アーティストを撮り続けるフォトグラファーに幼少期から現在に至るまでの話を伺うこの連載。第18回は女性アイドルを中心にさまざまなアーティストを撮影している曽我美芽に、カメラマンを志したきっかけから独立するまでの経緯、今後撮りたいアーティストまでを聞いた。
取材・
好きなバンドを撮りたくて
子供の頃からめちゃくちゃオタクで、「カードキャプターさくら」とか「美少女戦士セーラームーン」とか、女の子が変身して戦うアニメが好きで、絵も描いたりしていました。だから小学生の頃は、将来マンガ家になって、描いたマンガがアニメ化したときに、自分で声優をやりたいと思っていて(笑)。カメラとの出会いは中学生の頃。修学旅行のときに写真係をやって、そこで撮影した金閣寺の写真をみんなが気に入ってくれて、めちゃくちゃ「焼き増しして」って言われたんです。それで「私写真うまいじゃん!」となって(笑)。それが「写真っていいな」と思い始めたきっかけです。
高校生になってからは、バンドが好きになりました。BUMP OF CHICKENとかチャットモンチーとかELLEGARDENとかBEAT CRUSADERSとかストレイテナーとか……だからエルレの再結成は飛んで喜びました(笑)。それで好きなバンドを撮りたいと思ったことをきっかけに、高校2年生の終わり頃に、友達を8人くらい集めて写真同好会を作ったんです。バイト代を貯めてそれを全部つぎ込んで、初めて買った機材はオリンパスの一眼レフです。
憧れの古溪一道
その当時、音楽雑誌に載っていたライブ写真がすごくカッコよくて、「私もこういう写真を撮りたい!」と思いました。当時好きだったバンドをよく撮っていたのが、古溪一道さん。どの雑誌を見ても古溪さんの名前があって、憧れの存在でした。そんなときに古渓さんがWebサイトで「カメラを売りに出します」とおっしゃっているのを見つけて。すかさず立候補して、古溪さんが実際に使っていたカメラを購入したんです。ご本人とメールでやり取りするのはめちゃくちゃ緊張しましたね(笑)。そんなわけで、古溪さんのカメラを持ったので、「私も古溪さんみたいな写真が撮れる!」って意気込んでいろいろ撮ったんです……けど、技術の差がありすぎて、古溪さんのような写真は撮れませんでした。その4年後……一昨年くらいですかね、古溪さんのアシスタントをさせていただく機会があったんです。そしたら「カメラ買った子だよね?」と覚えてくれていて。すごくうれしかったです。
理想と現実
高校を卒業したあとは、写真の専門学校に通いました。将来会社員になっている自分があまり想像できなかったというのもあったし、できれば自分がやりたいことを仕事にしたいという気持ちがあったので、「写真の道に行こう!」って。専門学校というからには、露出とか絞り、シャッタースピードといった、技術について教えてもらえるんだろうなと思ったんですけど、どちらかというと作家性を育てる学校で。「この写真とこの写真を組み合わせると、こういう意図になるよね」とか、作品性をどう伝えるかみたいなことをたくさん教えてもらいました。そこで学んでいくうちに「基礎的なテクニックよりも、その先にある、自分が思っていることをどう伝えるかっていうことを大事にしたほうがいいんだ」「自分がいいなと思った瞬間をレンズで捉えることのほうが大事なんだ」と考えるようになりました。
専門学校を出てからは、写真の道に進むべきかどうか半年くらい悩んだんです。学校で学んだことと、私が高校生のときに思い描いていたカメラマン人生に違いがあったんですよね。撮ったものがよければそのまま仕事につながると思っていたんですけど、学校で学ぶうちに、そういうわけではないってことに気付かされて。写真がいいにこしたことはないけれど、ライティングができて、基本的な数値がわかって、カメラのことがある程度わかっていて、それに加えて場数を踏むことが大事とされる業界だって知ったんです。それを考えたときに、「こんなに厳しい世界に、マイペースでボケボケした私が進んでいけるのか?」と。専門学校のときに出会ったカメラマンさんに「知らないことが多すぎる」って怒られることもたくさんあったし、「ここは絶対こういうふうにしなきゃいけないんだよ」って教育されたことを、実際にこなしていけるかも不安でした。だから、もう全然違う職種に進もうかなって思って、ケーキ屋さんに就職しようとして……(笑)。けど当時20歳だったので、「まだまだがんばれる気がする」と考え直して、カメラの道に戻りました。
それからハローワークで見つけたスタジオに入って、約3年半働きました。そのスタジオでは、1つ動きを間違えたら、人命が懸かってるんじゃないかってくらい怒られるんですよ(笑)。プロの世界を戦い抜いてきたカメラマンさんたちにめちゃくちゃに怒られて、「もう無理だ」と毎日泣いていました。それでも現場にいると、スタジオマンが動くことで写真がいいものになっていくのを感じられたし、「絶対このカメラマンさんたちに追いつくんだ」という気持ちを持って働くことができました。スタジオに来たカメラマンさんがセットしたライティングを自分でそのまま試してみたりして。でもそのカメラマンさんと同じ写真には全然ならなくて、「なんでだろう?」って。そうやっていろいろと深く考えていくと、その人なりのやり方とか、その人が信頼されている理由が見えてきて。だから、怒ってくれるのにも理由があるし、それによって成長できてるって実感できたから、辞めずに続けられたと思います。
秋葉原に通った日々
スタジオマンの仕事と並行して、徐々に自分でも撮影を始めていったんです。そのときは地下アイドルの……今でいう地底アイドルみたいな感じかな。秋葉原で集客5人くらいの子たちを撮っていました。「自分がやりたい表現ってなんだろう?」と考えたときに、幼い頃好きだったような、“女の子が憧れる女の子”を撮りたいと思ったんです。音楽も好きだから、どちらも満たしているのはアイドルだ、と。最初はたくさんライブをやっている女の子に付いてライブ写真や宣材写真を撮ろうと思い、ネットで「地下アイドル ライブ」と検索していました。それで、「週3以上ライブをやっていて、自分の理想的な女の子像と合致するアイドル……」と探していくうちに、sola★ちゃんという子を見つけました。彼女は今は引退してしまったんですけど、見つけたときに直接ライブ会場に行って、「ライブを撮らせてもらえませんか?」と直談判しました。それでマネージャーさんにつなげてもらって。それからはスタジオでの仕事がないときは、ほぼ毎週秋葉原でsola★ちゃんのライブを撮っていました。
でも、秋葉原に通っていても仕事につながらない。同世代のカメラマンさんが活躍しているのをSNSで見て、「私はこのままでいいのかな」「写真は撮っているけど次につながっているのかな」「趣味で続けるべきなのか、バイトをしながらやっていくのがベストなのか」とすごく不安になることもありました。だけど続けているうちにだんだんと、いろんなアイドルの宣材写真やライブ写真を撮らせてもらえるようになっていったんです。当時、秋葉原でソロでアイドル活動をしていた女の子と出会ったんですけど、その子が今の
盛れない角度では撮らない
秋葉原に通いながら、媒体さんに「撮らせていただけませんか」ってメールしたり、営業活動もしていました。それもあって、今は月の半分くらいアイドルを撮れるようになりました。アイドルの子たちが今後どうなりたいのかというビジョンも含めて、自分の中で解釈しながらシャッターを切っていくのが好きですね。ライブだと、下から煽った写真が多くなりがちだったり、ダンスしていると表情が崩れる瞬間もあるんですけど、そういった写真は本人は絶対に嫌だろうから、絶対盛れない角度からは撮らないようにしています。本人が「こう見せたい」って顔や仕草、表情をなるべく切り取ってあげたい。だから、あまり私のエゴになりすぎないようにはしたいです。
ハロプロのアーティストを撮りたい
アイドルのライブは、もちろんアイドルの子たちが主役ではあるけど、照明さんや舞台装置さん、PAさんやファンの人たち、すべての人が空間を作り上げていて、そのコミュニケーションというか、その場の空気が写真にすごく表れると思うんですよ。ライブって1曲1曲に物語があるし、その空間を作っている人たちの物語もある。それを全部加味したときに、「これはアイドルの顔を写さなくてもいいな」という瞬間もあって。手の動きだったり、スカートがふわっとした瞬間だったり、髪が揺れる瞬間だったり、地面に映る足の影とか……そういう写真を差し込んでいけたら、よりライブが伝わるんじゃないかと思っていて、そこはこだわっています。もう解散しちゃったんですけど、
曽我美芽
1991年生まれ。東京都出身。東京綜合写真専門学校を卒業後、東京都内の撮影スタジオに約3年半勤務。現在はフリーカメラマンとして、女性アイドルを中心としたさまざまなアーティストのジャケット写真やアーティスト写真、ライブ写真などを撮影している。
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女の子が憧れる女の子を撮る曽我美芽 | 音楽シーンを撮り続ける人々 第18回 - 音楽ナタリー
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