたのか」「自分の音楽に、街や土地がどのような影響を及ぼしているのか」……そんな質問をもとに“街”と“音楽”の関係性をあぶり出していく。
第1回となる今回取り上げるのは
取材・
「なんでもいいから残っててくれ」
──こちらのルノアール吉祥寺店、明日で営業終了らしいですね。(※取材は3月24日に実施)
そうなんですよ。ここはほかのルノアールと雰囲気が違って、居心地がよかったので残念です。メニューもほかの店にはないものがあったりして、ちょっと独特なんですよ。昔はよく来ていたし、取材でも何度か使ってます。
──吉祥寺は、初期のceroの活動拠点とも言える場所だと思いますし、最近で言うとアルバム「e o」は、作業部屋として借りた吉祥寺のマンションの一室から制作がスタートしたんですよね。バンドとしても個人としてもとても縁深い街だと思いますが、高城さんにとって吉祥寺はどういう場所ですか?
出身が三鷹なので、もうほぼ地元という感覚ですね。チャリですぐに来れるし、なんなら犬の散歩で井の頭公園まで来ることもあって。本当に自分の一番ベーシックな部分にある場所というか。近所にこんな街があるもんだから、大学生ぐらいまでほかの街にほぼ行かなかったんですよ。僕が高校生ぐらいの頃は、今よりももっと遊べるところがありましたし。
──吉祥寺で特に思い入れの深いスポットは?
もうなくなっちゃったんですけど、珈琲家族という喫茶店は思い出深いです。商店街の中にレンガ館モールという商業施設があって、そこの3階に入っていたんですけど、10年近く通っていて。いろんな人とデモを交換したり、近くのディスクユニオンで買ったCDを聴かせ合ったり。あらぴー(荒内佑 / Key)が高校の頃に組んでいたバンドも珈琲家族という名前でした(笑)。商店街に面した窓があるんですけど、それが少し斜めになっていて、水族館みたいに街を見下ろせるんですよ。そういうところも好きでしたね。
──吉祥寺という街の魅力ってどんなところにあると思いますか?
江口寿史さんや高田渡さん、あとは楳図かずおさんとか、街のマスコットキャラクターみたいな方を当たり前のように見かけるのが面白いんですよね。ディズニーランドにミッキーマウスがいるのと同じで(笑)、ローカルヒーローたちがそのへんを普通にふらふら歩いている。そのフレーム内に一緒にいられるのが、高校生の頃とかは妙に心地よかったんです。本当にしょっちゅう見かけるから、「高田渡さんですよね!」と話しかける感じでもなくて。「またいるな~」と思いつつ、少しうれしい気持ちになっていました。
──そういった吉祥寺ならではの魅力がある一方で、時の流れとともに変化している面もおそらくありますよね。
いろんなお店がどんどんなくなってるのは感じますね。珈琲家族もそうだし、いろいろ変わっていっているなと思います。
──都心から少し離れている街ならではの文化が失われているというか。
そうですね。ドン・キホーテができ、ラウンドワンができ……街にコンプがかかっちゃったというか、平均化しつつあるような気はします。ただ、その一方で残り続けているものもちゃんとあるんですよね。今年は積極的に街歩きをしていこうと思って、少し前に吉祥寺を歩き回ったんですよ。そしたら、「これが残ってるんだ」という発見がたくさんあった。それはお店に限らず、住居やマンション含め。そういうものを見ると「このままでいてくれてありがとう」と手を合わせたくなる(笑)。もう、ただの家にすらそんな気持ちを覚えてしまうし、そのままでいてほしいと思ってしまうんですよね。「なんでもいいから残っててくれ」って。
“微妙な位置付けの東京”もあるんだよ
──今日は「武蔵野クルーズエキゾチカ」のことを中心にお聞きしたいと思っています。1stアルバム「WORLD RECORD」と2ndアルバム「My Lost City」の間に、7inchのみで発表された楽曲ですが、ご本人の中ではどんな存在の楽曲なんでしょうか?
本当にポンッて感じで作った曲なんですよね(笑)。でもceroは得てして「とりあえず出すか」というノリでリリースしたもののほうが根強い人気があったりして。「街の報せ」とか「ロープウェー」もそうだし、肩の力が抜けた曲のほうが、素の状態が出ていてウケがいいのかもしれない。「武蔵野クルーズ」は特に“ローカル”というのが1つのテーマになっていて、よりネイキッドな空気が出ているから、それも人気の理由なのかな。「あの曲はもう二度とやらないんですか?」って、いまだにいろんなところで聞かれますからね。中国でライブをやったときに「これにサインしてください」って7inchを持ってきた人がいたのは、さすがにびっくりしましたけど。
──中国でのライブに! すごいですね。制作当時のお話についてもお聞きしたいです。
「武蔵野クルーズ」は知り合いから借りたサンプラーを使ってみようと思って作った曲なんですよ。もともとはアラン・トゥーサンの「サザン・ナイツ」をサンプリングしたものにラップを乗せていて。どこに出すでもなく仲間内に聴かせたりしていたくらい。それが、確か「あれいいからライブでやろうよ」みたいな感じになっていって……あ、なんかいろいろ思い出してきた。アラン・トゥーサンバージョンではなく、バンドとして作り直そうという話になって、当時荒内くんが住んでいた西荻のアパートに集まったんだ。「21世紀の日照りの都に雨が降る」のミュージックビデオにも出てくる家なんですけど、そこにマイクを立てて、ポップガードもなかったからあらぴーの靴下をマイクに被せて。俺が歌っている隣で荒内くんの飼い猫がうんちをし始めたから、あまりの臭さにレコーディングを中断したんですよ。そんな感じで一番適当なノリでやっていた時期というか。うんちの臭さで中断したことを今急に思い出しました(笑)。
cero「21世紀の日照りの都に雨が降る」ミュージックビデオ
──あはははは。でも、そういうラフな雰囲気でレコーディングされたからこそ、パーソナルな出来事を歌った曲が、聴き手にダイレクトに届いてくるというのは確かにあると思います。
歌詞はほぼ日記みたいなものですからね。最初に作っていたバージョンは春の出来事について歌っていたんだけど、リリースが夏だったので歌詞を書き換えたんです。「またやっちゃいそうだよ寝煙草」という歌詞を「また食っちゃいそうだよガリ梨」に変えたりして。僕がソロで手売りした「第一岡山荘の怪物」というCD-Rがあるんですけど、それなんかはもろ日記なんですよ。曽我部(恵一)さんの1st(「曽我部恵一」)みたいな感じ。「武蔵野クルーズ」もその延長線上で作った作品です。
──タイトルに「武蔵野」という地名を冠したのはなぜでしょう?
“西東京出身”が自分たちのアイデンティティだというのを押し出している時期だったというのはあると思います。東京と言ってもいろんなレイヤーやグラデーションがあるけれど、外側からは同じ東京にしか見えていない。そういうことに徐々に気付き始めたんですよね。それまでは東京から出たことがほとんどなかったけど、「WORLD RECORD」をリリースしたあたりからライブで地方に行くことも増えて、東京という場所の見られ方を客観視するようになった。東京は東京でも三鷹から先はだいぶ景色が変わるし、“少し行けば高尾”みたいな場所って、いわゆる東京とはまた違う。そういう“微妙な位置付けの東京”もあるんだよ、ということを紹介したかったのかなあ。
──ご本人的にも西東京出身というのは、やはりアイデンティティとして強かったんですね。
その気持ちはいまだに強いかもしれないです。というか、当時は単純にそれ以外の場所を知らなかったんですよね。東京の東側は大人になってから初めて行ったけど、景色が全然違うじゃないですか。東のほうは街の作りが碁盤目状になっているけど、西東京は本当に地図がぐちゃぐちゃで。作りからして違うんですよ。だから東側のエリアに憧れる気持ちもあるけど、住んでいる感覚が想像できなくて。
ceroのほかの記事
タグ
showgunn @showgunn
cero高城晶平が武蔵野で語る「武蔵野クルーズエキゾチカ」 | 今日もあの街で名曲が 第1回 https://t.co/2CNXxACwsg
おもしろかったです!