コテコテのハードロックを、はっぴいえんどみたいな音でやったらどうなるか
──当時ヤコブさんはどちらに住まれていたんですか?
田園都市線のあざみ野という駅から歩いて30分くらいのところに住んでいました。沖縄で生まれて、いろんなところを転々としつつ、小学生ぐらいからずっとあざみ野に住んでいて。
──そういったルーツや育ってきた場所は、ご自身の創作活動に影響を与えているものなんでしょうか?
今思うと、あざみ野で育ってきたというのは、けっこう影響があるんじゃないかと思います。あざみ野は“実は横浜”みたいな場所で、自分が住んでいたところはすごく田舎というか、のどかな地域だったんですよ。でも、駅から急行を使えば渋谷まで30分もかからないぐらいで、都心部に中途半端に近いんですよね。だからこそ都会への過度な期待や幻想がなくて、都心部に対してずっと冷めた気持ちを持っていました。その憧れのなさが、歌詞とかサウンドに出ているような気がします。
──憧れのなさ、ですか。
扇情的にリスナーを煽るようなパーティっぽさや集団心理みたいなものは基本的に肌に合わないといいますか、とにかく虚しくなっちゃう。自分の家の周りには、日本の原風景のようなものが残っていて、都会的なものよりもそういう田園風景のほうが落ち着くんですよね。シティポップのような洗練された音像や、いわゆるメジャーなサウンドもなんとなく生活とは似合わなかったというか。だから、はっぴいえんど的な、70'sの音楽のノスタルジックな感覚へのシンパシーはありました。ただ、自分の音楽のルーツとして、メタルとかハードロックとかそういうものも強くあって。それらが混ざったらどうなるか、コテコテのハードロックを、はっぴいえんどみたいな音でやったらどうなるかとか、そういう2次創作のような妄想をよくやっていましたね。
──あざみ野という土地から想像以上に影響を受けているんですね。
今思うと自分の音楽と切り離せないなと思います。東京に染まれず、かと言って“地方出身がゆえのハングリー精神”みたいなものもない。なんかぬるっとしてるなという。そういうところが自分の作品にも出ているんじゃないですかね。
──ヤコブさんは学生の頃からよく散歩されていたり、今もバイクでいろんなところに行かれたり、どこかに移動するという行為がお好きなんでしょうか?
好きというよりはもっと消極的なものかもしれないです。あざみ野には、祖父母と住んでいたんですけど、その祖父母がけっこう言っちゃいけないくらいヤバめで。「なるべく顔を合わせたくないから、外に出る」という感じだったんですよ。とにかく家にいたくなくて、それで自転車でどっかに行ったり、家にいても1人で部屋で楽器を弾いていたり。「どこかに行きたい!」という思いより「ここにいたくない」という思いのほうが強かったような気がします。
──「大学がある飯田橋から逃避する」というのもそうだし、ヤコブさんの中で“どこかに行く”という行為は“逃避”と結び付いているんですね。
それはそうかもしれないです。「今のこの居心地の悪さから逃げ出したい」という気持ちは常に抱えているので。それも創作の原点だと思います。
里山に殴り込んでくる異物が欲しい
──「茗荷谷」以外に、
去年ソロで出した「ただようだけ」というアルバムは、それに近いかもしれないです。小田急線の新松田という駅がすごく好きで、会社員時代によく行っていたんですよ。それも“会社から逃げる”という感覚で。「ただようだけ」は、その新松田をイメージしたアルバムでした。
──新松田のどのようなところに魅力を感じていたんですか?
新宿から1時間ちょっとの場所なんですけど、すごく自然豊かなんですよ。めちゃくちゃ大きな川が流れていて、田んぼもあって、天気がいいと富士山がデカデカと見えて。小田急線に乗っていると、都心から山間部に行くまでのグラデーションを感じられてすごく面白いんです。新松田の前が渋沢という駅で、そこには住宅地の名残がまだあるんですけど、新松田に向かう途中で急に過酷な自然に囲まれる。その感じがすごく好きで、電車に乗りながら「きたきたきた!」とテンションが上がっていました。その新松田周辺の雰囲気を表現したいというのが、「ただようだけ」の自分の中でのコンセプトでした。
──なるほど。
あと「IN NEUTRAL」というアルバムは、小田急線の永山駅にあるスタジオに通いまくって作ったもので。あれは完全に“永山のアルバム”かもしれないです。永山団地というでっかい団地があって、当時そこをよく歩いていたんですよ。本当に広くて、変に公園とかに行くよりも永山団地に行ったほうが断然面白いくらい。会社員時代の休みの日には、団地の敷地内から出ないでどこまで行けるかというチャレンジをしていて。Googleマップを見たらダメというルールを自分に課して、ひたすらうろうろしてました。
──それこそさっき話題に出た2010年代前半ぐらいのインディーシーンの作品って、団地をモチーフにしたものが多かったですよね。だから、そこにリアルタイムで触れてきたヤコブさんが、団地に惹かれるのも頷けるというか。
それって僕が思うに、「耳をすませば」みたいな作品を子供の頃に観た影響が大きいと思うんですよ。団地の中を歩いていると、お店が入っていたり学校があったりして、そこの中だけで生活が回っている感じがある。そういうところも不思議だなと思うと同時に、なんか憧れるんですよね。独特の情緒がある。
──5月に音楽ナタリーに寄稿いただいたコラムでも、高校生の頃に聴いたムーンライダーズの曲を挙げながら「この頃から音楽と風景の親和性について考えるようになりました」と書かれていましたけど、ヤコブさんは「この音楽はどういう風景に似合うか」ということをすごく意識されているんだなと、新松田のお話を聞いて改めて思いました。
それは確かに考えてるかもしれないです。高校生のとき、稲穂に囲まれながらSigur Rósを聴いて、今で言う“脳汁が出る”みたいな感覚になったんですよ。そこから音楽と景色の関係性を意識するようになって。それこそさっき話題に出た友達ともよく話してましたね。「どういう風景に合うかというのは、音楽においてすごく大切だ」とか偉そうに(笑)。でもやっぱり、今でも音楽を作るときは、そういうことは意識しています。
──それで言うと、ヤコブさんはどういう景色に合うような曲を作りたいと思っているんでしょうか?
やっぱり実家付近の田んぼに合うような音楽を作りたいです。それはいまだに自分の中の基準としてあるかもしれない。都市部なのか郊外なのかよくわからなくて、でもちょっと行くと蛍がいるみたいな、そういう感じ。里山的な日本の原風景に合うものがやっぱり好きなんですよね。ただ、それだけを切り取っちゃうとインテリっぽいというか、行儀のいいものになってしまうから、そこに殴り込んでくる異物が欲しくて。里山の風景をいい感じに乱してほしいというか。ギターのサウンドとか、テクニカルなフレーズとか、なんならバイクとか、そういうものがそれにあたるのかもしれないです。似合わないようで似合う、みたいな。自然とメカニックなものの対比を求めているような気がします。
──確かに家主の音楽は、自然に似合う曲もあるけれど、じゃあバンド自体にオーガニックな香りがするかというと全然そんなことないですもんね。
そういう機微をサウンドで表現したいという気持ちはあるし、そう聴かれているといいなと思います。“丁寧な暮らし”的なものへの違和感ももちろんありますし、そういうものに対しても虚しさを感じてしまうので。
──今日お話を聞いて、ヤコブさんが育ってきた街や見てきた風景が、ご自身の音楽といかに密接に関係しているのかがわかりました。ありがとうございました。
いえいえ、こちらこそありがとうございます。こんな機会がなければ茗荷谷に来ることももうなかなかないですからね。ひさびさに飯田橋まで歩いてみようかなと思います。
プロフィール
田中ヤコブ(タナカヤコブ)
1991年、沖縄生まれ神奈川育ち。インドア志向のアウトドア派で、趣味はバイク、散歩、バッティングセンター、プール。2013年に結成されたバンド・家主でボーカル兼ギターを務めており、2023年12月に3rdアルバム「石のような自由」を配信リリースした。2025年6月から10月にかけてワンマンライブツアー「YANUSHI LIVE TOUR 2025」を開催する。またシンガーソングライターとしてソロ活動も行っている。
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取材協力
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小石川図書館
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「茗荷谷」はもちろん「The Flutter」(あざみ野から小石川図書館に向かう様子がMVになってる)がとにかく好きなので嬉しいインタビュー
家主・田中ヤコブが茗荷谷で語る「茗荷谷」 | 今日もあの街で名曲が 第3回 https://t.co/4cgPPuxr32