ハナレグミ「GOOD DAY」特集|ハナレグミ×坂本慎太郎、三多摩に流れる独特な空気を語る (4/6)

前後編でお届けするハナレグミ9thアルバム「GOOD DAY」特集。ハナレグミが作品の制作背景を語った前編に続き、後編では坂本慎太郎との対談を掲載する。コロナ禍以降、自らの地元である東京西部の三多摩地区に思いを馳せることが多くなったというハナレグミ・永積 崇。「三多摩」をテーマにした対談を企画するにあたり、彼の口から対談希望相手として名前が挙がったのが坂本だった。国立で生まれ育った永積と、学生時代から20年近くを国分寺で過ごしてきた坂本。2人に地元のローカルな話題から三多摩に流れる独特な空気感まで、ざっくばらんに語り合ってもらった。なおこの日の取材は、永積が学生時代から通っているという国立の老舗喫茶店・ロージナ茶房で行った。

取材・文 / 望月哲撮影 / 関めぐみ
取材協力 / ロージナ茶房

永積 崇 × 坂本慎太郎 対談

2人の最初の接点は?

──お二人の最初の接点は、SUPER BUTTER DOGとゆらゆら帝国が参加した「Ricetone Circle vol.1」(パルコが運営していた音楽レーベル・Ricetone Labelから1996年10月にリリースされたオムニバス作品)ですよね。

永積 崇 (CDを手に取り)うわー。懐かしい!

坂本慎太郎 レコ発ライブで競演してますよね?

永積 はい、渋谷のクラブクアトロで。

坂本 申し訳ないことに、当時のことを全然覚えてないんですよ。イベントに出たのは覚えてるんだけど。

永積 ライブの打ち上げがあって、坂本さんも一瞬いらしたんですけど、ベースの亀川(千代)さんと一緒に機材を返却するためにすぐに店を出られて。ドラムの方と一緒に飲ませていただきました。

坂本 そうだったんだ。当時のドラムは下田(温泉)くんですね。

永積 あと下北沢のCLUB Queでやった「VIVA YOUNG!」というイベントでも対バンさせてもらいましたよね。そのとき坂本さんが、ギタリストの竹内(朋康)くんに「いいバンドですね」と言ってくださったみたいで。メンバー全員、「やったー!」って盛り上がったんですよ。

坂本 覚えてない(笑)。SUPER BUTTER DOGと対バンしたのは覚えてるんですけど、その前後をはっきり覚えてないんですよね。何か思い出せたらいいんだけど。

永積 わかります(笑)。僕もどういうライブをやったとか全然覚えてないですし。

左から坂本慎太郎、永積 崇(ハナレグミ)。

左から坂本慎太郎、永積 崇(ハナレグミ)。

──なにぶん30年近く前の話ですし。

坂本 覚えてるところで言うと、表参道のCAYでやったYOSSY LITTLE NOISE WEAVERのライブ(2018年9月開催)で会いましたよね?

永積 はい。そのときにご挨拶させてもらって。

坂本 あと、何年か前のフジロックで東京スカパラダイスオーケストラをバックに歌ってましたよね? あれを配信で観て、すごくよかった。

永積 うれしい。ありがとうございます!

坂本 CAYのときは本当に挨拶程度だったから、ちゃんと話すのは今日が初めてですよね。

永積 はい。よろしくお願いします。

永積とゆらゆら帝国の出会い

──今回、永積さんが生まれ育った三多摩地方をテーマにした対談を行うことになって、対談希望相手として真っ先に名前が挙がったのが坂本さんだったんです。

坂本 そうだったんですね。

永積 はい。ゆらゆら帝国は地元のバンドという印象でしたし、坂本さんといつか話してみたいなと思っていて。ゆら帝や坂本さんの音楽って、国分寺や国立の雰囲気にすごくシンクロしてるイメージがあるんです。

坂本 ああ、そうですか。ゆらゆら帝国は国分寺のスタジオで毎週練習してたから、もしかしたら地元の空気が音に染み込んでいて、そういうふうに感じるのかもしれないですね。

永積 ヘッドフォンで聴いてると、どこか知らないところに連れていかれるんじゃなくて、今見てる目の前の世界をドラマチックなものにしてくれるようなマジックを感じるんです。メロディや言葉に独特の輝きがあって。

坂本 それはうれしいですね。

坂本慎太郎

坂本慎太郎

──永積さんは、どういうきっかけでゆらゆら帝国を知ったんですか?

永積 高校生の頃から国分寺にある珍屋という中古レコード店にちょくちょく通うようになったんですけど、ある日、階段の壁にゆら帝のフライヤーが貼ってあって。それがすごいインパクトだったんですよ。アフロヘアの坂本さんがどアップで写ってて、後ろに渦巻の模様がデザインされてるやつだったんですけど。

坂本 ああ、自主制作で2枚目のアルバムを出したときのやつですね。

永積 そのときはゆらゆら帝国の存在を知らなくて、怖そうなバンドのフライヤーが貼ってあるっていう印象でした。

坂本 当時はそういう感じでしたね(笑)。

永積 珍屋のレコード袋も坂本さんがデザインされてるんですよね?

坂本 ええ。ずっと通ってたんで。

永積 坂本さんはいつぐらいから、国分寺のあたりに住み始めたんですか?

坂本 もともと小学2、3年生のとき、国分寺の隣駅の武蔵小金井に住んでたんですよ。その後、転校で各地を転々としたんだけど、大学に入学して、19歳から29歳まで国分寺に住んで。その後、武蔵小金井に引っ越して、かれこれ20年くらいこのあたりに住んでました。

永積 けっこう長いですね。

坂本 永積くんはこのあたりが地元なんですか?

永積 はい。

坂本 何歳くらいまで住んでたんですか?

永積 一人暮らししてた時期も含めて28、29歳ぐらいまで住んでました。それからずっと離れた場所に暮らしてたんですけど、コロナ禍で何もやることがなくなっちゃって、その時期、突然カメラに目覚めたんです。何を撮ろうかなと思ったときに、せっかくだったら実家の周りを撮影してみようかなと思って。そうやって撮り溜めた写真を1冊にまとめて写真集にしたんです。

坂本 (写真集をめくりながら)これは実家の近所?

永積 そうです。国立駅の北側ですね。何の変哲もないような住宅街なんですけど、いざ撮影してみたら自分の音楽と街が共鳴してるのかもしれないと思うようになって。そこから自分のルーツみたいなものを改めて考えるようになったんです。

坂本 へえ、それは面白い。

「中央線っぽい」というイメージへの反発

永積 僕は「育ってきた土地や見てきた景色が、その人が作る音楽に大きな影響を及ぼすんじゃないか?」という説を勝手に唱えているんですけど、坂本さんは曲を作るときに自分が住んでる街の空気から影響を受けることとかあるんですか?

坂本 どうだろう……直接的に影響を受けることはあまりないかもしれないけど、逆に影響を受けないようにしていた時期はありますね。ゆらゆら帝国を始めた頃は「中央線っぽい」と言われるのがすごく嫌で、そうならないようにがんばってたんですよ。今思えば、めちゃくちゃ中央線っぽかったと思うんだけど。

永積 ははは。

坂本 雑誌とかで「中央線っぽい」と書かれたりすることに、すごく反発があって。自分たちでは抗ってたんだけど、はたから見ると中央線っぽかったんでしょうね。

永積 当時、坂本さんが思っていた中央線っぽさって、どういうイメージだったんですか?

坂本 貧乏臭い感じというか(笑)。音楽的にはブルースロックみたいな。世の中で流行ってるものじゃなくて、古い音楽とか古い機材とか、古臭いものに頑なにこだわってるイメージ。当時は「サブカル」って言葉が一般的じゃなかったけど、たぶん僕らもそういう感じで見られてたのかなって。

永積 僕的には、ゆらゆら帝国とかDRY&HEAVYとか、中央線沿線には、めちゃくちゃカッコいいことをやってるバンドがいるイメージなんですよね。あと地元の国立で言えば、ハナレグミのライブにギターで参加してくださってる石井マサユキさんが在籍していたThe CHANGとか、カッコいいなと思ってました。

永積 崇(ハナレグミ)

永積 崇(ハナレグミ)

坂本 マサユキくんとは付き合いがすごく古くて。エアガレージ(国立にあったスタジオ。現在は吉祥寺に移転)でマサユキくんがよくセッションをやってたから何回か参加しました。一時期バイトも一緒だったし。

永積 へえ、そうだったんですね。

坂本 国立の周辺には、こだま和文さんとか、レゲエのミュージシャンが多く住んでいるイメージもありました。僕らの少し上の世代だとネオGSやガレージシーンの人たちが住んでる印象も強かった。

永積 美大出身の人が多いイメージです。

坂本 あと国立と国分寺では、ちょっと違うイメージがあって。さっき言ったみたいに国立は、こだまさんを中心としたレゲエっぽいイメージがあって、国分寺は、なんて言うんですかね、もう少しロックっぽいイメージがあるというか。ほら貝というロック喫茶が昔あったんですけど、そこに僕より上の世代のヒッピーっぽい人が集まっていた印象がありますね。

永積 確かに国分寺ってヒッピー系の人が多いイメージがあります。小学生時代の友達のお父さんに、今思えばたぶん昔はヒッピーだったんだろうなみたいな人がいました。家にレコードがバーッとたくさん並んでたりして。

坂本 で、古いちゃぶ台が置いてあったり。

永積 そう(笑)。まさにそういう感じでした。

2024年10月7日更新