今年活動10周年を迎えた三月のパンタシアが、ベストアルバム「多彩透明なブルーだった」をリリースした。
これまで青春時代を彷彿とさせる“ブルー”をテーマに、さまざまな明度、彩度の青色を音楽に乗せて届けてきた三月のパンタシア。音楽ナタリーではベストアルバムの発売を記念して、みあ(Vo)にこれまでの活動の中で特に印象深い10本のトピックを挙げてもらった。「変わらないまま変わっていきたい」と謳い、自らの信念を大切にしながらも常に新たな挑戦を試みて進化し続けてきたその軌跡を、このテキストから感じ取ってほしい。
なお三月のパンタシアの活動10周年にあたって、多くの楽曲を提供し、バックバンド・ばんぱしとしてライブにも参加している堀江晶太(PENGUIN RESEARCH)のコメントも掲載する。
取材・文 / 中川麻梨花撮影 / 星野耕作
2015年8月
①オリジナル楽曲「day break」をYouTubeで公開、三月のパンタシアとして活動開始
──当時どういうビジョンや思いを持って、三月のパンタシアとして活動を始めたのでしょうか?
その頃はまだ自分の意思が曖昧で、具体的なビジョンを描けていなかったかもしれません。もともと音楽を聴いたりライブに行ったりするのは好きだったんですけど、まさか自分が音楽活動をすることになるとは思っていませんでした。「あなたは声がいいから、そんなに音楽が好きだったら自分で歌ってみれば?」と人に勧めてもらったのがきっかけで音楽を始めることになって。エンタテインメントの世界で表現したい気持ちは強かったのですが、アーティストを目指していたわけでもないのに「音楽が好き」という気持ちだけで、簡単に始めてしまって大丈夫なのかなという不安もありました。でも、やるからには真剣に音楽に向き合いたいし、成功したい……そんな心境の中で、せっかくだから自分が好きなボカロPの皆さんとご一緒したいという思いで、最初にすこっぷさんにお声がけして書いていただいたのが「day break」でした。
──すこっぷさんが当時ナタリーに「day break」について「切なく儚い感じが自分的には一番みあさんのボーカルに合うと思ったのでそういうイメージで曲を作りました」というコメントを寄せてくれました(参照:三月のパンタシア「あのときの歌が聴こえる」特集)。三月のパンタシアはこの10年間、さまざまな形で青春時代の切なさやはかなさを表現してきましたが、すべてはみあさんの歌声の印象から始まっているのでしょうか?
すこっぷさんに楽曲を作ってもらうにあたって、歌声のサンプルとしてボカロ曲のカバー音源を送ったので、それを聴いて「切なく儚い感じ」と思ってくださったのかな。いろんな声質を聞いてもらえるように、すこっぷさんの「アイロニ」、みきとPさんの「サリシノハラ」とか、キーの低い曲から高い曲まで自分なりにバリエーションを持たせてお送りした記憶があります。
──みあさん自身は、当時自分の声のことをどう感じていたんですか?
昔から周りに「声に深みがある」と言ってもらうことが多かったんですけど、自分ではどういう声なのかあんまり考えたことがなかったです。実はインディーズ時代は正しい発声がわからなくて、とにかく喉を絞めるような歌い方をしてたんです。高音が出ないときは、がんばって喉を絞めて声を絞り出していた。結果的にそれが“苦しげだけど切ない声”と受け取ってもらえてたところもあるかもしれません。その歌い方を続けていたら、だんだん喉を痛めることが多くなってきたので、ボイストレーナーの先生に頼りながら、軽やかで抜けのいい歌い方に変えました。今はクリアさやエアリーさを大切に歌うようにしていますね。
2016年6月
②「はじまりの速度」でメジャーデビュー
──「はじまりの速度」のデモを初めて聴いたときのことは覚えていますか?
はい。メジャーデビュー曲はアニメ「キズナイーバー」のエンディングテーマになることが決まっていて。いくつか楽曲を聴き比べていく中で、自分もスタッフさんも「この曲がいいんじゃないかな」と満場一致で決まったのが「はじまりの速度」でした。疾走感があって、どんどん開けていくようなサビの感じがアニメの雰囲気にも合っていて。三月のパンタシアのメジャーデビュー曲としてもすごくマッチしてるなと感じました。作詞は「キズナイーバー」の脚本を書かれている岡田麿里さんが担当してくださったんですが、歌詞が乗った音源を聴いたときにさらに感動したのを覚えています。歌詞から思春期特有の痛みが感じられて……私もうまく言葉にできない痛みのようなものをずっと抱えながら学生時代を過ごしてきたので、過去の自分と重ね合わせながら、気持ちをシンクロさせてレコーディングができた曲でした。
──インディーズ時代は「簡単に始めてしまって大丈夫なのか」という不安もあったということでしたが、メジャーデビューした頃にはその心境に変化はありましたか?
まだまだハラハラしていました(笑)。もちろん「楽しみだな。がんばりたいな」という前向きな気持ちもあったんですけど、根がネガティブなので、それよりも「ここからどうなっちゃうんだろう? うまくやれるのかな?」という不安が心の半分くらいを占めていました。
──三月のパンタシアは「ライブハウスでのし上がってきてメジャーデビュー!」みたいな道のりを歩んできたわけではなかったので、デビューの実感がまだあまりなかったのかもしれませんね。
そうですね。YouTube上で楽曲を発表し続けていった先で、ありがたいことにご褒美みたいな形でデビューのお話をいただいたものの、まだ自分に自信がなくて。「自分に何ができるんだろう? 自分の強みってなんだろう?」と考えたときに、まだそのイメージが曖昧だったのかな。「メジャーデビューするんだから、自分が一番がんばらないと!」という気持ちは強くありました。
2017年11月
③初のワンマンライブ「きみとわたしの物語」開催
──メジャーデビューから約1年半後に初のワンマンライブが開催されました。当時から朗読を挟んだ物語仕立てのライブを行っていたんですよね。
はい。初ワンマンは「三月のパンタシアのテーマカラーである青色ってどんな青だろう?」ということを探っていくようなライブで、「空の青、海の青、心の青……」と朗読で唱えながら、全編紗幕を使って楽曲を披露しました。2017年5月にさいたまスーパーアリーナで開催されたイベント「MUSIC THEATER 2017」に出演したことはあったんですけど、ワンマンライブで「自分の楽曲でこんなに盛り上がってくれるんだ」「こんなに感動して涙まで流してくれる子がいるんだ」という光景を目の当たりにしたときに、自分の存在価値を初めて感じられました。もちろんそれまでもSNSのメッセージやYouTubeのコメントにたくさん励まされていたんですけど、生の声から受け取るエネルギーがものすごくて。三月のパンタシアのみあとして、初めて自信を持てた日でした。
──“青”というテーマカラーを固めたのは、どのタイミングだったんですか? インディーズ時代に発表した「day break」のミュージックビデオからすでに水色がベースになっていましたが。
「day break」の時点ではテーマカラーを青にすることは決めてなくて、イラストレーターの方には「曲を聴いていただいて自由に絵を描いてください」とお願いしていました。曲と歌声のイメージから、水色の世界観にしてくださったのかなと思います。そこから「三月のパンタシアって青が似合うよね。青色を大事にしていこう」ということになって、1stアルバム「あのときの歌が聴こえる」(2017年3月発表)を作る過程の中で、自分の中で具体的に青色のイメージが固まっていった気がします。
2018年11月
④楽曲「サイレン」で初めて作詞を担当
──みあさんは歌詞も小説もたくさん書いていらっしゃるので、歌う人であると同時に“文を書く人”であるというイメージが強いですが、思えばシングル「ピンクレモネード」のカップリング曲「サイレン」が初めての作詞曲でした。当時自分から手を挙げて作詞に挑戦したんですか?
そうですね。「ピンクレモネード」のカップリング曲を制作するときに「みあちゃんが今やりたいことは?」とスタッフさんに聞かれて、「作詞をやってみたいです」とお話ししてチャレンジさせてもらいました。最初にデモを聴いた際に、シンセの音がサイレンのようにビビビっと鳴ってるように聞こえて、まず「サイレン」というタイトルを決めて。「サイレンが鳴るのってどんなときだろう?」と考えたら、自分の脳が危険信号を出しているときだと思ったんですよね。黄色信号というか、いけるかいけないかわからないとき。そういうシチュエーションを歌詞にできたらいいなと思いながら、甘酸っぱい片思いの気持ちを書いていきました。
──今「サイレン」の歌詞を改めて見てみてどう思います?
いい歌詞だなと思います(笑)。恥ずかしいんですけど、今はこんなにストレートな歌詞を書けないかもしれない。「サイレン」で作詞に挑戦してみて、その作業が楽しかったんですよね。音から何かキーワードを連想して、そのキーワードから物語を想像していく……歌うことも好きだけど、物作りの楽しさを発見できた大事な経験でした。
2019年3月
⑤2ndアルバム「ガールズブルー・ハッピーサッド」リリース
──三月のパンタシアのターニングポイントを考えたとき、個人的には2ndアルバム「ガールズブルー・ハッピーサッド」が真っ先に思い浮かびました。みあさんが書き下ろした小説を元に楽曲を制作するという、三月のパンタシアのスタイルが確立した作品です。
そうですね。「サイレン」で作詞をしたことによって物作りに対して意欲的になって、次のアルバムを作る中で自分の物語をもう少し作品に投影したいという気持ちがどんどん膨らんでいきました。それで楽曲の原案となる小説を自分で書くようになって。三月のパンタシアに自分の血が通い出したアルバムだったように思います。
──「ガールズブルー・ハッピーサッド」の収録曲「東京」でみあさんは再び作詞を手がけたわけですが、並行して6曲分の小説も書き下ろしたんですよね。過去に小説を書いた経験がなかったにもかかわらず、あの数の物語を書いたのは今考えるとすごい話です。
小説を元に曲を作るという制作スタイルについて、「1回小説を挟むのってすごい遠回りじゃない? 労力がかかって大変じゃない?」と周りに言われることもあったんですけど、自分の中では楽曲の元になる物語があるほうが、「自分はこういうことを歌いたいんだ」と伝えやすくて、クリエイターさんとのデモのやりとりの解像度が上がるんですよね。レコーディングでも気持ちの持ちようが違います。ちゃんと自分が歌いたいことを歌えてるという手応えがある。それまでは自分なりに楽曲を解釈して、語り手として演じるように歌う感覚だったんですけど、演じるよりも自分が歌いたいことを発信したいという気持ちが強くなっていました。
──今「ガールズブルー・ハッピーサッド」という作品を振り返ってみて、特に印象に残ってる曲を挙げるならば?
「青春なんていらないわ」が三月のパンタシアをいろんな人に知ってもらうきっかけになった曲としてありつつ、「ビタースイート」も思い入れのある楽曲です。
──「ビタースイート」はダークな方向に振り切って“依存心”を描いた楽曲で、ここから“1アルバム1病み曲”というように陰りのある楽曲も増えていきました。
「ビタースイート」で初めて病んだ感じの楽曲を作ってみて、「リスナーのみんなの反応はどうなんだろうな? けっこう気に入ってもらえると思うんだけど……」とちょっと自信ありな感じでYouTube に投稿したんです。そしたらやっぱりみんな、「こういうダークな三パシもいいな」と楽しんでくれました。自分は落ち込むときはひたすら落ち込んじゃうタイプなので、憂いの感情にも寄り添える人間だとは思っていて。青春の甘酸っぱさだけじゃなくて、ダークな感情も描いていっていいのかなと自覚した曲でした。
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初の長編小説発売からベストアルバムリリースまで