春ねむりが8月1日にリリースした3rdアルバム「ekkolaptómenos」(エコラプトメノス)は、2025年1月に設立した同名の自主レーベルからの第1弾アルバム作品になる。アルバムとレーベルの名称に込めた意図は立ち上げ時に語られている通りだが(参照:春ねむり独立、よりDIYかつアナーキーな活動を実践)、改めて全曲セルフプロデュースに取り組み、サイズも前作「春火燎原」からぐっとコンパクトになり、切れ味が増した傑作である。
折しも取材当日は、参政党のさや(塩入清香)候補の演説を聞いて1日で書き上げ、7月22日にSoundCloudで公開した新曲「IGMF」への反響が沸騰している最中だった。その後も歌詞の修正とversion 2の公開、自身初となる「FUJI ROCK FESTIVAL」でのライブ、そして新宿南口での「デマと差別が蔓延する社会を許しません」街宣への出演などが続いて、アルバムタイトルそのままに「動態」としての春ねむりを体現するような日々になっている。
このインタビューは、いわば春ねむりの7月下旬のある日の「いま・ここ」を記録したものである。
取材・文 / 高岡洋詞撮影 / 笹原清明
筋力があって賢くて優しい人がいたら、その人にやってもらいたい
──1日で作った「IGMF」と5年かけた「ekkolaptómenos」が結果的に対をなしているというか、速筋と遅筋みたいな効き方をしそうだなと思いました。
速筋と遅筋で書いてますからね(笑)。あれぐらいのやつは1日で書けちゃうし、それを5年ぐらいかけるとこう(アルバムに)なるよ、っていう感じです。速さを重視した結果ではありますけど、精査できなかったのは反省点ですね。実際、「差別に反対するときにこの言葉を使うのはよくない」といった批判もいくつかいただきました。
──曲の冒頭で流れるさやさんのスピーチのあとの「ギャー!」には素直に共感しました。
初めてあの動画を見たとき、キモすぎてマジで「ギャー!」って叫んじゃったんですよ。「あのスピーチがあるからループして聴けない」っていう人もけっこういて、それはかわいそう。私もミックスしてて本当に聴きたくなかったから(笑)。
──「あなたの街宣行ったよそんであなたが 『日本人ファーストは差別だとうるさい人たちも救う』って言ったの聞いてた 『誰かを排除してまで救われたくない』って思わず叫んだよムカつきすぎて」と歌っていますが、あれ事実ですよね。当時SNSに投稿されていました。
事実です。さやさんが「日本人の学生、苦しんでます」って言ったときに「外国人の学生も子供もいるぞー!」って叫んだんですけど、そしたら目の前にいた党員が公職選挙法の第235条第2項を書いたプラカを見せて「違法ですよ!」って言ってきて。「が、外国人の学生と子供がいるということが虚偽事項に該当すると思ってらっしゃる?」ってびっくりしましたけど(笑)。その人の顔には見覚えがあって、女性のプロテスターにだけめちゃくちゃ絡んでるんですよ。周りに男性もいっぱいいて、みんな声上げてるのに、私がひとこと言ったら急にバーッて来た。根深すぎる、ミソジニーが。
──大学生の母親である知人に聞いた話では、子供さんのお友達に参政党支持者が多いんですって。大学生は1日中TikTokを見ているから、単純接触効果があるんじゃないかと。
やっぱり左翼もTikTokやらないとダメだと思う反面、左翼はTikTok苦手なのかな(笑)。だからバランスが難しい。最も理念的な左翼が「IGMF」をよく思わないのはわかるんです。アルバムぐらい時間をかければ、言い換えたりとか違うユーモアを入れたりとか全然できるけど、時間のない中でやるとどうしてもああなるというか……もっと筋力があって賢くて優しい人がいたら、私でなくその人にやってもらいたいです。最終的に私のキャパシティの問題なんで、「ごめんね、私で」としか言えないです。
──そんなことはないと思いますが、あの1曲で言っているようなことを5年かけて言うとこうなる、という話には納得がいきます。
抽象化して広範囲に落とし込んで、全体に一貫して流れる価値体系というか、世界観を提示していくみたいな方法で、概念からぶっ壊していくとこうなりますね。
構造をどうやって内側から打ち砕くか
──聴いて最初に思ったのが、これまでで一番、構築的なアルバムなのではないかと。
本当にそうです。テーマが「構造とそれを強化する方法」みたいなもので、その構造をどうやって打ち砕くか、内側から突き破っていくか、どのように変容させるか。そもそも構造があるということへの知覚を人の意識にもたらす、自分も確かめるってこともテーマになっているので、構造に関してはめちゃくちゃ考えました。
──その構造というのは、例えば社会の枠組みであったりとか、我々が知らず知らずのうちに「こういうものだ」と思い込んでいる……。
場のルールとか。例えば家庭など、あらゆるものが国家を模倣して作られてるなと思うんです。それを壊すことを考えたときに、いかようにして国家というものが成立していて、それを打ち砕いて変容させるにはどういう意識を持つ必要があるのか、みたいな。
──僕が構築的と言ったのは、構造を打ち壊すための構造ということなのかもしれませんが、1つの作品としてのまとまりの強さをいつも以上に感じたからなんです。
アルバムで聴いてほしいと思って作ったので、通して聴かないと曲のよさがあんまりわかんないかもなって、ちょっと思います。「構造からは逃れられない。内側からその構造を突き破っていく動的な営みが必要である」っていう話をずっとしてるから、それが構築的になるのは必然的という気がしますね。
追い詰められてる人が殴り返したときに、その暴力を否定していいのか
──あと、すごく単純な感想として、曲名がすべて横文字なので、海外のファンの方たちはイマジネーションを刺激されそうだなと。
されるといいですね。でも、通訳をしてくれてるアメリカのツアーマネージャーが「初めて知った単語あるわ」って言ってました。「なんだ? この言葉」って思われるかもしれない。今回はパッと聴きで「いいな」とか「悪いな」とか思ってもらうことも全然できると思うんですけど、理解しようと思ったらちょっとがんばらないといけない作品になってるとは思います。もう3rdアルバムだし、一歩、歩み寄ってもらうことを要求しても許されるかなって。「お願いしてもいいですか?」っていう感じですね(笑)。だから聴いてくれた方たちの解釈を聞きたいです。小難しい話をすることのよさって、いろんなことをみんなが言ってくれることだと思うから。
──小難しいといえば、引用がふんだんにあって、それも普通にポップスで耳にするタイプの引用ではないですよね(笑)。そこも聴き手が歩み寄らないといけない、歩み寄りを楽しめる要素かも、と。
あんまり考えてませんでしたけど、本を読んでて「かっけえ! 音読してえ!」って思うのが、単純にちょっと小難しくて中二臭い部分ばっかり、みたいなのはあると思います(笑)。「excivitas」の引用もまさしくそうで。
──「リヴァイアサン」(トマス・ホッブズ)の一節ですね。
あれ、威厳を出すために無駄にカッコよく言ってるんだと思うんですよ(笑)。そういう内容だから。「体制ってクソ強えから、契約しないとやばいよ。自然状態に戻ったら、おまえらしんどいから」みたいなことを、原文ではめちゃくちゃかしこまって書いてるんです。だから翻訳もイカツい感じになってるんだろうなって。権力が自らを権威付けるために用いてる邪悪なカッコよさとか神聖さとか美しさみたいなのって、必ず反転して用いることができるって思ってるし、そういう手法が好きだから、自分は。
──じゃあ、曲名や歌詞に出てくる言葉に教会色が濃いのも……。
自分が家庭以外で最初に触れたシステムが学校と宗教だから、神聖さについて考える上で切っても切り離せないというか。システムや権力の権威付けに利用されてきた神聖さを、人間の尊厳そのもののみに取り戻したい気持ちがあって。王が教会を利用して、宗教儀式が王の権威を見せびらかすために使われていったのを解体したい。権力が権威付けのために用いてるものだから使わない、っていうのは、本当の正しさだと思うんですけど、それを奪う、あるいは取り戻して、よりカッコよく、より美しく使うことを「間違ってる」って言われちゃったら、Nワードとか「クィア」っていう言葉とかどうなるの?とも思います。「ビッチ」もそうだけど。そういう邪悪さは自分の中にもあるな、その暴力って本当にダメなのかな、と。
──問いかけでもあるわけですね。暴力という言葉はアルバムのセルフライナーノーツにも出てきますし、以前ねむりさんが「私の音楽には加害性がある」と言っていたこともよく覚えています。意図的に、意識的に、それこそ精査して行使しているわけですね。
そうですね。殴られても殴り返さない、というのが最も正しいとは思うけど、やっぱり殴り返しちゃうし、それを責められるとしんどくね?みたいな。先にそっち(権力による暴力行使)をなくそうよ、って思うから。殴り返す方法にしても、私は音楽というプラットフォームが好きだからそこでするし、「こういうやり方があるよ」と提示はできるけど、物理的に殴り返しちゃった人のことを頭ごなしに「ダメです!」とは言えないな、って思っちゃいます。
──なるほど。僕もそこは丁寧に見たい派ですね。
行為そのものに問題があっても、行為が実行されるまでのプロセスを1つひとつ考えて、そこに生じる「殴り返したい」っていう感情を肯定するところからしか、そもそも抵抗の理論は始まらないとも思うし。動機と行為を分けて考えられるかどうかは、その人がどれぐらいのリソースを持っているかにもよると思うんです。めっちゃお金も余暇もある人が即時的に殴り返すのは、ちょっと悪いかもって思うけど(笑)。アルバムに関してはけっこう時間をかけたから、行き過ぎた殴り返しがあった場合に、一定の批判を受け入れる余地はあるけど、追い詰められてる人が殴り返したときに、その暴力を否定することについてはもうちょっと細分化して考えたいですね。実際に考えた形跡も、アルバムにはめっちゃ入ってると思います。
被害者としての側面だけでなく、加害の歴史も入れて初めて成立するんじゃないか
──アルバムの中で比較的モチーフやテーマが明快で、誰が聴いても即座にわかる曲の1つが「symposium」ですね。旧植民地への加害の過去を直視しない「this country」への怒りが、決然とした言葉で歌われていて。
パレスチナのことを知っていくと、植民地主義というものを勉強し直す機会になるじゃないですか。そうすると今、沖縄にかかってるコストや負担に行き着くじゃないですか。で、そこから第2次世界大戦中の大日本帝国の加害の歴史にも行き着かざるを得なくて。自分が受けてきた教育について考えると、平和教育はすごく大事だと思う一方で、被害者としての側面を強調しすぎちゃってるところがあるというか、加害の歴史も入れて初めて成立するんじゃないかな、それを伝える語りが少なすぎるんじゃないかな、と思って、記録があるに越したことはないから書こう、書くべきだな、と。去年の都知事選で小池百合子さんが圧勝したのも大きかったですね。当時、群馬に住んでいたので、群馬の森の朝鮮人犠牲者慰霊碑が撤去されたときに、反対デモにも参加しましたし。
──確かにアルバム全体として、ねむりさんがパレスチナの現状から感じたことが重要なトリガーになっている印象はありますね。
そこについて考えていくにつれて、この世のいろんなシステムが共通の不条理を、程度の差はあれ、人に押し付けている構図がわかってくるというか。
──資本主義の解体とかアナーキズムみたいなメッセージも、これまで以上に明快に打ち出していますね。
そこは切っても切り離せないですね。ラップのいいところって、やっぱりフットワークの軽さだと思うんで。曲になってない落書きみたいなものでもこうして出せちゃうじゃないですか。それは悪いところでもあるけど、いいところでもあるから。
──自主レーベルで身軽になりましたしね。
もうなんでも出せるというか。とはいえ、こういうのをいっぱい出したくはないですけど……この世に悪いこと起こんないでほしいから。
──それは本当にそう。平和なことだけ歌っていたいですよね。
そうですよ。お金にならないし(笑)。「IGMF」はいっぱい再生されてるのに、一銭も入ってきませんからね。「お金稼いでうらやましいです」みたいに言ってくる人もいっぱいいるけど。Spotifyで配信とかもできたし、それなりに回るだろうなとも思ったんですが、良心が許さなかった。これでお金を稼ぐのは違うよなって。
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知識があるからこそ脆弱なままでいられる