アーティストを撮り続けるフォトグラファーに幼少期から現在に至るまでの話を伺う本連載。第10回は
取材・
カッコよくて気付いたら撮っていた
10歳くらいのとき父親が聴いていたのをきっかけにBOOWY(「BOOWY」の2つ目のOはストローク符号付きが正式表記)を知って、ロックに興味を持ち始めました。小6から中3まで親の仕事の都合でインドのニューデリーで過ごしたんですけど、インドに行く直前に出会ってめちゃくちゃカッコいいな、と衝撃を受けたのがTHE BLUE HEARTSです。インドでは日本人学校に通っていたので、夏休みに一時帰国する友達に日本のバンドのカセットを買ってきてもらって、インドでも日本のロックを聴いていました。日本に帰ってきてからは自分でバンドを組んだりもしていたんですけど、なんとなく音楽の道に進むのはムリだって感じてあきらめました。
洋服が好きだったので、大学を卒業してジーパンのパタンナーの仕事に就きまして。社会人になって音楽から少し離れていたんですが、ちょっと落ち着いた夏頃からまた聴くように。たまたまジャケ買いした
そのとき観たライブがカッコよすぎてビックリ。妹と一緒に観に行ってたんですけど、記念写真を撮ろうと思ってたのかな、たまたま写ルンですを持ってたんですよ。僕、何を思ったのか、気付いたらそれでライブ写真を撮ってたんです。
HAWAIIAN6を初めて観て、ライブを“かぶり付いて観たい”っていう気持ちより“この瞬間を記録したい”っていう気持ちが圧倒的に上回ったんだ思います。そのときはただ自分の思い出のために撮ったと思うんですけど、“撮る”っていう行為がすごく面白かった。終演後もライブハウスの前でメンバーと話したりできる時代だったので、「すごくよかったです、また来ます」なんて話をして。
最初は“写真係”
そんなことを何回か繰り返しているうちに、カメラ入門用のNIKONの一眼レフを買ったんです。それで改めてHAWAIIAN6のメンバーに、「ライブで写真を撮ってみたい」ってお願いしました。そうしたら「全然いいよ、撮れば」っていう感じになって。撮らせてもらった夜には打ち上げに参加して、対バンで出てた人たちと話したりもして。そこからただ観に行くファンじゃなくて、“写真係”みたいになりました。初めてライブを撮影したのだってたまたまインスタントカメラを持ってたからっていうだけで、特に写真に興味はなかったです。だから僕にとっては最初から“写真を撮る=バンドを撮る”っていうことでしかなかった。
バンドって、ひたすらライブをやって、インディーズでCDを出して……って、20代のいい大人が集まって青春やるっていうのがいいんですよ。で、たまたま僕もそういう人たちに混じって写真を撮るようになって。同年代だから話も合って楽しかったし、仕事とか関係なく1年くらい密着したいなと思うようになって、パタンナーの仕事を辞めました。それからは「ollie」っていうストリートファッション誌の編集部にカメラマンとして入って。仕事の隙を見て、夜ライブを撮りに行ってましたね。
いまだに続いてる初期衝動
最初にHAWAIIAN6を撮ったのが「FANTASY」を出した直後、2000年頃です。その頃からSTOMPIN’ BIRDだったり
そうやって名前を変えてバンドに密着して撮影して、3年半くらいでフリーランスのカメラマンになりました。ライブに遊びに行っただけのつもりがそれをきっかけに仕事辞めて、人生狂わされちゃいました(笑)。不思議ですよね、そのときの初期衝動がいまだに続いてるんです。
自分があとで見たいのか、バンドに見せたいのか、お客さんに見てほしいのか……撮る理由はわからない。ただ自分がライブを観て感動して撮った写真をメンバーが見てくれてテンション上がってくれたら、それは恩返しというか。自分が写真を撮ることで何か返せるものがあるって、すごいことだと思うんですよ。さらにそれがライブレポートで使われたりしたら、お客さんが見てその日を思い出してくれたり、ライブに行ったことがない人にも興味を持ってもらえたりする。僕にも「あの写真よかったです」とか感想が来ると、すごくうれしい。そういう気持ちが今でもライブを撮り続けるモチベーションにつながってるんじゃないかなと思います。
ライブ写真はバンドのもの
自分の写真に満足したことは1度もないです。いつもただライブを観て自分が感じたそのままを切り取れたらいいなと考えています。アーティストだってライブ中、演奏を盛大に間違えることがあるじゃないですか。写真もそれと一緒でダメならダメなまま撮っておきたいくらいの気持ちがあります。僕にとって写真を撮るということは、その日あったことをひたすら記録するという行為なんです。
最初から今もずっと変わらないんですが、ライブを撮ってアートを表現したいとかっていう気持ちは1mmもありません。ライブ写真はバンドのものでしかなくて、自分の作品だとは思ってない。極端に言うと報道とかドキュメンタリーに近い。脚色してキレイにカッコよくというよりも、撮ったときのそのままで完成っていう。
ただ、写真を見た人に音が聴こえていたらいいなとは思っています。僕が冠詞みたいに14年使い続けている“SOUND SHOOTER”というのは、ストレイテナーのあっくん(ホリエアツシ)が名付けてくれたんです。2005年に、写真展とライブを同時にやるイベントを開催したんですが、その第1回のライブにストレイテナーに出てもらったんです。そのときあっくんにお願いしてタイトルを考えてもらいました。それで付けてくれたのが“SOUND SHOOTER”。シュートってどちらかというとムービーを撮るという意味で使われる言葉なんです。それを“動画のように音が聴こえてきそうな写真を撮る”という意味で名付けてくれたんです。それはすごくうれしかったです。フリーランスになるタイミングで自主制作した「LOVE」という写真集も、HAWAIIAN6の安野勇太に名付けてもらったんですよ。曲を作る人って最後にタイトルを付けるから、そういうネーミングセンスもあるんですよね。
邪魔にならないための水玉
ライブ写真を撮るときは時間が許す限りリハーサルから入らせてもらって、この曲のときはここで撮るっていう自分の動きをセットリストにひたすら書き込んで準備しています。盛り上がる曲のときはみんなが手を上げるところを撮ろうとか、バラードならボーカルの表情をしっかり撮れるように柵の前に入ろう、とか。フェスはリハがないですけど、ライブ動画を観たり、曲を聴いて必ず準備しています。といっても予定調和じゃないのがライブの醍醐味だし、難しい場面もあるから最後は自分の勘に頼るしかない。
もし、キレイな写真を撮りたいなら水辺で鶴を撮影されている方みたいに三脚を立てて撮るのが一番なんです。でも僕の中ではそれが終着点ではなくて、その日の雰囲気……音が鳴っているライブの現場を、克明に、自分の好きなように撮りたい。何も考えずに自分が撮りたいままを撮りたい。そのためには予習したり流れを把握するのは何より大切だと思っています。
もう1つ大事にしているのは、黒子に徹するということ。といっても僕は金髪だし、水玉の服を着てるんですけど(笑)。でも全身黒の服を着ていても、お客さんの視界を妨げれば、邪魔なんです。だから、サビだけ撮ってサッと動いたら邪魔にならないんじゃないか、とか、影武者のような動きで撮影をしよう、とかいろいろ考えました。でもあるときふと思ったんですよ。「もし僕が北川景子さんだったら邪魔どころかむしろ見ることができて嬉しいんじゃないか」って。そうなれるとは思いませんけど、写真展とか水玉のアパレルブランドとか、DJをやったり、目立つ活動をすることでライブ中「あの水玉は橋本塁だ」と認知してもらえれば、観客の許容範囲が広がるんじゃないかな、と。「目立ちたいのか隠れたいのかわからない」ってたまに言われるんですけど、僕にとっては全部アーティストと観客の邪魔にならないように考えてやっているんことなんです。
スーツみたいな写真を撮りたい
これからもずっとライブ写真を撮り続けたいっていう気持ちだけはあるんですけど、満足するものが撮れちゃったときか、僕が好きなバンドが全部解散したときはきっと辞めますね。バンドって永遠に続かないのがロマンだと思うから彼らが活動しているうちは撮れるだけ撮りたいし、撮らずにはいられない。去年ELLEGARDENが10年ぶりに復活して、また彼らを撮ることができて、カメラマン冥利に尽きると思ったんです。10年経てまた撮れるんだ……僕もそんなに長いことカメラマンやってたんだ……と感慨も感じて。ただ改めて思ったのは、「14年やってるけど僕の写真って何も変わってない」ってことなんですよ。ずっと普通の写真を撮ってる。でも、それがやりたいことなんです。例えばバンドに「10年前の服装をしてくれ」って言ったら、みんな嫌がると思うんです。
僕が唯一ライブで写真を撮らないアーティストがKUDANZです。宣言したんですよ、ライブで聴く生歌が好き過ぎて。「死ぬまでに何回ゲンちゃん(ササキゲン)の生歌を聴けるかわからないから、もう撮ってる場合じゃない」って。KUDANZのアルバムができたら勝手に各地のラジオ局にプロモーションしてゲスト枠を取ってきたりしています(笑)。去年の写真展「SOUND SHOOTER」は全国8カ所やったんですけど、全部に出てもらいましたし、親に観せたくて地元の北海道ツアーをも組みました(笑)。
今はほかにもキツネツキの現場マネジャーもやってるんですよ。僕はバンドが本当に好きなだけで、カメラの仕事にはこだわってないのかもしれない。バンドに関われる仕事なら何でもいいのかも。KUDANZが現れたら「カメラを止める!」ってすぐ言っちゃうし(笑)。でも今カメラマンを辞めたら、やっぱり写真をやりたいってなるかもしれないなあ。僕にもわからない。いつまで生きてるかわからないから、やりたいときにやりたいことをやっちゃう。それが今、僕がカメラをやっている理由のすべてです。僕のマインドはたくさんいるカメラマンの中でも一番カメラマンじゃないのかもしれないですね。
橋本塁
1976年北海道伊達市生まれ。大学卒業後、24歳のときにジーンズのパタンナーから突如カメラマンに転身。雑誌「ollie」の社員カメラマンを経て2005年にフリーランスに。androp、ストレイテナー、ONE OK ROCK、THE BAWDIES、
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