
「さんピンCAMP」とその時代 第1回 後編 [バックナンバー]
「J-RAPは死んだ」ECDが発した言葉の意味とは?「さんピンCAMP」がヒップホップシーンに与えた影響
関係者が語る「さんピンCAMP」の裏側|本根誠×荏開津広×光嶋崇 鼎談
2025年10月2日 20:00 2
伝説のヒップホップイベント「さんピンCAMP」の全貌に迫るべく、当時の関係者や出演アーティスへのインタビューなど、さまざまなコンテンツをお送りする連載企画「『さんピンCAMP』とその時代」。全3回にわたる初回は、元cutting edgeの本根誠氏、執筆家 / DJの荏開津広氏、アートディレクターの光嶋崇氏という、「さんピンCAMP」の立ち上げに深く携わった3人の鼎談をお届けしてきた。
後編にあたる本稿では、「さんピンCAMP」開催以降に“さんピン勢”という概念や“東京vs地方”という構図が生まれたワケ、ヘッズなら一度は耳にしたことがあるであろう
取材:高木“JET”晋一郎+猪又孝
「さんピンCAMP」は東名阪ツアーだった
──「さんピンCAMP」は東京に加えて大阪と名古屋でも開催されたということですが、「さんピンCAMP」はツアーだったということですか?
本根誠 そうです。セールスプロモーション上の都合で、「じゃあ名古屋と大阪でもやろうか」って。
──イベントに先駆けて発売されたコンピレーションCD「さんピンCAMP ECD PRESENTS THE ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK」のプロモーションだったと。
本根 そうですね。
荏開津広 俺も行きましたよ。
──出演者は東京と違ったんですか?
本根 基本的にcutting edgeに所属していて、「アゴアシマクラは出すから、ちょっと出てくれない?」みたいな感じでもOKしてくれたアーティストでしたね。
荏開津 でも、RINOさんは来ましたよね?
本根 たぶん友情出演ですよ。ノーギャラで出てくれたはず。要するに予算を東京で使い切って、大阪、名古屋公演は出演者にあらかじめギャラを提示できなかった。結局チャージバックにして、当日の売り上げをお店と出演者で最後に割るという方式になって。ライブハウスのバンドマンと同じですよ。
荏開津&光嶋崇 ええー!
荏開津 逆に言えば、地方での集客が未知数だったということですよね。
本根 そう。でも名阪も回らないと販売促進部に叱られるから(笑)。
──名阪公演の映像を撮らなかったのはどうしてなんですか?
本根 石田さん(ECD)にその発想がなかったんじゃないですか?
光嶋 僕は日比谷でおしまいだと思ってた。
──ドキュメントとしては野音が決着だったと。
本根 ツアーでもいろいろありましたね。
──地元のラッパーに出てもらおうとか、そういう感じではなかったんですね。
本根 それも石田さんの発想になかったんだと思う。観に来たアーティストはいたと思うけど。
イベント開催後に生まれた“さんピン勢”という概念
──「さんピンCAMP」が話題になったことで、出たアーティストと出ないアーティストで、注目度の変化が生まれることになり、“さんピン勢”という概念や、“東京中心のシーンと、それに対抗する地方”という構図が生まれたとも思うのですが、その部分はいかがでしょうか?
荏開津 その“さんピン勢”に入らなかったのって例えば誰?
光嶋 NAKED ARTZとかかな。
──ZINGIもそうですよね。ECDと同じファイルレコードに所属していた、「CHECK YOUR MIKE」の第1回優勝者ですし。
光嶋 だからけっこういるんですよね。当然だけど。
荏開津 そうそう。「そこは入れないんだ」みたいなのは当時もあったと思う。だから
光嶋 それはそうですね。でも、見る側が、1つの塊として捉えるのもわかる。
──それだけ情報が少なかったのと、「さんピンCAMP」の影響が強かったということでもありますね。
荏開津 “さんピン勢”という概念が強烈な一方、「さんピン」には出なかったラッパ我リヤはその後Dragon Ashにフィーチャーされてブレイクするし、同様に石田さんが選ばなかった流れが、KICK THE CAN CREWやRIP SLYMEといった新しい日本語ラップを作っていったのも歴史的な事実です。むしろその側面は非常に大きい。本根さんが言うように“さんピン勢” に“ロック感”があったとしたら、それは既成のものへのカウンターを前面に押し出すということなのかなとも思います。
──その流れで伺うと、NAKED ARTZやラッパ我リヤはライター / クリエイターの萩谷雄一さんがコンパイルしたアルバム「悪名」に参加しました。CRAZY-AやZINGI、DS455は「ベスト・オブ・ジャパニーズ・ヒップホップ」シリーズに収録されています。TWIGYなど、アーティストによってはクロスしているのですが、「さんピンCAMP」収録勢も、そこには独特のカラーがありますね。
本根 コンピのライバルと言ったらそれぐらいですよね。特に「『悪名』よりは売れてるように見せなきゃ!」とは思ってました。予算は少なかったですけどね。
「J-RAPは死んだ」というECDの発言に込められていたもの
荏開津 cutting edgeはそんなにカツカツだったんですか?
本根 カツカツでした(笑)。TRFとか安室(奈美恵)ちゃんがいる部署は悠々自適だったけど、cutting edgeにはそういうアーティストがいなかったんで。
──2000年にcutting edgeからデビューしたMICADELICのDARTHREIDERも、「俺らは同じcutting edgeに所属してたJanne Da Arcに食わせてもらってた」と言ってました(笑)。ただ、売上の高いアーティストの収益をほかのアーティストの制作予算に充てるというのは、予算の循環として普通にあることです。
光嶋 その流れで言えば、僕は
荏開津 アーティスト側にも“俺たちを使うメジャー業界”みたいな意識があったんじゃないかな。それこそ「証言」でも歌われているような感じで。真偽はともかく幾人ものラッパーの人から実際にそういう話を聞いたこともあります。
本根 ECDやユウちゃんはcutting edgeにお金がないことがわかってたから、僕らに対して敵意はなかったと思うけど、外に出ると「お前、エイベックスにいいように使われてないか?」とか言われてたと思いますよ。でも僕はレコード会社の社員として悪役のイメージを持たれてもいいと思ってましたね。なんかギラついたイメージのほうが目立って、結果アーティストに注目が集まるのかな、と。
──特にエイベックスはm.c.A・T「Bomb A Head!」をリリースしていたレーベルですからね。
荏開津 そういう部分も、石田さんが決めた「さんピンCAMP」というタイトル然り、イベント冒頭での「J-RAPは死んだ、俺が殺した」という言葉も然り、いろんなことにつながってくるような気がする。
本根 そういう役割を担おうとしたんでしょうね。一番アンビバレンツを持ってたのは石田さんだったと思います。だからこそ生まれたイベントかもしれない。
──「J-RAPは死んだ、俺が殺した」という「さんピンCAMP」の1つのテーゼやアティチュードについて、スタッフ間で話はされたんでしょうか。
荏開津 いや、僕は何も話してない。特に「殺す」という言い方には驚いてそこまで強い言い方をしなければならないのか、と当時正直思ったけど、それはラップという技術ではなくヒップホップという“価値観”を提示するための試行錯誤の1つだったんだな、と今は思います。
光嶋 でも、全員「J-RAP」と言われる曲をクソダサイと思っていたはずですよ。少なくとも僕はJ-RAPと呼ばれる楽曲をまったくカッコいいと思っていなかった。だから僕らが言葉にできないような気持ちを石田さんが代表して言ってくれたと僕は思ってます。
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