GLIM SPANKY

あの人に聞くデビューの話 第4回 後編 [バックナンバー]

変わらぬ姿勢で歩み続けたGLIM SPANKYの10年

2人を常に衝き動かす“根拠のない自信”

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音楽ライターの松永良平が、さまざまなアーティストに“デビュー”をテーマに話を聞く連載「あの人に聞くデビューの話」。前回に引き続き、GLIM SPANKYをゲストに迎えてお届けする。結成以来、2人を常に衝き動かしてきた“根拠のない自信”とは?

取材・/ 松永良平 撮影 / 相澤心也

“ロックなイカれた大人”との出会い

──GLIM SPANKYのバンドとしての強度も上がっていって、いよいよ2013年12月にSPACE SHOWER MUSICからミニアルバム「MUSIC FREAK」をリリースします。今の事務所(amnis inc.)からの誘いを受けたまでが前回の話でした。でも、松尾さんは大人に対する敵対心があったんですよね。

松尾レミ(Vo, G) 何回もごはんに行って「本当に大丈夫か、この人?」みたいに確認していく感じでした(笑)。

亀本寛貴(G) 自主制作でもCD-Rを出してはいたけど、自分たちが理想とする活動をやるためには当然、事務所からの出資が必要じゃないですか。今の事務所は、ちゃんと僕らを育てて売る覚悟というか、会社として責任を持ってくれる姿勢が明確だった。僕はそれで充分だったんです。松尾さんが躊躇してたときは「なんでダメなの? めっちゃよさそうじゃん」って何度も言いました(笑)。

松尾 今の事務所の社長は、すべてをさらけ出す感じの人だった。それがよかったんです。バンドマンよりも尖ってるんじゃないかというくらいで、すごく信頼できた。私たちの好きなもの、大切にしているものを理解してくれたし。例えばミュージックビデオを撮るときに、私は60年代の文化やファッションが好きで、「ポリー・マグーお前は誰だ?」(1968年、ウィリアム・クライン監督のフランス映画。卓越したファッションセンスで今も語り継がれるカルト作)みたいな雰囲気の映像にしたいと言ったら、それを監督に伝えてくれたりできる人でした。

──つまり、自分たちと同じような“ロックなイカれた大人”だった(笑)。

松尾 その通りです(笑)。

──高校時代からずっと自分たちだけの世界観を大切に活動してきて、でもそれを言葉や行動で認めてくれる大人になかなか東京では出会えなかった。その扉がある日突然開いたっていうのは、不思議な感覚でした?

亀本 よくわからないですけど、「君たちはすごいよ」って言ってくれる人たちは常に周りにいたので、変な自信はあったんですよ。というか、変にプライドが高かった(笑)。「僕たちはスペシャルな存在に決まってる」って勝手に思っていたよね?

松尾 お客さんを1人も呼べないくせにね(笑)。「私たちのライブを観に来ないやつはセンスが悪い。お前の目は節穴なんだ」って感じで(笑)。

亀本 何かきっかけがあれば「こいつらすごい!」となるのは間違いないって、謎の思い込みはあった。いつかなんとかなるだろうという楽観的な気持ちは持ちつつ、とにかくがむしゃらにやってましたね。

松尾 そうだね。根拠のない自信を持って、ひたすらお客のいない床をにらみながら歌ってた(笑)。その当時演奏していた曲は今もライブで歌っています。続けてきてよかったなと思いますね。

GLIM SPANKY

GLIM SPANKY

納得いくまで楽曲に向き合ってくれたプロデューサー・いしわたり淳治

──そして、いよいよユニバーサルミュージックからミニアルバム「焦燥」(2014年6月11日)でメジャーデビューすることになります。プロデューサーは、いしわたり淳治さん。

松尾 私はその時点でもまだ大人に対して壁がありました。淳治さんがプロデュースするにあたっても、まずどんな人か知らないと一緒にできないということで食事の席を設けていただいて、「プロデューサーって何をするんですか?」って直接聞きました(笑)。もちろん私は淳治さんがいたバンド、SUPERCARも好きだったし、私たちを担当してくれることには前向きだったし、すごく朗らかな話し合いだったんですよ。でも、自分の中でメジャーレーベルに対する意識の壁が分厚すぎた。そこを壊していくのが大変でした。しばらくの間、それが葛藤でしたね。自分たちだけでやっていた頃は、曲が完成してないのに他人に聴かせるとか絶対ありえなかったですから。

松尾レミ(Vo, G)

松尾レミ(Vo, G)

亀本 今思えばすごく恵まれてるんですけどね。全然人気のない新人バンドの曲作りのために、レーベルがスタジオを用意してくれて、しかも、淳治さんみたいな大物プロデューサーが毎回来てくれるっていう。それを何日もやるんですよ。しかもレコーディングじゃなくて作曲の段階ですから。どう考えても金かかってるし、めちゃくちゃありがたい経験ですよ。

亀本寛貴(G)

亀本寛貴(G)

松尾 そうだね。でも、プロデューサーって私の中では、すごく怖いイメージがあったんです。知らない間に変な音を付け足されたりされるんじゃないか、とか(笑)。もちろん、淳治さんはそんなことをしなかったし、いつも横にいてくれて、「このリフだったら、こういう録り方はどうですか?」ってエンジニアさんに伝えてくれたり、純粋に音楽的なやりとりをしてくれた。淳治さんとの作業を通じて、自分の中にあったメジャーに対する偏見がなくなりました。

亀本 僕らが作ってきたものを聴いて「ここを直したらもっとよくなる」とか、すごく丁寧に説明してくれたんです。

松尾 本当にね。歌詞のフレーズ1つ取っても、私が納得いくまで向き合ってくれて。

亀本 松尾さんが頑固なだけだよ(笑)。

松尾 そうなんだけどね(笑)。1stアルバム「SUNRISE JOURNEY」(2015年)に入ってる「MIDNIGHT CIRCUS」という曲は、もともと「Caravan」ってタイトルだったんですけど、その歌詞の中に「荒漠の果て照らされるキャラバン」というフレーズがあって。その「荒漠」というフレーズがわかりにくいという指摘がスタッフからあったんです。私は幻想文学とかを好んで読んでいたので「荒漠」という言葉でイメージが浮かぶんですけど。

亀本 マジで意味わかんない!

松尾 私は「別に意味がわかんなくていいじゃん」って感じだったんですけど、「それよりもこっちのほうがよくない?」っていう話し合いに淳治さんが1対1で3時間付き合ってくれたんです。歌詞についてルノアールで6時間、淳治さんと語り合ったこともあった(笑)。

──いしわたりさんの、物作りを徹底的に考える力もすごい。

松尾 本当にそう思いますね。普通だったら嫌になっちゃいますね(笑)。

亀本 「コイツ面倒くせーな。プロの言うこと聞いておけよ」みたいなね(笑)。

松尾 淳治さんは絶対にそういうことを言わない。私たちの意見も頭ごなしに否定しないし、いつも親身になってアドバイスしてくれました。

──「こうしたほうが売れるよ」とかではなく。

松尾 まったくないです。しかも、そんなこと言われたら「売れればいいと思ってるの?」って感じになっちゃうから。私が(笑)。チームのみんなが、ちゃんと音楽的にカッコいいほうを選ぼうとしてくれた。

──受け入れる側のレーベルにも「GLIM SPANKYの2人は相当手強いぞ」みたいな感じがあったんじゃないでしょうか(笑)。

亀本 絶対あったと思います。のちのちソニーの人からも「『閃光ライオット』当時はこだわりが強くて、言うこと聞かなそうな印象が強かった」と言われましたし(笑)。

松尾 事務所やレーベルと出逢えたのは運がよかったよね。この人たちと一緒にバスに乗って遠くまでいけるなって、そういう感じはありました。結局私たちは、エンジニアもインディーズのときからライブハウスに観に来てくれていた人だし、今のマネージャーはGLIM SPANKYの元サポートベーシストなんです。すごく信頼できる人たちとチームを組めたと思っています。

GLIM SPANKY「焦燥」

誰も座ってない椅子をどうやって探し出せるか?

──メジャーデビューでバンドを取り巻く環境も大きく変わったと思いますが。

亀本 最初は不思議な気分でしたね。デビュー後に初めて地方でライブをやったんですけど、そのときのことはよく覚えてます。名古屋のCLUB ROCK'N'ROLLで、対バンがTHE ORAL CIGARETTESだったんですよ。同世代で同期デビューだし、今となっては尊敬しているバンドなんですけど、当時は彼らのことを知らなかったから、すごくガツガツしている印象だったというか(笑)。「僕たち、ここでやっていけるのかな……」って思いましたね。

松尾 すごいびっくりした。リハ見て私たちお互いに顔見合わせちゃうみたいな(笑)。

亀本 僕らは下北沢のライブハウスの小さい世界しか知らなかったから。

松尾 しかもTHE ORAL CIGARETTESがすごい人気で。終演後の物販も私たちのブースには誰もいないけど、隣のオーラルのブースには女の子たちがめっちゃ集まってた(笑)。

亀本 すごいところに来ちゃったなっていうのは、ちょっとあったよね。

松尾 ゼロからの戦いだったね(笑)。そこから「私たちはここで誰も座ってない椅子をどうやって探し出せるか?」ということを考え始めました。ただ、学生時代からずっとライブハウスの人には「GLIM SPANKYは誰と対バンさせていいかわからない」って言われ続けてきたんですよ。だから逆に、自分たちの音楽を貫き通すことで、誰もいないところに行けるんじゃないかという自信もあったんです。多少の動揺はあったけど、自分たちの音楽をやることに迷いはなかったです。

──メジャーデビューしたことで、雑誌のインタビューやラジオ番組の出演とかも一気に増えたと思うんですけど。

亀本 最初はけっこう怒られたよね。ユニバーサルの人に「ちゃんといい子にしてください!」ってめっちゃ言われました(笑)。

松尾 このままじゃ取材を受けさせられないということで、インタビューの練習をやったよね(笑)。

──人気の潮目が大きく変わったタイミングって覚えていますか?

亀本 きっかけの1つとしては、松尾さんがCMで歌ったジャニス・ジョプリンのカバー「MOVE OVER」(のちにGLIM SPANKYとして再レコーディング)と、テレビ東京のドラマ(「太鼓持ちの達人~正しい××のほめ方~」2015年1月~)の主題歌「褒めろよ」ですね。そこで一気に数字が伸びて、1stアルバムのリリースツアーファイナルだった赤坂BLITZワンマン(2015年10月17日)が満員になった。あのタイミングで軌道に乗ったよね。

松尾 そうだね。ジャニスのカバーは大きかった。

──自信がようやく満たされた?

亀本 いや、まったくですよ。当時は、まだまだこれじゃ食えないっていう感覚だったかな。「僕らの時代が来ちゃった!」とかは全然思ってなかった。

松尾 今もそういう感覚はないですね。ちなみに私、ジャニスはあまり好きじゃなかったんです。

──え?

松尾 もちろんジャニスは素晴らしいシンガーでリスペクトしてますけど、個人的にはジョニ・ミッチェルとかキャロル・キングのほうが好きなんで。

亀本 え? ジャニス、カッコいいじゃん。めっちゃいいじゃん。

──これが例の“インタビューで怒られるやつ”(笑)。

亀本 そうです(笑)。当時もそういうこと言って怒られました。わざわざ「好きじゃない」って言う必要はないじゃん(笑)。

松尾 当時は、「ジャニスに影響を受けてる」とか勝手に決めつけられるのが嫌だったんですよね。「ジャニスの真似してんじゃねえよ!」みたいなアンチもいたし、そこに対しても怒ってましたね。「あなたもロックが好きかもしれないけど、私も同じくらいロックが好きだぞ!」って対抗して(笑)。そういう葛藤はありましたけど、ジャニスの曲を歌えたことは純粋に光栄でした。私の人生に大きな道を開いてくれた感謝もあります。

亀本 大人になったね(笑)。

松尾 いろいろ経験しないとわからんから(笑)。当時は単にムカついて「好きじゃない」って言ってただけなんで。

GLIM SPANKY「MOVE OVER」MUSIC VIDEO

GLIM SPANKY「褒めろよ」MUSIC VIDEO

自分は変えられないし、変える気もない

──しかし、お二人とも話を聞いてびっくりするくらい正直で(笑)。こんなに隠しごとがなくていいのかってくらいですよね。

亀本 松尾さんも僕もそこはかなり真剣に考えています。僕らは本名で活動してますし、なんらかのキャラクターを演じているわけではないので、常に自分らしくいようと思っています。「GLIM SPANKYのギタリストである僕」っていうキャラクターは絶対やらないぞって決めてるので。

松尾 そういえば、デビュー当時怒られたことがもう1つあって(笑)。亀本はこんな感じでMCもちょっとボケッとしてて、面白キャラな感じなんですよ(笑)。

亀本 フランクすぎるんだよね(笑)。

松尾 だからスタッフに「亀ちゃんは余計なことをしゃべらないほうがいい。黙ってクールにカッコつけてくれ」ってずっと言われてたんだけど、「いやだ! できない!」って抵抗し続けた。そしたら何も言われなくなりました(笑)。

亀本 そうなんだよ! できないものはできないし、それでダメならそれでいいです。「あいつはギターがうまいのに、ベラベラしゃべるから嫌い」という人がいたら、「じゃあ、もうけっこうです」と思った。自分は変えられないし、変える気もないので。

松尾 そこは、うちらずっと変わってないかもしれない。

亀本 本当に変わってないよね。ただ本心として、ちょっとでもカッコよくいたいとは常に思ってるので、自分なりにがんばってはいるんですよ。

松尾 はいはい。うんうん(笑)。あとは自分の好きなものを守ると言いますか。それは音楽だけじゃなく、自分の好きなものを大切にしたい。例えばタイアップのために曲を書き下ろしてください、という話があったとして、それって仕事とも言えるけど、あくまで創作活動だから自分が愛せる曲を書きたいというのはずっと心がけてる。自分のやりたいことや素敵だなって思うことの中で最善を尽くすことを忘れずにいたいなと常に思っています。

亀本 そもそも、僕が大学に入り直して上京した最大の理由って、松尾さんの才能を信じていたからなんですよ。デビューの頃を振り返って、それはこの活動をやるうえで、めちゃくちゃ大事だったと思いますね。でも松尾さんは、自分は100%成功すると思っていたでしょ? 僕にわざわざ大学辞めさせてるわけじゃん。相当なリスクがあるよ(笑)。

松尾 まあね。根拠のない自信だけはあった。

亀本 すげえ(笑)。でも、僕は曲を一緒に作るので、松尾さんが作ってきたものを100回、200回聴くわけですよ。これはいつか絶対に多くの人が聴いて「いい」って思うレベルのものだぞ、って何回も聴いて感じてたし、信じた。この才能に乗っからない手はないと思ったんです。松尾さんと一緒に音楽を作ったら絶対に成功すると思ってた。

──そういう意味ではGLIM SPANKYはデビューする前から自分を信じていた2人ですよね。根拠がないと言ってるけど、自分たちの中にはしっかりあったんだと思います。

松尾 誰よりもロックが好きだし、誰よりもカルチャーやアートが好きだから、絶対にいけると思ってました。もちろん、いろんな音楽を知っているからいい音楽を作れるわけじゃないし、知っているから偉いわけでもない。ただ、何もない田舎の娘だった私にとって、「自分が好きなもの」って本当に揺るぎないものだったんですよ。だから歌詞の言葉を選ぶのも曲を作るのも服を選ぶのも迷いがないところに自信があったかもしれないです。それにずっと支えられているところはありますね。

GLIM SPANKY

GLIM SPANKY

GLIM SPANKY(グリムスパンキー)

松尾レミ(Vo, G)、亀本寛貴(G)による男女2人組のロックユニット。2007年に長野県内の高校で結成された。2009年にはコンテスト「閃光ライオット」で14組のファイナリストの1組に選ばれる。2014年6月に1stミニアルバム「焦燥」でメジャーデビュー。その後、スズキ「ワゴンRスティングレー」のCMに松尾がカバーするジャニス・ジョプリンの「MOVE OVER」が使われ、その歌声が大きな反響を呼ぶ。2015年7月には1stアルバム「SUNRISE JOURNEY」をリリース。2018年5月には初の東京・日本武道館でのワンマンライブを開催した。最新アルバムは2023年11月リリースの「The Goldmine」。2024年8月には、メジャーデビュー10周年を記念した東名阪ワンマンツアー「GLIM SPANKY 10th Anniversary Tour 2024」を開催する。また秋にはデビュー10周年記念ベストアルバム(タイトル未定)をリリースする。

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松永良平

1968年、熊本県生まれの音楽ライター。大学時代よりレコード店に勤務し、大学卒業後、友人たちと立ち上げた音楽雑誌「リズム&ペンシル」がきっかけで執筆活動を開始。現在もレコード店勤務の傍ら、雑誌 / Webを中心に執筆活動を行っている。著書に「20世紀グレーテスト・ヒッツ」(音楽出版社)、「僕の平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック」(晶文社)がある。

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【 あの人に聞くデビューの話 】
第4回(後編)

変わらぬ姿勢で歩み続けてきた
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