「西寺郷太のPOP FOCUS」

西寺郷太のPOP FOCUS 第6回 [バックナンバー]

松田聖子「SWEET MEMORIES」

国民的バラードの誕生と海外への挑戦

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NONA REEVESの西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲取り上げ、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者としてさまざまなメディアに出演する西寺が、私論も織り交ぜつつポップソングの魅力に迫る。

6回目は西寺が尊敬してやまない松本隆、大村雅朗が制作した松田聖子の代表曲の1つ「SWEET MEMORIES」にフォーカスする。

文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ

ほぼ同率のベスト5

松田聖子さんを僕が初めて意識したのは、小学1年生の夏。彼女の2ndシングル「青い珊瑚礁」が大ヒットして。そこから歌番組を観ればいつもスーパーアイドル“聖子ちゃん”が登場、みたいな世代です。なので聖子さんの楽曲を聴くのはドーナツ盤やLPからというよりもっぱらテレビ。今も特に個人的に思い入れがある聖子さん楽曲は、1985年1月にリリースされた「天使のウィンク」まで。歌番組で流れていた彼女のシングル曲に限られているというのが正直なところです。

松本隆作詞、大村雅朗作曲・編曲の「SWEET MEMORIES」を含めて、僕の好きな松田聖子楽曲、ほぼ同率ベスト5を最初に挙げると、呉田軽穂(松任谷由実)作曲、松任谷正隆編曲の「小麦色のマーメイド」「瞳はダイアモンド」、Holland Rose(佐野元春)作曲、大村雅朗編曲の「ハートのイアリング」。そしてなんと言っても忘れられないのが、少し時代が飛んで中学3年の春、1988年4月にリリースされた25枚目のシングル「Marrakech ~マラケッシュ~」ですね。偶然か必然か、作詞はすべて松本隆さんによるもの。まず、大村雅朗さんによるアナログな生演奏とデジタルシンセサイザーのひんやりとした質感を練り込ませた作曲・アレンジが37年の時を経てもタイムレスな魅力を放つスタンダード「SWEET MEMORIES」の素晴らしさを話す前段として、「Marrakech ~マラケッシュ~」に触れたくて。作曲はオリビア・ニュートン・ジョンに「Heart Attack」(1982年発売 / 全米ビルボードシングルチャート3位)を提供したポール・ブリスとスティーヴ・キプナーのコンビで、デイヴィッド・フォスターがプロデューサーを務めました。なので歌詞以外、サウンド的には“完全に洋楽”とも言ってしまえるわけですが。この世界的な大物プロデューサーを招聘する流れは、聖子さんが全米各地などでレコーディングに邁進し、1990年に満を持して全編英語詞のアルバム「Seiko」をSeiko名義で海外リリースしたプランに直接つながっていたんだと思います。Spotifyに「Seiko」はなかったので、当時買ったCDをかなりひさびさに引っ張り出してみたんですよ。湯川れい子さんが書かれたライナーノーツを読み返し、当時のムードを思い出していますが……改めて聴いて聖子さんにとって不運だったなと思うのは、彼女が全米デビューを計画した1988年末の80年代的社会と、激動の1989年を経たあと、ようやくアルバム発表に至った1990年って世界が何もかも変わってしまっていたんですよね。

ポップミュージックの理想形

聖子さんがある時期からアーティストとして目標にしたであろうマドンナ。1990年のマドンナに注目すると、春にハウスミュージックをメインストリームに引き上げた大傑作シングル「Vogue」、そして秋には前年にデビューし注目を集めた新鋭レニー・クラヴィッツとの挑戦的な「Justify My Love」をリリースしていて。この2曲が全米ナンバー1を獲得することによって、マドンナは1989年までに自分が作り上げた“記念碑”をぶっ壊して先に進めた。彼女の音楽を愛し世界中に生まれたフォロワーたちをいい意味で遥か彼方に置き去りにしてしまった、そんな印象です。

個人的にはアルバム「Seiko」の中で、New Edition、New Kids On The Blockの立役者のモーリス・スターが携わってる楽曲は好きなんです。当時勢いに乗りまくっていたアイドルグループ・New Kids On The Blockの“やんちゃ担当”ドニー・ウォルバーグとのデュエット「The Right Combination」は今も鼻歌でよく歌いますしね。正直、リードボーカルのジョーダン・ナイトならともかく、ラブバラードはキャラクター的にもドニーには似合わなくて歌の絡みはどうもチグハグなんですが(笑)。ほかの曲もプロデューサー陣はフィル・ラモーン、ジョルジオ・モロダーと超豪華。当時のCBS Records社長トミー・モトーラもそれなりに力を注いでいたんだなあ、とも思います。ただ逆にアメリカ進出を成功させようという気合いと善意のあまり、外野のプロの意見を集めすぎたのかもしれません。船頭多くして船山に上る、じゃないですが。

その結果を知ったうえで改めて聴くと、「Marrakech ~マラケッシュ~」の魅力が際立つんですよね。つまり、松本隆さんによる歌詞面からのプロデュースと聖子さんのボーカルの相性です。そのうえで特にこの曲はあえて日本人に受けるウエットな部分、安易な情緒にまったく訴えることなく“アミューズメントパーク的”な高揚感と言葉の魔法のみで完結しているのが素晴らしくて。例えるなら「ジェットコースターに乗りました。楽しかったねー。さようなら」それだけ。後腐れなし。そのほうが実は難しいって思うんですよね。切なさを伝えるとか、歌手自身の熱いメッセージで感動させることよりも。自分にとってポップミュージックの理想の1つがこの曲にあります。

聖子さんもお気に入り

さて、1980年の衝撃的なデビューから3年後。1983年8月に細野晴臣作曲による「ガラスの林檎」との両A面シングルとしてリリースされたのが、今回のテーマにセレクトした「SWEET MEMORIES」。編曲家としてカップリング曲の「ガラスの林檎」のほか多数の松田聖子楽曲以外にも、吉川晃司「LA VIE EN ROSE」、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」、渡辺美里「My Revolution」など数々の名曲を手がけた大村雅朗さんがシングルとしては初めて、作曲者としてもクレジットされています。船山基紀さんと並んで大村さんの話もこの連載ではこれから何度も登場することでしょう。なので今回はサッパリと。興味がある方は2017年に出版された「作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997」という本を読んでみてください。松田聖子さん、松本隆さんを筆頭に関わった多くのアーティスト、エンジニア、レコードマンによるさまざまな証言がまとめられています。

この曲、ともかくカラオケでもカバーでもプロ、アマチュア問わず絶大な人気を誇るんですが、僕も御多分に漏れず大好きでギタリストやピアニストと組んだアコースティックライブで何回かカバーしたことがあって。ともかく大村さんの作曲自体の完成度があまりにも高いので、どんなタイミングで歌っても場の空気がスピリチュアルで神聖なものに変わるんです。無数のヒット曲を持つ聖子さん自身も高い確率でコンサートのレパートリーに組み込んでいるお気に入りの曲らしいですが、それも納得のクラシック。

「Why? なぜに…」パターン

今回は作詞面に注目してみましょう。松本隆さんのプロデューサー的視点が一番発揮されるのは、アーティストとファンが年齢を重ねていく表現なのかなと思います。関係性を決定付ける“1行目のツカミ”がともかくすごいんですよね。連載2回目で紹介した少年隊「ABC」では「恋は最初じゃないのに めぐり逢うたびこわい」という冒頭の2行で主人公の2人にある程度の恋愛経験があることを印象付けました。同じように「SWEET MEMORIES」も出だしから「なつかしい痛みだわ ずっと前に忘れていた」と、物語は急展開。タイトルを直訳すると「甘い思い出たち」。なのに、痛みというネガティブな表現がいきなりくるショック。「え? 甘いって言ってたのに?」と。アレンジも“Sweet”というより、人工的でかつ冷たくストイックなのでより響くんですよね。サビの締めくくり、「甘い記憶 Sweet Memories」の部分も作詞家的に大好きなパートです。同じ意味を日本語と英語で並べて連打する、矢沢永吉さんの「アリよさらば」で秋元康さんが書かれた「Why? なぜに…」パターンですね(笑)。このテクニックは、僕も歌詞を書くときに実践しています。筒美京平さんもスタジオで僕に「歌詞で大事なことはともかく2回は繰り返しなさい」とよくおっしゃっていましたから。メロディと言葉の合わせ方も匠の技。サビ終盤の「あまいーぃ♪ きおーくぅー♪」の歌詞の部分で「いーぃ」と「くぅー」はそれぞれ低音から1オクターブの駆け上がりを繰り返すんですが、「あー」「おー」と自然に喉が開く音を選ばず「いーぃ」「ううぅー」とあえて喉を締めないと出ない苦しい言葉を置くことで、聖子さんの独特のキュンとくる歌唱の切なさと心の葛藤を引き出していて……直前のハイトーンで伸びる箇所が毎回「今はーぁ」、つまり、あ行で心地よく伸ばせたのに、次の瞬間いきなり締め付けられる、という落差です。そういう部分も僕らがカラオケやステージで歌っていて「決まった!」と思うポイントなんですよね。歌い心地が少し苦しいからこそ、メロディやコードと相まって最高の快感を生むと言いますか。

2番は英語詞になり「Don't kiss me baby We can never be」と始まるんですが、当時のソニー信濃町スタジオのチーフエンジニア・鈴木智雄さんが先述の書籍で語られた証言によると、レコーディングの際、聖子さんが英語の歌指導の方に「厳しくお願いします」と頼んでいたそうです。結果的に、作曲・編曲者としてこの名曲を生み出した大村雅朗さんも、聖子さんも1990年代に突入しようかというときに渡米されるわけですが、そういうエピソードを聞くとすべてはつながっているな、と。短期的に見れば失敗に終わったといえる聖子さんの海外への挑戦でしたが、彼女がパイオニアとして切り開いて来た現在までの長いキャリアは、そういった姿勢があってこそなのだなと畏敬の念しか浮かばないですね。

西寺郷太(ニシデラ ゴウタ)

1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。文筆家としても活躍し、代表作は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。

しまおまほ

1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。

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