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高畑勲お別れ会に山田洋次、大塚康生、富野由悠季、久石譲、押井守ら3200人

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4月5日に82歳で永眠した高畑勲をしのぶ「高畑 勲 お別れの会」が、本日5月15日に東京・三鷹の森ジブリ美術館で行われた。

1935年に三重県で生まれた高畑は、東京大学仏文学科を卒業後、東映動画(現:東映アニメーション)に入社し、演出助手などを経て「太陽の王子 ホルスの大冒険」で監督デビュー。退社後、宮崎駿とともに「パンダコパンダ」「アルプスの少女ハイジ」といった1970年代を代表するアニメ作品を生み出した。「風の谷のナウシカ」のプロデューサーを経て、1985年にはスタジオジブリ設立に参加。「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョ・となりの山田くん」を発表し、宮崎とともにスタジオジブリの一翼を担った。

宮崎とスタジオジブリの代表取締役プロデューサーである鈴木敏夫の「ジブリとして盛大なお別れの会を」という言葉のもと、高畑が生前愛した三鷹の森ジブリ美術館で執り行われた本日の式。祭壇と遺影は高畑を「野に咲く花たちで囲みたい。ただ温かみのある草花たちで包みたい」という宮崎の思いから飾られた。そのほか「おもひでぽろぽろ」にちなみ紅花、フランス芸術文化勲章オフィシエが胸に飾られた「パンダコパンダ」のパパンダのぬいぐるみ、親交のあった「木を植えた男」で知られるフレデリック・バックから贈られた人形などが会場に置かれていた。

お別れの会は委員長を務める宮崎の開会の辞から開始。高畑のあだ名である“パクさん”の由来を語ったあと、「パクさんは95歳まで生きると思い込んでいた」と述べる。医者から「友達なら高畑さんのたばこをやめさせなさい」と言われたことがあったそうで、鈴木とともに説得に向かったこともあった。「弁解や反論が怒涛のように吹き出てくるかと思ったが、パクさんは『ありがとうございます。やめます』とキッパリ言って頭を下げた。そして本当にたばこをやめてしまった。僕はわざとパクさんのそばへたばこを吸いに行った。『いい匂いだと思うよ。でも全然吸いたくなくなった』とパクさん。彼のほうが役者が上だったのであった。やっぱり95歳まで生きる人だなと本気で思いました」と振り返る。そのほか東映動画時代に初めて会ったときのことや労働運動が盛んだった頃のエピソード、また「太陽の王子 ホルスの大冒険」制作時の思い出を涙ながらに話した。弔辞は宮崎がひと月かけて考えたもので、予行演習の際にもたびたび涙を流していたという。こちらの詳細は速報レポート記事で確認してほしい。

続いて「太陽の王子 ホルスの大冒険」で作画監督、その後も数々の高畑作品に参加したアニメーターの大塚康生が別れの言葉を捧げる。制作の進行スケジュールを遅らせることで有名だった高畑。その理由を尋ねたことがあるという大塚は「『いい仕事をしようと思って粘ると長くなっちゃうんですよ』と。高畑さんは絶対に粘るんですよ。徹底的に。面白い人でした」と述懐する。高畑や宮崎らとともに旅行をした際の話も飛び出し「高畑さんと宮崎くんの踊りがぜんぜん違うんです。2人とも本来踊りにないポーズをするんです。面白くて写真に撮っていました」と懐かしんだ。東映動画の同期であり、「アルプスの少女ハイジ」「じゃりン子チエ」に参加したアニメーターの小田部羊一は「パクさんの示してくれる方向は苦しみを伴いましたが、誤りのないものでした。付いて行くだけで精一杯でしたが、私のことをアニメーションの表現を深め、新しい表現を生み出したいと願う同志だったと言ってくれました。かけがいのないパクさん。どうか戻ってきてください」と力強く述べた。

高畑がプロデュースした「風の谷のナウシカ」以来の付き合いである久石譲は当時を振り返り「無名だった僕を起用していただきました。宮崎さんは作画で忙しく、音楽は高畑さんが面倒をみてくれました。7時間以上のミーティングが何回もありました。今日があるのは高畑さんのおかげです」と述べる。高畑の遺作となった「かぐや姫の物語」の音楽も担当した久石は「一緒に仕事ができたことを本当に誇りに思っています。仕事で頭を悩ませたとき、この人だったらどうするだろう?といろんな人が頭をよぎります。そうすると高畑さんの笑顔が浮かんで、希望が持てるんです。そういう意味で、高畑さんは僕の中では生きてます。お別れは言いません。心からご冥福をお祈りしますが、いつかどこかで会いましょう」と言葉を詰まらせながら語った。また高畑が企画段階から関わった作品「レッドタートル ある島の物語」の監督マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットも「感謝の言葉しかありません。高畑さんの作品の叡智、その繊細さと美しさに感謝いたします」と話し、二階堂和美は「かぐや姫の物語」の主題歌「いのちの記憶」を別れの歌として高畑に捧げた。

お別れ会終了後には「ホーホケキョ・となりの山田くん」で俳句の朗読を行った柳家小三治、同作で山田たかしに声を当てた益岡徹、「平成狸合戦ぽんぽこ」で主人公のタヌキ・正吉の声を担当した野々村真、スタジオジブリが企画制作に協力したフレデリック・バック展で音声ガイドを担当した縁のある竹下景子、そして鈴木が囲み取材に応じた。野々村は「偉大な監督だったと改めて感じています」とコメント。「平成狸合戦ぽんぽこ」の制作時を振り返り「僕には朗らかで優しい人でした」と印象を語る。「ろれつが回っていないところでもNGを出されないんです。演者にはすごく優しくて。『地声でいいから』とリラックスさせてくれました」と述懐。「正吉の声を聞くと、完全に野々村真なんです。でも映画を観ていくうちに自然と野々村真ではなく、正吉の声として聞こえてくる。自然な演出の中でアニメーションに魂を吹き込むのはそういうことなんだと教えられました。自分の人生で最高の宝物です」と話した。

また「僕と高畑さんは最後まで監督とプロデューサーという立場で40年間やってきた」と語る鈴木は、「いい思い出より対立した思い出のほうが多いんです」と顔をほころばせる。鈴木が直接関わっていない「じゃりン子チエ」の頃は毎日のように相談を受けていたそうで「あの経験が今のプロデューサー仕事に生きてます。一緒にやった作品は全部覚えてます。毎回、いろんな議論、闘いがありました。いい距離感というよりお互い土足で(笑)」と回想。「火垂るの墓」では劇場公開のため上映時間を5分カットする役割を担い、「平成狸合戦ぽんぽこ」では進行を遅らせる高畑のために公開時期を早めた特製ポスターを作り制作を急かしたという。「40年間も付き合ってきたけど、一度も緊張の糸を途切らせたことがない。ずっとこの関係を続けていると高畑さんが体のどこかにすみ着くんです」と続けた。また高畑は生前「平家物語」の企画の実現を願っていたという。

「高畑 勲 お別れの会」午前の部には、そのほか富野由悠季押井守大林宣彦山田洋次岩井俊二樋口真嗣宮本信子本名陽子瀧本美織柳葉敏郎福澤朗、角川歴彦、川上量生、西村義明ら約1200人が参列。午後の部も合わせると合計で約3200人が訪れた。なお「かぐや姫の物語」が、5月18日に日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」にてノーカット放送。また本日よりニコニコ生放送で高畑の追悼企画が行われる。

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