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MAN WITH A MISSION「Chasing the Horizon」通常盤ジャケット

音楽シーンを撮り続ける人々 第16回 バックナンバー

自分の人間性を写真で伝える後藤倫人

野村浩司とアミタマリのもとで下積み5年

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アーティストを撮り続けるカメラマンに幼少期から現在に至るまでの話を伺うこの連載。今回はMAN WITH A MISSIONBLUE ENCOUNTのジャケット写真などで知られる後藤倫人に登場してもらった。

スタジオマンとして撮影スタジオstudio23に約2年間勤めたのち、野村浩司とアミタマリに約5年間師事したという経歴を持つ後藤。計7年の下積み期間を経て独立し、今やさまざまなアーティストを撮るようになった彼に、カメラマンを志したきっかけやアシスタント時代の思い出などを聞いた。

取材・文 / 酒匂里奈(音楽ナタリー編集部) 撮影 / タマイシンゴ

音楽に関わる仕事がしたかった

小学校6年間、ずっと「落ち着きがない」と言われていました。中学生の頃に音楽が好きになって、特に洋楽を好んで聴いていました。中でもOasisが大好きで、高校生のときにイギリスまで観に行ったこともあるんです。中学生って、「こういう人間に思われたい」みたいな自意識が芽生え出す頃ですよね。僕は特にカッコつけたがりだから、同級生があまり聴いていないような音楽を聴きたかったというのも洋楽に惹かれた理由かもしれません。邦楽は、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYなどが好きでよく聴いていました。彼らのジャケット写真やアーティスト写真は、独特の尖った質感ですごくカッコよかったんですよ。何かほかのアーティストとは違うものを感じました。少し経ってから、このカッコいい写真を撮っているのは全部同じ人だと気付いたんです。それがのちに師匠となる野村浩司とアミタマリでした(参照:故・野村浩司の遺志を受け継ぐアミタマリ | 音楽シーンを撮り続ける人々 第6回)

大学は4年制の外国語大学に進学しました。洋楽が好きだったこともあり、英語を勉強したくて。大学では軽音楽サークルに入ったのですが、このサークルには少し変わった、サブカルっぽい人たちが多かったんです。普通に就職する人が多い大学でしたが、サークルの人は僕みたいにカメラマンになったり、料理人になったり、いわゆるスーツを着て会社に行くような仕事に就かない人が多かったですね。

カメラマンになりたいと思ったのには、何か大きなきっかけがあったわけではないんです。「音楽が好きだから音楽に関われるような仕事がしたいけど、ミュージシャンにはなれないな」と考えたときに、好きなバンドのジャケットやアーティスト写真を思い出して、カメラマンという職業が頭に浮かんだんです。自分がカッコいいと思うものって昔から一貫性があって、そういった自分の頭で思い描くカッコよさを、写真でなら表現できるんじゃないかと思ったんです。そしてなぜか、ミッシェルやブランキーのジャケ写やアー写のようなカッコいい写真が撮りたい、自分にもそういう写真が撮れるはずだという根拠のない自信があって。ちゃんとしたカメラで写真を撮ったことなんてなかったんですけど、不思議とそう思いました。

それからまずは、カメラを買いました。と言ってもLomographyのインスタントカメラでしたけどね(笑)。そして「どうすればカメラマンになれるのか」と自分なりにいろいろ調べ、スタジオマンを経験して、それからプロのカメラマンのアシスタントをやって独り立ちするというステップを踏もうと思ったんです。

アミタマリ、野村浩司との出会い

大学を卒業してからは、夜間制の写真の専門学校に通いました。そこの先生が元撮影スタジオの主任の方で、「この先カメラマンになると決めているなら、すぐにでもスタジオに入ったほうがいい」とアドバイスしていただいて、その年の12月からstudio23で働き始めました。当時の23は礼儀も含めてすごく厳しかった。厳しかったけど、いいスタジオでした。ちゃんとやる気がある人しかいなくて、先輩の多くは売れっ子カメラマンになっているんですよ。スタジオマンの中には、有名なカメラマンが来たときだけちゃんとやって、自分が知らないカメラマンが来たときには手を抜くような人もいる。でも23はそういう人がいなかった。

23で働いていたときにはもう一眼レフは持っていましたけど、それを使う余裕ができたのは、働き始めて半年が過ぎた頃でした。しばらく見習い期間を経験すると、一人前のスタジオマンとしてスタジオを使えるようになるんですよ。当時はmixi全盛期だったので、mixiでモデルを探したり、知り合いのバンドマンにお願いしたりして、スタジオに泊まり込んでポートレート写真を撮る日もありました。今になって少し後悔しているのは、その頃に心象風景写真をまったく撮っていなかったこと。とにかく人ばかりを撮っていたんです。

あるとき23に、アミタが撮影に来たんです。アミタはそれまで僕が見てきたほかのカメラマンと比べて撮り方がすごくカッコよくて、撮影に対しての姿勢も真摯で、初めて見たときは衝撃を受けました。それからアミタが撮影に来た際は、自分から希望して手伝わせてもらうようにしていたのですが、当時のアミタのアシスタントで、のちに僕の姉弟子になる人がとても厳しい方で、少しでもセットを作るのが汚かったら外されるほどでした。それでもアミタが来た際には、変わらずに手伝いに入れるようにお願いしました。そうしているうちに、ある日アミタに「ここを辞めたらどうするんだ」と聞かれたんです。そこで「あなたの写真が好きなので、アシスタントにしてください」とお願いしました。そのあとに、面接を受けられることになったんです。

書類選考は通って最後の3人まで残って、野村、アミタ、マネージャーがいる最終面接に臨みました。でも、そこで落ちてしまったんです。面接後に3人は「何を言っているかわからなかった……」と言っていたらしくて。確かにすごく緊張していて支離滅裂なことを言っていて、部屋を出た瞬間に「絶対落ちた」と思いました。3人の見えない圧が強くて、めちゃくちゃ怖かったんですよ(笑)。でも面接に落ちて落胆していたところ、受かった方が1カ月で辞めたらしくて、僕に声がかかったんです。のちに兄弟子から聞いたのですが、野村が「あいつは大化けするかもしれない」と言ってくれたみたいで。うれしかったですね。覚えているのが、最終面接で自分の撮った写真を見てもらったときに、野村に「この写真の粒子はデジタルノイズで嘘くさい」と言われたこと。でもそれは貶すような口調ではないんです。野村とアミタがすごいのは、写真を見るときは誰であろうと対等な目線で見てくれるんですよね。アシスタント期間中も、何度も自分の写真を見てもらいましたが、必ず同じカメラマンとしての目線で、助言をしていただいていました。

カメラマン冥利に尽きる

アシスタントになるには事務所の近くに住むことが絶対条件だったので、千葉の実家から目黒に引っ越しました。野村とアミタの2人に付くので、基本はアシスタントも2人体制なんですけど、ときには1人しかアシスタントがいない時期もありました。僕がアシスタントに付き始めた頃、野村はデジタルカメラ、アミタはフィルムカメラを使っていました。フィルムの現像を、薬剤を計るところからやらせてもらえたのはとてもいい経験になりましたし、アミタのプリント技術を近くで見れたのは僕の財産です。いい師匠のもとに付けたなと思います。あと野村は、ライトや背景も作るんですよ。そして撮影ごとに全部変える。撮影のためだけに、水槽をイチから作っていたこともありました。だから作り込みに関しては野村に影響を受けていると思います。2人共「こういう絵が撮りたい」と決めたら、それを表現するにはどうすればいいかをどこまでも突き詰めるタイプで、大げさじゃなく写真に対して命懸けです。しかも本当に仕上がった写真がきれいなんです。そんな2人に付いたからこそ、僕も自分の写真へのハードルは高くしないとと思っています。

約5年間のアシスタント生活の中でよく覚えているのは、活動休止前のあるバンドの撮影です。アミタが撮影していたのですが、いつにも増して気持ちが入っているのがすごく伝わってきました。そんな撮影中、「三脚出して!」と言われたときに、準備不足ですぐにセットできなかったんです。ほんの数秒の遅れでしたが、アミタが撮りたい瞬間に三脚を渡すことができなかった。撮影後にすごく怒られました。「私はドキュメントを撮っているつもりでやっているし、命を懸けてやってるんだから、あなたも同じ気持ちじゃないと困る」と。この言葉の意味が、最近ようやくわかるようになりました。カメラマンにとって撮りたい瞬間に撮れないのはすごくつらいことで、当時の自分がいかにダメだったのか、今になって理解できました。

独り立ちしてからは、ありがたいことに雑誌の撮影などでは撮りたいバンドを早い段階で撮らせていただくことができました。でもアー写やジャケ写を撮る機会はなかなか巡ってこなかったんです。野村とアミタのもとを出たということもあったし、すぐにとは思っていませんでしたが、そのうちアー写やジャケ写も撮らせてもらえるんじゃないかと、多少の甘い考えはありました。でもなかなかうまくいかず、ようやくそういった仕事もいただけるようになったのは独立して3年目です。

自分の中で納得のいくように撮れた初めてのアー写は、BLUE ENCOUNTです。バンドのプロデューサーの方に「『ROCKIN'ON JAPAN』で撮影してくれた写真がよかったので、アー写を撮ってくれませんか?」と誘っていただいて……。「ちゃんとやっていたら見てくれている人もいるんだな」ととても感動したのを覚えています。それからブルエンは断続的にジャケ写なども撮らせていただいています。その中でも「VECTOR」(2018年3月発売の3rdアルバム)のジャケ写は、プレッシャーはありましたがカメラマン冥利に尽きる仕事でした。曲を先に聴かせていただいて、プロデューサーの方に頂いた歌詞をもとにしたキーワードから、イメージに合うと思った心象風景を撮り下ろしたんです。最初は変わった場所や特別な風景を探していたんですけど、改めて楽曲を聴きなおしてそういうことじゃないんだと気付いて、何気ない景色で構成しました。田邊(駿一 / Vo, G)さんはたぶん特別な風景が浮かぶような曲を作ったわけじゃなくて、ふとした瞬間に見上げた空とか、橋の上に伸びる自分の影や、夕暮れ時の街の光、そういうありふれた風景からインスピレーションを受けて曲を作ったんだろうなと思ったんです。

「あのジャケ写を撮ってるカメラマンだ!」と思われたい

THE COLLECTORSも、僕にとってとても大事なバンドです。メンバー全員大好きなんですけど、特に古市コータロー(G)さんに恩を感じています。バンドとの出会いは雑誌の取材で、すごく狭い会議室で撮影しました。そのときの僕の仕事ぶりを「会議室をスタジオに変えていた!」とご本人たちが褒めてくれたみたいで。のちに「THE COLLECTORS "MARCH OF THE MODS" 30th Anniversary」(2017年3月に行われたTHE COLLECTORS初の東京・日本武道館ワンマンライブ)でライブカメラマンとして声をかけてくださいました。コータローさんが「雑誌の取材のときのあの子も入れてあげて」と言ってくださったみたいで。「初の武道館ワンマンという特別な機会に、僕のような新参者にも声をかけてくれるんだ……!?」と驚いたのを覚えています。あのときは本当にいい写真が撮れたと思っています。ブックレットにも僕の写真をたくさん使ってもらえてうれしかった。それから定期的にライブも撮らせていただけるようになり、どんどん彼らが好きになって、ついにはジャケ写も撮らせていただきました。僕はバンドの人と個人的に仲よくなることはほとんどありませんが、仕事を通して信頼関係が結べるのはうれしいことだなと思います。職種は違っても、4人共仕事に向かう姿勢が素敵で尊敬できる方々なんですよね。

MAN WITH A MISSIONは「Memories」(2016年1月発売のシングル)のときから撮らせてもらっていて、最新シングル「Dark Crow」(2019年10月発売)のジャケ写も撮影しています。野村のような世界観を作り込む撮影をやりたいと思っていたので、それをMWAMのジャケ写撮影は毎回叶えてくれているんです。「Remember Me」のジャケ写は、一緒に海外に行って、一発であの写真が撮れました。MWAMのジャケ写が毎回素敵なのはアートディレクターであるソニー・ミュージックソリューションズの吉田(航)さんチームやMWAMチームが素晴らしいからだと思っています。撮りたいイメージに近付けるためにどうしたらいいのかをみんなで毎回とことん考え抜いているおかげでいい写真になっているのだと思っています。

Dragon Ashの20周年イヤー

僕は野村とアミタのアシスタントになっていなかったら、絶対に今カメラマンになれていないと思います。なれていないというか、いい加減なカメラマンになっていただろうなと。2人に出会っていなかったら撮れなかったアーティストもたくさんいるでしょうし。それで言うと、Dragon Ashは2人の弟子だったことがきっかけで撮影の機会をいただけたのかなと思っています。彼らの20周年イヤーのときにバンドのA&Rの方から急に電話がかかってきて、アー写を撮らせてもらったんです。アー写を撮る前に打ち合わせをすることになったんですけど、「A&Rの方だけかな?」と思っていたらそこにメンバーが全員いて! 「ああ、Dragon Ashって写真のイメージに関してまで、メンバーが直接話しに来てくれるバンドなんだな……」と思いました。

「Beside You」(2017年3月発売のデビュー20周年記念シングル)のジャケ写も撮らせていただけたのですが、Dragon Ashのジャケ写を撮れるなんて、中高生の頃の僕に言っても信じてもらえないと思いますね……完全限定盤にはアーカイブ写真集が付属していて、その中には野村とアミタの写真も載っています。同じ写真集の中に、師匠の写真と一緒に掲載していただくことができて、余計に忘れられない特別な仕事になりましたね。Dragon Ash の20周年イヤーは、僕にとっても大切な1年間でした。

「Live Tour MAJESTIC Final at YOKOHAMA ARENA」(2018年3月発売のライブDVD)のジャケに使っていただいた写真は、会場のスクリーンにサークルモッシュが写っていて、自分が思うDragon Ashらしい1枚が撮れたなと思っています。彼らって一見怖そうに見えるんですけど、すごく優しいんですよ。人としての器が大きい。そういう僕なりのDragon Ash像が出た写真になったんじゃないかなと思います。このライブは僕も含めて3人で撮影したんですけど、全員野村とアミタの弟子でした。それをKj(Vo, G)さんに伝えたらすごく喜んでくださって。初めて撮影させていただいたときにも「アミタさん元気?」と声をかけてくれたし、Dragon Ashは人と人とのつながりを大事にしてくださるバンドだなと思います。

まだまだうまくなる余地はある

僕が撮影で大切にしていることは、段取りと心構えです。当日になって慌てたくないので、準備はしっかりします。被写体との向き合い方は人それぞれだから、そこは野村やアミタとまったく同じである必要はないと思うので、自分らしく向き合えばいいと考えています。あとは、カメラマンである以前に社会人ですから、丁寧にきちんと仕事をするというのは心がけています。いい加減なカメラマンに見られるのはいやなんです。

それと取材の撮影などは「会議室で撮ってください」と言われることも多いんですけど、「この人に頼んだら、会議室でもこんな写真になるんだ」と思ってもらえるように撮影しています。媒体に載る写真を撮影する際は、「アー写よりいい写真が撮りたい」と常に思っていますね。

もともと音楽アーティストを撮りたくて写真を始めましたけど、最近は俳優さんや女優さんを撮ることも増えています。楽しいですね。出会えていないジャンルもまだまだたくさんあるだろうから、いろいろな仕事をしたいです。あとは面白い人と一緒に仕事をしたい。そのためには自分自身が面白いと思われるように努力しないといけないなと思っています。去年より今年のほうが写真がうまくなっていると思っていますし、年齢は関係なくまだまだうまくなる余地はある。新しい技術や流行もそれも上手に取り込んで、さらにいい写真が撮れるようになりたいです。

写真の魅力は、自分がカッコいいと思っていることを視覚で伝えられることだと思います。僕は言葉で説明するのはそんなにうまいほうではないけれど、写真だと僕が頭の中で描いている“カッコよさ”を一瞬でわかってもらえる。自分がどういう人間かは、口で説明するより、僕が撮った写真を見せるほうがわかってもらえる気がします。

後藤倫人

千葉県出身。大学卒業後にstudio23でスタジオマンとして約2年間勤めた。その後野村浩司、アミタマリに5年間師事し、2012年にカメラマンとして独立。現在はMAN WITH A MISSIONやBLUE ENCOUNTをはじめ、さまざまなアーティストのCDのジャケット写真やアーティスト写真などを撮影している。2020年1月よりD-CORDに所属。

※記事初出時、本文および写真キャプションに誤りがありました。訂正してお詫びいたします。

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