「さんピンCAMP」とその時代 第2回 後編 [バックナンバー]
大神3人が振り返るライブ当日の記憶「日比谷野音のステージに立てることがデカかった」
NIPPS&CQ(BUDDHA BRAND)×IGNITION MAN aka ヒデボウイ(SHAKKAZOMBIE)対談
2025年12月26日 19:00 5
「さんピンCAMP」出演を経て
──ちなみにお三方は「さんピンCAMP」の映像は観返したことがありますか?
ヒデボウイ 僕も、「大怪我」で針が飛んでるでしょ? あれ、リリックが飛んだってすごい言われたから、あんまり観たくないよね(笑)。
CQ トチったのがラッパーのせいになっちゃってるんだ。
ヒデボウイ スタジオで「さんピン」の編集をしてるところに、みんなで行ったんですよ。そこにコンちゃんもいて、MASTERKEYもいたんです。それで「大怪我」の針飛びのシーンを見てコンちゃんがすごい怒っちゃって。「これ一生残るんだぞ。ヒデボウイに謝れ」って。MASTERKEYに「全然いいよ」って言いました(笑)。世の中には僕のリリックが飛んだと思われてますけど、ああいうハプニングはあることだから。
──「さんピンCAMP」のあと、自分たちの活動にどんな変化を感じましたか?
CQ 特に何もなかったような気がする。だって、いきなりそれで売れるわけでもないもん。
ヒデボウイ でも注目度は上がりましたよね。
NIPPS 俺は「ブッダって、ちょっとだけ知られてるのかな?」っていう感覚はあった。どれくらいの人が知ってるのかわからないけど、「なんで知ってるの?」っていう感じにはなったから。
──地方でのライブが増えたりは?
NIPPS そもそもマネージャーがいなかったから。ブッキングとかも満足にできなかったし。
CQ でもさ、「さんピン」後に、地方にもヒップホップのクラブとかできたりしたんじゃないの? そこでDJも増えて、ラッパーも増えてっていう。
NIPPS 当時DJブームだったもんね。
CQ うん。それで憧れの人を呼んでみようっていうのは増えてきたんじゃないかな。
ヒデボウイ シャカとブッダに限って言えば、全員呼ぶと人数が多いから一緒に行く機会がなかなかなかったんですよ。だからあんまり大神でライブをやってないんだと思う。大神のライブがあまり記憶にないもん。
NIPPS 「さんピン」後の変化でいうと、俺はキンチョールによくサインしてくれって言われるようになった(笑)。
全員 あはははは!
NIPPS 俺が「さんピンCAMP」でキンチョール持ってステージに出たのを今もお客さんが覚えてて。キンチョールをわざわざ持ってきて、それにサインしてる。けど、うれしいね。そういうことがあって、だんだん自分たちが認知されてきてるんだなって感覚はあったけど、でもそれでどうしようっていうのはあんまり考えてなかった。
CQ それまでラップで食えるのかどうかわからなかったけど、「さんピンCAMP」が盛り上がったことで、みんなで盛り上げられるところまでいけるのかなっていうのはあったと思う。金にはならないけど露出は増えたから。逆に「あなたたちのせいで人生狂いました」っていうファンもいっぱいいると思うけど、それはそれですげえいいことだなって、いい意味で捉えてた。
ヒデボウイ 僕らにとって「さんピン」は大きかったですね。シャカは世に出るのが遅かったから、「さんピン」をきっかけに知ってもらえるようになったし。あとは「さんピン」以降、日本のヒップホップのファン層が広がったと思います。地方に呼んでもらったときには、こんなに喜ばれるんだっていう実感がありましたから。
ファッション面でのヒップホップの影響
──ファッション面で日本語ラップに興味を持った層も増えたような気がします。
ヒデボウイ ヒップホップファッションとかニューヨークのスタイルが広がったんじゃないですかね。
NIPPS おしゃれなB-BOYが増えたよね。「さんピン」が注目されたことによってヒップホップを聴かない人たちが聴くようになった。「ブッダを聴いてヒップホップを好きになりました」って、よく言われたし。
CQ それまではクラブで日本語ラップが絶対にかからない時代だったからね。クラブに遊びに行ってるやつらが、ニューヨークなファッションになるのはわかるけど、それがなぜ日本で広まったのかというと、「さんピン」の盛り上がりがあったからだと思う。地方も含めて、普段クラブに行かないような人たちがヒップホップを聴いてくれるようになったんじゃないかな。当時、アメリカもヒップホップが盛り上がってきてたよね?
ヒデボウイ 「さんピン」から2000年に入るまでの4年間くらいが、なかなか渋い、いい時代だったんですよ。お客さんも含めて、ファッションも、いい感じにシーンが広がったと思う。2000年代に入るとなんか下品じゃないですか(笑)。
──金満主義というか、拝金主義というか、セレブ感が出てくる。
ヒデボウイ そう。90年代のほうがファッションとか、すごいがんばってた。人を牽制するじゃないけど、自分のファッションが一番カッコいいみたいな意識が高かったんじゃないですかね。
──みんなとそろいの物をあまり着ないとか?
ヒデボウイ 着こなし的にはルールみたいなものがあって、あの頃はアースカラーが流行ってて、アメリカントラッドみたいなものをどう気崩すかみたいな感じだったと思うけど、人によって雰囲気が変わるじゃないですか。それが面白かった。2000年代からはヒップホップのファッションがユニフォームみたいな感じになっちゃったんですよ。僕はそれが嫌いだった。僕、ブッダが日本に帰って来て初めて見たとき、デミさんとクリちゃんのおしゃれさに引きましたから。
NIPPS クリちゃんはおしゃれだった。
ヒデボウイ いや、デミさんのファッションも超影響受けましたもん。2人はホントおしゃれだった。
CQ うちらはKURIUS(※プエルトリコとキューバの血を引くニューヨーク出身のラッパー)とか好きだったから。プエルトリカンとかのファッションが好きだったんだよね。
NIPPS ニューヨークは当時プエルトリカンとかチャイニーズがおしゃれだった。
ひさびさに「大怪我」を披露した夜
──結局、今振り返ると「さんピンCAMP」とは、どんなイベントだったと思いますか?
ヒデボウイ 「さんピンCAMP」っていうイベントがあっただけで、あのあと、あそこに出てた人たちが一緒に活動したかっていうと別にしてないんですよね。「さんピンCAMP」はいろんなきっかけにはなったんですけど、またみんなで集まって何かをやったとかではないから、クリちゃんがさっき話したように、「さんピンCAMP」っていうワードに対する印象が薄いんだと思う。だから変な話になっちゃうけど、コンちゃんが亡くなったあとに渋谷でやったイベント。
NIPPS ハスラーズコンベンション。
──2015年6月25日に渋谷VISIONで開催されたDEV LARGE追悼イベント「D.L PRESENTS HUSTLERS CONVENTION NIGHT」ですね。
ヒデボウイ あれが、あの時代のやつらがみんな集まった現場でしたよね。
NIPPS あれすごかったよね。人の数が半端なかった。
ヒデボウイ 90年代ヒップホップの人、大集合みたいな。
CQ あのイベントで「大怪我」をやったんだよね。ヒデボウイはあんまりラップしてない時期だったから「やったら面白いんじゃない?」って話になって。
ヒデボウイ コンちゃんが亡くなって、「大怪我」の話が来そうだなと思ってて。でもOSUMIが「やる」って言うわけないと思ってたんですよ。ちょこちょこライブの話とかあったんだけど全部断ってたから。
CQ OSUMIが?
ヒデボウイ 僕が断ることもあるし、僕とOSUMIの足並みがそろうことなんてまずなかったんです。でもDEV LARGEの追悼公演だから、僕は「大怪我」の話が来たら絶対にやろうと思ってたんですよ。そしたらOSUMIから連絡が来て「やってくれって言われたんだけど、やらない?」って言ってきた。「みんなリハとかやらないだろうし、サビとか怖いからヒデボウイ、サビ覚えておいて。俺も覚えておくから」って。OSUMIが珍しく前向きだったんです。
NIPPS あれからちょうど10年だね。
ヒデボウイ その後、マキさん(MAKI THE MAGIC / CQとIllicit Tsuboiとともにキエるマキュウとして活動していた)も亡くなって、その後に石田さんもいなくなり。OSUMIですら亡くなってもう4年経ってるんですよね。
CQ でも確かに。あれが「さんピンCAMP」の続きだったのかもしれないね。
プロフィール
CQ(シーキュー)
NIPPS(ニップス)
BUDDHA BRANDのMC。ニックネームは「HIBAHIHI(飛葉飛火)」や「緑の5本指」など。2007年以降は、TETRAD THE GANG OF FOUR、The Sexorcistのメンバーとして活動を展開している。2015年、CQとヒップホップユニットBUDDHA MAFIAを結成。
IGNITION MAN aka ヒデボウイ(イグニッションマンアズノウアズヒデボウイ)
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